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未丈ヶ岳(途中断念)、権現堂山

1997年6月21日 日帰り 4名グループ 雨

未丈ヶ岳 みじょうがたけ(1553m) 二等三角点 越後三山周辺(新潟) 5万 須原、八海山 2.5万 未丈ヶ岳
ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、越後の山旅 下巻(富士波出版)、新潟50山(新潟日報事業社)、新潟の山旅(新潟日報事業社)

下権現堂山 しもごんげんどうやま(897m) 三等三角点
上権現堂山 かみごんげんどうやま(998m) 二等三角点 越後三山周辺(新潟) 5万 須原  2.5万 須原、小平尾
ガイド:新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟50山(新潟日報事業社)、新潟のハイキング(新潟日報事業社)


6月21日(土) 6:10 新潟発=(関越自動車道、小出IC、R.325、シルバーライン 経由)=8:00 泣き沢〜8:12 発―8:32 三又口手前渡渉点〜8:40 発―9:00 泣き沢=(シルバーライン、R.325、小出、R.252、薮神、江口 経由)=940 戸隠神社駐車場〜9:50 発―9:58 上権現堂山分岐―10:02 業の秤―10:21 三合目〜10:26 発―10:45 五合目―11:16 七合目―11:20 やさぶろう清水―11:28 八合目(とがり岩)―11:48 九合目―11:54 AXIONスキー場分岐―11:56 下権現堂山〜12:36 発―13:12 戸隠神社分岐(七合目)―13:20 戸隠神社分岐(長松)―13:39 九合目―13:59 上権現堂山〜14:20 発―14:35 九合目―14:58 戸隠神社分岐(長松)―15:26 五合目―15:50 三合目―15:52 巻き道入口―15:59 巻き道出口〜16:08 発―16:13 中越下山路標識―16:21 上権現堂山分岐―16:30 戸隠神社駐車場=(ゆーパーク薬師入浴 600円後、往路を戻る)=19:10 新潟着

