9739

岩木山

杢蔵山

1997年8月17日〜18日 前夜発1泊日 単独行 晴/曇り

岩木山 いわきさん(1825m) 一等三角点本点 岩木山(青森県) 5万 弘前、2.5万 岩木山
ガイド:アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「青森県の山」(山と渓谷社)、日本百名山登山ガイド上(山と渓谷社)

杢蔵山 もくぞうやま(1027m) 二等三角点 神室連峰(山形県) 5万 新庄、2.5万 瀬見、新庄
ガイド:分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明舎)

8月16日(金) 18:05 新潟発=(R.7、R.113、赤湯、R.13、山形、山形自動車道、東北自動車道 経由)
8月17日(土) =0:30 北上金ヶ崎PA  (車中泊)
5:00 北上金ヶ崎PA=(東北自動車道、大鰐弘前IC、R.7、弘前、岩木 経由)=7:42 岩木神社〜8:05 発―8:26 神苑桜林下―8:32 百沢スキー場下―8:43 七曲り標識―9:00 カラスの休場―9:07 鼻コクリ―9:16 姥石―9:56 焼止りヒュッテ―10:13 ハシゴ―10:34 錫杖清水―10:52 種蒔苗代〜10:56 発―11:00 鳳鳴ヒュッテ―11:16 岩木山山頂〜11:40 発―11:53 鳳鳴ヒュッテ〜11:59 発―12:03 種蒔苗代―12:19 鳥海山〜12:30 発―12:41 種蒔苗代―12:53 錫杖清水―13:09 ハシゴ―13:23 焼止りヒュッテ―13:53 姥石―14:01 鼻コクリ―14:05 カラスの休場―14:16 七曲り標識―14:25 百沢スキー場下―14:30 神苑桜林下―14:45 岩木神社=(国民宿舎岩木荘入浴、アップル道路、大鰐弘前IC、東北自動車道、築館IC、築館、R.398、一迫、岩出山、R.47、鳴子、新庄、金沢、山屋 経由)
8月18日(日) =0:10 山屋キャンプ場  (車中泊)
5:15 山屋キャンプ場発―5:20 杢蔵山渓谷歩道口―5:43 一ノ滝―5:50 二ノ滝―6:00 三ノ滝―6:09 二股―6:45 稜線分岐―6:47 杢蔵山荘〜6:55 発―6:59 水場―7:18 杢蔵山山頂〜7:27 発―7:42 水場―7:46 杢蔵山荘―7:48 稜線分岐―8:02 三角山―9:05 杢蔵山渓谷歩道口―9:12 山屋キャンプ場=(金沢温泉保養センター入浴、新庄、R.47、立川、三川、R.7、村上、瀬波温泉、R.345、R.113、蓮野IC、R.7 経由)=16:30 新潟着

