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笠菅山

1997年11月3日 2名グループ 日帰り 晴

笠菅山 かさすがやま(615m) 三等三角点(609.4m) 五頭山周辺(新潟県) 5万 津川 2.5万 津川、東赤谷

ガイド:片雲往来 阿賀北の山々p.269-278、駒の会「駒」文集第五巻p.78-79

11月3日(月) 6:10 新潟発=(R.7、新発田、上赤谷、東赤谷 経由)=7:28 赤谷工業プラント手前林道入口〜7:08 発―(棚橋山偵察)―8:55 林道入口=(上赤谷、綱木、細越、細越栗園 経由)=9:25 小屋前空き地〜9:32 発―9:37 林道終点―9:50 水場〜9:55 発―10:05 アンテナ台地―10:10 三角点ピーク―10:16  主三角点ピーク〜11:24 発―11:30 三角点ピーク―11:35 アンテナ台地―11:47 水場―11:55 林道終点―12:00 小屋前空き地=(細越栗園、林道五十沢線、中ノ沢内川線、三川温泉、新三川You&湯入浴、三川、R.49 経由)=15:10 新潟着

 笠菅山は、五頭山塊の裏手にあたる三川温泉の背後に、新谷川と中ノ沢川に挟まれて立つ山である。標高は低いが、独立峰で、名前のように笠を置いたような形から、周囲から良く目立つ山である。
 三連休三日目、鈴木眞さんと、棚橋山をめざした。再び赤谷に入り込み、旧赤谷駅を少し過ぎた林道分岐に車を停めた。松本さんの資料をもとに林道を進んで、工場裏手に回ると、沢があり、一本丸太橋がかかっていた。ここまでは、資料の通りであった。沢を渡って杉林に道を捜したが、それらしい道は見つからなかった。沢の縁の尾根状地形にはかすかな踏み跡があった。境界見出標というプレートもかかっていたが、踏み跡をたどって潅木をかきわけると、崖といってよい急斜面にぶつかった。掴んだ木の枝が折れると、そのまま転落事故になりかねない急斜面に、引き返すことにした。登山道について詳しく教えてもらって、再度の挑戦ということにした。
 こういうこともあろうかと思って、予備の山としては、笠菅山を計画しておいた。棚橋山を迂回して新谷川沿いの谷に入ると、霧が立ちこめていたが、綱木付近から青空をバックに笠菅山が姿を現した。細越の集落内に車を乗り入れ、幅の狭い林道に進んだ。一気に高度を上げると、細越栗園にでたが、山中に忽然と大駐車場と、左手から立派な舗装道路が上がってきているのを見て、意外な感じを持った。めざす笠菅山の山頂は、紅葉に彩られてすぐ上に見えた。車をこの駐車場に停めるべきか迷ったが、対向車もいそうも無いので、さらに上がってみることにした。路面の状態は悪くはなかったが、左右から草がはみだし、路面は苔がおおって、通る車はまれなようであった。栗園からもかなり高度を上げた所で右手に小屋があり、その脇の空き地に車を停めて歩き出すことにした。少し先で林道は終点になっていた。林道は唐突に終わり、20m程手前の退避所がUターン兼駐車スペースになるので、突入しすぎないように注意が必要である。
 雑木林の中の登山道が始まった。道は、落ち葉に覆われていてもはっきりしており、テープも多く付けられていた、もとは炭焼きのための作業道だったというつづれ折りの道を、先人の健脚さを思い知らされながら、汗を流しながら登った。周囲の木の葉は落ちて、初冬の風情であった。小さな沢があり、良くみると、崖に開いた穴から水が湧き出ていた。コップを押し当てて水を集めて、喉をうるおした。山頂近くに、この時期でも涸れていない水場があるのが不思議であった。落ち葉を踏みながら急坂を登っていくと、東南へ延びる尾根に登り着き、そこからもうひと登りでNHK他のテレビアンテナの並ぶ台地に到着した。ススキをかき分けて、前方のピークを目指した。台地の先からは、前以上にはっきりした道が付けられていた。ピークの上で、右手の雑木林の中に三角点を捜すと、杉が何本か並んだ中のやや右手のやぶの中に見つけることができた。標識はなにも無い、さみしい山頂であった。木立を通して、真っ白な大日岳から北股岳にかけての飯豊の主稜線と蒜場山が見えて、邪魔の無い場所を捜すことにした。整備された道に戻って先に進むと、アンテナが現れ、その先からは、菅名岳や五頭山の展望が広がったが、東の飯豊方面は、杉や潅木の枝が邪魔をしていた。道は西のピークの上に続き、最高点と思われる所には、主三角点が埋まっていた。その先に、中越幹線 No.37-41→ ←No.41-46 という標識が立ち、道は二手に分かれた。展望の開けた場所を求めて、東北のピークまでいってみることにした。プラスチック板が埋め込まれた階段状の道を下って、次のピークに登ると、その頂上付近はススキの原で足を踏み入れることはできなかった。送電線の保守道と思われる整備された道は、北に向かって緩やかに下っていった。ピークの縁には杉の古木が立ち並んで、思わず見とれてしまったが、残念ながら飯豊の展望は開けなかった。主三角点のピークに登り返して、枯葉の上に腰をおろして昼食にした。周囲は、杉の古木と真っ直ぐに延びたブナの木に覆われ、展望を諦めれば、心地よい美しい林の中であった。
 ビールを飲みながら、この道はどこに続くのかという話になった。北側には送電線が走っているようだが、地図には、この送電線は載っていないという所まできて、二人の持っている地図の刊行日が違っていることに気が付いた。鈴木さんの持っていた少し古い地図には、古岐の集落から西に林道が延びて、その峠近くから笠菅山に向かって波線が延びていた。私の持っているより新しい地図からは、この道は消えていた。送電線の巡視路は、東は古岐へ、西は中ノ沢林道へつながるようで、林の中を緩やかに下っていく道は、細越からの道とは違った趣があった。上村氏の片雲往来は平成元年、松本氏の駒の会報は平成2年の記録であるが、どちらもこの巡視路のことは触れておらず、登山道は三角点ピークと主三角点ピークの中間のアンテナ部までのようであった。ひとつの山の登頂を果たし、ひとつの謎が増えた勘定になった。山の話しを続けた後に、重い腰を上げた。
 下りは、また違った眺めを楽しむことができた。飯豊連峰も、うまく写真にとれることができたし、白髭山が正面に大きく見えた。下り坂で周囲に気を配る余裕が出ると、炭焼き釜の跡も見つけることができた。コースタイムは短かったが、楽しめる山であった。
 車に戻り、栗園からは謎の車道に進んでみた。立派な道が続き、最後は中ノ沢内川線に飛び出し、入口の標識によって走ってきた林道は、五十沢線という名前であることを知った。栗園への観光客は、この道を通るように誘導されるようであった。道は良いものの、笠菅山への登山コースとしては、細越の集落からの道の方が分かりやすいかも知れない。近くの新三川You&湯で、青空と紅葉を眺めながら、露天風呂に入浴し、山の締めくくりとした。

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