 未丈ヶ岳は、登山道の無い山々の広がる奥只見一帯にあって、電源開発道路として開発され現在では観光用になっているシルバーライン沿いにあり、登山道が開かれていることから、一般的登山の対象となっている山である。
 魚沼地方の小出付近において、まず目がいくのは越後三山の姿であるが、奥只見へ通じるR.352の北側にも、下権現堂山から上権現堂山、さらに唐松山へ続く気になる山の連なりがある。新潟の地元では、展望に優れたハイキングの山として知られている。
 6月にはめずらしい台風が、金曜日に中部・関東地方を襲った。新潟市周辺は、風雨はたいしたことはなかったが、土曜日の天候が気になった。朝には雨はあがったものの雲は厚く、台風一過の晴天とはならなかった。しかし、登山を中止する程ではなく、集合後、一台の車に乗って山に出発した。今回の山行のひとつの目的は、夏の日本アルプス山行のための予行演習であった。長岡を過ぎる頃から、雨が本降りになった。小出からシルバーラインに入り、登山口を捜さなければと思う頃、トンネルの天井の表示灯に泣き沢待避所の表示が現れた。トンネルの左手に分かれる退避道に乗り入れると、重たい木の扉があり、開けて外の広場に出た。奥行きのある広場には、すでに何台もの車が停まり、テントも幾張りが並んでいた。一部には、天気眺めの登山者もいたようであるが、大部分は釣りが目当てのようであった。未丈ヶ岳の名前は、登山者の間でそれ程知られている訳では無さそうだが、思わぬ所で有名になっているようである。雨具を着けて、強くはないが止みそうにもない雨の中を出発した。テントの中から、一人が頭を出して、沢を渡れないかもしれないよ、と声をかけてきた。実際には、見てきた訳では無いようなので、不安を胸にしまって先に進むことにした。ナキ沢に沿って、緩やかに下っていく道が始まった。沢を渡る個所には、金属製の踏み板が渡してあり、これなら問題ないかと思った。登山道は、沢をへつるように付けられており、足を踏み外さないように注意が必要であった。周囲ににはブナ林が広がり、同行の久保田夫妻は、探鳥が趣味とのことで、幾つもの鳥の名前を挙げていた。未丈ヶ岳へは右手という標識が現れ、その先は沢に向かっての鎖の掛けられた急な下りになった。下りてみると、沢は流れも早く、水かさもかなりあって、飛び石伝いに渡れる状態ではなかった。対岸にかかる鎖を前にして、考え込んだのは一瞬で、直ぐに退却の結論が出た。渡れなかったのが、帰りでなくて、行きで良かったと思うことにしよう。登山口を確認したことで、次に来やすくなったのが収穫か。
 一息入れて引き返す道すがら、登れる山を考えた。浅草岳は皆登ったというので、権現堂山に向かうことにした。さすがに雨具は脱いだが、登山靴はそのままで車を走らせた。2年前にも登っているが、登山口の戸隠神社周辺は、さらに公園化の整備が進んでいた。石段を登り、神社の本殿に一礼して、右手の登山口に進んだ。下権現堂山への登山道を分けると、本格的なつづれ折りの道が始まった。雨は、ときたまぱらつく程度に弱まっていたが、下草は濡れて登山道上に倒れかかり、雨具は脱げない状態であった。飯塚先生は、ウルシの木が多く、かぶれが後で出るといって、よけるのに大わらわであった。前回は9月2日の残暑の厳しい日に登ったために、日照病が気掛かりで、意識して登るスピードを落とす必要があったが、今回も雨の中での辛い登りになった。杉の植林地からブナ林の中の登りになると、登山道は一旦左に巻くようになり、やさぶろう清水にでた。前回は、夏の暑さの中でも涸れることなく大岩の下から湧き出ていたが、今回は雨の中ということもあってかさらにコンコンと湧き出ていた。雨の中でも、汗を流しており、水は冷たくてうまかった。最近は名水ブームだが、私が山の名水リストを選ぶなら、そのひとつには、このやさぶろう清水を選ぶだろうな。ここからは、合目標識が上がることだけを心の支えにして、急な登りに耐える必要があった。皆も次第に、疲れとお腹が空いて口数も少なくなった。傾斜も弱まり、AXIONスキー場からの道を合わせると、下権現堂山に到着した。山頂には、鐘と三角点、それに前回は無かった山頂標識が立っていた。幸い雨もほとんどあがり、大きな岩の転がる山頂に昼食を広げた。前回は、左右が切り落ちた山頂からは、守門岳、浅草岳、越後三山、さらに水田の中を行く魚沼川の流れを展望することができたのだが、今回は雲で展望は閉ざされていた。しかし、苦労して登った山頂での昼食は楽しく、元気を取り戻した。そこで、せっかくここまで来たことだから上権現堂山まで行こうと提案し、再び歩き出すことになった。
 下権現堂山から一旦下った後に、稜線上の小さなアップダウンが続き、上権現堂山の山頂が見えないことが一層体力を消耗させた。二つ目の戸隠神社への下降点分岐を過ぎると、再び上権現堂山への急な登りが始まった。皆かなり疲れて、潅木に囲まれた小広場といった風情の上権現堂山の山頂に到着した。前回には無かったと思う立派な山頂標識の他に、「権現の鬼の穴 弥三郎婆隠れ跡」という看板とともに、唐松山方面への道とは別の道が右手に分かれていた。なんとなく想像のできる伝説がありそうで、興味を持ったが、歩き出しの時間も遅かったために、見に行く余裕はなかった。下山は、前回と同じように、上権現堂山よりの鞍部から、戸隠神社に向かうことにした。前回は、かなり夏草がうるさい道であったので、分岐で先をうかがうと、しっかりした道が保たれているようであったので、先に進んだ。トラバース気味に下っていくと、七合目からの道に出て、まっすぐ下に向かうようになった。周辺には、雨に濡れた美しいブナ林が広がっていた。幸い、前回、夏草が茂って足元が不明になった沢沿いのあたりも無事に通過できたが、思っていたよりも長い下りが続いた。周囲に杉の植林地が広がり、谷間には堰堤を見下ろすようになった所で、登山道が崩壊しているのか、安全コースという卷き道が現れた。刈り払いは荒く、どこが安全なのかと思った。最後に草むらを抜けると、出発点のお堂の前に出て、まずは登山の無事を感謝して、お賽銭をあげた。
 濡れた衣類を全とっかえして人心地を取り戻し、これはお約束といった感じになってきた、山の締めくくりの「湯乃谷薬師温泉センター」に入浴した。

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