走向距離 1154km

 岩木山は、津軽平野に大きな裾野を広げる独立峰で、津軽富士とも呼ばれている。弘前の故郷の山であり、信仰の山として、四方からお山詣りのための登山道が通じている。現在では、岩木スカイラインと呼ばれる自動車道路が八合目まで開通し、さらに九合目までリフトがかかって、観光客でも登れる山になっている。
 山形・秋田県境に広がる神室山地は、神室岳、小又山、火打岳といった頂を連ね、冬には厳しい季節風を受けるために、森林限界は低く、その標高に比して険しい姿を見せている。杢蔵山は、その南端の山であり、新庄の町の背後に広がる山として親しまれている。
 お盆の週末、道路も山も混雑が予想された。空いていそうな道路を考えていくと、やはり東北方面に触手が動いた。先月、以前に観光で訪れた八幡平を登りなおしに行ったが、同様に岩木山も気にかかってきた。少々遠いが、盛岡までの道にも慣れてきて、なんとかなるだろうと思って出発した。新潟市を出てすぐに、反対車線の交通量の多さを見て、やはり地元の山にしておけばよかったかなと早くも迷いが出た。しかし、トラックがいない分、車の走行は楽な面もあった。いつものように、山形から高速道に入って、東北自動車道を眠くなるまで北上してから、車中泊になった。明け方目を覚ますと、異常な寒さに身震いした。東北地方でいう、やませの状態になったようで、ラジオを聞くと低温注意方が出ていた。空の様子も、曇り状態であった。青森県に入ると青空も広がり、高速を下りて弘前の町に近づくと、八合目付近に雲を漂わせた岩木山が、大きく裾野を広げた姿を現した。弘前の町に入ると、弘前城と岩木山という道路標識が現れ、今回の登山に関しては、登山口までのアプローチに苦労しなくてもすんだ。登山口の岩木山神社の前にも駐車場があったが、ここは参拝客用のようであったため、100m程先左手の町営駐車場に車を停めた。登山の支度をして、神社の前に立つと、鳥居の上に岩木山の頭が浮かんでいた。山頂は高く、しかもかなり遠くにあった。低い所にある登山口に少々気落ちしたが、わざわざ歩くために来たのだからということで頑張ることにした。神社の境内には、立派な楼門を始めとする重要文化財の社殿が並んでいた。まずは、登山の無事を祈ってお参りした。拝殿を出ると、山に向かって左手に、岩木山神社奥社登拝口の石柱がたっていた。登山道は、鬱蒼とした杉林の中を緩やかに登っていった。木の鳥居を過ぎると、一瞬あっけにとられたことに、色とりどりのテントの並んだキャンプ場に出た。ここが神苑桜林と呼ばれる場所であった。神苑という名前にだまされたが、キャンプ場としては気持ち良さそうな所であった。遊歩道を登っていくと、次は百沢スキー場に到着。建物の下をくぐって、ゲレンデの中の登山道に入った。ゲレンデ歩きが続くのかと思ったら、幸い左手の木立の中にそれてくれた。登山道の入口には、あまり良い趣味とは思えない金色の恵比寿・大黒が左右に祭られていた。小さな沢を渡ると、つづら折りの急な登りが始まったが、じきに尾根に乗って傾斜も緩やかになった。七曲りという標識が現れ、再び急な登りかと思ったら、そのままの登りが続いた。始めのつづら折りが七曲りのようであった。カラスの休場、鼻コクリといった標識が現れたが、おおむね緩やかな登りであった。昔の女人結界跡という姥石には、女性の姿が刻まれた岩が置かれていた。かたわらの笹原の中に物見やぐらがあり、女性のための展望台のなごりかと思ったら、営林署のもののようであった。次第に傾斜もきつくなり、背後を振り返ると、ガスの間から、はるか下になった町の眺めが広がっていた。登山道が右にトラバースするように方向を変えると、焼止り避難小屋にでた。中をのぞくと、少し古めではあるが、充分泊まることはできそうであった。その先から大沢の登りになった。はじめは涸沢で、岩の上を足元に注意しながら登った。登山道が両岸の草付きに逃げる所もあり、岩の上のペンキマークに注意する必要があった。水音が聞こえだすと、坊主ころがしと呼ばれる大きな岩の上から水がしたたり、その右手に3m程の梯子がかけられていた。枝沢からの水を集めて、沢の水量も増すようになると、錫杖清水に到着した。埋め込まれたパイプから水が流れ出ていた。さっそく、思う存分冷たい水を飲んだ。沢の源頭部が近づくと、周辺はヤマハハコの白い花で埋めらつくされていた。岩木山は、ミチノクコザクラでも有名であるが、すでにこの花の時期は終わっていた。ガスの間から山頂近くの岩峰が見えかくれしはじめると、種蒔苗代の小さな池に出た。池の左縁をかすめて急坂を登ると、岩木スカイライン経由のハイカーで賑わう鳳鳴ヒュッテ前に出た。ここまで、数人の登山者と出合ったのみであったのが嘘の様な混みようであった。山頂までは、第一おみ坂、第二おみ坂と呼ばれる岩場の登りが続くが、蟻がたかるように登山者が連なっていた。登山道の途中で息が切れて止まってしまう者も多かった。岩の転がる広い山頂は、さすがにお盆休みの最中とあって、大賑わいであった。眼下には、白い雲海の広がっていた。八甲田山や白神山地も遠くはないはずであったが、雲に隠されていた。以前に観光で訪れた時は、曇り空であったが、津軽半島が海の中に北に向かって延びていくのを眺めることができたのだが。腰掛けやすい岩を捜して、群衆のざわめきを背中に聞きながら、ひと休みにした。