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野伏ヶ岳(途中断念)

鷲ヶ岳、大日ヶ岳

経ヶ岳

1997年4月26日〜28日 前夜発2白日 単独行 晴/晴/曇り後小雨

野伏ヶ岳 のぶせがだけ(1674m) 三等三角点 面白山地(岐阜県、福井県) 5万 越前勝山 2.5万 願教寺山、二ノ峰、石徹白
ガイド:日本300名山登山ガイド西日本編(新ハイキング社)

鷲ヶ岳 わしがたけ (1672m) 三等三角点 飛騨山地(岐阜県) 5万 白鳥 2.5万 大鷲
ガイド:アルペンガイド「鈴鹿・美濃」(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド西日本編(新ハイキング社)

大日ヶ岳 だいにちがたけ(1709m) 一等三角点補点 面白山地(岐阜県) 5万 白鳥 2.5万 石徹白、大鷲
ガイド:アルペンガイド「鈴鹿・美濃」(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド西日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「白山」(昭文社)

経ヶ岳 きょうがだけ(1625m) 二等三角点 白山前衛(福井県) 5万 越前勝山 2.5万 願教寺山、越前勝山
ガイド:分県登山ガイド「福井県の山」(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド西日本編(新ハイキング社)


4月25日(金) 20:00 新潟発=(北陸自動車道、砺波IC、R.156 経由)
4月26日(土) =1:00 道の駅白川郷 (車中泊)
6:00 発=(R.156、高鷲、石徹白 経由)=7:47 和田山牧場林道口〜8:15 発―9:23 和田山牧場拓牧碑〜9:35 発―10:09 ダイレクト尾根取り付き―11:00 引き返し―12:05 ダイレクト尾根取り付き―12:50 和田山牧場拓牧碑〜13:20 発―14:30 和田山牧場林道口=(石徹白、R.156、道の駅白鳥、高鷲、湯の平温泉入浴、ひるがの高原ホテル、桑ヶ谷林道)=17:30 桑ヶ谷林道終点 (テント泊)
4月26日(日) 5:40 桑ヶ谷林道終点発―6:02 鷲ヶ岳スキー場分岐―6:08 いっぷく平―6:50 鷲ヶ岳山頂〜7:10 発―7:50 いっぷく平〜7:55 発―8:00 鷲ヶ岳スキー場分岐―8:20 桑ヶ谷林道終点=(桑ヶ谷林道、ひるがの高原ホテル、蛭ヶ野高原 経由)=9:20 六厘坂登山口〜9:25 発―9:37 鉄塔―10:28 いっぷく平〜10:36 発―11:47 大日ヶ岳山頂〜12:35 発―13:30 いっぷく平〜13:40 発―14:23 鉄塔―14:35 六厘坂登山口=(R.156、高鷲、湯の平温泉入浴、R.156、白鳥、R.158、勝原、六呂師 経由)=18:30 法恩寺山広域林道ゲート (車中泊)
4月27日(月) 6:00 法恩寺山広域林道ゲート発―6:08 屈曲点林道口(8分ロス)―6:18 唐谷林道入口―6:47 仙ヶ原登山口―6:58 渡渉点―7:30 急坂取り付き―7:53 火口原縁―8:08 切窓―8:30 経ヶ岳山頂〜8:40 発―8:59 切窓―9:12 火口原縁―9:28 急坂取り付き―9:55 渡渉点―10:02 仙ヶ原登山口―10:18 唐谷林道入口―10:32 ゲート=(六呂師高原温泉、勝山、R.416、福井北、北陸自動車道 経由)=18:10 新潟

