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重倉山

1997年7月12日 日帰り 単独行 曇り

重倉山 しげくらやま(294.79m) 二等三角点 川内山塊周辺(新潟県) 5万 加茂 2.5万 森町

ガイド:ランタン通信第175号

7月12日(土) 14:20 新潟発=(北陸自動車道、三条・燕IC、R.289、高屋敷、!R.290 上谷地 経由)=15:35 中浦ヒメサユリ森林公園〜15:40 発―15:48 小ピーク鞍部―16:03 重倉山山頂〜16:38 発―16:43 小ピーク鞍部―16:52 中浦ヒメサユリ森林公園=(往路を戻る)=18:05 新潟着

 重倉山は、粟ヶ岳の西山麓にある里山である。山の高さも、姿形も、これといった特徴の無い山ではあるが、麓に「中浦ヒメサユリ森林公園」という、バンガローを備えた野外レクリエーション施設が設けられ、そのためにハイキングコースとして遊歩道が整備されたようである。
 長雨が続いたが、ようやく晴れ間が広がった。しかし、この週末は、土曜日は午後まで仕事で拘束。日曜日は、お盆のために東京に帰省。晴の日を呪い、仕事を恨まないために、とにかく時間の許してくれる低山に登ることにした。角田山の名前も頭に浮かんだが、今年はすでに二回も登っているし、困った時の角田山ということにしておきたかった。あれこれ考えた末、今月の山の会報のランタン通信第175号に載っていた、韮沢氏の越後の落穂拾いの重倉山に登ることにした。高速道を使って急いだが、それでも登山口近くの下田村に近づいた時には、午後3時を回っていた。夏の長い日が頼りであった。加茂と下田村を結ぶR.290を進むと、右手に立派な「中浦ヒメサユリ森林公園」の看板が現れた。右手に曲がると、直ぐに標識の指示に従って左折。道なりに所々狭い舗装道路を進むと、右手に大きな駐車場が現れた。公園の奥では、子供達の賑やかな声がしており、意外に利用者が多かった。後で山頂から見下ろすと、公園内にはバンガローも立ち並び、週末のキャンパーで賑わっているようであった。駐車場と反対側の道脇に重倉山を示す新しい案内標識も立っており、田圃の向こうに重倉山を眺めることができた。駐車場入口には、清掃協力費200円と書かれていたが、誰もいないので、そのまま歩き出した。駐車場の前の道をそのまま先に進むと、右手に二十六夜塔の石碑があり、舗装は終わって未舗装の農道に変わった。わずか先で重倉山口の標識があり、休耕田になった段々の田の脇の登りになった。杉林の中をひと登りすると、右手の小ピークとの鞍部に出た。小ピークの上は、草地の広場になっていたが、見晴らしもそれ程良くはなかった。山頂へ向かうと、周囲は雑木林に変わった。幅5メートル程の広い遊歩道が設けられていたが、赤土の表面には苔が所々付き、刈り払われた草が横たわり、歩く者は少ないようであった。ジグザグの登り坂に、丸太階段も現れ、いつものようなフルタイムの山登りと同じ位に汗が吹き出てきた。山頂の一画に出ると、ナラやブナの林に囲まれた広場になって、なぜかアジサイが植えられていた。緩やかに登っていくと、重倉山の山頂に出た。山頂標識には、「皇太子殿下御成婚の森」とも書かれていた。理由はともあれ、このような低山の雑木林が大切にされるなら、それは歓迎すべきことだろう。でも、祝われた本人は、結構有名山好きで、このような山のことなど知らないだろうな。三角点周囲には、芝状の草地が広がり、腰を下ろすのに好都合であった。木立からすかし見ると、粟ヶ岳の展望が良さそうであったが、その山頂は雲で覆われていた。正面に見えるのが、袴腰岳なのだろうか。韮沢氏の越後の落穂拾いとして、新ハイキングNo.464号94年6月で紹介されている山であるが、高い山が隠されていると、なかなか立派に見える。登山道は、山頂を越した先の送電線の鉄塔に続いていた。鉄塔の先も、土台を巻いて南に向かって降りていく踏み跡はあったが、やぶこぎに挑戦する時間もなかったために引き返すことにした。蝉の鳴き声を聞きながら、たそがれ迫る山道を降りていくと、遊び過ぎて家に帰るのが遅くなった子供の日を思いだし、郷愁めいた気分になってきた。

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