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蓮華岳、針ノ木岳

スバリ岳、赤沢岳、鳴沢岳、岩小屋沢岳

雁田山

1997年7月18日〜21日 前夜発2泊3日 単独行 晴/晴/晴

蓮華岳 れんげだけ(2799m) 二等三角点
針ノ木岳 はりのきだけ(2821m) 三等三角点
スバリ岳 すばりだけ(2752m) 
赤沢岳 あかざわだけ(2678m) 三等三角点
鳴沢岳 なるさわだけ(2641m) 
岩小屋沢岳 いわごやざわだけ(2630m) 三等三角点
 後立山連峰(長野、富山) 5万 立山 2.5万 黒部湖

ガイド:アルペンガイド「立山・剣・白馬岳」(山と渓谷社)、アルペンガイド「北アルプス」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「鹿島槍・黒部湖」(昭文社)

雁田山 かりたやま(787m) 三等三角点 (759.39m) 一等三角点基点 長野周辺(長野) 5万 高田 2.5万 中野
ガイド:一等三角点の山旅55コース[東京周辺](山と渓谷社)、一等三角点の名山100(新ハイキング社)、信州の里山を歩く東北信編(信濃毎日新聞社)

7月18日(金) 22:10 新潟発=(北陸自動車道、糸魚川IC、R.148、大町 経由)
7月19日(土) =2:15 扇沢  (車中泊)
6:00 扇沢発―6:22 トンネル口―7:01 大沢小屋〜7:04 発―7:32 雪渓取り付き―8:10 ノド上〜8:20 発―8:35 草付き―9:23 針ノ木峠〜9:28 発―10:32 針ノ木岳〜11:10 発―11:51 針ノ木峠〜11:55 発―12:55 蓮華岳〜13:40 発―14:20 針ノ木峠  (針ノ木小屋泊)
7月20日(日) 5:12 針ノ木峠発―5:58 針ノ木岳〜6:12 発―6:30 マヤグボのコル―6:52 スバリ岳〜6:55 発―8:12 赤沢岳〜8:35 発―9:14 鳴沢岳〜9:25 発―9:52 新越山荘〜9:56 発―10:52 岩小屋沢岳〜11:00 発―12:20 種池山荘〜12:25 発―14:02 柏原新道登山口―14:15 扇沢=(薬師の湯入浴、大町、R.148、有明、有明荘、R.148、豊科IC、長野自動車道)=22:00 更級SA  (車中泊)
7月21日(月) 4:30 更級SA発(長野自動車道、須坂長野東IC、R.403、小布施 経由)=5:30 岩松院〜6:05 発―6:30 岩松院=6:55 すべり山登山口―7:37 反射板―7:47 展望園地―7:53 姥石―8:09 千僧坊―8:14 滝ノ入城跡〜8:24 発―8:28 千僧坊―8:44 姥石―8:51 展望園地〜8:55 発―9:03 反射板〜9:25 発―9:54 すべり山登山口=(中野、R.117、越後川口IC、関越自動車道)=14:30 新潟着

