9731

狢ヶ森山、日尊の倉山

1997年6月22日 日帰り 2名グループ 晴

狢ヶ森山 むじながもりやま(1314.9m) 一等三角点補点
日尊の倉山 ひそのくらやま(1262.0m) 三等三角点 会越国境(新潟・福島) 5万 只見 2.5万 狢ヶ森山

ガイド:山を訪ねて(歴史春秋社)、越後の山旅 上巻(富士波出版社)、片雲往来 PartIII(第二部)-阿賀南の山々-、峡彩ランタン会LATERNE 第3巻

6月22日(土) 5:10 新潟発=(磐越自動車道、津川IC、上川、室谷、峰越林道 経由)=7:20 狢ヶ森山登山口〜7:53 発―8:13 前ピーク〜8:16 発―8:25 狢ヶ森山〜8:42 発―8:53 前ピーク〜9:16 発―9:38 狢ヶ森山登山口=9:44 日尊倉峠〜9:48 発―10:15 主三角点ピーク―10:36 日尊の倉山―10:46 発―11:11 主三角点ピーク―11:39 日尊倉峠=(あすなろ荘入浴600円、往路を戻る)=16:20 新潟

 狢ヶ森山と日尊の倉山は、新潟・福島の県境沿いの山である。以前は、容易に人を寄せ付けない秘境の山であったが、両山の間を新潟の津川と会津の本名を結ぶ峰越林道が開通したことによって、新潟からの日帰り登山が可能になった。狢ヶ森山は、一等三角点ピークとして、遠来の登山者もおり、登山道が付けられている。また、日尊の倉山は、山腹にブナ林が広がり、一帯は最近「越後山脈森林遺伝資源保存林」に指定され、保護の手が加えられようとしている。この山には整備された登山道は無く、ブナの木に付けられたペンキマークと赤布を助けに、踏み跡をたどる山である。
 狢ヶ森山は、一等三角点の山ということで登りたいと思っていたが、登山道の様子がわからず、果たせないでいた。登山MLの友人の鈴木 眞さんが登りに出かけるとのことで、同行させてもらうことにした。盤越自動車道の阿賀野川SAでおちあい、山に向かった。先日の御神楽岳の室谷登山口への道を分けると、沢沿いの未舗装の林道が始まった。早朝にもかかわらず、山菜とりなのか、何台もの車が停まっていた。狢ヶ森山の登山口の情報は、「山を訪ねて」の本での、福島県側から峠を越して三つ目の広場からというものであり、新潟県側からでは、行き過ぎて峠まで行かないと判らないという難点があった。ようやく狢ヶ森山に近づいた所の林道左手に、「越後山脈森林遺伝資源保存林」の新しい看板があった。その地図にも出ている、谷に向かって下りていく進入禁止の林道が分かれる広場を過ぎると、少し先にテントサイトにも使えそうな大きな広場があった。その手前よりの林道右手に、入口に赤布が付けられ、笹原を登っていく踏み跡があった。靴跡も明瞭に残っており、ここが狢ヶ森山の登山口に間違いはないだろう、ということで出発の準備をした。前日の雨で草が濡れているため、前日の山歩きで濡れたままの雨具のズボンを再び履いての出発になった。道は、トラバースを交えながら、ブナ林の中を向きを少しずつ変えながら高い所へ向かっていった。幸い、踏み跡は明瞭で、赤布も多く付けられて、迷う心配は無かった。ひと登りで、峠から続く尾根の上に出た。潅木の中を覗くと、かすかな踏み跡が峠の方向に続いているようであった。その先わずかで、頂上手前のピークの上にでた。ピークは背の低い潅木に覆われて、台風一過の青空のもとに、周囲の展望が広がった。めざす狢ヶ森山は、潅木帯を僅かに下って登りかえした少し先であった。知っている山を捜したが、方向感覚が狂っており、磁石を確認して、頭の中の方位をリセットする必要があった。長く曲がりくねった林道を走ってきたせいかもしれない。待望の山頂は、一等三角点の大きな標石が出迎えてくれた。周囲には予想以上に素晴らしい展望が広がっていた。山の連なりを眺めて、まず二十万分の一地形図をもってこなかったことを後悔した。