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桝形山

1997年3月9日 日帰り 単独行 曇り

桝形山 ますがたやま(300m) 二等三角点 東頚城丘陵(新潟) 5万 柏崎 2.5万 塚野山

ガイド:新潟ファミリーハイキング(新潟日報事業社)、緑に親しむ新潟県森林浴の森100選(新潟日報事業社)

3月9日(日) 7:50 新潟発=(関越道、越後川口IC 経由)=9:30 戸屋=(R.117、小千谷、片貝、来光寺、R.404、岩田、県道柏崎越路線 経由)=11:00 桝形山自然公園入口〜11:05 発―11:25 山頂駐車場―11:32 桝形山〜11:50 発―11:55 山頂駐車場―12:10 桝形山自然公園入口=(R.404、長岡IC、三島、与板、分水、R.116 経由)=14:50 新潟着

 桝形山は、日本海と信濃川に挟まれた東頚城丘陵の北部にあるピークである。この山は、山城が築かれていたことで知られている。「桝形城は、甘糟家代々の居城で、戦国時代の城主は甘糟近江守景持といわれ上杉謙信配下の武将として剛勇をもって知られた。城址は、海抜300米の桝形山の地形を利用した典型的な山城である。本丸、二の丸、三の丸、北出丸、その間につくられた空堀の跡、それに殿様清水が今もこんこんと山の中腹に涌き出ている。館址は山麓の高鳥部落附近と考えられ、倉屋敷、馬場、勘定、仕置場、堀切などの場所が伝えられている」という越路町の説明板が山頂に立てられている。山頂一帯は、桝形山自然公園として整備され、新潟県森林浴の森100選に選ばれている。
 昨日、権現山の山頂に立てなかったことが、満たされないものとして、心の片隅にひっかかっていた。足に疲労感があり、あまり歩く気にはなれなかったが、ドライブがてら家を出た。まず始めに、一等三角点の高場山の登山口の偵察に向かった。越後川口付近は、まだたっぷり雪が残り、除雪は集落内までで、林道は完全に雪の下であった。雪が降り始め、遠くも見えないので、通りがかった地元の人に林道を確認しただけで、高場山の登山は見送ることにした。
 続いて、桝形山に向かった。岩塚の町で、飯塚八幡神社からの登山口を通り過ぎ、案内板に従って県道柏崎越路線に入った。広い道で、この付近の幹線道のひとつのようであった。峠を越す所に、桝形山自然公園入口があった。林道が分かれていたが、雪で埋まっていた。車の脇でスノーシューを付けて、林道に入った。雪の上には、ワカンで歩いた跡が残されていた。林道の途中で、日当たりの良い場所なのか、雪が完全に融けてスノーシューを外して歩く場所もあった。見下ろす山間の田圃も、そこかしこで土が現れ始めていた。林道は、山頂直下の駐車場まで続いていた。炊事場、トイレ、管理棟があり、キャンプ場になっているようであった。駐車場からひと登りで、山頂に到着した。山頂には、あずまややベンチが設けられていた。50cm近くの雪の下から、二等三角点、建設省と書かれた木の柱が頭をのぞかせていた。少し掘ってみたが、三角点の標石は見つからなかった。周囲は、大きな展望が広がっていた。曇り空のせいで遠くは見えなかったが、長岡市とその背後の東山一帯、日本海に、真っ白な米山や刈羽黒姫山。展望盤によれば、妙高連峰、越後三山や谷川連峰も見えるようであった。展望の点からは、トップクラスの山であった。山頂直下まで車道が上がってきて、登山の対象では無くなっているが、冬の間のスノーハイクには絶好と思われる山であった。帰りは、ひさびさに、高速道ができる前の新潟から小千谷へ抜ける際の裏道ルートを通って家路についた。

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