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久住山

  1997年11月15日 6名グループ 曇り

湧蓋山

  1997年11月16日 2名グループ 曇り  1泊2日

久住山 くじゅうさん(1787m) 一等三角点本点 九重連山(大分) 5万 宮原、久住 2.5万 久住山、大船山
ガイド:九重・祖母・大崩を歩く(山と渓谷社)、分県登山ガイド「大分県の山」(山と渓谷社)、アルペンガイド「九州の山」(山と渓谷社)、日本日本300名山ガイド(新ハイキング社)、九州百名山(山と渓谷社)
湧蓋山 わいたざん(1500m) 二等三角点 九重連山(大分) 5万 宮原 2.5万 湯坪
ガイド:分県登山ガイド「大分県の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「熊本県の山」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド(新ハイキング社)、九州百名山(山と渓谷社)

11月12日(水) 7:33 新潟発=(雷鳥20号)=13:38 京都着=13:47 発=(ひかり47)=17:25 博多着  (博多ワシントンホテル泊)
11月14日(金) 学会終了後博多から久留米移動  (久留米ホテルニュープラザ泊 5800円)
11月15日(土) 7:00 西鉄久留米駅〜7:30 発=(久留米IC、九州自動車道、鳥栖Jtc、大分自動車道、九重IC、九酔峡、長者原 やまなみハイウェイ 経由)=9:10 牧ノ戸峠〜9:55 発―10:12 沓掛山展望地〜10:21 発―11:03 扇ヶ鼻への下の分岐―11:07 扇ヶ鼻への上の分岐〜11:18 発―11:46 久住分かれ―12:00 中岳分岐〜12:37 発―12:50 久住山山頂〜12:56 発―13:45 1400mの台地〜13:52 発―14:16 林道出会い―14:37 扇ヶ鼻分岐―14:44 赤川温泉登山口=(R.442、やまなみハイウェイ、牧ノ戸峠(車回収)、やまなみハイウェイ、R.442、黒川温泉(薬師の湯 山河入浴)、R.442 経由)=16:40 南登山口キャンプ場  (ロッジ泊)
11月16日(日) 8:40 南登山口キャンプ場発=(R.442、やまなみハイウェイ 筋湯 経由)=9:05 疥癬湯入口駐車場〜9:10 発―9:54 石の塔分かれ―10:14 湧蓋越―10:38 女岳〜10:43 発―10:55 湧蓋山〜11:31 発―11:42 女岳―12:00 湧蓋越―12:16 石の塔分かれ―12:48 疥癬湯入口駐車場=(筋の湯共同浴場入浴、やまなみハイウェイ、大観望、阿蘇内牧温泉、赤水、R.57 経由)=15:45 熊本駅〜16:05 発=(有明26号)=17:03 久留米  (久留米ホテルニュープラザ泊)
11月17日(月) 6:44 久留米発=(西鉄)=7:30 博多=8:00 博多発=(ひかり34)=14:14 東京=14:35 発=17:10 新潟着


