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位山、船山、川上岳

南木曽岳、風越山(飯田)

1997年6月7日〜8日 前夜発1泊2日、単独行 晴/晴

位山 くらいやま(1529m) 三等三角点 飛騨山地(岐阜) 5万 三日町 2.5万 位山
ガイド:日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

船山 ふなやま(1479m) 三等三角点 飛騨山地(岐阜) 5万 三日町、高山 2.5万 位山、久々野
ガイド:無し

川上岳 かおれだけ(1626m) 一等三角点補点 飛騨山地(岐阜) 5万 三日町、萩原 2.5万 位山、山之口
ガイド:日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)、ひと味違う名古屋からの山旅(七賢出版)、名古屋近郷いで湯の山旅(七賢出版)

南木曽岳 なぎそだけ(1679m) 二等三角点 中央アルプス前衛(長野) 5万 妻篭 2.5万 南木曽岳
ガイド:アルペンガイド「鈴鹿・美濃」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)、信州百名山(桐原出版)、信州山岳日帰り紀行(龍鳳書房)

風越山(飯田) かざこしやま(1535m) 二等三角点 中央アルプス前衛(長野) 5万 飯田 2.5万 飯田
ガイド:アルペンガイド「中央アルプス・御岳山・白山」(山と渓谷社)、信州百名山(桐原出版)、信州山岳日帰り紀行(龍鳳書房)、名古屋から行く隠れた名山64(七賢出版)、名古屋近郷いで湯の山旅(七賢出版)

6月6日(金) 20:30 新潟発=(北陸自動車道、富山IC、R.41 経由)
6月7日(土) =12:25 道の駅細入 (車中泊)
4:55 道の駅細入発=(R.41、神岡、古川、高山、飛騨一之宮、苅安峠、ダナ林道、経由)=6:38 ダナ林道登山口〜7:00 発―7:23 天の岩戸―7:32 山頂展望台―7:34 位山山頂―7:51 発―8:23 ダナ林道登山口=(ダナ林道、苅安峠、上組、船山高原スキー場 経由)=9:28 船山高原キャンプ場―9:44 ゲレンデ中間点―10:05 リフト終点―10:13 舟山神社―10:17 船山山頂―10:24 花木園―10:34 船山山頂―10:36 舟山神社〜10:40 発―10:46 リフト終点―11:00 ゲレンデ中間点―11:15 船山高原キャンプ場=(船山高原スキー場、上組、位山峠、山之口、山之口林道 経由)=12:15 山之口林道登山口〜12:28 発―13:29 尾根の上(山の標石)―13:50 沢横断点―14:00 馬瀬分岐―14:05 宮村分岐―14:16 川上岳〜14:40 発―14:45 宮村分岐―14:55 馬瀬分岐―15:03 沢横断点―15:23 尾根の上(山の標石)―16:08 山之口林道登山口=(山之口林道、山之口、R.41、下呂、R.257、R.256、坂下、R.9、R.256、尾越、南木曽山麓キャンプ場 経由)=21:10 南木曽岳登山口 (車中泊)
6月8日(日) 4:48 南木曽岳登山口発―5:00 登山道口―5:12 下山道分岐―5:18 喉の滝―5:37 岩稜鎖場―5:56 かぶと岩説明板―6:00 金時池分岐―6:03 南木曽岳山頂〜6:06 発―6:09 見晴台〜6:13 発―6:24 避難小屋―6:29 下の避難小屋―6:38 磨利支天〜6:48 発―7:20 下山道分岐―7:28 登山道口―7:38 南木曽岳登山口=(南木曽山麓キャンプ場、尾越、R.256、大平街道、猿庫ノ泉 経由)=9:30 円悟沢登山口〜9:38 発―10:00 乙女の滝分岐―10:07 乙女の滝―10:15 乙女の滝分岐―10:26 虚空蔵山分岐―(左に進んでロス)―10:36 発―10:42 今庫の泉〜10:46 発―10:48 トラバース道分岐―11:08 矢立木分岐―11:16 駐馬休み〜11:26 発―11:34 白山社奥社―11:45 風越山山頂〜11:56 発―12:06 白山社奥社―12:11 駐馬休み―12:18 矢立木分岐―12:30 トラバース道分岐―12:34 今庫の泉―12:41 虚空蔵山分岐―12:48 乙女の滝分岐―13:05 円悟沢登山口=(猿庫ノ泉、大平街道、砂払温泉、飯田IC、中央道、岡谷Jct、長野自動車道、信州中野IC、中野、R.292、R.117、小千谷、関越自動車道、北陸自動車道 経由)=20:10 新潟着

