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袴腰山(下田)

1997年11月1日 日帰り 単独行 雨

袴腰山 はかまごしやま(526.1m) 三等三角点 下田周辺(新潟県) 5万 加茂 2.5万 粟ヶ岳、森町

ガイド:新ハイキング94年6号p.44-47

11月1日(土) 9:00 新潟発=(北陸自動車道、三条燕IC、R.289、下田、荒沢 経由)=10:15 長禅寺〜10:50 発―11:03 車道出会い―11:07 高城登山口―11:10 鉄塔下―11:44 高城―11:50 舟ヶ沢林道分岐―12:07 五葉の丘―12:19 袴腰山山頂〜12:30 発―12:37 五葉の丘―12:50 舟ヶ沢林道分岐―13:02 林道終点―13:25 林道口―13:30 長禅寺=(上谷地、R.290、七谷、七谷コミュニティーセンター入浴、加茂、R.403、新津、亀田、R.49 経由)=15:50 新潟着

 袴腰山は、川内山塊の最高峰である粟ヶ岳の前山である。五十嵐川のほとりから袴腰山に至る稜線上には高城(たかじょう)と呼ばれる山城の跡が残されている。「高城は戦国時代に下田郷を支配し、森町を根拠地としていた在地豪族下田長尾氏の保有していた最も重要な要塞であった。」と登山口の長禅寺の門前の案内板には書かれている。上杉一門の長尾藤景は、川中島合戦で上杉謙信の軍略を批判したがために謀殺され、遺臣らがこの山城にこもって蜂起したものの数カ月で落城したという歴史を秘めた山城である。現在、袴腰山への尾根には、ヒメサユリが大切に育成され、「ひめさゆりの小径」として登山道が整備されている。
 11月の3連休の第一日目、西から高気圧が近づいているものの、一時的に冬型が強まり、朝のうちは霰が降ってきた。新潟市内では雨が上がってきたので山に向かったが、下田村に近づくにつれ、黒雲が空を覆い、激しい雨になった。登山口の長禅寺の入口に車を停め、門前の案内板を読んだり、車の中でコーヒーを飲んだりして、雨が弱まるのを待った。なんとか歩けるくらいの小降りになったので、傘をさして出発した。
 長禅寺の本殿の左手にから登山道は始まっていた。ここで勘違いして杉林の中の墓地に通づる道に入って、時間を少々ロスした。幅広い道であるが、表面を苔が覆って、雨に濡れて滑りやすくなっていた。ひと登りで、長禅寺の門前から迂回しながら登ってきた車道に飛び出した。ここには、鉄脇にビニールの屋根が張られた雨避けテントが設けられ、中には折り畳み椅子が置かれていた。ヒメサユリの最盛期には、地元の関係者がここにつめて、おしかける観光客の応対にでもあたるのだろうか。車道の少し先に登山口があり、尾根上の歩きが始まった。尾根の周囲は雑木林が広がり、枝が刈られているため、明るい感じのする道であった。ヒメサユリの保護のために登山道の脇にはロープが張られ、登山道も良く整備され、雨の日にも安全に歩ける道であった。登山道脇には、俳句が書かれた標柱が立てられ、さらに「下の松」、「上の松」、「一の坂」、「二の坂」、雨の中でメモするのがわずらわしい程に、案内板が現れた。「はじめの眺め」で、緩やかな尾根の向こうに頭をもたげた高城の眺めが広がった。雑木林は色とりどりに色づきはじめ、雨に濡れて、しっとりした眺めが広がっていた。「中の眺め」では、袴腰山が見え始めたが、けっこう遠くにあった。「たら沢のへつり」では、崖に注意と書かれていたが、雑木が茂って、どこが危険なのか良く判らなかった。急な丸太の階段登りが始まり、ひと段落した所に、「終わりの坂」と書いてあり、それから空堀の跡を眺めながら登っていくと、高城の広場に出た。避難小屋が設けられ、中を覗くと、板張りであったが、ござも置かれ、きれいであった。
 高城から袴腰山を眺めると、もうひと登り頑張る必要がありそうであった。少し下っていくと、舟ヶ沢林道分岐の案内板が現れた。「心臓破りの坂」を登ると、やせ尾根の上に出て、左右の眺めが広がった。八木鼻の向こうには、五十嵐川が蛇行し、八木前の集落が広がっていた。以前、八木鼻の上に登った時、さらに一段高くなった所を横に連なる稜線と、その先のピークを望んで、登ったら面白そうだなと思ったのが、この袴腰山であったことに気が付いた。「憩いの松」、周囲の見晴らしは良いので、無難な名前。「袴腰銀座」、命名者の趣味を疑う。「五葉の丘」は、山頂手前の小ピーク。ここからは、袴腰山の山頂まであとわずかであった。「とどめの坂」、それなりに疲れてはいるが、死ぬほどのことはない。「藤景悟りの石」、それらしい因縁を付けようにも、1×1.5メートルの、どこにでもありそうな石では役不足。結構、案内板を読んで楽しませてもらいながら、山頂に到着した。
 山頂は、うっすらと白く覆われていた。昨晩の冷え込みでの雪か、朝の雷雨による霰によるものか。蒲原平野の眺めが広がり、弥彦山から角田山が、青空の下に横たわっていた。刈り払われて眺めの良い山頂であり、東の縁に進むと、谷越しに、遮るものの無い粟ヶ岳の展望が広がっていた。ガスの流れる中に、半ばから上は雪で白黒まだらになった姿は、人を寄せ付けない厳しさを見せていた。二週間前に登ったのが、遠い昔のように思えた。
 天気も回復に向かっているようで、傘はしまい込み、濡れた登山道に足を滑らさないために、ストックを取り出した。眺めを楽しみながら、山頂からの急坂を下った。五葉の丘の小ピークを過ぎ、高城への登りにとりかかる手前の舟ヶ沢林道への分岐に出た所で、来た道をそのまま戻るか、この知らない道を下るか、ちょっと迷った。道をのぞくと、良く整備されているようであったので、この道を下ってみることにした。いきなり、丸太の階段の下りが始まった。ときおりとぎれるものの、見通しのあまり効かない雑木林の中に、延々と階段が続いた。一気に高度を落とし、周囲に杉林が広がるようになると、未舗装の林道に降り立った。このコースは、下り専用として、登りにとるのは止した方が良い。林道は、車一台の幅で、砂利が敷かれていたが、中央部には草が生えていた。谷間の長い林道歩きが続いた。周囲の雑木林に紅葉が始まっていたので楽しめたが、展望を楽しむなら、稜線沿いに来た道を戻った方が良いであろう。頭上に高く越えていく送電線の下を通過すると、五十嵐川のほとりの車道に飛び出した。この入口には、案内標識は無かった。右手に曲がると、長禅寺は直ぐ先であった。
 途中で雨が止んだとはいっても、下半身はかなり濡れてしまい、着替えをして一息ついた。次は温泉ということになった。途中で、七谷コミュニテーィセンターという、それらしい施設があった。のぞいてみると、入浴施設を備えていた。温泉ではなかったが、入浴料は100円と安く、浴槽も広く、粟ヶ岳の登山の際には利用価値の高い施設である。午後になって、青空が広がり始め、翌日の山の期待が高まった。

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