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茶臼山

滝子山

1997年4月12日〜13日 前夜発1泊2日 7名グループ/単独行 晴/晴

茶臼山 ちゃうすやま(948.3m) 三等三角点 甲府盆地(山梨県) 5万 甲府 2.5万 石和
ガイド:分県登山ガイド「山梨県の山」(山と渓谷社)、中央本線各駅登山(山と渓谷社)

滝子山  たきこやま(1610m) 二等三角点(1590.3m) 中央線沿線(山梨県) 5万 都留 2.5万 笹子、大月
ガイド:分県登山ガイド「山梨県の山」(山と渓谷社)、山梨のハイクコース(山梨日日新聞社)、中央本線各駅登山(山と渓谷社)、関東百山(実業之日本社)、一日の山中央本線私の山旅、関東百山(実業之日本社)、甲斐の山旅・甲州百山(実業之日本社)、山と高原地図「大菩薩連嶺」(昭文社)

4月11日(金) 23:27 新潟発=(ムーンライトえちご)
4月12日(土) =5:10 新宿着=5:18 発(中央線)=6:13 高尾着=6:15 発=7:15 勝山ぶどう郷〜9:55 釈迦堂遺跡博物館〜10:10 発―10:42 尾根コース登山口―11:26 茶臼山〜13:45 発―13:48 茶臼平〜14:10 発―14:15 林道終点堰堤―14:27 尾根コース登山口―14:45 桃畑〜15:45 発―15:50 釈迦堂遺跡博物館=(ソウリュウ葡萄醸造所、小作本店経由)=18:30 甲府駅 (甲府ホテル泊)
3月13日(日) 5:52 甲府発(中央線)=6:28 笹子駅―6:47 吉久保入口―7:19 鉄塔―7:26 林道横断点―(南稜 寂しょう尾根)―8:56 浜立山分岐〜9:05 発―9:20 滝子山〜9:38 発―9:40 湯沢峠分岐―9:42 二等三角点―10:03 檜平―10:23 檜沢への下降点―10:36 最後の水場―11:08 大菩薩山瑞岳院参道入口―11:37 初狩駅=11:49 発(中央線)=12:40 高尾=12:44 発=13:11 西国分寺=13:14 発(武蔵野線)=13:44 南浦和=13:49 発(京浜東北線)=14:00 大宮=14:06 発(上越新幹線 とき409)=16:02 新潟着