下りは、登り以上に苦労している観光客が多かった。多くは、運動靴のために足元が定まらないようであった。種蒔苗代に下りてから、あたりを見渡すと、西のピークめざして登っていく踏み跡が草原の中にあった。外輪山の鳥海山はそのピークだろうと思って、草のかぶり気味の道を登ると、小ピークの上に出て、すぐ下がリフト乗り場であった。潅木帯の中に東に続く道があるので、稜線伝いにさらに進んだ。外輪山の縁に出ると、朽ち掛かった木の柱の基にお賽銭があげられ、標石の埋め込まれた広場に出た。鳥海山というのが、この広場か、リフト乗り場の上の小ピークをさすのか地図をみても判然とはしないが、とりあえず登ったことだけは確かなようであった。標石を眺めると、いつも見慣れているものとは違うことに気がついた。新しいコンクリートでできた四角の柱の上に金属製の円盤が埋め込まれ、「地殻変動観測点 GPS14 建設省国土地理院」と書かれていた。地形図作製のための一から四等の三角点の他に、もっと大きな規模での観測網があるようであった。地殻変動観測点が、一等三角点本点のある岩木山の、人のあまり訪れない鳥海山に置かれていることには納得がいくものの、他にもこのような観測点があるのか疑問がわいてきた。GPS14 の番号は、通し番号なのだろうか。面白いものを見つけて、気を良くして下山した。岩木山神社に戻ると、観光客で大賑わいであったが、登山の姿をしている者は他にはいなかった。鳥居越しに振り返る岩木山は、山頂を雲で隠したままであった。
 神社脇にも温泉旅館があったが、車で少し先の国民宿舎いわき荘の温泉に入った。ヒバの木で作られた浴室は、おちついた気分にさせてくれた。この後は、できるだけ新潟方面に戻っておく必要があった。アップル道路と名前の広域道路を経由して、高速のインターに向かった。周囲にはリンゴ畑が広がっていたが、まだ収穫の時期には早いようで、直売店は閉まっていた。東北自動車道も、南下するに連れて交通量が多くなり、一関近くで渋滞が始まった。パーキングで一時間程昼寝をしても、状況は変わらないようであった。当初の予定では、山形に戻ってから蔵王周辺の山と思っていたが、高速をおりて鳴子、新庄、酒田と日本海側に抜けることにして、登る山を神室山地の杢蔵山に決めた。走り易い道に助けられ、なんとか新庄まで車を走らせ、最後にひと頑張りして山屋のキャンプ場の駐車場まで走り込んだ。キャンプ場までは良い道がつけられ、広い駐車場と整備された施設にもかかわらず、人気は無かった。
 舗装道路は、キャンプ場の先で終わり、林道を少し進んだ所の作業小屋の手前に杢蔵山渓谷歩道口があった。戸前川を渡った所で、渓谷沿いの道と杉林の中を登っていく道に分かれた。良く踏まれて早そうな杉林の中の道を進むことにした。途中で、一ノ滝をのぞいてみると、5m程の滝であったが、水量はそれほど無かった。下方に二ノ滝や三ノ滝を見ながら渓谷沿いの道を山の奥に向かって分け入った。杢蔵山は、新庄市民の憩いの山であるようにガイドブックには書かれていたが、それにしては、結構険しい道であった。谷の水量も僅かになってくると、二股に分かれた沢に降り立った。右股に渡って、すぐに沢に挟まれた尾根に取り付くと、急な登りが始まった。樹林帯の中から稜線に飛び出すと、笹原の中に尾根道が続いていた。ガスの流れる中に、杢蔵山荘の姿が浮かんだ。中をのぞくと、マキや自炊の設備が整えられ、居心地の良さそうな小屋で、使用料200円とあった。笹原の中を進んでいくと、ブナ林の中に出て、前方のピークに挟まれた窪地に水場があった。水量は、容器にためるには少々時間がかかるものの、稜線沿いといって良い場所の水場は貴重であった。冷たい水で喉をうるおしながら周囲をながめると、ブナ林に霧がまとわりついて、幻想的な風景が広がっていた。急斜面をひと登りすると草地が現れ、その上で稜線に出た。冷たい風が吹き付けてきて、ガスで展望も閉ざされていた。昨年の神室山の時も天気が悪かったが、次の小又山や火打岳の時は、是非とも晴の日を狙って登りに来よう。右手は切り落ちた稜線をたどっていくと、三角点の置かれた小広場のあるピークに出た。回りの潅木を見渡しても、山頂標識はひとつもなかった。念のために縦走路を先に進んでみたが、下る一方のようなので、山頂であろうと納得した。風は冷たく、山頂に長くはいられない状態であった。渓谷歩道からの分岐に戻り、下山は三角山に向かった。木で覆われた道を緩やかに下っていくと、放送用のアンテナ施設の立ち並んだ三角山に到着した。ガイドブックには、尾根道が続いているとあったので捜したがみつからず、林道をそのまま下ることにした。林道は所々雨水で削られて、一般車の通行は、かなり難しそうであった。途中で、アンテナの保守を終えて下る車に乗っていかないかと声をかけられたが、丁重に断った。林道は大きなカーブをえがいて山を下っていき、標高差もあり、乗せてもらった方が良かったかなと少々後悔した。谷間に下って杉林が周囲に広がるようになると、歩き始めの作業小屋の前に出た。駐車場に戻って着替えを始めると、単独行が杢蔵山に向かって出発していった。国道に戻る途中の奥羽金山温泉保養センターで入浴し、一路、肌寒い天候のために海水浴客もまばらな日本海を眺めながら新潟に戻った。

山行目次に戻る
ホームページに戻る