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飯豊本山、大日岳

1997年8月30日 前夜発1泊2日 単独行 晴/晴

地蔵岳 じぞうだけ(1539m) 三等三角点 (山形県)
飯豊本山 いいでほんざん(2105.1m) 一等三角点本点 (福島県)
御西岳 おにしだけ(2112.5m)  三等三角点 (福島県)
大日岳 だいにちだけ(2128m) (新潟県)
  飯豊連峰 5万 飯豊山、玉庭、大日岳 2.5万 岩倉、飯豊山、大日岳

ガイド:飯豊・朝日連峰を歩く(山と渓谷社)、岳人カラーガイドブック「飯豊連峰・朝日連峰」(岳人)、山と高原地図「飯豊山」(昭文社)

8月29日(金) 20:20 新潟発=(R.7、R.113、手i子、岳谷 経由)=23:10 大日杉  (車中泊)
8月30日(土) 5:25 大日杉発―5:43 ざんげ坂―6:05 長之助清水〜6:15 発―6:19 御田―7:09 滝切合―7:30 地蔵岳〜7:40 発―8:18 目洗清水〜8:30 発―9:08 御坪―9:16 御沢分れ―9:44 沢〜9:54 発―10:05 縦走路分岐―10:10 切合小屋―10:41 草履塚―10:55 姥権現―11:37 一ノ王子―11:45 飯豊山神社―12:05 飯豊本山〜12:20 発―12:46 玄山道分岐―13:17 御西―13:25 御西小屋〜16:00 発―16:45 大日岳〜16:55 発―17:53 御西小屋  (御西小屋泊)
8月31日(日) 5:10 御西小屋発―5:18 御西―5:44 玄山道分岐―6:12 飯豊本山―6:30 飯豊山神社―6:36 一ノ王子―7:13 姥権現―7:30 草履塚〜7:36 発―7:55 切合小屋―8:00 縦走路分岐―8:10 沢―8:28 御沢分れ―8:35 御坪―9:00 目洗清水―9:52 地蔵岳〜10:00 発―10:11 滝切合―10:36 御田―10:41 長之助清水〜10:55 発―11:05 ざんげ坂―11:18 大日杉=(白川荘入浴後往路を戻る)=15:10 新潟着

