9733

三岩岳、窓明山

1997年7月5日 前夜発日帰り 単独行 晴

三岩岳 みついわだけ(2065.0m) 三等三角点
窓明山 まどあけやま(1842.3m) 三等三角点 南会津(福島県) 5万 檜枝岐 2.5万 檜枝岐、内川

ガイド:アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、南会津・鬼怒の山50(随想舎)、山と渓谷95年7月号ウィークエンド・ハイク

7月4日(金) 21:10 新潟発=(盤越自動車道、会津若松IC、R.118、湯野上温泉、R.121、会津田島、R.289、南郷、R.401、伊南、R.352 経由)
7月5日(土) 0:35 小豆温泉登山口着  (車中泊)
5:05 発―5:25 黒檜沢出合〜5:30 発―5:50 尾根上―6:24 ブナ平旧道分岐―6:56 見晴台〜7:02 発―7:30 湿原〜7:40 発―7:44 窓明山分岐(避難小屋)―8:12 駒嶽神社分岐―8:24 三岩岳〜8:47 発―8:58 駒嶽神社分岐―9:18 窓明山分岐(避難小屋)―9:42 湿原―10:05 分岐―10:07 窓明山〜10:16 発―10:18  分岐―11:01 最低鞍部―11:12 家向山分岐〜11:22 発―11:56 巽沢山―12:29 保太橋登山口―12:45 小豆温泉登山口=(檜枝岐駒の湯入浴、御池、檜枝岐、伊南、R.352、上ノ原、R.121、会津田島、R.121、湯野上温泉、R.118、会津若松IC、盤越自動車道経由)=20:30 新潟着