 後立山連峰の南部は、黒部ダムへのアルペンルート入口の扇沢を弧状に取り囲んでおり、爺ヶ岳から、岩小屋沢岳、鳴沢岳、赤沢岳、スバリ岳を経て針ノ木岳に至り、佐々成政の冬の峠越えの伝説で有名な針ノ木峠を挟んで蓮華岳に続いている。針ノ木岳は鋭い山頂を持ち、蓮華岳はゆったりと広い山頂を持つといった好対照を見せている。針ノ木雪渓を登る楽しさもあって、針ノ木岳と蓮華岳は人気の山になっているが、赤沢岳をはじめとするピークは、縦走を行ったものにしかそのピークに立つことができない。
 雁田山は、小布施の町の背後にそびえる独立峰で、古い火山といわれ、かつては山城が築かれていたという。雁田山の名前は、小布施の町から眺めた時に、雁が羽を広げた様に似ていることに由来するという。この山には須坂基線として、一等三角点が置かれている。
 梅雨明け宣言はまだであったが、前線の活動も弱くなり、登山にも支障はなさそうであった。金曜日の晩の納涼会の宴会のビールを断り続け、いそいで家に帰り、山に出発した時はすでに10時になっていた。ひさしぶりに大糸線沿線を走ったが、オリンピック用の観光道路整備のためと、土石流災害の復旧工事のために、各所で一方通行の工事が行われていた。夜の通行に問題はなかったが、昼間は渋滞しそうであった。白馬村にも、終夜営業のコンビニが何軒もできていた。爺ヶ岳への柏原新道の登山口には、すでに多くの車が停められていた。周遊コースを歩く予定で、どこに車を置くか迷ったが、扇沢の駐車場から歩き出すことにした。上下何段にも分かれた広い駐車場の下段に車を停めたが、夜半の段階では、一部がうまっている程度であった。到着が遅かったために寝起きが悪く、回りの人声でようやく目を覚ました。駐車場は、いつのまにかほとんどうまっており、車の脇にビニールシートを敷いて朝食中のグループが目立った。本格的な登山装備の者は一部で、多くはデイパック程度の軽装の者が多かった。登山の支度をして歩き出すと、ターミナルビルの周辺は、始発を待つハイカーで騒然としていた。ターミナルビルの左手の登山道に入ると、林の中の静かな道になったと思ったのもつかの間、30人程の団体の後ろになってしまった。出発時間が遅くなったことを後悔しながら、団体の後ろをついていった。何回か車道を横切り、右手に、保守用トンネルの入口を見送ると、谷の奥へさらに進む登山道になった。涸れた沢を渡るところで、グループは最初の休憩になった。追い抜いてしばらくペースを上げると、ようやく一人だけの静かな歩きになった。途中の沢の一本では、飛び越すことが難しい流量があり、少し上流に向かったところの流木を使って渡った。樹林帯の中を登っていくと、大沢小屋に出た。小屋の前の登山道左手の岩に、今回の山旅で見てみたいと思っていた、百瀬慎太郎の「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」のレリーフが埋め込まれていた。山と里に揺れ動く心を歌った見事な詩だと思うが、このつつましげなレリーフを注意して眺める登山者はいないようであった。誰がつけたとも知れない、かまぼこ板の山頂標識の方が、カメラに写される機会も多そうだが、どこか間違っているような気がした。小屋を過ぎてしばらく行くと、谷の前方に針ノ木雪渓が姿を現した。雪渓は、始めは緩やかに、次第に傾斜を増して、稜線めがけて上っていた。左手に雪渓で埋まった沢を見ながら左岸の夏道を登っていくと、草地に出て、その先で雪渓上の道が始まった。アイゼンを付けている者の方が多いようであったが、傾斜もそれ程無いので坪足で歩きだした。夏の始めで、残雪は少し柔らかめで、スプーンカットもできており、歩き易かった。ベンガラのマークをたどっていくと、所々クレパスが顔を覗かせていた。左右から山がせまって雪渓が細くなると傾斜がきつくなり、滑落も少し心配になったが、そこを乗り切ると傾斜は再び緩やかになった。登りはともかく、下りはアイゼンが必要そうであった。雪が消えて現れたガレ場に腰を下ろして、ひと休みした。雪渓の上には、冷たい風が流れ、頭上には青空が広がっていた。鳴沢岳から岩小屋沢岳に続く稜線の先には、爺ヶ岳が頭をのぞかせていた。雪渓を左手に曲がるようにしばらく登ると、草付きに出て夏道の登りになった。枝沢も流れ込んでおり、冷たい水を補給した。ガレた道を登っていくと、傾斜はさらに強くなった。細いが急斜面の雪渓の横断も何ヶ所か出てきて、ストックで確保しながら慎重に渡った。登山道に沿って丸太が埋められたジグザグの急坂を登りつめると、ようやく針の木峠に到着した。  