 新潟、山形、福島の県境に連なる飯豊連峰は、2000m級のピークを南北20キロに渡って連ね、中腹を覆うブナ林、稜線を彩るお花畑、夏にも残る残雪などで、多くの登山者を魅了してやまない。代表的ピークは、飯豊神社と一等三角点の置かれた飯豊本山であるが、最高峰は主稜線から西にわずかに外れた大日岳である。
 始めて飯豊本山に登ったのは4年前の6月19日であった。川入から登ったが、残雪に覆われた登山道をたどるのに苦労し、悪天候の中に飯豊本山までは登ったものの、大日岳はあきらめてそのまま下山してしまった。大日岳に登りたく、コースを検討したが、いずれにせよ山中1泊は必要なため、昔からの登拝道として使われて、飯豊本山の眺めの優れているという大日杉コースを登ることにした。今年の夏は、週末ごとに前線の通過で荒れ模様になった。この週末も同様であったが、夏の終わりということもあり、意を決して出かけることにした。  大日杉登山口は、新潟からは飯豊連峰のちょうど反対側にあたる。手ノ子交差点から白川ダムへの道に入ると、山奥にもかかわらず良い道が続いた。岳谷から分かれた林道は、未舗装であったが、車のすれ違いも問題の無い走り易い道であった。広い駐車場が右手に現れると、その先が林道の終点で、沢の向こうに大日杉小屋があった。山小屋として想像していたものよりはひと回り大きな三角屋根の建物は、スキー場のロッジを思わせるものであった。誰もいない駐車場に車を停めた。雨は降ってはいないものの、稲妻で空が時折光っていた。
 幸い、曇り空の朝になった。林道終点部にも、5台の車が到着していた。小屋の右手の沢沿いに登山道は始まった。杉林を抜けると、直ぐに雑木林の急斜面が始まった。粘土質の急斜面にかけられた鎖場が現れ、そこを登り積めて尾根上に出ると、そこにはざんげ坂という標識が掛けられていた。ざんげ坂というのが、これからの登りなのか、今登ってきた鎖場なのか判断に迷った。ガイドブックを読むと、登ってきた急坂のようであるが、それならば坂の下に掲示しておいてくれれば、それなりの心構えをするものだが。今度は、尾根上の急な登りが続いた。ただ、時折傾斜が緩くなるので、息を整えることができた。すっかり大汗をかいてしまって、ひと休みと思う頃、長之助清水に到着した。ロープの張られた足元の不安定な斜面を20m程下ると、岩の中から清水が湧いていた。あたりにも水音が心地よく響いていたが、飲み干した水は、冷たく腹の底にしみいった。カップ片手に登山道に戻り、ブナの根っ子に腰をおろした。元気を取り戻して再び急登にいどむと、直に直径3メートル近くの大杉の立つ御田に到着した。谷越しに望む鍋越山の稜線の高さまでかなり近づいてきたのが励みになるものの、傾斜はさらに増したようであった。ブナ林から潅木帯に入って、頭上の高みへ登りつめると、鍋越山へのコースが分岐する滝切合に出た。鍋越山への登山道はヤブがかぶり気味で、誤って進入しないように、木の枝が横に渡されていた。牛ヶ岳から地蔵山への稜線も見え始めて、飯豊の主稜線の高さまでかなり近づいていることが判ったが、最初の目標の地蔵岳には、尾根をしばらく辿ってからもうひと頑張りしなければならなかった。地蔵岳の山頂は、標識の奥の少し高くなった広場に三等三角点と主三角点が置かれ、飯豊本山が笹原の上に飯豊の盟主に相応しいどうどうとした姿を見せていた。地蔵岳からは、大きな下りになった。正面には、種蒔山を中心に飯豊の主稜線が横たわっていた。登山道が水平な道に変わった頃、目洗い清水に到着した。左手の草付きの中を10m程下ると、草原の奥に清水があった。周辺は、盛夏にはお花畑になりそうな気配であった。目洗い清水の先の右手に、テント場にうってつけの広場があり、谷から大きく立ち上がる飯豊本山を眺めることができた。小さなピークを越しながら、主稜線に次第に近づいていくと、尾根の上に美しいダケカンバの林が現れ、タカネマツムシソウの薄紫色の花も彩りを添えていた。小さな石の祠の置かれた御坪を越えると、種蒔山から草履塚を経て飯豊本山に連なる主稜線を目の当たりに眺めることができ、種蒔山の右手の鞍部には切合小屋も見分けることができるようになった。御沢分れからは、いよいよ最後のひと頑張り。幸い、種蒔山の山頂はまだ高いものの、登山道は右手の切合小屋めがけての卷き道になってくれた。横断した小さな沢には豊富な水が流れ、その回りにはイワイチョウの特徴のある葉が広がっていた。気持ちの良い休み場で、沢の水を汲んで一服した。沢からはひと登りで、待望の主稜線に飛び出した。分岐の10m手前には、ホースで沢の水を引いた水場が設けてあったが、これについてはガイドブックにも書かれていないようであった。このコースには、何カ所もの水場があって助かった。
 タカネマツムシソウの咲き乱れる砂礫帯の向こうには、草履塚が高くそびえ、その左手の谷向こうには残雪を抱いた御西岳の斜面が広がっていた。ここからは、前にも通ったことのある道であった。しかし、記憶にはほとんど残っていない道であった。前回、確かに分岐から大日杉への登山道を覗き込んで、一面の残雪が広がっているのを見て不安が一層増したのを覚えている。大日杉コースは、残雪期には最後のトラバース部分が難しそうである。人気の無い切合小屋を過ぎると草履塚へのお花畑の中の登りになった。シラネニンジンの白い花の中に、ウサギギクの黄色やヨツバシオガマの赤紫色が点在し、花の撮影ということで、足を止める良い口実になった。ここも、前回の残雪期には、登山道を見失って苦労したが、沢状の地形の中に登山道が設けられているのを見て、納得がいった。草履塚の頂上から、飯豊本山の頂を見上げて、最後の力を振り絞るべく、息を整えた。飯豊本山の頂が遠ざかるのをうらめしく思いながら鞍部に下ると、毛糸の帽子をまとった姥権現の前に出た。周囲の草原にはハクサントリカブトが咲き乱れ、どこか不気味な姥権現の雰囲気と合っていた。続いては、御秘所の岩稜登り。