 南会津には、会津駒ヶ岳から三岩岳、窓明山、坪入山、高幽山、丸山岳を経て会津朝日岳に至る長大な脊梁山脈が横たわり、駒・朝日山群と呼ばれている。会津駒ヶ岳は日本百名山として、また会津朝日岳は二百名山として、登山者の人気も高いが、他の山は忘れられた存在になっている。その中でも、三岩岳は、一般登山道が整備されており、比較的多くのガイドブックに取り上げられているが、1995年秋の福島国体山岳縦走コースとして、窓明山から家向山を経て下山する周遊コースが整備された。三岩岳は、山頂の三つの岩峰が名前の由来というが、かつて駒ヶ嶽と呼ばれ、山頂東側に駒嶽神社の祠が祀られている。
 三岩岳は、東北ではまれな2000mを越える標高を持ち、しかも窓明山への周遊コースもできたということで気になっていた。国体のために整備されたというが、南会津方面の山では、会津朝日岳と丸山岳の間の縦走路など、一旦整備されながら利用者が少ないため薮にかえってしまった登山道も多い。梅雨の最中ではあるが、金曜日は晴で、ただ風が強かった。檜枝岐への道も毎度お馴染みであるが、盤越道のおかげで、ずいぶんと近くなった。快調に夜のドライブを楽しんだが、スノーシェードの中の窓明の湯への出口を通り過ぎるところであった。スノーシェードの外の広場には、他にも車が停まっており、登山者が仮眠しているようであった。寝酒のビールを飲んで横になると、星空が目に飛び込んできた。空に星が点在するのではなく、無数の星が広がって空全体が鈍い光りを放っていた。都会人は、星空というものを忘れてしまっているようだ。
 翌朝は、雲が少し出ているが、ひさしぶりの晴。喜んで山に向かった。国道脇からコンクリートのスロープを上り、スノーシェードの屋根に出て、窓明の湯への出口の上を少し過ぎた所で鉄製の階段へ。歩き出しは少々風変わりであるが、階段の上からしっかりした登山道が始まった。谷沿いの道であるが、周囲には見事なブナの原生林が広がっていた。大木が多く、木の間隔が開いていることで、明るい感じになっていた。黒檜沢を鉄製の橋で渡ると、つづら折りの急な登りが始まった。気温も高く、夏本番を思わせる汗だくの登りになった。下山後のニュースを聞くと、関東では40度を越す所もでた猛暑になっていた。尾根の上に出ると、下からは踏み跡が上ってきていた。尾根をしばらく登ると、トラバース気味の道になった。途中には沢が何本か横切っており、乾いた喉をうるおすことができた。ブナ平に出ると、右手からは旧道が上がってきていたが、この道も良く整備されていた。この先から、ひたすら急な登りが続いた。標高が上がるに連れてブナ林は姿を消して、オオシラビソが現れるようになり、登山道の傾斜も緩やかになってきた。登山道は、ぬかるみの所が多く、ズボンの裾は泥だらけになってしまった。見晴らしの利かないオオシラビソの林の中を登っていくと、木道の敷かれた湿原に飛び出した。それほど広くはないが、ハクサンコザクラが、湿原をピンクに染めていた。その先わずかで、ログハウス風の避難小屋に出た。脇には沢が流れていたが、パイプで引かれた水場が設けられていた。避難小屋の中を覗いてみると、きれいで泊まり心地も良さそうであった。避難小屋のすぐ上に、窓明山への分岐があった。三岩岳への登りを続けると、笹原に小さな湿原が点在するようになった。山頂下の湿原に、T字形に木道が敷かれており、左に駒嶽神社への道があるはずであったが、笹が深く踏み跡もはっきりしなかった。ここからひと登りで三岩岳の山頂に到着した。三角点の周囲は潅木に囲まれていたが、山頂の縁からは大きな展望が広がっていた。緩やかな尾根の先には、会津駒ヶ岳が広がり、燧ヶ岳が頭を少しのぞかせていた。奥日光方面は、ドーム状に高いのが白根山で、その左に男体山、太郎山、女峰山がかたまっていた。山頂の平らなのが田代山でその右手が帝釈山。遠くに浮かぶのが那須連峰。荒海山や七ヶ岳も目の前にあるはずだが、山がありすぎて良くわからなかった。20万分の一地形図を持ってこなかったのをまたまた反省することになった。西方面の展望は潅木で閉ざされていたが、山頂の縁から身をのりだすと、残雪をたっぷりまとった立派なピークを持った山が見え、越後駒ヶ岳と中ノ岳、真ん中に荒沢岳だろうと思った。かたわらにはハクサンシャクナゲも咲き、贅沢な眺めを独り占めにした。会津駒ヶ岳方面へ踏み跡はないか探ってみたが、密度の高い潅木で閉ざされていた。
 避難小屋まで戻ってから、窓明山への縦走路に進んだ。一旦大きく下る登山道には、沢の水が流れ込んできており、歩きづらかった。林を抜けると、開放感のある笹原の中の稜線上の道となった。トンボが異常発生しており、ここのところ悩まされていた羽虫は姿を消していた。笠形の美しい山頂を持った窓明山を正面に見ながら、途中に湿原も現れる、楽しい歩きになった。窓明山の山頂までもう少しの所にも湿原があり、コバイケイソウが咲き始めていた。山頂手前の分岐には、ロープで家向山方向が示されていたが、道標はなかった。分岐から潅木帯の中を少し進むと窓明山の山頂に出た。かたわらのガレ場の縁にでると、下山道となる尾根が家向山に続き、そこから右手に巽沢山方面に枝尾根が延びているのが見えて、下山のコースを目で確認することが出来た。山頂からの坪入山方面の道は、完全に薮で覆われていた。分岐からは、笹原の刈り払い道になった。まだ充分には踏まれていない道で、笹の刈り跡が飛び出している所もあった。高度を下げていくと、再びブナ林が周囲に広がるようになり、道もしっかりしてきた。最低鞍部からは、もう一度急な登りにあえぐ必要があった。登り着いたところは林の中で、家向山への道は、分岐という表示のみで、ササで閉ざされていた。この先は昔から利用されていたらしく、はっきりした歩きやすい道になった。標高を下げるにつれてブナの大木が目立つようになった。巽沢山にも標識が掲げられ、それと分かるようになっていた。尾根の末端付近からは、丸太階段で高度を一気に落とし、最後は草がかぶり気味の道を下ると、保太橋の手前の車道に飛び出した。ここには、登山口の標識はなかった。周遊コースといっても、逆コースは丸太の階段登りがあって避けた方が良いので、登山口の標識はいらないのかもしれない。車道歩きもわずかで、駐車場に戻ることができた。10台程の車が停められて、三岩岳はそこそこの人気があるようであった。着替えの後に、窓明の湯がすぐ奥にあったが、昨年秋には改築で休業していた檜枝岐の駒の湯に向かった。駒の湯はリニューアルオープンしており、木の香りも高く、露天風呂も楽しめるようになっていた。ただ、料金も、300円から燧の湯と同じ500円に値上がっていた。檜枝岐村のそば屋で裁ちソバとハットウを食べた後、尾瀬の登山口の御池の偵察をしてから帰宅した。

山行目次に戻る
ホームページに戻る