 九重連山は、大分県西部に連なる火山群の総称である。この九重連山は、大きく三つに分けられる。黒岳、大船山、平治岳といった、坊がつるを囲む東部の山。九州本土最高峰である中岳、一等三角点が置かれた盟主ともいえる久住山、噴火活動を再開した硫黄岳と星生岳、稲星山、三俣山、扇ヶ鼻、といった1700m級の峰の連なる中央部。牧ノ戸峠によって中央部から分けられた、黒岩岳、泉水山、湧蓋山などからなる西部の山である。深田久弥の日本百名山では、九重山として、山群全体が取り上げられているが、ピークそれぞれを選んでいる300名山では、久住山、大船山、湧蓋山が選ばれている。
 博多の学会終了後、インターネットの登山メーリングリストの九州地区での集まりに参加した。学会終了後、西鉄にて久留米に移動し、ビジネスホテルに泊まった。博多のホテルよりもずっと安い料金であり、寝る分には問題は無かった。後で少々後悔することになったのだが。夜に小雨。幸いじきに止んでくれた。
 翌朝、西鉄久留米駅前で待ち合わせをした。福岡組は、牛嶋、四方田、牛島、岡本の四名。現地の牧ノ戸峠集合は、甲斐、仲井の両名。直前になって、参加できなくなった人が出たことは、少々残念だった。九州のメンバーにとっては、次回の楽しみということになろうが。車の故障で出発が少し遅れたが、高速道を使うことで、遅れを取り戻した。九重ICで高速を下りて、九酔峡の渓谷に入り込み、つづら折りの坂を登っていくと、見覚えのある長者原に出た。去年の5月の連休の九州の百名山巡りの時にも、長者原で野宿をし、その時に九酔峡という標識を見たことを思い出した。長者原からの三俣山の眺めが気に入っているのだが、今回は残念ながら雲に隠されていた。やまなみハイウェイを上がっていくと、じきに牧ノ戸峠に到着した。それ程広くもない駐車場であるが、空きが目立っていた。天候が悪いのを見て、登山は明日にしようといって車を引き返す中高年グループもいた。時間の余裕があるというのか、慎重というべきか。でも、雲もそれ程厚くはなく、雨の心配はなさそうであった。それ程待たずに福岡組も到着して、参加メンバーがそろった。
 コンクリートで固められた遊歩道を登り出すと、たちまち汗が吹き出してきた。聞いてみると、九州でも季節を逆戻りしたような陽気のようであった。遊歩道の終点の沓掛山直下の展望地で最初の休憩になった。展望盤に示される眺めは得られなかったが、待つうちにガスが切れてナベ谷が姿を現した。紅葉の季節はすでに去っていたが、枝の水滴が反射するのか、木立が白く光って見えた。沓掛山の小岩場を越そうとすると、オバサングループが、木の梯子もある下りに苦戦していた。緩やかな尾根を、のんびりと山の話しをしながら歩いた。オバサングループとの距離は自然に開いていったが、足の速さはともかく、話し声の大きさでは我々男性グループは負けていた。扇ヶ鼻の下部にたどり着た所で、再びちょっとした登りに汗すると、扇ヶ鼻への上の分岐のある台地にたどり着いた。この先は、西千里ヶ浜の平坦な道であるので、ファミリーハイクにも楽なコースである。昨年は、噴火に伴う登山規制によって、この牧ノ戸峠コースは閉鎖ということになっていたが、多くのハイカーが歩いていた。ともかく、火山活動が弱まって規制緩和になってよかった。しかし、昨年とは違って、星生山への登山道の入口には、進入禁止の鎖がしっかりと張ってあった。前回は、良く判らないままに星生山に登って、ちょっと危ない思いをした。このようにガードがかたいと、登る者もいそうもなさそうである。星生山の切り立った斜面を見上げながら西千里ヶ浜をのんびりと通り抜け、星生崎の岩場を越すと、避難小屋の広場に到着した。ガスの切れ間から、一瞬ではあるが、ピラミッド型の久住山の山頂が姿を現した。広場から少し上がった久住分かれに出ると、噴気のジョット音が大きくなった。ガスの中で見えないのが、余計に不気味であった。硫黄の臭いも漂い、先日の安達良山のことも思いだし、長居は無用ということで、先に進んだ。中岳との分岐で、空池の縁で風を避けながら、昼食をとった。牛島さん差し入れのワインにて乾杯。そろそろ山でビールの季節では無くなってきたようである。クレーター状の空池を見下ろしながら、ゆっくりと昼食を楽しんだ。
 元気を取り戻して、ガレ場のひと登りで、久住山の山頂に到着した。思ったよりも多くの登山者が、山頂付近で休んでいた。まずは、記念写真を撮った。山頂を覆うガスは、晴れそうにもなく、下山することになった。前回は、牧ノ戸峠から、星生山、久住山、稲星山、中岳、扇ヶ鼻と巡って、牧ノ戸峠に戻ったので、今回の下山路の赤川コースは、始めてであった。ガイドブックにもあまり紹介されていないコースである。山頂から東に僅かに戻った所から、ガレ場の下りが始まった。降下点には標識は無く、僅かに下った所にある標柱が目印になるが、始めてであると分かりにくい所であった。油断のならない急斜面の下りに気を取られていたら、しんがりの甲斐さんが姿を消していた。少し待って追いついた甲斐さんに聞くと、腹具合が急におかしくなったとのことであった。その後も、足どりが重そうであった。下るに連れて晴れ間が広がり、久住高原の広々とした展望が広がった。ガレ場の下りも、1400mの台地でひと段落した。尾根上の広場は休憩にもってこいで、頭上には高く久住山の山頂がそびえ、谷越しに扇ヶ鼻の岩壁が荒々しく見えた。その先の傾斜は緩くなったものの、火山灰によるものか、泥混じりの登山道は滑りやすく、枝を握りしめて注意しながら下る必要があった。しだいに、葉のすっかり落ちて明るくなった林が、周囲に広がるようになった。荒れた林道に飛び出し、再び林の中に戻ると、右手より赤川が近づいてきて、右岸に渡った。沢の水は青く澄んでいたが、沢の中の石は、硫黄によるものか黄色に染まっていた。扇ヶ鼻への登山道を合わせると、その少し先で、赤川温泉の登山口に到着した。赤川温泉は、改築のために、98年8月まで、休業とのことであった。
