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権現山

1997年3月20日 日帰り 単独行 晴

権現山 ごんげんやま(630m) 二等三角点 川内山群(新潟県) 5万 御神楽岳 2.5万 高石

ガイド:片雲往来 PartIII(第一部)―阿賀南の山々(上村幹雄著 私家本)

3月8日(土) 8:15 新潟発=(盤越自動車道、安田IC、R.49、馬下、R.290、不動堂、川内 経由)=9:00 中川原橋〜9:20 発―9:40 丸太橋―10:07 岩峰下窪地―10:18 稜線最低鞍部―10:28 下杉川分岐―11:05 権現山山頂〜11:40 発―12:07 下杉川分岐―12:25 稜線最低鞍部―12:30 岩峰下窪地―12:36 丸太橋―13:07 中川原橋=(川内、不動堂、R.290、馬下、馬下温泉、R.49 経由)=14:45 新潟着

 3月8日に途中で引き返した山のリターンマッチである。春分の日の祝日は、前日が快晴過ぎた報いか、未明に雨になり、雲の低い曇り空の朝になった。残雪が雨水を吸いこむと難儀しそうに思い、なんとなくグズグズして、家を出るのが遅くなった。時間の節約のために、高速を利用した。せまってくる菅名岳にも登りたかったが、宿題は早くかたずけておくことにして権現山に向かった。中川原橋のたもとの忠犬ハチ公の看板の前に車を停めて、登山の準備をしていると、地元の人が通りかかって、単独行が前に登っていったことを教えてくれた。
 前回と比べて、雪融けはすっかり進んでいて、集落の裏の取り付きの急な斜面も、土が出ていた。沢沿いの登山道からも雪はほとんど消えていたが、そのかわりに杉の落ち葉が表面を覆っていた。前回、道を見失った場所も、その理由も判った。沢から一段上がる所があり、本来の登山道は、さらに数メートル上がって水平な道に変わるのを、再び沢沿いに下りたためであった。今回はロスタイムも無く、丸木橋も通過し、沢から離れた。登りついた原は、木の枝が目立つようになっていたが、あいかわらずの雪田であった。青空が広がって、菅名山塊が大きくせりあがってきた。前回は、スノーシューを付けやっと歩ける状態であったが、今回は雪がしまって坪足で歩ける状態であった。先行者の足跡を追いながら登っていくと、その上にカモシカの足跡が重なっていた。このあたりをテリトリーにしているものがいるようであった。岩峰下の窪地に到着して山頂を見上げると、心に余裕があるためか、前回よりは近いように見えた。先行者が山頂手前のピークに直接とりつく枝尾根に向かって登っていくのが見えた。そちらにも登山道があるのかと思ったが、こちらは最低鞍部に向かうことにした。最低鞍部に向かって雑木林の中の急斜面を登った。前回は見落としたが、最低鞍部には、山頂を示す登山標識が付けられていた。尾根上には、雪が消えて、踏み跡が現れ始めていた。尾根伝いの道は、下で見上げたよりも、急な登りが続いた。雪の壁には、登山靴のケリが気持ちよく入ったが、ときどきそのまま踏み抜いてしまうこともあり、体力が必要であった。ひと登りしたところで、地図にも、参照した山行記録にもない、下杉川へ下る道との分岐に出た。Y字路のかたわらには、中越幹線 ↑No89 No91→という送電線の巡視路の標識が立てられていた。雪の尾根を伝っていくと、左から先行者の足跡が登ってきて、合流した。雪の急斜面を登り終えて、やれやれここが山頂かと思ったら、まだ先であった。松の木をくぐる時に、リュックの雨ぶたに通したワカンがひっかかり、外そうとしたら、落ちてしまった。幸い、数メートル下でとまったので、荷物を下ろしてから、慎重に斜面を下ってストックですくいとった。この時、注意がワカンにいってしまい、帽子を落とし、山頂で帽子が無いことに気が付いた。幸い、下山途中に、雪にまみれて落ちていたのを回収できた。やせた雪稜をわたり、ひと登りして、ようやく山頂に到着した。
 権現山の山頂は、雪に覆われて、壊れかけた小さな木のお堂が雪の上に頭をのぞかせていた。そのかたわらには、山頂標識が立てられていたが、三角点は雪のはるか下のようであった。山頂の縁にでると、素晴らしい展望が広がっていた。北には、菅名山塊の兎平から主稜線へ至る尾根を手に取るように眺めることができた。東には、マンダロク山から日倉山、そして日本平山に至る連なりが、白い壁になっていた。その下には、青い水をたたえた早出川ダムも。菅名山塊と日本平山の山塊の間には、少し遠く、飯豊連峰が横に連なっていた。南には、川内の山々の多くのピークが幾重にも重なっていた。ただ、目の前に送電線の鉄塔が立っているのが、人の足跡も僅かな山の前景としては、気にかかるところがあった。先行者も、山に向かい合って腰をおろして休んでいた。静かな山で、邪魔をする気にもなれず、少し離れて、兎平に向かい合う斜面に腰をおろした。中川原の集落が、足元に見え、高度感も充分であった。春の盛りといっても良い日差しがそそがれ、雪の上に足を投げ出して座っていると、眠りに引き込まれそうになった。至福の山頂であった。遠くのなんとか名山よりも、地元の無名の山の方が素晴らしい旬というものがある。各地の山も大賑わいであろうが、これだけの大展望がたった二人のものとはもったいない。風景を楽しみながら、ゆっくりと下山した。急斜面の下りは、雪に足がうまるぶん、滑る心配がなくて歩きやすかった。左手には白山が大きく広がり、下っていくヤセ尾根の正面には蒲原平野が広がっていた。再び岩峰の下に広がる雪原に下りたって、山頂を振り返った。前回は、尾根上に出た所で雨が降り始め、天候のために中止という形になった。しかし、尾根道は意外と急斜面であり、沈み込む雪の状態も考えれば、結局は登りきれなかったようである。雪原で風景を楽しんでいたら、山頂にいた先行者が、今度は最低鞍部から下ってきた。話をしてみると、枝尾根に取り付いたのは、夏の登山道を知らなかったためと判った。登れるところが登山道の、春山ならではのことのようであった。

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