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粟ヶ岳

1997年10月18日 8名グループ 曇り一時雷雨

二王子岳、二本木山

 3名グループ 晴 1泊2日
粟ヶ岳 あわがたけ(1293m) 二等三角点 川内山塊(新潟) 5万 加茂 2.5万 粟ヶ岳
ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、新潟ファミリー登山(新潟日報社)、新潟の山旅(新潟日報社)、新潟50山(新潟日報社)、越後の山旅上巻(富士波出版社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)

二王子岳 にのうじだけ(1420.3m) 二等三角点
二本木山 にほんぎやま(1424m)  三等三角点 飯豊周辺(新潟) 5万 新発田、飯豊山 2.5万 上赤谷、二王子岳
ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟の山旅(新潟日報事業社)、新潟50山(新潟日報事業社)、越後の山旅 上巻(富士波出版社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「飯豊山」(昭文社)

10月18日(土) 7:00 新潟発=(北陸自動車道)=7:20 三条燕IC〜8:05 発=(R.289、三条、R.403、加茂、高柳、粟ヶ岳県民休養地 経由)=8:50 第二貯水池登山口〜9:05 発―9:23 二合目―9:42 三合目(長瀬神社分岐)〜9:50 発―10:10 四合目―10:17 鳥越峰〜10:25 発―10:30 五合目―10:53 六合目(元粟薬師)―11:03 水場分岐―11:12 七合目(砥沢峰)・砥沢小屋―11:35 八合目―(雷雨15分程様子見)―11:59 権ノ神岳―12:02 九合目―12:15 粟ヶ岳〜12:53 発―13:07 九合目―13:15 八合目―13:35 七合目〜13:45 発―13:54 水場分岐―14:00 六合目(元粟薬師)―14:25 五合目―14:31 四合目―14:45 三合目〜14:51 発―15:05 二合目―15:22 第二貯水池登山口=(粟ヶ岳県民休養地、高柳、加茂、R.403、小須戸、小須戸温泉花の湯館入浴、新津、亀田、R.49、新潟、R.7、新発田、米倉、小戸橋、上羽津田屋、南俣 経由)=19:30 二王子神社 (車中泊)
10月19日(日) 6:12 二王子神社発―6:29 一合目―6:48 神子石―6:50 二合目(水場)―7:02 一王子(三合目)〜7:07 発―7:27 四合目―7:40 五合目(定高山)〜7:45 発―8:08 六合目―8:25 七合目(油こぼし)〜8:32 発―8:45 八合目(お花畑、水場)―9:07 九合目―9:12 二王子岳〜10:12 発―10:31 二本木山〜10:37 発―11:02 二本木山分岐〜11:06 発―11:08 九合目―11:25 八合目(お花畑、水場)―11:38 七合目(油こぼし)〜11:43 発―11:56 六合目―12:16 五合目(定高山)―12:24 四合目―12:37 一王子(三合目)〜12:45 発―13:55 二合目(水場)―12:57 神子石―13:09 一合目―13:24 二王子神社=(南俣、上羽津田屋、石喜、浦村、R.290、月岡温泉、月岡温泉、月岡温泉共同浴場・美人の泉入浴、月岡駅、豊栄、豊栄IC、R.7)=15:40 新潟着
 粟ヶ岳は、新潟平野から福島県境に広がる川内山塊の最高峰である。川内山塊の山々は、標高は低いながら雪崩に磨かれたスラブをまとい、険しい渓谷に囲まれて、容易に人を寄せ付けない。その中で、粟ヶ岳は、新潟平野に接する位置にあって、麓からその姿を良く眺めることができ、信仰の、また登山の対象として、親しまれている。粟ヶ岳は、新潟の地元では人気の山であるが、300名山にも選ばれて、遠来の登山者も多くなっている。
