9701

御神楽岳

1997年6月15日 日帰り 会山行 晴

御神楽岳 みかぐらやま(1386.5m) 二等三角点 会越国境(新潟) 5万 御神楽岳 2.5万 御神楽岳

ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、新潟の山旅(新潟日報社)、新潟50山(新潟日報社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)
室谷コース:
 旧道として 越後の山旅上巻(富士波出版)、片雲往来私の山路歴程(学生書房)
 再整備ルート ランタン通信第171号p.3及びp.5

6月15日(日) 8:50 新潟発=(磐越自動車道、津川IC、上川、八田蟹、蝉ヶ平 経由)=6:10 林道ゲート〜6:34 発―7:05 林道終点―7:10 発―7:21 鉱山跡―7:52 湯沢出合―8:05 発―8:32 尾根端ピーク〜8:38 発―9:08 馬ノ背―10:10 高頭―11:04 湯沢の頭―12:02 雨乞分岐―12:10 御神楽岳―12:14 発―12:19 雨乞分岐―12:30 上の草地―12:44 下の草地〜14:30 発―14:48 大森―13:03 沢の水場〜13:10 発―15:50 沢横断点―15:58 室谷登山口=(蝉ヶ平の車ピックアップ、室谷大橋、室谷、八田蟹、上川、津川IC、磐越自動車道 経由)=19:10 新潟着

