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森吉山

丁岳

1997年5月31日〜6月1日 前夜発1泊2日 単独行 雨/曇り

森吉山 もりよしざん(1454m) 一等三角点本点 奥羽山脈北部(秋田)5万 森吉山、大葛 2.5万 森吉山、大平湖、阿仁合
ガイド:アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)、秋田の山歩き(無明舎出版)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、東北百名山(山と渓谷社)

丁岳 ひのとだけ(1146m) 一等三角点本点 丁山地(秋田、山形) 5万 鳥海山、湯沢 2.5万 丁岳、松ノ木峠
ガイド:アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)、秋田の山歩き(無明舎出版)、山形百山(無明舎出版)、東北百名山(山と渓谷社)

5月30日(金) 22:20 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、荒井浜、R.345、神林、R.7、酒田 経由)
5月31日(土) =13:18 十六羅漢駐車場  (車中泊)
5:00 十六羅漢駐発=(R.7、本庄、R.105、大曲、角館、阿仁前田、森吉スキー場 経由)=9:10 こめつが山荘〜9:58 発―10:11 第2高速リフト終点―10:28 切り止め(勘助道分岐)―10:36 7合目(第1高速リフト終点下)―10:56 一ノ腰―11:00 雲嶺峠―11:18 前山・森吉神社―11:24 石森分岐―11:35 阿仁スキー場山頂駅―11:56 石森分岐―12:06 旧森吉山避難小屋―12:22 稚児平―12:30 森吉山〜12:35 発―12:40 稚児平―12:55 旧森吉山避難小屋―13:06 石森分岐―13:12 前山・森吉神社―13:28 雲嶺峠―13:35 一ノ腰―13:45 7合目―13:52 切り止め(勘助道分岐)―14:07 第2高速リフト終点―14:20 こめつが山荘=(クウィンス森吉入浴、R.105、大曲、R.7、横手、湯沢、R.398、立石峠、R.108、上野宅、大平キャンプ場)=22:16 丁岳登山口  (車中泊)
6月1日(日) 5:30 丁岳登山口発―6:10 平坦地―6:28 観音岩―7:00 丁岳〜7:06 発―7:15 八方〜7:25 発―7:36 丁岳―7:47 発―8:10 観音岩―8:24 平坦地―8:54 丁岳登山口=(大平キャンプ場、上野宅、R.108、矢島、花立、象潟、R.7、酒田健康ランド湯遊館入浴、神林、R.345、荒井浜、R.113、蓮野IC、R.7、)=16:10 新潟着