小屋の玄関の前にでると、七倉岳の向こうに槍ヶ岳が姿を現していた。小屋の受け付けには早すぎるので、まずは山頂を目指すことにした。翌日は、針ノ木岳を越して縦走する予定であったが、明日の天気は判らないので、ともかく今日中に二山登っておくことにした。針ノ木岳への登りは、足場の悪い急坂で始まった。登る途中で振り返ると、針の木小屋が足元に、その向こうに蓮華岳が大きく頭をもたげていた。ハイマツ帯に出ると、お花畑が広がり、針ノ木岳とスバリ岳の間から剣岳が頭をのぞかせていた。ガレ場の斜面をトラバース気味に登っていき、稜線に出ると、わずかな登りで針ノ木岳の山頂に到着した。北アルプスの中央部に位置するだけあって素晴らしい展望が広がっていた。抹茶色の黒部ダムの対岸には立山が大きく広がり、アルペンルートの各駅を鳥瞰することができた。右手には剣岳がするどく、また左手には五色ヶ原がたおやかに広がっていた。薬師岳は重量感あふれ、その手前には赤牛岳からと烏帽子岳からの二つの尾根が横たわり、水晶岳で合わさっていた。高瀬ダムの奥には、槍ヶ岳と前穂高岳の山頂が鋭く天を突いていた。餓鬼岳から蝶ヶ岳を経て常念岳にいたる山稜は、重なりあってそれぞれのピークを見分けることは難しかった。北葛岳から七倉岳に続く尾根は、高さは劣るものの、その険しさは、いつか歩いてみたいという気分を起こさせた。山頂の東の縁に出て、明日たどる予定の縦走路を眺めた。ガレ場を一気に下った後にスバリ岳が大きく立ち上がり、その向こうに赤沢岳、その向こうには遠く、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳が続いていた。腰を下ろし、訪れたことのある山を振り返り、まだ知らぬ山を想った。
 重い腰を上げて、蓮華岳に向かった。ガレ場を注意しながら下って、針ノ木峠に戻ると、団体も到着し始め、大賑わいになっていた。蓮華岳も急な登りで始まったたが、ひと登りすると緩やかな斜面が山頂まで続いていた。砂礫地帯を登っていくと、待望のコマクサが姿を現し始めた。花を二、三個つけた株の小さなものが多かったので、時期が早かったのかもしれない。山頂手前のピークには若一王子神社の石の祠が置かれ、緩やかに登っていくと蓮華岳の山頂に到着した。峠からの往復を比べると、針ノ木岳よりも蓮華岳の方が楽であった。午後になってガスが出始め、山頂からの展望は閉ざされてしまった。七倉岳への道がザレ場の中を真っ直ぐ下っていき、ガスの中に消えていた。山頂から東に延びる尾根の上にも踏み跡があり、少し下ってみると、コマクサの集落が広がっていた。
 峠に戻って針ノ木小屋に宿泊の手続きをした。混み具合を尋ねると、今年一番の混みようで、今日みたいな日は泊まらない方が良いという返事が返ってきた。部屋に案内されてみると、一畳に2.5人程の混みようであった。食堂でおでんにビールを頼み、二本も飲んででき上がってしまった後は、寝苦しい夜のための昼寝をした。夕食を済ませて寝る段になると、先に到着していたグループが一畳二名あたりのスペースを主張してつめようとしないので、毛布をもらって部屋の中央部で寝ることにした。通路部にももう一人出るようにと、まだあれこれ口を出していたが、トイレに行く時に踏まないようにと釘をさして、後はほっておいた。この夜は、通路や食堂にも寝る者が出て、大混雑になっていた。この時期の北アルプスの山小屋の泊まりには、シェラフが必携のようである。
 夜中にトイレに起きると、満天の星が出て、翌日の晴天を予告していた。翌朝の針ノ木岳への登りは、疲れも抜けていたのか、前日よりも楽に感じた。澄んだ空気のもとに、富士山や南アルプスも遠くに眺めることができた。展望を楽しんだ後に、気を引き締めて、縦走路に向かった。ガレ場を浮き石に注意しながら下りると、行方には、スバリ岳が高くそびえるようになった。西側斜面には、鋭い岩塔が並び、あるいはこれが針の木の由来なのかも知れないと思った。ひと登りすると、小ピークの上に出て、岩稜を少したどった先がスバリ岳の山頂であった。続く赤沢岳は、緩やかな頭を持っていたので、楽勝かと思ったものの、そこまでは小さな上り下りがあって、思ったよりも時間がかかった。登りに汗を流す必要はあったが、左手に立山と剣岳を眺め続ける稜線の道は、快適であった。続く鳴沢岳の頂上には、種池山荘側からのグループが休んでいた。振り返ると、針ノ木岳は遠く、そして高く、かなり歩いてきたことが判った。その先からは、黒部ダムの展望ともお別れになった。