 野伏ヶ岳は、白山より南に延びる山稜が二つに別れて、南西に願教寺山、薙刀山、と連なる、その末端に位置する山である。日本300名山に数えられているが、この山には登山道が無く、一般の登山時期は残雪期に限られている。
 鷲ヶ岳は、奥美濃の蛭ヶ野高原において、大日ヶ岳と向かい合う山である。その名前は鷲の献上あるいは大鷲退治の伝説に由来するという。日本300名山に数えられているが、山麓はスキー場やゴルフ場の開発が進み、それに反して登山道は、訪れる人が少ないためか、笹がかぶり気味になっている。
 大日ヶ岳は、白山より南に連なる山稜の最南端に位置する日本200名山に選ばれている一等三角点の山である。後に白山を開山した僧泰澄によって開かれたという山岳信仰の山でもある。なお、自然保護が叫ばれている長良川は、この山に源を発している。
 経ヶ岳は、福井県の大野盆地の北東にあり、荒島岳と向かい合う日本300名山の山である。白山よりも古い火山であり、その火口原には、湿地帯が広がり、イヌワシが生息するブナ林が広がっている。
 今年の五月の連休は、後半の笈ヶ岳をメインに、前半を偵察がてら、その周辺の300名山に登ることにした。野伏ヶ岳には登山道は無く、今年の雪解けの早さが気にかかるところであった。登山口の石徹白(いとしろ)についたのは少しゆっくりの時間になったが、残雪も緩んでよいかなと思った。白山中居神社の駐車場を過ぎて直ぐの橋で石徹白川を渡ると広場があり、そこから山田牧場への林道が始まっていた。川の両岸の広場には車が何台もとまっていたが、釣り客のものばかりのようであった。出発の準備をしていると、二人連れが到着してワカンを背に出発していき、その後で、スキーを積んだオフロード車二台がそのまま林道に突入していった。新緑に彩られた林道を登っていくと、それでも残雪が現れて、車が路肩にとめてあるのに出合った。残雪の林道を登っていくとオフロード車グループに追いついた。言葉を交わすと、山田牧場周辺での日帰りの山スキーが目的のようであった。残雪は堅く締まって歩き易かった。林道歩きを終えて山田牧場の拓牧の碑に到着すると、テントが一張りあって、その先の牧場の向こうに野伏ヶ岳が正面に姿を現した。恐れていたように雪はすっか落ちてしまっており、登山コースになるダイレクト尾根は、おおむね灰色で、所々緑の色に変わっていた。残雪の下から形を現し始めた、野伏ヶ岳の東の山腹に続く林道を歩いていくと、湿原の縁を迂回してダイレクト尾根の取り付きを越していく林道の分岐に出た。木の枝がうるさい林道を歩いていき、ダイレクト尾根に取り付いたが、最近歩いたようなトレースは全くなかった。木立の中を登っていき、尾根が痩せてくるにつれ、稜線上はやぶで歩けなくなってきた。側面の残雪を拾いながら登っていったものの、次第に谷に追いやられて、稜線に這いあがる必要がでてきた。稜線上の薮に突入して木の枝やつるに打ち身を作りながらしばらくは登り続けた。高度が上がると樹林相が変化して潅木帯から密生した笹薮に変化して、薮漕ぎもいっそう難しくなった。笹薮の間に現れた残雪の上に出て山頂をあおぐと、尾根の中程で、これから傾斜がきつくなっていくあたりであった。その先の尾根は笹の濃い緑で覆われていた。他の人の登山記録を見ても、アイゼンを効かせて登ったように書いてあっても、薮漕ぎに苦労したとは書いて無かった。経過時間も考えて、下山することにした。下りも薮漕ぎに苦労して、体はあざだらけになった。ダイレクト尾根の取り付きからは、湿原を横断して林道の分岐に戻った。野伏ヶ岳の東尾根には雪が残っていたので、様子をみようとして東山腹に向かう林道に少し入ってみたが、東尾根の取り付きはかなり先のようであるため、戻ることにした。すっかり疲れて山田牧場に戻り、草原に腰を下ろした。登頂がかなわなかったことを補うかのように、目の前に素晴らしいパノラマが広がっていた。野伏ヶ岳からは、北に薙刀山、願教寺山と山稜が続き、その向こうには純白の白山が頭をのぞかせ、そこからは右手に向かって銚子ヶ岳から大日岳に至る稜線が、U字形に取りまくかのように広がっていた。