走向距離 911km

 位山は、飛騨高山地方の里山として、天の岩戸や巨石信仰などの伝説が残され、古くから信仰のあった山である。名前の由来は、朝廷に献上した笏木の材料のイチイの産地であったことによる。位山の南西に連なる川上岳と、南に向かいあう船山を、合わせて位山三山と呼ぶ。昔、位山には男の神、船山と川上岳には女の神がいたという。求愛の競争には川上岳が勝ち、位山と川上岳の間は鍋づる尾根で結ばれ、位山と船山の間は無数河川の谷によって分け隔たれたという伝説が残されている。川上岳は、南北の分水嶺の奥の川上の山として、ブナの原生林などの自然が残されている。位山が200名山、川上岳が300名山として、現在でも登山者から名山として扱われているのに対し、船山は山麓はスキー場で荒らされ、頂上まで車道が上がってアンテナも立ち並んで、登山者からも見放されてしまった感がある。
 南木曽岳は、中山道の南木曽の宿の頭上にそびえる山である。かつて御岳山、駒ヶ岳とともに、木曽の三岳に数えられ、信仰の対象とされてきたという。
 風越山は、中央アルプスの南部に位置する飯田市の西側にそびえる山である。別名権現山といって、山頂近くには白山神社奥社がまつられて、古くからの信仰の山とされてきた。
 再び300名山の旅へ。いつものように、その晩のうちに走れるだけ走って、神岡手前の、道の駅細入で野宿した。道路地図に道の駅が記載されるようになって、長距離ドライブがしやすくなった。早朝の飛騨高山を通り抜け、位山への入口になる苅安峠に向かった。モンデウススキー場のゲレンデの下から、ダナ林道に進んだ。林道は、未舗装で所々荒れており、5.7kmも走って不安を覚えるころになって、登山口の広場に到着した。荒れ気味の林道の奥にもかかわらず、広場の周辺は、展望台、トイレ(鍵が掛かっていたが)、鳥居、水無神社奥社の標石、水飲み場、太陽神殿が並んでいた。この太陽神殿は、石段の上に、人面ヘビの像を左右に従え、金属製の球形モニュメントに太陽と月が目玉よろしく飾られて、一種異様な感じをかもしだしていた。説明板を読むと、エーテルだのピラミッドだのといった、わけの分からないことが書いてあった。まさか、新興宗教のものでは。とにかく、ここで野宿をしないで良かったと思った。ここから山頂への道は、位山遊歩道として良く整備されていた。薄暗い混成林の中を登っていくと、大きな岩が転がり、そこにはいちいち名前が付けてあった。岩自体は珍しくもなかったが、その上に木が生えているほうが、盆栽よろしく面白かった。急な坂もひと登りで、傾斜が緩やかになり、それほど大きくない岩が横たわっている、天の岩戸に到着した。平らな笹原の中を進んでいくと、サラサドウダンの潅木帯の中の道になって、展望台のある広場に到着した。山頂を探しに先に進むと、位山天空歩道 川上岳まで7kmの標識が現れた。霧の中から頭をのぞかせているのが川上岳のようであったが、かなり距離がありそうで、地形図もこのコースのガイド文も持っていないので、このコースはあきらめることにした。この分岐の少し先に、三角点と山頂標識の置かれた潅木に覆われた小広場があった。山頂にたったという気は起こらないまま、展望台に戻った。霧が流れる隙間からまだ真っ白な白山が顔をのぞかせた。その手前の大笠山から笈ヶ岳の連なりは、すっかり黒くなって、見分けがつきにくくなっていた。東には北アルプスも頭をのぞかせていたが、逆光で見づらかった。木曽の 御岳山がひときわ大きかったが、立木が邪魔をするため、展望台を下りて位置をずらす必要があった。  下りもあっさりと車に戻り、次は川上岳に向かうために、分水嶺の苅安峠を越した。正面に位山三山に数えられる船山が姿を現し、その頂上には、アンテナが立ち並んでいた。道路地図を確認すると、道路が山頂まで続いており、展望見晴らしマークも記載されていた。車で登れるようならということで、この山にもよっていくことにした。