 茶臼山は、甲府盆地の東端に位置する里山である。麓から眺めても、目立たないピークであるが、登山口周辺には桃畑が広がり、花見を兼ねた山行に最適の山である。
 中央線が大月を出て初狩駅に近づく時、右手の車窓から、大きな根張りを見せてひときわ高く見える山が、滝子山である。日帰りの山として、また大菩薩嶺から続く小金沢連嶺縦走の南端の山として登られている。
 桃の花見のオフラインミーティングの為に、山梨に出かけた。職場の新人歓迎会の後、夜行列車に乗り込んだ。いつもは酔っぱらいが気にかかるこの列車も、今回は自分自身が酔っぱらいであった。早朝の新宿で、混み合う中央線に乗り換えると、山行きというよりは朝帰りの二日酔い気分になった。ひさびさの快晴の週末になり、高尾からの松本行きの列車は、登山客専用の状態であった。各駅で登山客が下りていったが、勝山ぶどう郷駅では二名のみであった。勝山ぶどう郷駅は、甲府盆地を見下ろす高台にあり、正面には南アルプスの展望が広がっていた。冬の空気の澄みきった朝に、この駅に下りてみたいものだ。M氏の出迎えを受け、一旦コーヒーを飲みに市街地に出かけ、他のメンバーを迎えに戻ると、駅前の広場はハイカーで大賑わいになっていた。この駅から登る山は、茶臼山の他には、甲州高尾山もあるが、これは先日の山火事によって現在は登山禁止中。茶臼山って、こんなに有名な山だったのかと、今回のメンバーで顔を見合わせた。7名の参加者が揃ったところで、車で登山口の釈迦堂遺跡博物館に向かった。駅からは徒歩で40分程はかかる道のようであったが、かなりのハイカーが歩いていた。待望の桃畑の中を進んでいくと、釈迦堂遺跡博物館の駐車場周辺は、駐車場からあふれた車の路上駐車の列が連なり、桃の花見客で大混雑になっていた。  農道手前の路肩に車を置いて歩きだした。付近は、一面の桃畑で、濃いピンクの花が広がっていた。低いところでは花が終わっている木もあったが、この付近は丁度見ごろであった。舗装されているものの車一台がやっとの農道を登っていくと、コンクリートの電柱に赤ペンキで茶臼山登山口と示された登山道が現れた。尾根に向かっての急な登りが始まった。汗が吹きだすころに尾根に出て、雑木林の中をさらにひと登りで茶臼山の山頂に到着した。茶臼山の山頂はアカマツでおおわれて、展望は無かった。これといった特徴の無い山頂は、多くのハイカーで賑わっていた。一段下がった広場で、酒盛りを始めた。ワインの一升ビンに日本酒。花よりササダンゴ。いつも山頂で出合うオバサングループのように、皆のリュックからは多くのつまみが出てきた。山の話で盛り上がった後で、山頂標識の脇で記念写真をとり、下山しようとした時、驚きの声とともにOさんが頭からひっくりかえり、かたわらに大龍王と書かれた石碑が倒れていた。よりかかったら、そのまま倒れてしまったとのこと。怪我が無かったことを喜んだものの、この石碑を台座の上にもどすのに、7人が力を合わせてやっとであった。一旦下った茶臼平の先からは、南アルプスとピンク色に霞む甲府盆地の眺めが広がっていた。急な斜面を一気に下ると、堰堤の脇に出て、後は林道歩きになって、再び桃畑に戻った。今度は、桃畑に腰を下ろしての休憩にした。歩いているよりも休んでいる方が長い山行になった。春の日差しをあびた桃の下で、時間はゆっくりと流れていった。花見の後は、ワイナリーに寄ってワインの試飲をして、最後に本場のほうとうを小作で食べて打ち上げになった。
 甲府の北口のビジネスホテル「甲府ホテル」に宿泊して、翌日、もうひと山登ることにした。どこにしようか迷ったが、中央線の車窓から見て気になる山で、冬の間は登山道がきついために後回しになっていた滝子山に登ることにした。  ぐっすりと寝込んでしまい、目を覚ました時は、日が高く上っていた。電車に飛び乗って甲府盆地の風景を楽しんでいると、春日居町駅周辺では、桃畑が広がり、ピンク色の絨毯の向こうに兜山がそびえていた。この山には、いつか桃の季節に登りにくることにしよう。笹子駅に下りたって、山裾が笹子川に落ち込むのを見上げながら、どこが登山口になるのだろうと思いながら、高尾方面に向かって歩いた。吉久保入口バス停の脇に滝子山の案内標識が現れた。左折して集落内に入り、つきあたりを右折し、少し先の稲村神社の角を左折すると、滝子山の屏風のような広がりに向かう合う道になった。中央高速道路を高架橋で渡ると、花は終わってしまっている桜公園に出た。絵看板があり、そこの寂しじょう尾根には、危険登山禁止と書かれていた。ガイドブックにも紹介されたいるコースなのにおかしいなと思いながら、とにかく登ってみることにした。車道を登っていくと、右手にトモロウランドという古びた看板が現れた。草の生えた林道を登っていくと、かなり古い木造の建物が三軒ほど並んでおり、空き地では、キャンパーが朝食の最中であった。ガイドブックには、人が住んでいないように書いてあったが、休日のアウトドア生活に利用されているようであった。アカマツ林の中の急な登りが始まった。送電線の鉄塔を通り過ぎ、峰ノ山との鞍部に登りついたなと思ったら、二車線程の広さの林道に飛び出して、一瞬、あっけにとられた。この林道は、鞍部を越しているようであった。切り通しの向こうの急な斜面をトラロープを頼りにはいあがった。林道から僅かな登りで、寂しょう尾根とも呼ばれる南稜の一気の登りが始まった。始めの傾斜はそれ程ではなく、雑木林の中のミツバツツジの花にも元気付けられた。ウグイスの初鳴きも聞こえ、落ち葉が踏まれる音の正体を探ってみると、リスが飛びはねながら逃げていった。尾根の両側の谷にはミズナラの林が広がり、標高を上げるに連れて、ブナの木も目立ってきた。ついたてのように滝子山の頂稜部が迫ってくると、手足の支持を確実にする必要のある岩稜帯が始まった。岩に土がついて滑り易い所もあって、登りはともかく、滑落事故も過去に起きているようで、下りは避けた方が良さそうなコースであった。急な登りは、その分、足を前に出し続けていれば、みるみる高度をかせぐことができた。汗を拭きながら、後ろをふりかえると、真っ白な富士山がせり上がってきた。浜立山への踏み跡との分岐にでて、ようやく急な登りもひと段落した。滝子山は、別名三の丸とも呼ばれるが、小ピークをさらに越して、ようやく頂上に到着した。
 東西に細長い山頂で、中央の最高点からは、さえぎるものの無い展望が広がっていた。富士山が三ツ峠山の向こうに真っ白な姿を見せ、西には南アルプス、振り返れば、黒岳と雁ヶ腹摺山が近く、春霞のなかに幾重もの山々が連なっていた。汗を拭きながら、しばらくこの展望をただ無心に眺めていた。朝食もそこそこに出発したことを思い出したとたんに、空腹であることに気が付いた。腹ごしらえも終えて休んでいると、単独行が登ってきた。挨拶の声をかけて上げた顔をみると、女性であった。東京発の日帰りハイカーにしてはずいぶんと早いし、荷物も大きいと思ったら、大菩薩峠からの縦走で、今朝は湯ノ沢峠を6時に出発してきたとのことであった。静かな山頂を明け渡して、下山にうつった。初狩へは、急ではあるが、足元にもそれほど注意をする必要の無い、幅の広い尾根道であった。周囲には、ブナとミズナラの林が広がり、登山道上にも枯葉が積もっていた。しばらく下った所で、桧平の看板が現れた。そこの看板によると、この一帯は「滝子山自然保護地区」に指定されているとのことであった。富士山を眺めながらの、芽吹き始めた明るい林の中の歩きは、気持ちの良いものであった。登ってくる登山者にようやく出合うようになった頃、尾根を離れて、桧の植林地帯のジグザグの下りになった。途中、三十人程の団体に出合ったが、足並みが揃っていないと、この登りには苦労しそうであった。沢に降り立ったところで、最後の水場という看板が現れた。夏の盛りであったら、さっそく流れに口を付けていたところであったろう。その先の沢沿いの道は、何回も渡渉を繰り返し、結構長かった。ようやく荒れた林道に飛び出し、その先で人家が現れると、瑞岳院参道入口との三叉路に出た。車道を下って藤沢の集落に出ると、正面に富士山が大きな姿を見せていた。通りがかりのバンが駅まで乗らないかと誘ってくれたが、もう少しこの眺めを楽しんでいたく、辞退することにした。初狩駅手前のスーパーの自動販売機でビールを買って駅に着くと、それほど待たずに電車が来て、後はいつものコースをたどり、夕方には新潟に戻ることができた。

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