アルプスの牧場を思わせる風景は、山田牧場自体をスノーハイクの目的地として充分価値あるものにしていた。再び残雪の林道を下って車に戻ると、すっかり汗だくになってしまい、温泉が恋しくなった。温泉としては、次の目的地の鷲ヶ岳の登山口の高鷲村に、村営の湯の平温泉があった。露天風呂に入って緑の山を眺めていたら、野伏ヶ岳に登れなかったことは頭の片隅に追いやられて、再び登山の意欲が戻ってきた。  風呂上がりの風もさわやかに、鷲ヶ岳スキー場に続く車道を一気にかけのぼった。ひるがの高原ホテルを過ぎた所の林道分岐に、鷲ヶ岳登山道の案内板が立っていた。ガイドブックに記載されていた、スキー場からのコースを登るつもりであったが、林道終点からいっぷく平まで40分という案内につられて、桑ヶ谷林道に突入した。ゴルフコースの脇を抜けると、杉林の中の未舗装の道に変わった。枝道が何本か分かれていたが、分岐には標識が立てられていた。高度を上げるにつれて、路面の状態もしだいに悪くなってきたが、それよりも対向車が来たならば、すれ違いができそうにない細い道であるのが恐怖であった。林道は、山の稜線近くまで登り、小沢を渡った先の植林地の中で車の通行不能になった。車を林道のカーブ地点の小広場に止めて、夕暮れの近づく中、テントを張った。人気の無い、荒れた林道奧の野宿は、なにやら不気味な感じがした。
 翌朝、荒れた林道を歩きだした。以前は車の通行が可能であったらしい広い林道は、雨水で削られて岩が転がり、今はすっかり荒れ果てていた。杉の植林地から出て、山の斜面にブナ林を見るようになると、じきに稜線上に出た。左手より、スキー場からの登山道が合わさっていたが、こちらは笹が被り気味で、登ってきた林道跡の方が広くて立派な道であった。林道跡は尾根伝いにをさらに続き、その終点の広場には、藤原頼保公の大鷲退治の顕彰堂があり、かたわらにいっぷく平という看板が立っていた。めざす鷲ヶ岳の山頂は、いくつかの小ピークを越していった先で、登山道が笹原の中に登っていくのを見ることができた。いっぷく平から下るなり、笹漕ぎが始まった。登山道は、足元に切り開かれているものの、背丈を超す笹で視界が閉ざされた。平泳ぎで笹をかき分け、体が押し返されるとコースアウトで、前に進むなら登山道、ということで前進した。幸いな事に痩せた尾根で、道に迷う心配は少なかった。最後の急斜面は、刈り払いがしてあり、足元を確かめながら登ることができた。立石キャンプ場からの尾根道に飛び出すと、そのわずか先が鷲ヶ岳の山頂であった。山頂一帯は、笹は刈り払われて、土の露出した広場になっていた。残雪は、登ってきた登山道上には全く無かったが、山の東斜面にはかなりまだ残っていた。山頂からは、大日ヶ岳が目の前に広がり、その左手には野伏ヶ岳が頭をのぞかせていた。
 朝モヤにかがやく大日ヶ岳を見て、登頂の意欲が湧いてきた。時間を確かめると、まだ充分登れそうであった。笹の斜面を転げ落ちるように下り、笹に頭からつっこんで道跡を確かめながら、来た道を戻った。いっぷく平に戻って笹漕ぎから開放され、山頂を振り返って、文字どおり一服した。笹漕ぎが無事終わると、次は林道の車の通行が気にかかり始め、急いで車に戻った。荒れた林道を、車の腹をこすりながら下っていく間、幸い対向車は無かった。登山道の案内板の所まで戻ると、コースを確かめてどちらに行こうか迷っている登山者がいた。
 大日ヶ岳の登山口のひるがの高原へは、広域農道を通って、思ったよりも短時間で移動することができた。安っぽくひらけた別荘地帯を通り抜け、山に向かって一車線の道路を登っていくと、水道の浄化施設手前に登山口の駐車場が現れた。小学生の集団を連れたグループが歩き出したところで、通常の登山開始時間に間にあったことに、ひとまず安心した。雑木林の中を緩やかに登っていくと、送電線の鉄塔が現れ、本格的な登りが始まった。快調に他の登山グループを追い抜いていくと、谷向こうに大日ヶ岳の山頂とそこに至る長い尾根を眺めることができた。残雪で真っ白な山頂は、高く、そして遠くに見えた。登山道の周辺には、ミズナラやブナの混成林が広がっていたが、登るに連れてブナの原生林に変わってきた。