船山高原スキー場に向かって舗装道路を上っていき、その少し先で船山キャンプ場に出て、そこに船山ハイキングコースという標識が立っていた。キャンプ場入口の駐車場に車を停めて見上げると、リフトが山頂に向かって延びており、少し歩きではありそうであった。ガイドも地図もないが、キャンプ場付属のハイキングコースとして整備されているだろうと想像して、歩いてみることにした。入口のゲートを通り抜けようとすると、管理人が出てきて、ハイキングコースの入り方と、草で道が分かりにくいかもしれないと教えてくれた。親切だなと思ったが、後で、登山者が珍しかったためかなと思うようになった。キャンプ場の敷地内に入ってすぐの右手の林道に進むと、下のゲレンデ方面から別な林道が上ってきた。ここから上部は、林が伐採されて土がむき出しになって、目を覆わんばかりの惨状であった。つづら折りの林道を上っていくと、ゲレンデ中間部のリフトの乗り換え地点に出た。朝の霧はすっかり消え去り、青空を背景に 御岳山と乗鞍岳の展望が広がった。スキーの滑降コースを登ろうとすると、夏草が茂って、容易には歩けそうもなかった。ハイキングコースの入口を探すと、山頂に向かうリフト乗り場の脇に踏み跡があった。笹の荒い切り払いの中を登っていくと、古い桟道や階段も現れて、一応整備されている様子が見られた。登山道の上には笹の新芽がのびており、踏むとそのまま折れてしまったが、時期が立つと歩きづらくなりそうであった。岩の間を通り抜けて登っていくとゲレンデの上部に出て、リフトの山頂駅にでた。奥に向かって広い遊歩道が続いており、山頂はどこだろうと思いながら歩いていくと、舟山神社が置かれた小広場に出た。その先で、マイクロウェーブやテレビの中継塔が立ち並び、ヘリポート近くの道路脇に三角点が置かれていた。さらに進むと、花木園と名付けられた山頂園地に出た。舗装道路が上ってきており、山頂へは花木園という看板に従って車を走らせれば良かったことを知った。登山の対象からは外されてしまった感のある船山であったが、ともかく、山頂に歩いて登ったことに満足した。
 車に戻って、今度こそ川上岳に向かった。上之田の集落の先から車のすれ違いの困難な未舗装の林道になった。途中で一回、対向車にバックしてもらった。路肩は崖で、気を抜けない運転が続いた。ガイドに書いてあったゲートは開放されており、沢を渡った先の小広場に5台の車が停まっていた。3時間40分程のコースタイムを要するようであるが、すでに時間も遅くなっており、山の支度を整え、足を早めて出発した。林道から一段上がった所に、朽ちた小屋の残骸があり、脇にパイプで引いた水場が設けてあった。沢を金属製の橋で渡ると、登りが始まった。急な登りであったが、ジグザグを切りながら谷の奥へ向かう道は歩き易かった。赤く塗られた「山」の標石が置かれた尾根の一端に登り着くと、その先は緩やかな登りになった。谷向こうの川上岳がすぐ近くに見えるものの、そこに至るまでは谷を大きく巻く必要があり、先は長そうであった。登山道脇にブナの木が目立つようになり、見下ろすと、谷間にはブナ林が広がっているようであった。大足谷の源頭部を横断する所には、沢が数本流れ込んでおり、良い水場になっていた。冷たい水で喉をうるおし、山頂手前のピーク目指しての急登が始まった。ひと登りすると、馬瀬への道を分け、 山頂手前のピークに登り着くと、ここからは宮村への道が分かれていた。川上岳へは、一旦下ってから笹原の中を登り返す必要があった。歩いてみると、見た目よりもあっさりと川上岳に到着した。川上岳の山頂部周辺は、笹原で、一等三角点に相応しい360度の展望が広がっていた。白山、北アルプス、乗鞍岳、 御岳山、がまず目に付いたが、名前を知らない山々が幾重にも取りまいていた。位山に向かって笹の稜線の上に登山道が延びていたが、あまり歩かれていないようであった。笹原の中に寝ころんでいた単独行が下山していったのを見て、こちらも時間が気になって下山することにした。歩きやすい道であったが、疲れの出てきた足には、沢音が聞こえ始めても、なかなか近づいてこなかった。