 二王子岳は、最も日本海側に位置する飯豊連峰前衛の山である。二王子岳から始まる稜線は、ここまでは登山道のある二本木山を経て、赤津山に至り、その先は藤十郎山、二の峰から主稜線上の門内岳へ続いている。二王子岳は、信仰の山として登山道も良く整備され、新潟周辺でも人気の高い山となり、日本200名山にも選ばれている。この山の一番の魅力は、山頂からの飯豊連峰の大展望である。
 子供の病気やらで、直前まで参加が危ぶまれたが、神戸の岸本氏の300名山完登祝いの山行に参加することができた。三条・燕インター出口で時間通りに到着した一行を出迎えると、参加者は、他には呼びかけ人の京都の山口氏、岐阜の山の達人民田氏、みのハイキングクラブの澤田夫妻、インターネットを通じての知り合いの片平氏、同じく300名山を目標とする小里氏であった。山口氏及び民田氏とは、5月の笈ヶ岳以来の再会となった。さっそく、粟ヶ岳の登山計画について尋ねると、リーダーは私であると言われた。山の実力が違いすぎて反論する気にもなれず、周辺の土地勘は確かにあるということで、「御指名につき僭越ながら」のリーダーを引き受けることになった。後で、冷や汗をかくことになったのだが。さっそく、粟ヶ岳の登山口をどちらにするか迷ったが、安全策をとって整備の良い加茂からのコースをとることにした。次は、道路の確認。新潟からの経路だと頭に入っていても、遠回りの三条からだと道路地図の再確認が必要であった。それでも、車三台を引き連れて、途中のUターンは一回だけで、貯水池に到着することができた。大駐車場のある第一貯水池に到着して、どこまで車を乗り入れるか迷ったが、15分の歩きを節約したく、第二貯水場の登山口まで進んでみることにした。堰堤手前の小さな空き地は、車三台程ですでに一杯。少し行き過ぎた所に空き地があり、路肩駐車もまじえて、無事に車を置くことができた。青い湖面の向こうに、粟ヶ岳が、登山道のある稜線から前ピークへの高まりを見せていた。堰堤を渡ると、雑木林の中の急な登りになった。ひと汗かいて、長瀬神社からの登山道の合わさる三合目に到着した。ベンチもあり、尾根に上がってホットする絶好の休み場所である。ここからは、雑木林の中の尾根の登りが続いた。前回登った5年前の4月25日は、登山道沿いにイワウチワのピンクの花が続き、頭上には白いタムシバの花が咲き、避難小屋から上は残雪といった、春の盛りであった。秋山は、また違った風情があった。木の葉は色づいて山肌を飾っていたが、ただ今年の紅葉は天候不順のために色の鮮やかさが今ひとつのようであった。歩きながらも、山の話しが続いた。鳥越峰に到着すると、小俣沢の谷向こうに粟ヶ岳の山頂が顔をのぞかせ始めた。鋭峰の元粟薬師から砥沢峰を越して粟ヶ岳の山頂までは、まだまだ高さも距離もあった。鎖場もある岩場を登ると、高度感のある元粟薬師の峰の上にでた。紅葉の中を、登山道が真っ直ぐ続き、先行の登山者が登っていくのが、雑誌のグラビア写真のようであった。急斜面をもうひと頑張りして、七合目の砥沢峰に到着。ここの砥沢小屋は、週末に泊まってみたくなるような立派な小屋である。小屋の裏手から粟ヶ岳の山頂を眺めれば、まだもうひと頑張りが必要であった。あたりが暗くなり始め、雷の音が近づいてくるのに気が付いた。登りの足を早めることにしたが、八合目付近で、激しい雨につかまってしまった。雷も近づいているようで、これ以上登って稜線に出ると危険そうで、雨具を着こんで、潅木帯の斜面に待機となった。避難小屋まで一旦下ることも考えたが、雷は雪おろしのような音だけで、西から近づいて、急速に東に去っていった。雷さえなければ、雨にへこたれないメンバーばかりで、少しの停滞だけで再び登り始めることができた。権ノ神岳分岐を過ぎる頃から雨もあがり始めた。山頂方面から降りてくる登山者もいたが、激しい雷雨で、さぞ恐い思いをしたのだろうと思った。緩やかな笹原を抜けて、ガスの中から現れた三角形のピークを登ると、誰もいない粟ヶ岳の山頂に到着した。
