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越後駒ヶ岳

1997年8月23日 前夜発日帰り 単独行 曇り

越後駒ヶ岳 えちごこまがたけ(2003m) 一等三角点補点 越後三山(新潟 5万 須原、八海山 2.5万 八海山、大湯、銀山湖

ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「越後三山・巻機山・守門岳」(昭文社)

8月22日(金) 20:10 新潟発=(関越道、小出IC、R.17、R.291、桐沢、荒山 経由)=22:40 越後三山森林公園  (車中泊)
8月23日(土) 4:55 越後三山森林公園発―5:15 高倉沢出合林道ゲート―5:36 モチガハナ沢出合・つり橋―5:42 十二平―6:10 雪見の松〜6:15 発―7:15 力水〜7:23 発―8:20 我忘峰―8:45 グシガハナ〜8:55 発―9:30 中ノ岳分岐―9:41 駒ノ小屋分岐―9:45 越後駒ヶ岳山頂〜10:07 発―10:10 駒ノ小屋分岐―10:20 中ノ岳分岐―10:52 グシガハナ〜11:00 発―11:15 我忘峰―11:58 力水〜12:05 発―12:46 雪見の松〜12:50 発―13:12 十二平―13:22 モチガハナ沢出合・つり橋―13:36 高倉沢出合林道ゲート―14:04 越後三山森林公園=(桐沢、R.291、R.17、キャンパス川口温泉入浴、越後川口IC、関越道 経由)=17:10 新潟着