 車に戻って、南木曽に向かった。途中で、下呂温泉を通過するので、有名なこの温泉に入ることにした。下呂温泉は、観光ホテルの立ち並ぶ、歓楽街的な温泉であった。町中を、共同浴場を捜して回った。町中の下呂大橋を飛騨川の右岸に渡り、右折して北に向かうと、右手に幸乃湯(330円)があった。路肩に車を停めて、この銭湯で汗を流した。温泉の目的は一応果たしたが、ちょっと味気ないと思って、共同浴場を探しに出かけた。下呂大橋の上から下を覗くと、川原におじさんたちが入っている露天風呂があった。この露天風呂は、噴泉池という名前のようで、無料であった。すぐ上の橋の上にはおばさんグループが歩いており、対岸のホテルからは丸見えであった。入るのに勇気がいったが、逆に裸を見せてしまうという危ない趣味が身についてしまいそうな、開放感あふれた露天風呂であった。湯の温度も高く、銭湯よりも温泉のツルツル感が多いような気がした。  食事や温泉やらで、南木曽に到着した時は、すっかり夜になっていた。尾越から南木曽山麓キャンプ場に向かった。キャンプ場は、夏の期間中だけかと思ったら、キャンパーも泊まっているようであった。その先から荒れた林道になった。夜は道幅も実際以上に狭く見え、林道への突入を後悔しながら車を走らせた。幸いそれ程走らず、登山口の駐車場に到着した。10台程停められる駐車場の脇には登山コースの案内板が立てられ、避難小屋やトイレも設けられていた。ビールを飲みながら、翌日の登山計画を練った。避難小屋に寝袋を持ち込んで寝ようかとも思ったが、めんどうになって、車の中でそのまま寝てしまった。
 翌朝、夜明けと同時に、先客の単独行が出発の準備を始め、目が覚めてしまった。簡単に朝食を済ませて歩きだした。近道の表示に従い遊歩道を登っていくと、林道に飛び出した。しばらく林道を歩くと、左手に登山道の入口があった。沢沿いに登って、丸太橋で流れを渡ると、少し先で、登山道と下山道の分岐に出た。桧の原生林は、朝早いこともあって、薄暗く感じた。喉の滝の看板を過ぎると、急な登りが始まった。傾斜が急なだけ、高度も一気に上げることができた。樹林帯の急な登りで先行の単独行を追い抜くと、その先で両脇が切り落ちて鎖の掛けられた岩稜帯に出た。表面がザレた岩を注意して登った。山頂を見上げると、もう一頑張りする必要があった。周辺にササ原が現れると、山頂の一画に出て傾斜も緩やかになった。金時池の看板からひと登りすると、樹林に覆われて展望もなく、登山道のかたわらに三角点がおかれただけの南木曽岳の山頂に出た。急登を続けてきただけに、この山頂は期待外れというか、意外であった。眺めの良い所を求めて先に進んだ。南木曽大神の石碑が置かれた前に見晴台があり、岩の上に登ると御岳山の展望が広がった。下山道に進むと幅の広いササ原になり、周辺の展望が広がった。途中の小ピークからは中央アルプスの連なりや、ササ原の上に頭を持ち上げた南木曽岳を眺めることができた。避難小屋の建つ鞍部で上ノ原への道を分けて下っていくと、また別な避難小屋がササ原の中に建っていた。その先の下山道は、磨利支天のピークへの登りになった。分岐から少し進むと岩場の縁に出た。大岩の上によじ登ると、下は絶壁で切り落ちていた。景色を楽しむには、スリルがありすぎた。昔の修験道の道場跡なのかもしれない。分岐から、下山道の下りが始まった。一気の急降下といった感じの道であったが、ササ原の中にステップを切って整備してあり、危険性はなかった。鎖も各所に掛かっていたが、それ程頼る必要はなかった。登山道と下山道の分岐に戻ると、その先は、登ってくる登山者にすれ違うようになった。駐車場は車で満杯になっており、南木曽岳は人気のある山のようであった。
