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白山

1997年4月19日 日帰り 2名グループ 晴

白山 はくさん(1012m) 二等三角点 白山山塊(新潟) 5万 加茂 2.5万 越後白山

ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、新潟ファミリー登山(新潟日報社)、新潟の山旅(新潟日報社)、新潟50山(新潟日報社)、越後の山旅上巻(富士波出版社)

4月19日(土) 11:20 新潟駅発=(盤越自動車道、安田IC、五泉、村松 経由)=12:20 慈光寺駐車場〜12:50 発―12:58 慈光寺―13:07 尾根線登山口(一合目)―13:30 三合目〜13:40 発―13:59 五合目―15:00 白山山頂〜15:22 発―15:44 天狗の腰掛け―15:55 六合目―16:09 雨量測量塔―16:14 五合目―16:34 送電線鉄塔No.106〜16:40 発―16:56 慈光寺―17:00 慈光寺駐車場=(村松、馬下保養センター入浴、安田IC、盤越自動車道)=19:00 新潟駅

 新潟平野の東に位置する白山は、山中に祭られている白山明神祠がその名の由来という。古くから信仰の山とされ、山頂にある鯖池には海の鯖が住むという雨乞いの池としての伝説が残されている。また、昔この山に大蛇が住み、高僧の祈とうで山を下り、新潟市の白山神社に祭られたともいわれている。麓にある慈光寺は、室町時代から続く曹洞宗の名刹である。この山は、新潟周辺で人気の山になっており、毎年四月の第一日曜日に山開きが行われている。
 登山メーリングリストの友人の大山氏を案内しての、登山になった。午前中に用があったため昼からの登山になり、どこに登るか迷ったが、盤越自動車道を使えば新潟から近い白山に決めた。白山に先回登ったのは、92年の4月末のことであり、山の情報を新しくするためにも、そろそろ登っておきたいと思っていた。
 新潟駅で大山さんを出迎え、コンビニで昼食の弁当を買い、盤越道を利用して、一路山に向かった。予定通りに1時間で慈光寺の大駐車場に到着した。しばらく見ないうちに駐車場周辺は整備され、大きな土産物屋兼食堂ができていた。広い駐車場には、多くの車がとまっており、かなりの割合が登山者の車のようであった。慈光寺の前まで車を乗り入れようかとも考えたが、この駐車場から歩きだすことにした。杉林を通り抜けて寺の前にでると、以前あった茶屋は、駐車場前に移転したとみえて、無料休憩所になっていた。沢沿いの道の周囲の木々は、芽ぶき始めて、淡い緑に染まっていた。尾根線の登山口から、急な登りが始まった。木の根を足がかりにしたり、トラロープを頼りにしながらの登りは、新潟周辺で入門の山として親しまれている割にはハードである。時間も遅いのにかかわらず、登っていく途中の3人グループを追い抜いたが、大荷物からすると山頂の避難小屋泊まりのようであった。すっかり汗を流して、尾根上の3合目に出ることができた。休んでいる間にも、汗に引かれてか、小さな虫がうるさくよってきた。一旦傾斜は緩やかになり、周囲には細目のブナの林が広がった。谷の向こうには、下山に使われる田村線の尾根を良くみることができた。谷筋の道はショウジョウバカマ、尾根道はイワウチワやカタクリ、マンサクの花が目立つようになると残雪が現れ、登るにつれて季節も遡っていった。5合目を過ぎる頃から傾斜は再びきつくなり、6合目の先から残雪歩きが始まった。残雪の斜面には木も適当に生えていて、雪も適度に柔らかく、滑落の心配はなさそうであったが、急斜面の残雪登りには息が切れた。振り返れば、村松あたりの平野部や新津の丘陵地帯の眺めが広がっていたが、春霞のせいで、日本海は見えなかった。雪原の傾斜がようやく緩やかになると、避難小屋と山頂の眺めが目に飛び込んできた。山頂一帯は雪で覆われた広場になり、山頂標識は雪に埋もれたままであった。新しい避難小屋をのぞくと、泊まりのグループが賑やかに話し込んでいた。小屋の後ろからは、視野一杯に粟ヶ岳の眺めが広がっていた。宝蔵山へ続く尾根は、その先で、一気に粟ヶ岳の山頂めざして上りつめていた。残雪をまとった粟ヶ岳は、容易に人をよせつけないような、きびしい姿を見せていた。遠望は効かなかったが、川内山塊の山々が連なり、守門岳もかすかに姿を現していた。雪原の上に腰をおろして休んでいると、午後の時間も遅くなったせいか風が冷たく感じられた。
 時間にも追われており、下山を急ぐ必要があった。安全第一に来た道を戻ろうか迷ったが、田村線を下ることにした。少し前に出発した夫婦連れが尾根の先を下っていくのを追いかける形になった。雪の感触を楽しみながら、ブナ林の尾根を下っていくと、天狗の腰掛けという大きなブナの木が現れた。稜線上で、風雪に痛めつけられているためか、いくつもの瘤でおおわれ、魁偉な姿をしていた。残雪の尾根を快調に下っていくと、尾根が広がった先の小さなピークで、ヤブになり、沢山あった踏み跡も消えてしまった。少し戻った所には、赤テープが頭上の木の枝に結ばれていた。雑木林の中をうかがうと、尾根をはずして斜面をトラバースした先に、雨量測量用の鉄塔と紅白のポールが見えた。近くに寄ると、再び多くのの足跡が現れた。冬山登山の際のテープに多くの者が引き込まれていたようである。その先で夏道が現れており、コースは間違っていないことが確認できた。途中で追い抜いた背後の夫婦連れに、登山道があるむねを呼び掛けて、下山を急いだ。尾根をはずれてからも、かなりの下りが待ちかまえていた。送電線の鉄塔の下にでて、滝谷川の谷間を眺めながら、最後の休憩をした。かたわらには、満開の桜の木があり、再び春の野に戻っていた。田村線の最終部分で、尾根を外して滝谷川に下る道は、刈り払いの荒い急斜面であまり通るものもいないようであったので、そのまま直進して、天狗祀殿の裏手に下山した。予定通りの下山時間であったが、日没はいつのまにか遅くなっており、まだ太陽は明るかった。馬下保養センターで温泉に入った後、新潟駅に大山さんを送った。

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