 甲斐さんによれば、この赤川コースは、久住山への登山道として、牧ノ戸峠コースに比べて、格段に登山者は少ないが、一番好きなコースとのことであった。確かに、高原から山頂までの一気の登りは、手応えのある登山の楽しめるコースであった。
 車を回収し、黒川温泉の「薬師の湯 山河」にて400円で入浴した。この黒川温泉には、露天風呂を備えた多くの旅館が立ち並んでいるが、いずれも500円で、少しはずれたこの旅館は少し安く、若い女性にも人気のある露天風呂とのことであった。湯はややぬるく、散り残った紅葉を眺めながら、ゆっくりと温泉に浸かった。
 宿は、甲斐さんの交渉によって、南登山口キャンプ場のロッジを安く借りることができた。定員4人の小ロッジを2棟借りていたが、中に入ると、バス・トイレ、炊事場、電気釜、電気ポット、調理器具、食器、寝具、電気カーペットなど、いたれりつくせりであるのに驚いた。だんご汁にトロロ芋を作り、夕食の準備をした。始めはビール、その後は焼酎に日本酒と続け、山の話しに盛り上がった。12時を過ぎようという所で、宴会はお開きになった。
 翌朝、二日酔いで目を覚まし、気分をすっきりさせるために外に出ると、青空のもとに山の展望が広がっていた。久住山が目の前に広がり、昨日歩いた赤川コースを目で追うことができた。管理棟前の自動販売機に缶コーヒーを買いにいくと、祖母・傾の稜線が長く続いており、阿蘇山が近くに見えた。コーヒーを飲みながら、静かな朝の風景を楽しんだ。
 日曜日は、用があってそのまま家に戻る人がほとんどであったため、仲井さんを誘って、近くの湧蓋山に登ることにした。朝食後、皆と別れて、まず筋湯に向かった。筋湯付近で、 疥癬湯(ひせんゆ)への道が判りづらかったが、筋湯の温泉街入口の案内板の前の谷沿いの道を進めば、わずか先であった。登山道の標識に従って、坂を下ると、鉄橋の手前の駐車スパースはすでに満杯であった。坂の下り口に戻ると空き地があり、ここに車を置いて歩き出すことにした。鉄橋を渡ると、龍泉荘の軒先に出て、建物の中を通り抜けると、杉林の中に登山道が始まった。夜間や早朝には、戸が閉ざされるのであろうか。ひと登りすると、牧草地の脇の道になった。道には草がかぶり気味で、おかしいなと思いながら登っていくと、牧草地から良く踏まれた道が合わさってきた。やや急な斜面を登ると、右手から登ってきた荒れた林道に飛び出した。左手の谷越しには、枯れ草で覆われたなだらかな尾根の上にとがったピークが頭をもたげていた。これがめざす湧蓋山かと思ったが、どうやらミソコブシというピークであったようである。笹原を右上にマイクロウェーブの反射板を見ながら、トラバース気味に登っていくと、牧場の中に出て、柵の中には牛も放牧されていた。石の塔分かれに出ると、草原の向こうに、湧蓋山がようやく姿を現した。まだまだ登りでがありそうであった。牧場の有刺鉄線沿いに登山道を進むと、笹が深く、足元が見えなくなった。登山者も多いはずなのにおかしいと思って脇を見ると、牧場内に踏み跡が続いていた。皆、歩きやすい牧草地を歩いているため、正規の登山道はヤブに覆われてしまったようである。有刺鉄線をくぐって、楽な道を歩くことにした。牧場の柵を、腐りかけた鉄の階段で越し、林の中を進むと、林道に飛び出した。左手に進んだ所に湧蓋越という標識が立ち、登山道が林の中に続いて、山頂への一気の登りが始まった。林から笹原の中の急登に変わると、高度もぐんぐんと上がって、ミソコブシのピークも遥か下になった。前衛ピークの女岳に到着して、一息入れた。女岳は、見晴らしの良いピークで、目の前に湧蓋山の山頂が大ききくそびえていた。痩せ尾根を僅かに下った後に、再び急斜面の登りに取りかかると、意外に早く、山頂に到着した。山頂は広く、手前に三角点、奥に祠が置かれていた。草の上に腰を下ろし、一缶のビールを分け合って、昼食にした。山頂はガスで覆われていたが、時折、麓の高原の眺めが広がった。休んでいる間に、他の登山口から登ってくる者も多く、広い山頂は、思い思いの場所に腰を下ろしたハイカーで賑わうようになった。
 下りは、登りの苦労がうそのように、楽に下ることができた。再び、牧草地を歩き、谷間に下りると、登山口の疥癬湯に戻ることができた。牧歌的な裾野の歩きに、最後の急登。前もって思っていたよりも楽しい山であった。
 車を移動させ、筋湯の共同浴場で汗を流した。仲井さんに熊本駅まで送ってもらい、JRにて久留米に戻ることができた。夜、サッカーのワールドカップの決定戦を見ようとしたら、衛星放送がはいらず、民法もやっていなかった。がっかりして寝てしまったが、いずれにせよ、眠くて最後までは見ることはできなかったかもしれない。翌日、前日からの大混乱の続く上越線を経由して、新潟へ帰宅した。

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