 時間もまだ早く、もうひと山頑張ることにした。大平街道を通ると、飯田に出て中央自動車道に乗ることができ、その飯田の手前に風越山があった。風越山は、アルペンガイドにも載っており、地元では親しまれている山のようで、この山に登ることにした。大平街道は、走ってみると、カーブの連続の山越えで、思ったよりも時間がかかてしまった。一般的な虚空蔵山から風越山へのコースを登るには、少し時間が足りないので、林道が山の奥まで入り込んでいて、距離も短い猿倉ノ泉からのコースを捜してみることにした。ガイドブックには、猿倉ノ泉に下山した場合には、そこの食堂からタクシーを呼ぶと書いてあり、登山道はあるはずであった。猿倉ノ泉周辺は、名水を求める観光客で賑わっていたが、その先からは急な林道になり、沢に突き当たった所の広場で終点になった。広場の奥に、沢をまたぐ丸木橋があり、木に小さな風越山登山道という標識が掛けられていて、ひと安心した。登山道は、滝見物の道も兼ねているようで、入口に乙女ノ滝の説明が書かれていた。沢沿いに杉の植林地の中を登っていくと、二段の滝や三段の滝という標識が現れた。登山道は、あまり歩く者も多くはないようであった。途中から、イマクラという標識のみで、風越山という標識は現れなくなった。乙女の滝の分岐から、沢の川原を遡ると岩壁を幾筋にもなって流れ落ちる乙女の滝の下にでた。水量もそれほどなく、わざわざ本格的な登山道を登って見物に来る者は、それほどいるとは思えなかった。分岐に戻って、杉の植林地の中の急な登りに進んだ。ひと登りするとT字路に出た。字が消えて読めない標識の右手には赤いバツが書いてあるので左に進むと、道の上には木が倒れかかり、沢を越すと、道もさらにあやしげになって下り気味になった。登山道ではないと判断して戻り、右手に進むと、ほんの少し先にイマクラへの登り口があった。そこの略図によれば、水平道を進んでいくと、虚空蔵山に出るようであった。再び杉林の中の急登になり、傾斜が緩んで右手に進むと、今庫(イマクラ)の泉に出た。あずまやが設けてあり、パイプから水が湧き出ていた。水筒をからにして、さっそくこの水を汲んだ。ひと息ついて、遊歩道のような広い道を再び歩きだした。これで登りもひと段落かと期待したら、わずか先で、風越山への分岐が現れて、再び杉林の中の急な登りになった。登山道には草がかかり気味になって、余計に足どりも重くなった。人声が近づいてきたと思ったら、虚空蔵山からのメインルートに飛び出した。メインルートは良く踏まれた歩きやすい道であった。朝から食事もろくにとっていなかったため、腹が空いて、急に元気がなくなってしまった。鳥居の立つ駐馬休みで、前方にそびえるピークを見て、ひと休みすることにした。軽く食事をとって歩く元気を取り戻した。石段も設けられた急坂を登ると白山社奥宮に出た。国の重要文化財にも指定されているというが、風雨に晒されてかなり古びていた。山頂はここかと思ったが、次のピークであった。道を一旦下り、鞍部からは木の根を頼りに急な壁を登ると、ブナ林の中に出て、左手に回り込んでいくと山頂広場に出た。木立に覆われて、見晴らしは良くなかった。緑の濃くなったブナを眺めてひと休みする間も、虫がうるさく寄ってきた。猿倉ノ泉に直接下る道も標識が立っていたが、その入口には草が被っていた。急坂の二つの山を続けたために足にもかなり疲れが出てきたので、帰りはストックを取り出して歩くことにした。矢立木の展望台から眺めると飯田の町並みを見下ろすことができ、その向こうに南アルプスの展望が広がっていたものの、雲で覆われてそれぞれの山を同定することはできなかった。メインルートに別れを告げて、杉林の中を下ると、あっさりと登山口に戻ることができた。
 登山を終えると、家に帰り着くまでの時間が気になりだした。飯田の市街に向かう途中、砂払温泉という看板を見つけ、490円で温泉に入ることができた。さっぱりしてドライブの元気を取り戻したが、新潟までの道のりは遠かった。

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