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宝蔵山、白山

1997年11月8日 日帰り 単独行 晴

宝蔵山 ほうぞうざん(897.1m) 三等三角点
白山 はくさん(1012.4m) 二等三角点 白山山塊(新潟) 5万 加茂 2.5万 越後白山

ガイド:片雲往来 PARTIII(第二部)-阿賀南の山々- p.123-142、越後の山旅上巻(富士波出版社)

11月8日(土) 5:40 新潟発=(R.49、亀田、R.403、加茂、下高柳、上高柳 経由)=6:50 上高柳登山口〜7:15 発―7:46 小乙分岐―8:15 橋立―8:23 行き止まり道分岐―8:56 縦走路分岐―8:57 宝蔵山〜9:02 発―9:03 縦走路分岐―9:16 袖山―9:52 白山〜10:02 発―10:36 袖山〜10:42 発―10:55 宝蔵山―11:18 行き止まり道分岐―11:24 橋立―11:52 小乙分岐―12:14 上高柳登山口=(往路を戻る)=16:00 新潟着

 新潟平野の東端に位置し、背後に川内山塊を擁する白山は、古くからの信仰の山として、現在では、登山の山になっている。北端の神戸山から始まる稜線は、白山から宝蔵山、さらに鞍部の橋立を経て、権ノ神岳から粟ヶ岳に続いている。宝蔵山へは、麓の三つの集落からの登山道が開かれているが、白山に比べて登る者は少ない。白山から宝蔵山への縦走路は、ヤブに閉ざされ、残雪を利用して歩くのが一般的であったが、最近登山道が開設され、無雪期にも日帰り登山を楽しむことができるようになった。
 この週末、猿ヶ番場山へ遠出をする予定であったが、すでに道路が雪で閉鎖になって中止になった。他の山に遠出する気にもなれず、気にかかっていた宝蔵山に出かけることにした。今年の4月に残雪期の白山に登った時に、宝蔵山に至る縦走路を見て、歩いてみたいと思った。縦走路の登山道が整備されたとの噂を聞いたような気もするが、もし登山道が無くて残雪期をねらうなら、とにかく雪の無いこの時期に登って様子を見ておく必要があった。
 ここのところ、すっかりお馴染みとなった道を通って上高柳の集落に向かった。集落の先で未舗装の道に変わると松平橋を渡り、杉林の中を行くと右手に山の神の小さな祠が現れた。左手に高柳川を見下ろしながら進むと、車のわだちの残る林道は、右手に曲がり、直進方向には荒れた林道が続く、分岐に出た。この分岐には、登山口を示す標識が、右手をさして立っていた。ここが地図にもある、高柳川を渡って尼池山からの尾根に上がる登山道の取り付きだろうと思った。荒れた林道を進んでみると、谷は深まり、やぶになってしまった。全くの勘違いかと思って、車に戻り、標識のある林道をさらに進んでみることにした。道幅は狭く左手は崖の、慎重な運転の必要な道になった。林道の終点に到着すると、右手に登山口の標識があった。左手の高柳川の谷の向こうには、ドーム状の山頂がそびえ、その山肌は紅葉に彩られていた。林道の終点はスペースが僅かで、車の向きを換えるのに少々苦労した。他にも車があると、方向転換もままならぬ事態になりそうであった。ここが、青木滝への道との分岐のはずであった。  杉林の中を緩やかに登っていくと、美しく紅葉した雑木林の中に出た。昨年、宝蔵山の登山道で熊が目撃されたことがあったが、いかにもといった深山の趣があった。リュックをわざと左右に揺らして、付けたスズを鳴らしながら歩いた。以前は、炭焼きの作業道であったらしく、ジグザグに登っていく道は歩き易かった。道幅は広かったようであるが、草が道を覆っており、夏は歩くのに難儀しそうであった。尾根の上に出て、南に回り込むと、小乙からの登山道が登ってきている分岐に出た。ここには立派な看板が立てられていた。