9750

蒜場山

1997年11月2日 日帰り 4名グループ 晴

蒜場山 ひるばさん(1363.0m) 三等三角点 飯豊連峰(新潟県) 5万 津川、大日岳 2.5万 東赤谷、蒜場山

ガイド:ランタン通信179号

11月2日(日) 5:10 新潟発=(R.7)=5:40 道の駅「豊栄」集合=(R.7、新発田、上赤谷、東赤谷 経由)=6:30 加治川ダム治水ダム〜6:55 米平新道登山口発―7:10 738のピーク―8:27 岩岳―8:45 小ピーク―9:11 烏帽子岩〜9:17 発―10:09 山伏峰―10:24 蒜場山山頂〜11:45 発―11:56 山伏峰―12:36 烏帽子岩〜12:46 発―13:14 前ピーク〜13:22 発―13:35 岩岳〜13:41 発―14:07 738のピーク―14:53 米平新道登山口=(東赤谷、上赤谷、天ノ原、八幡、R.290、月岡、ほうづきの里入浴、R.460、豊栄、競馬場、R.7))=18:10 新潟着

 蒜場山は、飯豊連峰最高峰の大日岳より西に延びる長大な尾根の途中にある山である。ボリュームのあるその山容は、二王子岳、焼峰山、あるいは俎倉山からの展望で一際目立ち、登頂意欲をそそられずにはいられい。これまでは登山道は無く、残雪期に山中一泊で登頂がかなえられる秘峰であった。この蒜場山に、新発田の下越山岳会の手によって登山道が切り開かれ、今年10月に登山道開きが行われた。今後、新潟周辺では、二王子岳と並ぶ、歩きでのある日帰りの山として愛されていくものと思われる。
 蒜場山の名前を知ったのは、登山を始めて2年目の俎倉山からの展望であった。5月5日のこの日、黒雲に覆われて飯豊連峰の主稜線の眺めは得られなかったが、目の前に、残雪をまとった大きな山が広がり、雪原を歩いていけば、たどり着けるかのように見えた。これが蒜場山との出会いであったが、夏道は無く、残雪を利用して登る山であることを知り、憧れの山として心に刻まれた。今年の雪消えとともに、蒜場山の登山道の新設が噂として聞こえてきたが、秋に登山道開きが行われるとのことで、それまでのおあづけになった。インターネットの新潟地区での集まりを秋に予定していたが、開催地は蒜場山と、早くから決めていた。新潟オフミ・蒜場山のテーマは、「白くなった飯豊連峰を眺め、今年の山を振り返り、来年の山を想う」として、11月2日を開催日にした。今年の秋の天候不順に、当日の天気を心配し、一時は他の山への変更についても考えた。幸い、登山の当日、高気圧が日本の上空に移動し、晴という予報が出て、ゴーサインが出た。
 今回の新潟オフミは、久保田、鈴木眞、和久本、私、計4名の比較的少ない参加者になったが、歩きやすい人数でもあった。道の駅「豊栄」で待ち合わせ、新発田から赤谷に向かった。夜が明けるにつれて前方に見えてきた飯豊連峰は、山頂部が雪に覆われていた。期待と不安が湧いてきた。加治川治水ダムに乗り付けると、ひとグループが歩き出すところであったが、ダムの駐車場には、まだ空きスペースがあり、登山者は多くないかのように見えた。蒜場山の山頂は隠されているが、白黒まだらの稜線部が見え、ストック持参、軽アイゼン携行、の準冬装備で出発することになった。ダムの堰堤を渡った所の登山口には、「米平新道」という新しい標柱が立てられ、登山届けのポストも設けられていた。
 いきなりの急登が始まった。雑木林の急斜面を登って尾根に出ると、思いがけないことに、古いレールの痕跡やトロッコの残骸、コンクリート壁などが雑木林の中に埋もれていた。かつての鉄鉱石採掘の跡とのことであるが、このような山奥に人の手が入っていたとは、驚きであった。尾根に取り付いたといっても、急な登りは続いた。登るに連れ、背後に焼峰山の山頂が迫り、木立の間から眺める右手の俎倉山の山頂は、直に目の高さになってきた。古岐沢を見下ろすヤセ尾根の通過もあり、足元は油断がならなかったが、谷を越して見え始めた白い飯豊主稜線には思わず目がいってしまった。地図の738m点付近からは美しいブナ林が周囲に広がり、急坂を上り積めると新しい看板の立てられた岩岳に到着した。  ここでようやく蒜場山の全貌が姿を現した。登山道が、一旦下った後に、やせ尾根の上を、いくつかのピークを越しながら、山頂稜線まで一気に上がっていくのを、目で追うことができた。