 越後三山は、八海山、中ノ岳、越後駒ヶ岳の三つの山をまとめての総称である。これらの三山は馬蹄型に山稜を連ね、中央の水無渓谷に一気に落ち込んでいる。越後駒ヶ岳は、日本百名山にも取り上げられて知名度も高いが、枝折峠から小倉山経由で登る登山者が多い。水無渓谷からも、地元で「裏の尾根道」とよばれるグシガハナ経由の登山道があるが、ここ数年、砂防ダムの工事に伴い、通行困難な状態にあった。
 越後駒ヶ岳に登ったのは、登山を始めた年の秋で、もちろん日本百名山などというものは夢の世界と思っていた時のことであった。枝折峠から快調にとばして、越後駒ヶ岳の山頂に午前の早い時間に立った。このペースで歩けば中ノ岳も往復できると無謀にも前進したが、檜廊下を過ぎたあたりでスタミナと時間切れになって、ほうほうの程で日没寸前に枝折峠に戻ったという、冷や汗物の経験がある。その際に、ガシガハナの分岐から谷に向かって下っていく登山道を見て興味を持った。砂防ダムの工事で歩けるのかどうか判らない状態が続いていたが、今年になって、ガイドブックからは通行困難の記載は消えていた。ガイドブックのコースタイムを計算すると、登山口の越後三山森林公園から、上り7時間、下り5時間20分、合計で12時間を越すが、車道歩きも最後にあるので、早朝発なら日帰りできるはずであった。新潟から登山口までは2時間ちょっとであったが、早朝出発のために、前夜のうちに登山口に入っておくことにした。前線の通過に伴い、夜になって雨が降り始めた。高石沢入口でそのまま直進してしまって道を間違えた。この角には十ニ平を示す標識が立っており、右折する必要があった。谷沿いに進んでいくと、高い屋根を持った水道施設の設けられた越後三山森林公園に到着し、手前の広い駐車場に車を停めた。
 朝になって雨は止んでいたものの、蒸し暑い気温になっていた。森林公園から先は未舗装の林道にかわり、一般車立ち入り禁止の看板があったが、先に進んでいく車もあった。谷を眺めながら進むと、前方の山の中腹に大きな滝がかかるのを眺めることができた。オツルミズ沢のサナギ滝のようであったが、空から流れ出ているような不思議な風景であった。オツルミズ沢が林道に落ちる所も、美しいなめ滝になっていた。20分程歩いた高倉沢出合で林道に鎖がかかって、一般車は通行止めになっていた。小広場に数台の車がとまっており、一般車はここまで入れるようであった。砂防ダムを眺めながら先に進むと、林道終点の工事現場に入って、モチガハナ沢を吊り橋で渡った。この橋は、アルミの梯子を横に渡して踏み板をはめこみ、針金を手すり状に渡した作りの、あぶなっかしいものであった。尾根の末端を巻いて水無川沿いに少しさかのぼると、草むらで覆われた十二平に出た。標識には、駒ヶ岳5.1kmと書いてあり、水無川に沿って延びる踏跡には、中ノ岳という標識もかけられていた。分岐の手前には、工事現場の発破の時間帯が書かれて、時間内は現場の指示に従うようにという看板が立っていた。ここから、水無川とモチガハナ沢に挟まれたやせ尾根の登りが始まった。急斜面の登りで一気に高度を上げると、雪見の松に出た。気温のせいか、早くも、首にまいたタオルを絞るほどの汗が流れ出た。北五葉松の並んだ尾根を登り続けると、八海山の展望が開けてくるが、山頂は雲で隠れ、オカメノゾキの最低鞍部が雲の下から姿を現していた。周囲にブナの木が目立つようになると、力水に出た。踏み跡が奥に続いおり、足元の不安定な斜面を横断したものの、沢状の地形に水はみあたらなかった。残雪期に限られた水場なのかもしれない。自前の力水になった。水は3リットル持ってきたので足りるはずであったし、場合によっては、山頂から駒の小屋に下りて補給に立ちよれば良かった。その先も、木の根を階段代わりにし、木の枝を掴んで這いあがる急登が続いた。下る所のまったく無い登り一方の道であった。ブナも姿を消して、背の低い五葉松や檜、シャクナゲの中の道になって、標高も上がってきたことを知った。谷をはさんだ中ノ岳の斜面が、スラブ状に木のはぎとられた岩壁になって谷に向かって落ち込んでいるのを時おり眺めることができた。行く手に鋭いピークが立ちはだかり、山頂はともかく、そのピークに登り着くことだけを考えながら、登りに耐えた。見通しの利かない潅木帯の中から、周囲に遮るものがなにも無いピークの上に出た。ピークの中央に、標識がたっており、グシガハナに到着できたことを知った。ガスが流れて越後三山の山頂は隠れていたが、それをつなぐ稜線が水無渓谷をぐるりと取りまいているのを眺めることができた。待つうちに、駒ヶ岳の山頂が一瞬姿を現し、グシガハナから続く稜線上に付けられた登山道が延びていくのが見えた。この後は、そうたいした登りは無さそうなことにひと安心して、ガスの間から姿を現す風景を楽しんだ。グシガハナから僅かに下って水平な尾根をたどっていくと、右手の駒ヶ岳と中ノ岳を結ぶ縦走路の間の谷間には夏の始めにはお花畑を楽しめそうな草地が広がった。縦走路へ上がる最後の登りは、丸太階段で整備されていた。中ノ岳との分岐に出ると、拾合目という古い石の標識が置かれていた。緩やかに草地の中を登っていき、駒の小屋への下降点を過ぎると、駒ヶ岳の山頂に到着した。山頂には三脚にカメラを付けた先客がガスの流れを見上げていた。展望は閉ざされ、当分は晴そうにも無かった。記憶にある豊斟淳尊(トヨクムヌノ)の小さな銅像には、たすきがかけられ、結構多くのお賽銭があげられていた。以前と比べて、信心深い人が増えたとも思えないので、中高年登山者の登頂記念を兼ねてのお賽銭のようであった。藤島玄著の越後の山旅によれば、豊斟淳尊は古事記由来の神で、「偉大な物が集まり凝って、沼のような状態になったものをさし、大地形成の第一段階に神名を付けたもの」という。豊饒の神のようであるが、本来は、中ノ岳にまつられているはずの神様であるようで、どうして駒ヶ岳におかれているのか、疑問は残る。小屋泊まり、中ノ岳からの縦走者が、ポツリポツリと山頂に登ってくるものの、静かな山頂であった。お花畑に咲く秋の花を眺めながら中ノ岳との分岐に戻り、水無渓谷ルートを見下ろすと、グシガハナが鋭いピークをのぞかせていた。グシガハナの上で、最後の展望を期待したが、あいかわらずガスが流れていた。ストックと木の枝を支えに、一歩づつ確かめながらの下りになった。水無ルートを登ってくる登山者にも、全部で5名出合って、そこそこに使われていることが判った。長い下りで、次第に足元が怪しくなってきて、つまらない所で尻餅をつくようになった。力水でおおよそ半分、雪見の松で最後のフィニッシュということで頑張り、あやしげな吊り橋を渡って、無事に生還となった。山頂付近でガスに囲まれて、気温が上がらなかったせいもあって、水の消費量も、2リットルで済んだ。青空の広がり始めた山頂を振り返りながら森林公園に戻ると、ファミリーキャンプのテントとターブで大賑わいになっていた。水無渓谷ルートは、難路ではあるが、登山道は整備されていることが判った。いつか行ってみたい三山駈けの為の良い偵察になった。

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