 皆が到着するのを待って三角点の回りに並んでもらい、岸本氏の登頂を拍手をもって迎えた。自分には、無理かなと思っていた300名山も、実際に達成した人に出会うと、可能かなとついその気が起きてきた。100名山だって、始めはできっこないと思っていたけど、なんとかめどがついたことだし。灘のお酒で乾杯、記念写真の後、岸本氏持参のプラスチック製の山頂標識を取り付けた。山頂には、山の形が浮き出た凝った造りの展望盤が備え付けられていたが、残念ながら川内山塊や守門岳などの周囲の展望は閉ざされていた。雨が止んでいてくれて、記念写真を無事に撮ることができたのを幸運と考えるべきなのだろう。
 頂上で休む間も風は冷たく、昼食をビールで流し込むと、早々に山を下ることになった。下るにつれて日も差すようになって、砥沢小屋の前で雨具を脱ぐことができた。山頂も再び姿を現し、山肌の紅葉も明るく輝いた。六合目の元粟薬師に下ったところで、山頂の展望に別れを告げ、周囲の紅葉を切り取ろうとカメラを構えた。粟ヶ岳の付近は日がさしていたものの、北東の白山方面には黒雲が湧いているのが見えていた。カメラを構えようとした時、パチッという音がして、手に静電気様ショックが走った。後ろで見ていた人の話では、3m程離れていた合目標識の金属ポールから火花が走ったとのことであった。小ピーク全体が帯電しており、本格的な落雷もありそうで、命大切に、登山道を一目散に下った。周囲は、夜になったかのように暗くなり、再び雨が降り始めたが、樹林帯の中に入っていたので、傘だけで歩き続けることにした。一旦、通り過ぎた雷が舞い戻ってきたようであったが、誰が雨男かが話題になった。確かに、山口氏と山に登った時には、毎回雨具のお世話になっている。めまぐるしく変わる天気に翻弄されたが、その分、思い出にも残る山行になった。岸本さんの300名山の次の目標はと尋ねると、全国の一等三角点巡りとのことであった。新しい挑戦の門出に、近くの「大山」一等三角点に案内しようと思ったが、下山して時計をみると、少々遅くなっていた。
 山口氏と岸本氏は、そのまま京都へ帰宅。岐阜組は、浅草岳と守門岳へ。小里氏と片平氏が二王子岳へ向かうということで、案内を兼ねて一緒に登ることにした。途中、小須戸の温泉で入浴し、新潟経由で新発田に向かった。新発田で食料を買い込み、赤谷に入った時はすっかり暗くなっていた。南俣の集落への入口付近で少々まごついたが、標識を見つけて登山口に向かうことができた。二王子岳登山口への道は、夜間は少々判り難い。細い林道も、先を知らないと、夜間の進入は少々勇気がいりそうである。広い駐車場には、車は無かったが、手前の橋のたもとに一台。頂上の避難小屋泊まりの登山者のものだろうか。駐車場の真ん中にマットを敷いて、コンビニ弁当の宴会にした。小里氏は、酒は飲まないとのことであった。山男は、あびるほど酒を飲むものと思っていたのだが、そうでもないようである。片平さんはテントを張ったが、私は片づけるのがめんどうで、そのまま車の中で寝てしまった。
 天気予報のとおりに、翌朝は快晴になった。出発の準備をしている間にも、早立ちの登山者が続々と到着してきた。二王子神社の境内で水を汲んで、歩き出した。沢から神社への導水溝に沿って歩いていくと、大きく育った杉林の中の登りになった。足慣らしというべき緩い登りであったが、気温も高く、汗が早くも流れ出てきた。沢を離れると、左手の稜線への急な登りが始まった。大きな石が二つ並ぶ神子石(みこいし)に到着し、急登もあと僅かということで、直ぐ先の二合目の水場でひと休みした。この神子石は、巫女石ともいい、女人禁制の時代に禁を犯して登ろうとした女性二人が石になったという、おきまりの伝説が残っている。周囲の木々が色づき始めるのを眺めながら登っていくと、傾斜も緩くなって、杉の巨木が立ち並び、石の祠の置かれた一王子神社の広場に到着した。まずは、第一目標に到着。