鎖も2本張られてそれ程長くはなく、途中で岩の上に立ち上がる所がスリリングなくらいであるが、岩場になれない者には充分肝を冷やすことができるだろう。この岩の上を通らないでも、左下の草原にいくらでも道が付けられそうなものであるが、これも山岳宗教ならではの肝試しの岩場のようである。これが最後の登りとばかり、ガレ場の御前坂の急登にとりかかった。足はなんとか前に進んだが、避難小屋泊まり用の荷物が重たく、肩が痛くてならなかった。次第に迫ってくる山頂の石垣を目指して登った。石垣にたどりつくと、そこは一ノ王子で、山頂神社はもう少し先であったが、もう山頂の一画ではあった。一ノ王子には、水場へ下る印があり、周辺はテント場に使われているようであった。飯豊山神社はすでに扉が閉められ、本山小屋にもだれもいなかった。稜線を少したどると一等三角点ピークに到着した。あいにくと、ガスが出てきて、御西岳への稜線は見えかくれ、大日岳は全く姿を消していた。女性単独行が通り過ぎていっただけの、静かな山頂であった。登りに流した汗のことを忘れさせるような秋風が吹いていた。前回は、ここから引き返しであったが、今回は予定通りに御西小屋に進むことにした。飯豊本山からは、予想以上の下りになった。玄山分岐の標識を見ると、夏はニッコウキスゲのお花畑になるらしい草原の中のほぼ水平な道になった。左手の谷のカール状の窪地には、もう秋なのに、残雪が残っていた。ガスで見通しの利かない草原を歩いていくと、三角屋根の御西小屋が姿を現した。  小屋には、二名の先客がいたのみであった。二人とも、飯豊山荘から南下してきたとのことであった。隅に銀マットを敷いて、二畳程の寝場所を確保した。外に出ても、ガスで視界は閉ざされていた。大日岳は、明朝期待ということで、コーヒータイムにした。明日のために、御西小屋の水場に水汲みに行った。本山よりの斜面を雪渓めざして下っていくと、パイプが差し込まれた水場があった。夕暮れが近づくにつれ、小屋にも他の登山者が到着しはじめた。泊まり客は15人程になり、二階も含めて、ゆったりと自分の居場所を確保できる混雑度になった。そろそろ、夕飯の支度でもと思って外を見ると、ガスはいつのまにか消え去り、大日岳が鋭角的な山頂を見せていた。時間はすでに4時。往復のコースタイムは、2時間30分。先ほどから話し込んでいた大阪からの単独行は、往復2時間かかったといっていた。登山道を目で追うと、緩やかに稜線をたどっていき、山にたどり着けば急斜面をひと登りのようであった。迷ったのは一瞬のことで、小屋の中に戻って、翌日のために準備しておいたサブザックを背負って、急いで登山靴を履いた。大日岳を見物している先ほどからの話し相手に、「ちょっと大日岳まで行ってきます。6時には戻ります。」と言いおいて、大日岳への登山道に足を踏み入れた。緩やかに下っていくと、右手の窪地に文平ノ池が現れたが、先を急ぐ必要があった。緩やかな突起を越していく登山道は、所々笹がかぶり気味の所があった。大日岳への急斜面も、先ほどまでゆっくりと休んでいたことと、荷物が軽いことが幸いして、一気に登ることができた。頭上に見える鋭いピークに近づくと、そこは偽ピークで、山頂はさらに奥であった。山頂からは360度の眺めが広がっていた。登りの途中でも気にかかっていた牛首山へは、高度感のあるやせ尾根が続いていた。また、前方には、緩やかに起伏する頂稜部の向こうに西大日岳が三角形の頭をもたげていた。いつか、オンベ松尾根を登って西大日岳までという課題がまたできてしまった。振り返ると、長く延びた大日岳の影の向こうに、飯豊連峰の主稜線が横たわっていた。正面の飯豊本山は、やはり盟主に相応しく大きく、北に稜線をたどると烏帽子岳の向こうに、こぶのように北股岳が一気に盛り上がっていた。谷と稜線は、夕日と影に彩られていた。至福の一時を過ごした後、写真撮影を行いながら、長く延びた影を追いながら下山した。小屋には、予定通りというべきか、6時少し前に戻ることができた。
 夜中にトイレのために外に出ると、満天の星空が、頭上から足元まで広がっていた。北方の二王子岳の左手には新潟市の町明かり、南方には会津盆地の町明かりも、遥かに眺めることができた。いつまでも星空を眺めていたかったが、夜風に追われて小屋に戻った。薄手の羽毛シェラフでは寒く感じ、ゴアのシェラフカバーをかぶせて、丁度良い暖かさになった。他の登山者も寒かったとみえて、ツエルトをシェラフの上にかけている者もいた。
 翌朝は、雲のかかった天気になり、早朝の大日岳の山頂は雲に覆われていた。昨日の夕暮れ時に、山頂めざして突進したのは正解であった。天気もあまりすぐれないようなので、下山に専念することにした。草原の中の御西の標識からは、脇の高みに向かって踏み跡があった。登ってみると、三角点があり、そこが御西岳の山頂であった。飯豊本山に向かっては、けっこう辛い登りになった。ガスに覆われた飯豊本山の山頂には、カメラを首から下げた登山者が、展望のひらけるのを待っていた。飯豊神社へn途中ですれ違った二人連れの登山者の一方から声がかかり、良く見ると、インターネットで知り合って、一緒に山歩きもしたことのある会津の伊関さんだった。川入からの林道終点から登って、本山小屋泊まりとのことだった。飯豊本山を下って、草履塚にかかる頃には、すれ違う登山者も多くなった。身軽な者も多く、切合小屋あたりに荷物を置いて飯豊本山までピストンしているようであった。縦走路から分かれて大日杉コースに向かうと、高度も下がってきたためか、再び暑くなって汗が流れ出るようになった。地蔵岳への登り返しは、最後の辛い関門になった。地蔵岳からは、下り一方になった。ブナ林の中を一気に下り、長之助清水で冷たい水を飲んで一服すれば、後は大日杉の登山口までは遠くなかった。途中の白川荘で入浴(300円)し、昼食もとってから新潟に戻った。

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