権ノ神岳を前景にした粟ヶ岳を眺めながら尾根の南斜面を登っていくと、橋立に到着した。ここは峠になっており、前方には、仙見川へ落ち込む谷を越して、川内山塊の山々が広がっていた。また、右手には、粟ヶ岳への縦走路が、誘うかのように高みに向かって登っていくのが見えた。ここは、重要な分岐点であるためか、新旧いくつかの標識がたっていた。宝蔵山に向かって直進すると、高柳川の谷をようやく巻くことができ、前方に宝蔵山の山頂を眺めることができるようになった。林道終点から見たのは、前ピークで、本当の宝蔵山山頂は、背後に隠されていたことが判った。やせた尾根をたどって宝蔵山の基部に取り付くと、ブナ林の中の急な登りが始まった。登山道の上を厚く落ち葉が積もり、よけいに滑りやすくなっていた。傾斜も緩やかになった頂上近くで、三叉路に出た。左手に少し入った所に、三角点の置かれた山頂広場があった。ここには、中大谷からの登山道が上がってきていた。広場の周囲は潅木に覆われ、展望は得られなかった。
 宝蔵山の山頂に達したことで、ひとつの目的は果たしたが、三叉路には、縦走路についての気になる標識が立っていた。宝蔵山から30分で袖山。そこからは60分で白山というコースタイムが記入されていた。脇に掲示されている保安林内作業許可書には、「目的 登山道の開設延長2313m、期間 平成3年6月15日から平成8年3月31日」とあり、村松町長の名前が記されていた。工事期間は来年の春までではあるが、雪の時期となり、事実上は、工事は終了の時期を向かえているようであった。白山方向には、立派な道が続いていた。まだ、時間も充分にあり、白山を目指すことにした。
 緩やかに下ってからひと登りした小ピークの縁に出ると、前方に、緩やかな稜線が続き、その先に白山を眺めることができた。山頂の避難小屋も見ることができた。石の標識がいくつか埋められ、名前の消えた標柱も立っており、おそらくここが袖山のようであった。ここから先は、右手に川内山塊の山々、左手に新潟平野を眺めながらの、爽快な稜線歩きが続いた。最後に潅木帯の中の急斜面を登ると、避難小屋の下に登り着いた。右手に曲がって白山の山頂に向かい、先回は残雪で完全に隠されていた山頂標識と祠の置かれた広場に出た。さすがに、この山頂には、3名の登山者が休んでいたが、避難小屋の中にはもっといたのかもしれない。菅名岳方面を眺めながら、腰を下ろしてひと休みした。山頂には、雪の痕跡が僅かに残っていた。山頂広場の南寄りに、縦走路の標識がたっており、やぶっぽい道が始まっていた。帰りに、この道に入ってみると、鯖池の裏手を通って、避難小屋の直下で、登ってきた道に合わさった。わざわざ縦走路に踏み出すのを躊躇させるような、案内標識であった。急斜面を下ると、今度は粟ヶ岳の展望を楽しみながらの稜線歩きになった。思ったよりも短い時間で宝蔵山から白山を往復することができ、後は、落ち葉の積もった静かな山道を下った。  思いがけずも、宝蔵山から白山への縦走路を歩くことができたが、次は、橋立から粟ヶ岳につなぐことが目標になった。
 帰りに、もう一度、中大谷からの尾根に上がる登山道を捜してみることにした。先の分岐に戻り、分岐からわずか先の杉林の伐採地の中を良く見ると、踏み跡が、高柳川に向かって下っていた。踏み跡をたどっていくと、川に降り立った。苔で滑らないように注意しながら踏み石伝いに渡ると、対岸の杉林の中を明瞭な道が上に向かって続いていた。おそらく、これが地図にある道のようであった。この道が利用できるなら、より変化に富んだコースになるはずであった。ついでに、小乙と中大谷登山口(標識には柿ノ木平登山口)も偵察してから帰宅した。

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