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大門山、赤摩木古山、見越山、奈良岳

1997年9月13日 7名グループ 曇り時々小雨

砺波山(倶利伽羅峠)

1997年9月14日 単独行 雨
  前夜発1泊2日

大門山 だいもんざん(1572m) 三等三角点
赤摩木古山 あかまっこやま(1501m)
見越山 みこしやま(1621m)
奈良岳 ならだけ(1644m) 三等三角点
  面白山地(富山・石川) 5万 下梨 2.5万 西赤尾
ガイド:分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「石川県の山」(山と渓谷社)、とやま山歩き(シー・エー・ビー)、とやま山ガイド(シー・エー・ビー)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

砺波山(倶利伽羅峠) となみやま(くりからとうげ)(277m) 二等三角点
源氏ヶ峰 げんじがみね(245m)
  宝達丘陵(富山・石川) 5万 城端 2.5万 倶利伽羅
ガイド:分県登山ガイド「石川県の山」(山と渓谷社)

9月12日(金) 20:20 新潟発=(北陸自動車道、小矢部Jct、東海北陸自動車道、福光IC、R.304、下梨、R.156、西赤尾 経由)
9月13日(土) =0:55 ブナオ峠  (車中泊)
7:00 ブナオ峠―8:07 大門山分岐―8 :18 大門山〜8:26 発―8:36 大門山分岐〜8:45 発―9:04 赤摩木古山〜9:13 発―9:36 ナタメ平―10:25 見越山〜10:46 発―11:13 奈良岳〜11:36 発―12:03 見越山〜12:42 発―13:16 ナタメ平〜13:24 発―13:51 赤摩木古山―14:38 発―14:58 大門山分岐―15:37 ブナオ峠  (テント泊)
9月14日(日) 7:20 ブナオ峠発=(西赤尾、R.156、下梨、R.304、福光IC、東海北陸自動車道、小矢部Jct、北陸自動車道、小矢部IC 経由)=10:07 倶利伽羅不動寺=(小矢部IC、北陸自動車道、黒部IC、宇奈月温泉、朝日IC、北陸自動車道 経由)=16:15 新潟着