走向距離 867km

 森吉山は、秋田県中央部に位置する、コニーデ型の古い火山である。深いブナの原生林で覆われ、独自の言葉や習慣を発達させた阿仁マタギのふるさととして知られた秘境の山であった。現在、山麓一帯はスキー場やレクリエーション施設の開発が進んで、すっかり様変わりしている。
 丁岳は、鳥海山の東、秋田と山形の県境に広がる丁山地の盟主である。断崖や奇岩を山中に散りばめた険しい山容を持っている。山名の「ひのと」は、火の兄(丙)である鳥海山の弟である丁から来たという説や、山頂が平らで丁の字に似ているからという説がある。丁岳一帯は、環境保全地区に指定され、ブナ林が良く残されている。登山口の看板には、いかのように説明されている。
「丁岳自然環境保全地域 
 区域 鳥海町字丁森国有林
 面積 88.16ヘクタール
 この地域にはブナ天然林を主体とし、他にキタゴヨウやクロベなどの針葉樹、亜高山性のサラサドウダン、タカネザクラ、ハクサンシャクナゲ、ハイマツなどの植物が自生し、自然環境が特に良好な状態にあるので、これを保護するため自然環境保全地域に指定されている。 昭和53年1月24日制定」
 300名山巡りのために、秋田県の森吉山に出かけた。金曜日の晩は、送別会があったが、ウーロン茶でおしとおし、遅い時間になったが、ともかく山に出発することができた。新潟から秋田へは、高速道路が使えないため、長距離ドライブが一番の関門であった。翌日の天気予報も、一時雨というはかばかしくないものであった。一応の第一目標であった山形・秋田県境近くの遊佐にたどり着いて、道の駅で仮眠しようとした。しかし、トラックのエンジン音がうるさく、以前にも休んだことのあった、鳥海ブルーライン入口の十六羅漢駐車場まで進んだ。トイレも設けられて昼間は賑わう十六羅漢駐車場は、国道から少し入っただけであるが、松林に囲まれてヤバイかなと思う程に静かであった。翌朝目を覚ますと、太陽はすでに高く登っていた。日の出が、すっかり早くなっている。登山口の森吉町へは、本庄からR.105をたどっていけば良かったが、長い道のりであった。森吉山が近づいてきた所で、激しい雨になった。近くの山なら、登山は中止にするところであったが、簡単には来れない遠くの山では、登山をあっさりと諦めるわけにはいかなかった。森吉スキー場への立派な舗装道路を上っていくと、ゲレンデ駐車場の少し手前で、こめつが山荘への未舗装の林道が分かれていた。入口にはブナ林が残っていたものの、進んでいくとゲレンデに出て、こめつが山荘に到着した。こめつが山荘には、広い駐車場が設けられいた。朝食をとりながら、様子見をしたが、雨は止みそうにはなかった。マイクロバス2台の20名程の団体が到着し、山荘に荷物を持って駆け込んでいった。
 車の後部座席で、雨具を身に付けて出発の準備をした。タイムリミットの10時が近づき、雨足が少し弱くなったところで出発することにした。山荘脇で、ゲレンデ内の登山コースの略図を見ていると、小屋の中から、登山届けをしていくように小屋の管理人から声がかかった。ノートに記入し、森吉山の観光パンフレットをもらって出発した。歩き始めるとすぐにゲレンデに出た。少し古いガイドブックの「東北百名山」には、登山道はゲレンデをなんどか横切り、周囲にはブナの森が広がるように書かれていたが、第2リフトが新たに設けられており、完全なゲレンデ内の登りになった。第2リフトの終点から見上げると、登山道の登っていく先には、右手から第1リフトが上がってきていた。滑走コースの仕切に残されたブナ林や、ゲレンデ内に切り倒されずに生き延びた僅かな木を見ると、太い幹回りの物が多く、失われたものの大きかったことを思わずにはいられなかった。第1リフトの山頂駅の終点の少し手前に7合目の標識があり、左手にゲレンデを離れて、ようやく登山道になった。急で石の転がる登山道は、沢のように雨水が流れ落ちていた。少し登るとオオシラビソの樹林帯になり、残雪も現れた。森吉山の標高は、1500m弱で、本格的な残雪歩きは予想していなかった。視界もあまり効かない悪天候の中に登るのは、考えが甘かったのかもしれない。所々現れる夏道と、赤テープが頼りの登りになった。道が分かりにくい他はそれほど長い登りもなく、二等三角点の置かれた一ノ腰に到着し、一旦下ると雲嶺峠に出た。分岐から松倉コースや勘助道へ続く登山道をのぞくと、残雪が覆って、トレースも見あたらなかった。周遊コースも考えていたが、安全第一に、それは諦めることにした。残雪にトレースを拾うのが難しい歩きになった。残雪上の登山者の足跡は、残雪の汚れといった程度であったが、スキーのトレースをなんとか見分けることができた。ゆるやかに登っていくと前山に到着し、ここには新しく立派な避難小屋と森吉神社の社殿が建てられていた。小ピークの石森から登山道をたどっていくと、緩やかな下りになった。いつ登りに転じるのだろうと疑問に思い始めた頃、ガスの中から建物が現れ、ようやく次の目標の避難小屋に到着したと思ったら、スキーリフトの山頂駅であった。あわてて地図を確認すると、阿仁スキー場からのコースに迷いこんでしまったのが判かった。石森で、120度方向を誤ったことになる。戻りの登りは、気もあせり、実際の時間以上に長く感じた。石森に戻って、山頂への正しい方向に向かって歩きなおした。その先は、オオシラビソの樹林の中の幅の広い尾根で、コースの見定めが難しくなった。傾斜が増すようになると、雪融けが進んで登山道が現れてきて、安心して歩けるようになった。