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牟礼山

1997年5月17日 日帰り 単独行 曇り

牟礼山 むれいやま(616.4m) 二等三角点 飯豊連峰前衛(新潟) 5万 小国 2.5万 安角

ガイド:LATERNE第2巻

5月17日(土) 新潟発=(R.7、聖篭IC、紫雲寺橋、加治、〆切、R.290、胎内スキー場 経由)=9:15 朝日幹線道入口〜9:34 発―9:42 送電線No.60―9:58 送電線標識(No.60-61→ ←No.59-57)―10:01 尾根分岐―10:52 牟礼山山頂〜11:15 発―12:05 尾根分岐―12:14 伐採地下―12:19 送電線No.60―12:23 朝日幹線道入口=(胎内パークホテル入浴後往路を戻る)=14:30 新潟着

 牟礼山は、飯豊連峰から流れ出る胎内渓谷の入口にある。胎内渓谷の右岸には、杁差岳の南の鉾立峰から鳥坂峰へと長い尾根が続くが、牟礼山はその最後のピークである。一般のハイキングガイドには、取り上げられたことの無い山であるが、山頂からは杁差岳の好展望が楽しめる。
 天気予報通りに明け方は雷雨になり、第二候補、いや今回は二王子岳の黒石山ルートを中止にしていたから、第三候補の牟礼山に登ることにした。胎内ファミリーパーク付近は、スキーや家族での散策などでお馴染みであったが、牟礼山の登山口探しは、山行記録と地図を眺めながらの山勘が必要になった。スキー場の前の新宮寺橋を渡った所で頭上を送電線が横切り、山に向かう舗装道路が分かれていたので、この道に進んだ。しばらく進んだ所で舗装道路は終わって送電線の鉄塔下に出たが、地図と照らし合わせると、これは西に連なる送電線で、牟礼山とは関係ないことが分かった。再び関川村へ向かう道路に戻った。尾根を越して下り坂になり送電線と最接近した所で、広い工事用道路の跡らしきものが山に向かって延びているのを見つけた。入口には車数台の広場があり、一台の車からは3人連れが、山菜採りのためか、山に登っていくところであった。登山口はここに間違い無いだろうということで、登山の支度を整えた。ピンクの花を付けたタニウツギの間をひと登りすると、送電線に沿った巡視路が現れ、木陰に朝日幹線というプレートを見つけた。良く整備された登山道といった感じの道を登っていくと、No.60の鉄塔から送電線は谷向こうに越していった。巡視路をそのまま進むと、伐採地の下に出て、トラバース状態になった。道が下りになって、おかしいなと思った所で、No.60-61→ ←No.59-57という標識が現れ、左手の高みに向かう僅かな踏み跡が現れた。草のかぶった踏み跡を登っていくと、伐採地の上の尾根に出て、左手から伐採地の境界線沿いに踏み跡が登ってきていた。この分岐には、赤く塗られた「山」という標石が埋められていた。ここの登り方は、正しくは、「No.60の送電線を過ぎると伐採地の下にで出るので、ここはトラバース方向に進まず、伐採地との境界の踏み跡をたどって尾根の末端に取り付く」というようなものであった。ここからは、踏み跡はしっかりしているものの草が被った道になった。ただ、痩せた尾根で迷う心配は無く、また道沿いには一定の間隔で営林署のものか赤く塗られた標石が埋められ、そのかたわらの木に、50センチ程の赤布が結ばれているのが、心細さを救ってくれた。歩きはじめに雨粒がパラついたので雨具を着込んでいたが、雨上がりの草を被った道は、たちまち全身びしょ濡れ状態になってしまった。途中に小ピークを幾つか越したものの、ヒメコマツや雑木林に囲まれたほぼ平坦な尾根歩きが続いた。尾根が広くなってブナ林が現れると、急斜面の登りが現れた。落ち葉の積もった、水を含んだ黒土の斜面は滑りやすく、ストックと木の枝を支えにしないと登れず、アイゼンが欲しいところであった。再び尾根歩きを続けると、左手に大石方面の展望が開けて、その先で、狭い刈り払いの中央に二等三角点の置かれた牟礼山の山頂に到着した。山頂標識などというものは無くとも、山頂に相応しい展望が広がっていた。雨上がりで、遠望は得られなかったが、残雪に彩られた杁差岳は目の前にあり、幾重もの尾根が落ち込む胎内渓谷の奥には飯豊連峰、明日登る予定の風倉山の向こうには二王子岳へ連なる稜線。晴れていたならば、朝日連峰方面の眺めも楽しめそうな、珠玉の山頂であった。下りは、急斜面の通過と、草に隠されて尾根の踏み外しにさえ注意しさえすれば、のんびりと下ることができた。巡視路に戻って、地元の人らしい山菜採りの女性と言葉を交わすと、2週間前に山頂付近でクマが出たとのことであった。確かに人よりもクマの方に出合いそうな、静かな山であった。山の後は、胎内パークホテルの温泉で締めくくった。

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