 白山山国立公園北端の富山・石川県境には、盟主というべき笈ヶ岳と大笠山から北に向かって、奈良岳、見越山、赤摩木古山、大門山といった1500m級の山々が連なっている。大門山は、金沢市からは富士山に似た姿に見えることから加賀富士とも呼ばれており、日本300名山にも選ばれている。また、奈良岳は、金沢市の最高峰であり、「ならしたような平らな山」というのが山名の由来である。
 富山・石川県境にある砺波山は、鞍部一帯を含めて倶利伽羅峠とも呼ばれている。倶利伽羅峠には、昔の北陸街道が通っていたが、木曽義仲が、松明を角に結びつけた牛の群を放って、平維盛の軍を討ち負かした古戦場として知られている。
 インターネットの登山メーリング・リストの北陸方面での集まりを、奈良岳登山とブナオ峠での宴会を目的に開くことになった。白山北方稜線上の山としては、大笠山と笈ヶ岳に登っていたが、300名山に選ばれている大門山や奈良岳にはまだ登っていなかった。
 宴会用の酒と食料を積み込んで、富山に出発した。今年になってからも何度か走った道で、西赤尾までは道路マップの確認もなしに走ることができた。時間も遅くなって、国道の道の駅で寝るかどうか迷ったが、もうひと頑張りしてブナオ峠まで上がっておくことにした。ブナオ峠越えの道は、かつて五箇山で作られた煙硝を密かに加賀藩に運んだという歴史の秘められた道である。路肩にガードレールの無い曲がりくねった道であったが、大部分舗装済みの道であった。左手にキャンプ場の管理棟の建物が現れると、その先がブナオ峠であった。道の左右には、合計30台ほどの駐車場が設けられ、大門山登山口の立派な看板が立っていた。
 朝になって、メンバーの集合を待っていると、他の登山グループも到着して、奈良岳あるいは猿ヶ山方面に出発していった。今回の北陸オフミの参加者は、合計7名であった。山梨から富山に出張中の宮本さんをのぞいて、今回の世話人の越村さんをはじめ、富山・石川のメンバーとは初対面であった。簡単な自己紹介の後に、以前にブナオ峠から大笠山まで日帰りピストンをしたことのある安丸さんを先頭にして歩き出した。大門山への道は、いきなりけっこう急な登りで始まった。ブナオ峠の標高は1000m弱のために、のんびりした尾根歩きで済むのかと思っていたら、いきなり汗が吹き出してきた。周囲にはブナ林が広がり、秋には美しい紅葉が楽しめそうであった。歩き始めは青空であったが、雲が流れて雨粒が落ちてきて、雨具の上を着込むはめになった。以前の大笠山や笈ヶ岳の時も小雨の中の登りになったが、自分は、雨男なのか、それともなんとか小雨で登ることのできる強運の持ち主なのか、つい考え込んでしまった。縦走路は、丸太階段で整備されており、歩幅が合わないために、余計に疲れる登りになった。1時間の登りで、ベンチの置かれた大門山への分岐に出た。分岐に入ると、笹がややうるさい道になった。目の前のピーク目指して、急坂をひと登りすると大門山の頂上に飛び出した。金沢市も望めるという展望は、あいにくと閉ざされていた。次の赤摩木古山へは、比較的なだらかな道が続いた。赤摩木古山の山頂には、石造りの方位盤も置かれ、周囲の展望が広がっていた。雲で覆われて遠望はきかなかったが、左手の谷の向こうには、人形山と三ヶ辻山を見分けることができた。前方には、見越山と奈良岳が頭を並べ、その向こうに大笠山がさらに高く大きくそびえていた。振り返ると、先ほど登った大門山の山頂が顔をのぞかせていた。夏の終わりの陽気に誘われたのか、羽アリのような虫が、飛び交うのがややうるさかった。縦走路を目で追うと、かなりの下りと登り返しがありそうで、覚悟を決めて先に進むことにした。丸太階段の急坂を一気に下るとナタメ平で、その先は小さなピークをいくつか越し、見越山への急斜面の登りになった。丸太階段は崩れて残骸と化しており、赤土の滑りやすい斜面は、木の枝を頼りに登る必要があった。登り着いた見越山の山頂も、周囲の良い眺めが広がっていた。目の前に迫った奈良岳は、またもや大きく下った先であった。見越山から先は、笹が深くなり、登山道にかぶさる笹で足元が良く見えず、時折足を滑らしては疲れが増した。奈良岳の山頂は、笹で覆われた小広場となり、その先には大笠山の山頂が頭をのぞかせていた。大笠山への縦走路は、左手に曲がるように続き、直進するのは奥三方山からの道であったが、そちらからも単独行が登ってきていた。昼食は展望の良い見越山ということになった。見越山での昼食は、帰りの登り返しが気になったし、持ってきた2リットルの水を残しておくために、やや落ちつかない気分のものになった。見越山への登り返しは大変であったが、赤摩木古山への登りは丸太階段の問題もありさらに辛かった。普通なら山頂に到着して、後は下るだけということでひと安心になるところだが、この山は、赤摩木古山に戻るまでは気を抜くことができなかった。赤摩木古山の山頂で、遅れた後続部隊を待っていると、境ダムに落ち込む山の斜面をガサガサ音を立てて登ってくるものがいた。クマかカモシカかと身構えたが、登山道近くまで接近したところで、人の気配に気づいたのか、斜面を一気に下っていった。どうやらカモシカだったようであったが、その後で、警戒の鳴き声が谷にしばらく響いていた。その後の赤摩木古山からブナオ峠への下りは、ブナ林の中の歩き易い道であった。
 ブナオ峠に戻り、車をキャンプ場に移動させて、夜の準備にとりかかった。背の高いブナ林の中の雰囲気の良いキャンプ場であったが、管理棟は閉鎖され、炊事棟も水は出ず、放置されたゴミが目立っていた。通常のアウトドア派には使えないであろうが、山やには、それで充分な静かで良いキャンプ場であった。夕食のメニューは、越村さんとっておきのチゲ鍋であった。酒もずらりと並んで、宴会の開幕となった。夕暮れが近づくにつれ、霧がブナ林を柔らかく包んでいった。飲むほどに山の話しも盛り上がったが、意外に早く酔いが回って、各人のテントに潜り込むものが続いて、宴会はお開きになった。
 夜になって本降りの雨になった。翌朝、早い時間に目が覚めたものの、登山はあきらめるしかなかった。テントの撤収と後片づけを行い、次回の北陸オフミを約束して、解散になった。とりあえず、山を下って、来た道を引き返すことにした。温泉もまだ、早くて空いている所はなさそうであった。福光まで戻った所で、雨が小降りになったので、車で山頂付近まで上がることのできる倶利伽羅峠によっていくことにした。倶利伽羅峠の名前は、平家物語でお馴染みで興味があった。イイコブリッコの義経よりも、野生児木曽義仲の方に魅力を感じるところもある。小矢部ICで高速道をおりて県道に入ると、倶利伽羅峠への看板が現れた。車道を上っていくと、すぐに、葵塚・巴塚への入口を示す看板があった。杉の植林地の中の細い道を入っていくと、右手に巴塚、少し先に進んだ所に葵塚があり、杉林の中の広場に、名前と謂れの彫られた石の柱がひっそりと立っていた。木曽義仲の二人の愛妾のうち、葵御前は、ここで討ち死にし、巴御前は、再婚後晩年は尼になり、没後にこの地にまつられたと書かれていた。車に戻って先に進むと、源氏軍が陣を置いた源氏ヶ峰の入口に出た。鉄の階段を上がると、雑木林の向こうに、こんもり盛り上がった源氏ヶ峰の山頂が頭を見せていた。雨で滑りやすい斜面をひと登りすると、木立に覆われた山頂に出た。ここにも、同じ様な石の柱が立てられていた。なだらかな丘陵の上をドライブしていくと、いろいろな碑が道路脇に現れた。天田峠との車道の分岐には、いかにも観光用といった感じの、コンクリート製の火牛の像が二体置かれていた。その先の駐車場の先の坂を少し下った所に手向神社の入口があった。五社権現の鳥居をくぐって、急な石の階段を登ると、前田家建立の4つの石祠の並んだ砺波山の山頂に出た。周囲の木は切り倒されており、見晴らしは良さそうであった。雨で濡れた急な石段を危ないなと思いながら下っていくと、気を抜いた拍子に尻餅をついてしまった。手向神社をのぞいてみると、信者でけっこう賑わっていた。
 とりあえずは山には登り、次に温泉のために頭をひねった。富山県の観光ガイドを見ていくと、宇奈月温泉に公衆浴場があった。宇奈月温泉周辺には、黒部峡谷や僧ヶ岳などの興味ある山があり、様子見も兼ねて寄っていくことにした。谷間の温泉街に入ると、黒部渓谷鉄道の駅周辺は、観光客で混雑していた。雨の中なのに、ご苦労なことであった。公衆浴場の温泉会館には、駐車場は無く、路肩駐車でいそいでひと風呂あびた。さっぱりしたところで、台風の影響か雨の激しくなった北陸道を新潟に向かった。

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