鳴沢岳からガレ場を下っていくと、扇沢側の斜面にはお花畑が現れ、コバイケイソウが花盛りであった。新越荘は客は泊めているようであったが、玄関部の改築中であった。緩やかに岩小屋沢岳めざして登っていくと、手前の小ピークで、単独行のオバサンにお茶に誘われた。針ノ木小屋を朝食前に出てきたというが、結構健脚のようであった。新越荘で昼食をたのむつもりが、工事中のためにことわられ、代わりに魔法瓶にお湯をもらったとのことであった。岩稜歩きも終わったようで、気分も楽になり、お茶の休憩にした。話しをすると、花が好きで、かなりの山に登っているようであった。昼近くになってガスが出て周囲の展望はとざされ、代わって、お花畑を楽しみながらの歩きになった。棒小屋乗越付近の沢筋には、キヌガサソウの大群落があって、目を楽しませてくれた。花によって、赤みを帯びたものもあったが、純白のものの方が好ましく思われた。賑やかな人声が近づいてきたと思ったら、種池山荘の前に飛び出した。大勢の登山者が休んでおり、これまでの静かな縦走路と比べると、町に下りてしまったような感じがした。単独行のオバサンは、種池山荘に泊まる予定であったが、同じ思いをしたらしく、このまま扇沢に下ることになった。幅広く整備された柏原新道をのんびりと下ったが、午後になっても登ってくる者は多かった。車道に下りて扇沢に戻ると、路肩駐車の列が延々と続いていた。扇沢登山口の下山後の定番ともいえる薬師の湯に入浴後、丁度大町駅行きのバスが出るところで、オバサンとも分かれた。
 翌日の予定を決めかねて、とりあえず、有明山の登山口の確認に向かった。有明荘付近も、路上駐車で大混雑になっていた。有明荘の裏手に有明山の登山口があったが、ササがかぶり気味のために、涼しくなってから登ることにした。休み休みしながら、新潟方面に戻り、高速のパーキングで夜を明かした。付近を何度も通りかかり、一等三角点の山として気にかかっていた雁田山に登ることにした。すっかり観光づいた小布施の町に入り、福島正則の廟のある岩松院に向かった。岩松院の左手の林道を登っていくと、谷間に入って、草が被った道になってしまった。左手の尾根に上がる必要がありそうであったが、その登り口が見つからなかった。地図を用意してこなかったのが悪いのだが、低山の難しさを思い知らされ、もう一方のすべり山登山口に向かうことにした。浄光寺の先の、現代中国美術館文翠閣の町営駐車場に車を停めて歩き出した。冒険の森という園地の下部を戻ると、すべり山登山口という古い看板があり、尾根に向かっての登山道が始まっていた。登山道は、赤土で文字どおりすべり易かった。赤松林の中の登りは暑く、北アルプスの登り以上の汗が流れだした。途中の標識に反射板という名前が現れたが、稜線に登り着いた所に、建造物の台座の跡があった。町の展望も開け、ここが一等三角点ピークだと思って、草むらの中を捜したが見つからなかった。縦走路を先に進むと、いくつもの小ピークを乗り越す、歩きでのある道になった。あずまやのある北信五岳展望園地は、その名前に反して、木に覆われていた。姥石という大きな岩の間を通り抜けて千僧坊のピークに立つと、岩松院への立派な道が左下方に分かれていた。岩松院で登山口がみつからなかったのが、狐につままれたように思われた。林の中の踏み跡をたどると、最高点と思われる滝ノ入城跡のピークに出た。林の中の広場の中央部に三角点が埋まっており、ようやく一等三角点にたどり着くことができたと思って、一安心して腰を下ろした。おやつを食べながら三角点を眺めていると、小さいことに気が付いた。良く見ると三等三角点であった。縦走路の途中で一等三角点を見過ごしてきたようで、捜しながら戻ることになった。小ピークの上や園地付近は丹念に捜したが、見つからないまま、反射板跡まで戻ってしまった。南に続く踏み跡があったので、雑木林の中を下っていくと、採石場の縁に出てしまった。再び反射板跡まで登り返すと、雑木林の縁に一等三角点を見つけることができた。見晴らしの良い所と思って、草むらの中を捜したのが間違っていたようであった。目的を果たして満足し、採石場からの工事音の聞こえる山頂を後にした。雁田山は、山頂部の縦走路といい、手頃なハイキングの楽しめる山であるが、高速道からも採石場の大きな傷跡が痛々しい。小布施の町は、信州の小京都として、観光客の誘致にやっきであるが、町の背景になっている雁田山をまず大切にしてもらいたいものである。

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