なじみの薄い会津の山が目の前にあり、新潟県側の眺めも、いつも眺めているものとは違っていた。川内山塊が、低いながらも、スラブをめぐらした迫力のある姿を見せていた。その向こうには菅名岳や粟ヶ岳も頭をのぞかせていた。守門岳と浅草岳が、残雪をまとった優美な裾野を広げ、その向こうに奥只見の山々がかすんでいた。福島県側の山を良く見ると、沼沢湖の回りの外輪山の惣山と前山に気が付き、するとその向こうは高森山で、その奥が博士山。左手遠くのとがった山頂が磐梯山。だんだん判ってきた。登ってきた前ピークを振り返ると、峠を越して下っていく林道が見え、その先に日尊の倉山がゆるやかに盛り上がり、その奥には御神楽岳がそびえていた。続いて登るつもりの、日尊の倉山の地形を良く観察した。30分程で登ってきたとは思えない、充実感のある山頂であった。前ピークに戻って、微妙に異なる風景を再び楽しんだ。頭上を、大型の猛禽類がゆうゆうと飛び去っていった。下っていく途中で、4名のグループが登ってくるのに出合い、狢ヶ森山はそこそこに人が登っている山であることが判った。
 登山靴もそのままに、峠に車を移動させた。峠には、林道の開通記念の石碑が置かれ、駐車スペースも設けられていた。日尊の倉山への登り口を捜すと、古い赤布が掛かり、草むらの中にかすかな踏み跡が付いていた。今度こそやぶ漕ぎを覚悟して出発した。林道脇の草むらを抜けると、ブナ林の中に、結構明瞭な踏み跡が現れた。木には二本線の赤いペンキマークが付けられ、多くの赤布も付けられていた。踏み跡は、尾根から一段下ったブナ林の中に続いていた。少し急な登りを終えると、その先でピークに出た。ササが刈りはらわれた小広場の中央に 主三角点と書かれた標石が置かれていた。幸い、「片雲往来」の山行記録を読んでおり、ここが山頂ではないことは知っていたが、そこからは踏み跡が完全に消えてしまった。潅木をすかして先のピークまでの距離をうかがうと、結構距離もありそうであった。どうやら、多くの者が、この主三角点ピークを山頂と間違えて戻ってしまっているようであった。覚悟を決めて、ヤブに突入した。密集した潅木に、視界は閉ざされ、一歩を踏み出すのが大仕事になった。潅木帯を10メートル程下るとブナ林の中に出て、再びかすかな踏み跡に乗ることができてひと安心になった。どうやら、 この踏み跡は、主三角点ピークを巻いてきたようであった。踏み跡沿いの木には、古いペンキマークが所々付けられていた。しかし、赤布は無くなっており、歩く者は少ないようであった。かすかな踏み跡を捜しながらの、ブナの原生林の歩きがはじまった。鞍部のササ原や朽ちたブナの倒木などで踏み跡が消えている所もあり、赤布を付けながら進む必要のある場所もあった。ブナ林をさまよった末にたどりついたピークには三等三角点があり、日尊の倉山の山頂に到着したことを確認できた。山頂を取りまく潅木は、御神楽岳方面が刈られて、そこだけ見晴らしが確保されていた。記憶が薄れないうちにということで、下山を始めたが、いきなり踏み跡が無くなってしまった。狢にばかされたか、森の妖精の目隠しか。結局、山頂からまっすぐ下る木立の隙間に引き込まれており、山頂からすぐ下の木の陰に稜線通しの道の入口が隠されていた。この木にはペンキマークが付けたれていたが、帰りの方向からは見えなかった。帰り道では、木のマークが裏にまわって見えず、踏み跡をたどるのに余計に注意が必要であった。主三角点ピークに戻って、ひと安心したが、ここでもピークからの下り口を間違えそうになった。その先は、踏み跡も明瞭で、立派な木の並ぶブナ林に目をやる余裕も出てきた。秋には、キノコ狩りが楽しめるらしいが、それは別として、ブナの紅葉も素晴らしそうであった。峠に戻ると、林道走向が目的のバイクのライダーの一群が休んでいた。昼前であったが、すっかり山を満喫し、後は温泉ということで話がまとまった。

山行目次に戻る
ホームページに戻る