 御神楽岳は、新潟と福島との県境にあり、東面には壮絶な岩壁、西面はブナの原生林に覆われた名峰である。御神楽岳の名前は、山中にて神楽の音が聞こえることに由来するといわれている。会津高田にある奥州二ノ宮の伊佐須美神社は、はじめこの御神楽岳に置かれ、その後、博士山から明神ヶ岳、そして現在の地に移ったと言われている。この山の登山道は、新潟県側より東面の岩壁を眺めながら登る栄太郎新道、福島県側より本名御神楽岳経由で登るコースの二つが利用されてきた。それに加えて、古くからの登拝道でありながら廃道となっていた室谷道が、現在整備中であり、山頂付近のヤブ漕ぎを残して、広い刈り払いの道が整備されている。
 御神楽岳には、これが二度目であった。先回は、登山開始2年目の92年11月13日、通算44回目の山行であった。栄太郎新道の往復であったが、朝の逆光の中に、スラブの岩肌が油を塗ったように光っていたのが今も記憶に残っている。初心者のくせに単独行で挑戦し、事故に遭わなくて良かったものだと、少々反省。今回は、現在整備中の大森経由室谷コースを下山に使うというので、期待して出かけた。
 会山行はこれが初めてで、遅刻しないように、いつもなら、前夜から登山口に野宿するくらいの早朝に起き出した。集合後、高速を使って津川に向かった。高速のおかげで、喜ぶべきことか判らないが、とにかく山は近くなった。毎度お馴染みの御神楽温泉から蝉ヶ平を過ぎたところで、林道にゲートがかかって通行止めになっていた。ゲート脇には10台程の駐車スペースはあったが、すでにいっぱいであった。草むらの路肩に車を寄せて路上駐車し、ここから歩き出すことになった。ゲートをまたいで越したすぐ先で、林道は2ヶ所で土砂崩れでうまっていた。土砂は小山ほどに盛り上がっており、とうぶん復旧は無理そうであった。リーダーの予想どおりに、30分で当初の目的地の林道終点に到着した。遅れを取り戻すためか、いつものことなのか、歩き始めからかなりの早いペースであった。いよいよ、登山道ということで、34人の大団体は、小班毎に順番に歩くことになった。広谷川沿いの道は、途中のブナ林が美しかったが、長く感じられた。途中で横断する小沢は滑りやすく、一ヶ所ではロープが張られ、下は谷で、いやな所であった。湯沢出合に到着して、本格的な登りを取りかかる前にひと休憩した。かたわらの沢にはテントが張られ、沢登りのグループが入っていた。早くも流した汗の補給に、沢の水を充分に飲んだ。
 湯沢出合から、いよいよ登りが始まった。まずは、雑木林の中の、滑り易い砂地の登り、次に岩場の小手しらべ。登るに連れて、大岩壁が姿を現し始め、皆の中から驚嘆の声が挙がった。尾根の末端の小鞍部に上がって、すぐ先の小ピークに登った所で小休止になった。荒くなった息を整えて、山頂から一気に落ちる磨かれた岩壁を見物した。沢には残雪が残り、山の険しさを一層強めていた。この山の標高、1386.5mという数字は、ここでは意味を無くしていた。深田久弥の日本百名山における付加条件の1500mというラインを、この山は越していないが、この壮絶ともいうべき岩壁のスケールは、他の名山と呼ばれる山に決して負けないものであった。深田久弥は、日本百名山の後書きにもこの山の名前を挙げておらず、それほど御神楽岳は、中央には知られていない山であったのだろうか。登山道は、小岩峰を上下しながら高みに向かっており、先の辛さが思いしらされた。馬ノ背は、他人の目があるので、バランスをとりながら、歩いて通過した。前回は、人目が無かったので、当然、馬のりになって通過したけれど。鎖場も各所に現れたが、以前よりも整備されて歩きやすくなっているような気がした。高頭への登りにかかる頃から、列が乱れ始めた。気温も高く、タオルを絞るほどの汗がしたたり落ちるようになった。前日の大汗山行で用心して、水は3リットル用意してきたが、登りのアルバイトよりも、日向での時間の経過による体力消耗の方が心配になってきた。前後の人がとぎれ、マイペースで登れるようになった。湯沢の頭から、わずかに下って最後の急な登りになった。ももをなだめながらひたすら耐えると、雨乞峰下の草付きに出て、左に向かって巻いていくと雪渓が現れた。慎重に雪渓をトラバースし、稜線上に出ると、他のメンバーが出迎えてくれた。潅木帯の中を御神楽岳の山頂に向かうと、上村先生が、下りてくるのに出合った。なんとか室谷班と落ち合うことができたようであった。御神楽岳の山頂からは、岩壁は覗きこめないのが少し残念であったが、白い雪を抱いた飯豊連峰が薄雲の上に広がるのを眺めることができた。今回も、本名御神楽岳はおあずけとなったが、いずれ福島側より登ることにしよう。雨乞分岐に戻ると、上村先生一行が、ヤブの中に進んでいくのが見えて、急いで後を追った。コースは、雨乞峰の左手の東側に巻いて行き、なんとか道らしき跡が判る程度の荒い苅り払いで、赤布の目印も付けられていた。置いてきぼりにならないようについていくと、下に残雪の残る草地に出た。ここでひと休みと思ったら、傾斜地で団体の休憩には適しないとのことで、先にある草地に進むことになった。再び、やぶ漕ぎを続けると、下方に登山道の付けられた尾根が見え始めた。今度の草地で、ようやく昼の休憩になった。まずはジュースを飲み干して、ひと心地を取り戻した。丸い山頂の雨乞峰を背後に、遠くに浅草岳を望む、休憩には絶好の草地であったが、ただ残念なことは御神楽岳の山頂が隠されていることであった。遅れていたメンバーも無事に到着し、昼食は宴会の席に変わった。今回は岩場のある難しい山のためにビールは自粛したが、貴重なビールをお裾分けしてもらい、全員の登頂を祝って乾杯をした。しゃぶしゃぶ肉につまみの枝豆や漬け物に、日本酒にワイン。まだ山頂で、下山後に車の運転を控えていることを忘れそうになった。宴会の最後に、歌を合唱し、ドライバーが車の回収のために先に下山することになった。昼食を始めた頃まで、草刈りのエンジン音がかなり近くに聞こえていたが、やぶ漕ぎわずかで5m程の幅の苅り払い済みの登山道に飛び出した。笹原の中の道で、落ち葉の堆積がクッションになって下りやすい道であった。途中で、タケノコ採りに足が止まる所もあったが、皆早いペースで下山を続けた。下るに連れて、見事なブナ林が広がるようになった。途中で、沢に下り立ち、そこの水場で冷たい水を思う存分飲んだ。沢沿いになると、登山道も以前から歩かれているような道に変わった。次第に重くなる足を進めていくと、沢を横断し、そのわずか先で林道に飛び出した。林道入口には、新しい登山標識が立てられていた。登山道の途中には、山頂までのコースタイムが、何カ所かで掲示してあったが、3時間30分が登りのコースタイムのようであった。未舗装ではあるが、比較的走りやすい林道から室谷大橋を渡り、車を回収してから再び室谷登山口に戻った。室谷から林道に分かれる分岐には、御神楽岳登山口という標識も立てられ、登山道の再開の準備が進められていた。近い将来には、栄太郎新道で登り、室谷へ下山という周遊コースが一般的になりそうであった。出だしは遅れたものの、下山道の整備のおかげで予定よりも早い時間に新潟に戻ることができた。

山行目次に戻る
ホームページに戻る