頂上下の避難小屋も、少し古目であったが、立派な造りであった。おそらく夏には草原になるような稚児平から、山頂は遠くなかった。なにも見えない雨の山頂であったが、その頂きに立ったというだけで苦労は報われた。帰りは、雨で自分の足跡も消えかかっており、コースを見定めるのに、行きと同じだけの注意が必要になった。一ノ腰からの下りになって、残雪上に多数の足跡が付けられているのに出合った。途中でコースアウトをしていたにせよ、このグループに出合っていないといことは、早々と登頂を断念してしまったようである。ゲレンデに戻って、ようやく緊張感からも開放された。あたりを見回る余裕ができると、ゲレンデには、シラネアオイ、ザゼンソウ、サンカヨウの花が咲いているのに気がついた。生き延びたブナの新緑が濡れて美しく輝くのを見て、残念な気持ちを抱きながらゲレンデを下った。ブナの原生林を期待してきただけに、このコースは、全くの期待外れで、松倉コースを登るべきであったようである。
 小屋の管理人に下山の報告をして、そのついでに温泉も教えてもらい、阿仁前田駅の駅舎に併設されたクウィンス森吉に向かった。駅に併設の温泉というのも、今やはやりのようである。温泉に入ってさっぱりして、食事もすませ、次の山に向かうことにした。再び、R.105を南下し、少しでも新潟に近づいておくことにした。登る山は、途中の角館から入ることのできる和賀岳にも心が動いたが、天候の回復が遅れているようなので、コースタイムの短い秋田・山形県境の丁岳に登ることにした。すっかり暗くなってから、丁岳の登り口の上野宅から未舗装に変わった林道を進んで大平キャンプ場に到着した。草地が広がって気持ちの良さそうなキャンプ場であったが、雨のために草が濡れており、車で寝ることにして林道の先に進んだ。林道の分岐が現れ、直進を選ぶと、荒れた路面になって山の奥に入り込んでいった。大平キャンプ場から3kmというガイドブックの距離を過ぎても、登山口は現れなかった。道を間違えたことに気づき、林道の標識を見ると、小火沢林道とあった。車の腹をすらないように慎重に車を走らせて、最初の分岐に戻った。右手の林道に橋を渡って進むと、次は左に観音森林道を分ける分岐に出た。右手の林道を少し進むと、左に林道を分けて、ここも右の林道に進むとようやく丁岳の登山口に到着した。登山道の標識の少し先に車10台程のスペースがあった。夜が明けてから林道を進むべきであったと反省し、長い一日を思い起こしながらビールを飲み干し、機能停止状態になった。
 翌朝は天候も回復し、心も晴れ上がった。登山口の標識の前から沢に下り、木の橋で対岸に渡って左手の道を選ぶと、やせ尾根の登りになった。尾根の左右は渓谷で削られ、見下ろす急な斜面にはブナ林が広がっていた。しばらく進んでブナの木立の間から、上下二段、ハの字になって水の流れ落ちる荒倉滝を眺めると、その先は急登の連続になった。辛い登りの慰めは、ブナの新緑と、森のささやきであった。登山道の急な所には木の階段が設けられていたが、崩れかかっている所もあり、濡れ落ち葉で滑りやすく、気を抜けない登りであった。一旦傾斜が緩んで尾根の広がった平坦地には、美しいブナ林が広がっていた。ただ残念なのは、大きな木には、落書きが彫り込まれていることであった。再び急登を続けて観音岩の小岩峰を越すと、残雪に覆われた小さな沢に出た。絶好の水場になっていたが、夏には涸れるようであった。見上げると山頂までかなり近づいてきたが、最後に今まで以上の急な登りが待ちかまえていた。ブナ林から潅木帯に変わり、傾斜が緩やかになってくると、笹原の広がる山頂の一画に到着した。踏み後をたどっていくと、笹原の中の切り開きの中に一等三角点の置かれた山頂広場に出た。回りは笹だけのつまらない山頂で、眺めを楽しむには、山頂台地の縁に出る必要があった。雨上がりで濡れた笹をかき分けながら踏み跡を東にたどっていくと、一旦下ったその先で小ピークの上に出た。北面は垂直に切り落ちた絶壁になっており、ここが八方と呼ばれる所のようであった。おそるおそる崖の下をのぞくと、残雪が白く光り、ガスの流れるのにつれて緑のブナ林が現れては消えていった。丁行者の修行場に相応しい高度感のある絶壁であった。萱森へ至る縦走路は、さらにその先に続いていたが、戻ることにした。山頂広場に戻ると、ガスが上がって、北面に鳥海山が頭をのぞかせた。足を早めて北面の縁に出ようとして、登り口から北に分かれる地蔵岩への踏み跡に向かった。笹原の中を少し下ると急斜面の下り口に出て、裾野を大きく広げた鳥海山がパノラマサイズで目に飛び込んできた。この丁岳からの鳥海山の眺めは、三ツ峠からの富士山の眺めを思い起こさせた。鳥海山は、陸奥の名峰に相応しく、四合目付近まで、べったりと残雪をまとっていた。山頂からの眺めに満足して、下りにかかった。下りの途中に、他の登山者にも出合うようになったが、それでも総勢十名程が全ての静かな山であった。丁岳は、ブナ林と、鳥海山の眺めを堪能することのできる、もっと人気のでても良い山であった。
 山を充分に楽しむことができ、時間に余裕を持って新潟に戻ることにした。鳥海山を半周する象潟までの道は遠く、鳥海山の大きさを思い知らされた。R7沿いの酒田健康ランド湯遊館に入浴してフレッシュして、一路新潟に向かって車を走らせた。

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