急坂に息を切らし、一日に二山目を後悔しながら登り続けた。残雪が現れるようになって、登山道脇に三等三角点を見た先に、いっぷく平という看板の立つ、ブナ林の中の広場に出た。木立の間からは、雪を頂いた白山が顔をのぞかせていた。ブナの木にもたれかかりひと休みした。ブナの大木に囲まれて、心の安まる休憩地であった。いっぷく平を過ぎると笹が目立つようになると残雪歩きが始まった。比較的広い尾根で、林の中のとぎれとぎれの踏み跡をたどりながら登り続けた。山頂から北東に延びる尾根に登りついて方向を変え、雪原歩きを続けると山頂手前の小ピークに到着した。大日ヶ岳の山頂は目の前にあり、大雪原が広がっていた。山頂の東斜面には大きな雪庇が張り出していた。一旦下った後の最後の登りは、決して楽ではなさそうであったが、目の前の雪原の広がりに疲れもとんでしまった。最後の登りは、傾斜はきつかったが、キックステップも充分に入って、坪足でも充分であった。登り着いた大日ヶ岳の山頂は、広い雪原となり、中央に、なぜかそこだけ雪が融けて、一等三角点と大日如来像が姿を現していた。三角点の回りでは、三名の登山者が休憩して雑談をしていたが、山頂の北西の斜面に腰を下ろした。目の前には、先日敗退をきした野伏ヶ岳から白山の大展望が広がっていた。まぶしい日差しに照らされ、贅沢品として持ってきた缶ビールを開けた。くどき落とせなかった野伏ヶ岳に、乾杯。身持ちの堅い女も見事くどいて、私のカタログに。これじゃ、山のドン・ファンだね。大展望を前に、ほろ酔い機嫌でとりとめもない事を考えた。追い越してきた他の登山者も到着し、また桧峠方面からも登ってきて、山頂は賑わってきた。太陽に照らされていても吹く風は冷たく、重い腰を上げなければならなかった。
 下山にうつって、小ピークから大日ヶ岳の山頂に別れを告げた。雪原を下っていくと、小学生を含んだグループに出合った。雪原を登ってきた頑張りには感心したが、下山時間が心配になる頃であった。女の子はすっかり草臥れた様子であった。下りの足を進めるにつれ、山頂は見る間に遠くなってしまった。再びいっぷく平でいっぷくし、ブナ林を眺めながらの尾根歩きを続けた。大日ヶ岳の山麓には、すでにスキー場がいくつもできているようであるが、これ以上のレジャー開発は進めて欲しくないものだ。新緑の山道を、重い足を引きずりながら思った。
 この日も、再び湯の平温泉に入浴した。ホームページのタイトルも「山と温泉」にしておけばよかったかな。一日二山を達成し、さらに一日の余裕がでてきた。ドライブの興味もあり、九頭湖沿いのR.158を走って、福井の経ヶ岳に向かうことにした。白鳥町からR.158はループを描いて、一気に高度を上げた。強引なコースとりのおかげで、たやすく福井県内に入って、九頭湖沿いの道になった。見覚えのある荒島岳の登山口の勝原スキー場の前を通過してそう遠く無い所に、経ヶ岳の登山口の六呂師への分岐があった。考えたら、荒島岳の時に経ヶ岳も登っておけば良かったのだ。その時は、経ヶ岳のことなど、全く頭になかったけれども。経ヶ岳の山腹を法恩寺林道が横切っており、途中のポケットパークから歩きだせばスキー場の登りを省略できそうなので、南六呂師手前でこの広域林道に乗り入れた。良く整備された舗装道路で、快調に高度を上げていったら、ゲートが下ろされていた。先の様子をうかがうと、唐谷登山口はすぐ近くのようであったが、保月山の下の登山道横断点までは、谷を巻いてかなり先のようであった。翌日の天気予報は、昼前から雨というもので、長いこと登山に時間をかけたくなかった。一旦は、登る山を変更して能郷白山に向かったが、R.157の温見峠周辺が冬季閉鎖中ということで、再び六呂師に戻ってきた。その晩は、ふるさと自然公園入口の駐車場で野宿した。