先行する登山者の山腹に取り付いているのが、小さく見えた。岩岳の付近からうっすらと雪が現れたが、蒜場山はすっかり雪で白くなっていた。幸い気温は高く、風も無い、絶好の登山日和であった。休憩と写真撮影の後、左手に曲がってから、坂を下った。鞍部には、美しいブナ林が広がっていた。青いビニール張りのテントがあり、下越山岳会の名札がぶるさがっていた。冬山登山のための荷揚げかと思ったが、下山時に、登山道整備の際の資材置き場であることが判った。ますは第一の小ピーク。その上に立つと、目の前に、杉の木の緑が目立つ鋭峰がそそりたっていた。左右が切り落ちたやせ尾根をたどり、木の根や枝を頼りによじ登っていくと、鎖場が現れて、右手から左に回り込むと、ピークの上に出た。標識により、烏帽子岩であることを知った。周囲が絶壁になった狭い山頂からは、絶景とも言える眺めが広がっていた。蒜場山の山頂までは、まだ最後の長い登りが残されていたが、ようやく手の届くところまできた。加治川の谷の向こうには焼峰山から西ノ峰を経て赤津山至る稜線が白く見えていた。翌日、あわよくば赤津山もと思っていたが、すでに雪で閉ざされているようであった。またひとつ、来年の課題が残ってしまった。俎倉山はすでに低く、他の山の間に目立たなくなってしまっていた。展望に元気を取り戻し、最後の急登りに踏み出した。次の小ピークを越すと、周囲は潅木帯となり、本格的な雪上の歩きになった。ようやく山頂稜線上に到着すると、山伏峰という標識が立っていた。蒜場山の山頂は、左手に曲がって、緩く小ピークを越してひと登りした先であった。
 雪原となった山頂の小広場は、展望を楽しみながら昼食をとる登山者で賑わっていた。予定よりも早い時間で登ってきたが、途中で追い抜いていく者も多く、雪の訪れを見たこの季節に登ろうとする者は、それなりに山の経験を積んだ健脚そろいのようであった。まずは、登頂を祝して、皆でビールで乾杯。雪の中にビールを差し込んで、飲みながら冷やすことができた。ビールのつまみは、山頂からの展望になった。白くなった飯豊連峰の眺めが広がっていた。ただ、山頂部が雲でかくされており、しばらく待つ必要がありそうであった。この山頂も、二王子岳と並ぶ、飯豊連峰の好展望台であった。その二王子岳も、振り返れば良く眺めることができた。和久本さんのコーヒー、隣りに座った夫婦連れからの枝豆の差し入れやらで、ゆっくりと昼食をとることができた。記念写真を、飯豊連峰をバックに、休む登山者の顔を正面に見ながら、撮った。笑ってとの冷やかしの声も脇からかかって、ちょっと恥ずかしかった。重い腰を上げて、下山に移ろうとしたとき、待っていた大日岳が姿を現した。純白の鋭く天を突く大日岳は、神々しく見えた。今年の夏、ようやくあの頂きに立った山行を思い出し、しばし回想にふけった。
 山伏峰から昼場山の右肩に見える大日岳に別れを告げ、急坂の下りにとりかかった。雪は緩み、下るに連れて泥混じりで滑りやすくなった。途中の小ピークの通過は、木の枝を頼りに注意深く下る必要があった。烏帽子岩への登り返し、次の小ピーク、岩岳への登り返しが、辛く感じられた。岩岳で蒜場山との山頂ともお別れ。その先の登山道は、完全なぬかるみとなって、なかなかはかどらない下りになった。途中で大きな荷物を脇に置いて休んでいる登山者に出合った。冬山の為の荷揚げかと思って話しかけると、予想外に、荷下げとの返事が返ってきた。下越山岳会の人で、登山道整備も終了し、荷下げを行っているとのことであった。素晴らしい山に登らせてもらったことに、お礼の言葉を述べた。山の麓は、紅葉の盛りを迎えていた。ダムサイトを見下ろすと、周辺の路上には、路上駐車の車の列が続いていた。ダムサイトに下りたって、ようやくひと息ついた。登山届けのノートを見ると、45組程は登っているようであった。単独行は少なかったようなので、100人以上の登山者がいたようであった。ダムサイトからは、青空をバックに真っ白な北股岳が空に浮かんでいた。
 下山後の温泉は、月岡温泉のカリオンパーク内の「ほおづきの里」にした。600円の料金のはずであったが、450円で、割引デーであったのだろうか。得をした気分になった。温泉に入りながら、山の話を続けた。次は2月か3月のスノーハイクと決めて、観光帰りの車で混み合う道を新潟に向かった。

山行目次に戻る
ホームページに戻る