杉木立の間を少し進んだ所に、避難小屋があり、その入口の杉の大木に三合目の標識がかかっていた。急登はここまでで、後はだらだら登りだったような記憶があったのだが、実際には、小ピークを登っては、さらにその先があるという、あなどれない登りが続いた。次の目標は、定高山。ここには、二等三角点が置かれているが、それほど目立ったピークというわけでは無い。登山道周囲にはブナ林が広がり、その葉は、早くも黄色から茶色に変わり始めていた。尾根を北や南にからみながら登っていくと、ざらついた砂岩に足場が彫り込まれた油コボシの急坂に出た。奥の院の油を滑ってこぼしたとか、油汗を流したとに由来すると言われている。坂の上に七合目の標識があり、汗を拭きながら、眼下に広がる紅葉の山肌と、海岸部に沿って広がる平野部の眺めを楽しんだ。新潟では、今日がこの秋一番の天気になったようである。八合目のお花畑は、草紅葉に覆われていた。登山道から少し下ると水場があり、斜面にさしたパイプから水が流れ出ていた。水筒の水をおもいきり飲んでから、水を補充した。晩秋といっても良いこの時期まで水場が生きているとは思ってもいなかったが、これも長雨続きのせいであろうか。その先のピークからは、いよいよ二王子の山頂が目の前に見えるようになる。周囲に展望も広がるが、ここはじっと我慢して、山頂めざして歩き続けた。九合目の奥社は土台しかなく、山頂の避難小屋もすぐそこにみえた。ようやく到着した二王子の山頂からは、期待どおりの大展望が広がっていた。杁差岳に始まり、鉾立峰、大石山、頼母木山、門内岳、北股岳、飯豊本山、御西岳を経て、大日岳が一際大きい、飯豊の主稜線を一望することができた。大日岳に飯豊本山周囲の谷筋は、新雪で白く染まっていた。飯豊連峰の後ろに遠く、朝日連峰が広がり、大朝日岳が三角の頭をもたげていた。北斜面に広がる笹原の中には、踏み跡が下っていくのが見えた。以前よりも、胎内ルートもしっかりしてきたように見えた。朝日連峰の左に、白い三角形が見え、小里氏は、鳥海山という。周囲に休んでいる登山者も含めて議論になった。しばらくたっても動かず、双眼鏡で覗くと山頂のようである、ということで、鳥海山ということになった。展望を楽しみ、写真撮影に食事で、時間はあっという間に経ってしまった。なごり惜しい山頂であったが、風は冷たくて手足はしびれかけ、続々と到着する登山者で山頂も混雑し始めて、下山にうつることにした。
 山頂からは、二本木山の山頂は直ぐ先に見え、分岐からも踏み跡が続いているのが見えたため、寄っていくことにした。標識には1kmとあり、往復1時間程だろうという見当であった。笹原を下ると、登り返しになった。山頂で飲んだビールのために息が切れた。登山道には、潅木が被り気味であったが、すでに葉がおちて、周囲を眺めることはできた。登りついた所は前ピークで、ゆるやかに稜線をたどっていくと、二本木山の山頂に到着した。三角点の回りは刈り払われていたが、周囲は潅木で覆われており、飯豊連峰は、頭だけを望むことができた。三角点の脇に単独行が座って、無線交信をしていた。二王子岳を眺めながら、来た道を戻った。山頂の鐘が何度もならされるのが聞こえ、到着する登山者で山頂は大賑わいのようであった。
 二王子神社への下りでは、多くの登山者とすれ違った。中には、足がつって倒れ込んでいるもの。子供のリュックに運動靴。昼になってもまだ中腹にしかたどり着いていない人。ちょっと問題な人もいたが、晴天が多くの人を山に誘ったことは確かなようだ。青空をバックにしたナナカマドの赤い実や黄色のカエデに、秋山の美しさを楽しんだ。下りも、登と同じく歩きでがあった。二王子神社に戻ると、神社の脇まで車が入り込んでいた。以前は、車止めがあったはずなのに、これはあまり感心しない。駐車場も満杯の状態であった。
 途中、月岡温泉の公衆浴場に案内して汗を流し、新々バイパスに乗って新潟市内に入ったところで、小里氏の車と分かれた。

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