 広域林道のゲートには、閉鎖の理由は書かれておらず、単なる夜間閉鎖のような気もした。朝の6時までゲート前で様子をうかがったが、待ちきれずに歩き出すことにした。唐谷川の対岸に上っていく林道を眺めながら、谷の奥に進んだ。それほど遠くない所で、広域林道は橋で唐谷川を渡り、大きく方向を変えた。川沿いに林道があったので、ここが唐谷コースの入口と思って進んだが、少し先の広場で林道は終わり、踏跡も堰堤までであった。やはり尾根コースを行くしかないのかと思って、広域林道に戻って歩き出すと、少し先に、未舗装であるが広い林道が右に分岐し、経ヶ岳の登山標識も立っていた。この林道の入口にもゲートがあったが、これは開放されていた。普通車も走向に支障の無さそうな林道は、つづら折りに高度を上げると、谷の奥へと入り込んでいった。林道の周囲は杉の植林地となり、対岸の山の斜面は、伐採の跡が痛々しかった。ガイドブックの説明では、林道の終点が仙ヶ原で、ここから登山道が始まると書いてあった。しかし、林道は、唐谷川を渡ると、そのまま対岸の山腹の奥へ進んでいった。沢の両岸に登山道を探したがみつからず、結局、少し戻った所の道路の切り通しに上るように登山道が始まっており、そこには小さな看板が付けられていた。杉の植林地を登っていくと、雪渓の残る沢に出た。右岸から左岸に渡る必要があったが、雪渓から勢い良く流れ出る沢をのぞくと、スノーブリッジも中央部でかなり薄くなっていそうであった。厚そうな所を選んで恐る恐る渡ったが、気温も上がるであろう帰りが心配になってきた。ちょうど手頃の長さの白樺の太い枝が落ちていたので、踏み板代わりにスノーブリッジ上に横たえていくことにした。雪渓を少し上流に進んだ所で、急な尾根に取り付いた。台地の上に登り着くと、再び沢沿い道になった。残雪の残る雑木林の中をかすかなトレースを頼りに進んでいくと、調査のためのクマの捕獲檻があるので、周囲に近寄らないで下さいという看板が現れた。「山でクマに会う方法」にも出ていたドラムカン檻でもあるのか見たかったが、恐いので早々に立ち去ることにした。沢の崩壊地を巻くためか足場の悪い急斜面をロープを頼りに下ったり、水量の増した沢を、半ば沈んだ木の枝を橋代わりにして渡ったり、楽とは言えないコースであった。沢の源頭部に近づくと、正面の稜線の窪んだ地点へ延びていく雪渓の登りが始まった。傾斜もきつくなった所で、左手の尾根に乗り換えると、残雪は無いものの、急な一直線の登りが始まった。尾根を登り詰めると、火口原の一画に飛び出した。雪で覆われた広い窪地には、ブナの大木が並び、正面に経ヶ岳の山頂が、高くそびえていた。尾瀬のように広々とした開放感は無かったが、箱庭のように美しい場所であった。山頂の左の最低鞍部の切窓目指して雪原を横断した。所々雪が割れて、湿原が顔をのぞかせていた。切窓へは、残雪の急斜面の登りになった。幸い、切窓から経ヶ岳への最後の登りは、笹原の切開きになって雪は消えていた。心配していた天気もいよいよ悪くなって、風に雨粒が混じるようになってきた。雨具の上だけを着込んで、登りを続けた。雨に追われるかのように、思ったよりは短い時間で経ヶ岳の頂上に到着した。山頂部は土が出ていたが、その先は雪原が広がっていた。雨雲が流れて展望は閉ざされ、荒島岳がかすかに見えるくらいであった。風が冷たく、また本降りになる前に、ということで急いで下山することにした。切窓の手前で、中年のおばさん二人連れに出合った。尾根コースをたどってきたとのことで、唐谷コースの入り方を聞いてきた。唐谷コースを残雪期に下りに使うのは、コースが分かりにくく、最後のスノーブリッジの通過が不可能になる危険性もあり、あまり勧められそうになかった。雪渓の下りや沢沿いの道は、来た道を戻るといっても緊張をしいられ、スノーブリッジを無事に通過し終えて林道に飛び出し、ようやくひと安心することができた。広域林道にでると、コンクリートミキサー車が、谷底の工事現場に下っていくところで、ゲートは開放されていた。どうやら、ゲートの開放まで待って、尾根コースをたどるのが、一番楽なようであった。
 雨ですっかり濡れてしまい、六呂師スキー場の先の六呂師高原温泉に向かった。最近の流行というか、何千円も払うキャンプ場の中にあったが、入浴料金自体は高くなかった。冷えた体に、温泉は熱く心地よく、良い山の締めくくりになった。

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