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権現山(途中断念)

1997年3月8日 日帰り 単独行 晴のち雨

権現山 ごんげんやま(630m) 二等三角点 川内山群(新潟県) 5万 御神楽岳 2.5万 高石

ガイド:片雲往来 PartIII(第一部)―阿賀南の山々(上村幹雄著 私家本)

3月8日(土) 6:40 新潟発=(R.49、R.403、新津、五泉、村松)=7:28 中河原橋〜7:52 発―8:11 沢渡渉点―(20分ロス)―9:02 丸太橋―9:30 岩峰下窪地―9:45 稜線鞍部〜(岩峰下窪地周辺探索)〜11:07 発―11:30 丸太橋―11:47 沢渡渉点―12:03 中河原入口=(R.290、馬下、R.49、安田、R.290、村杉温泉、出湯、水原、R.49 経由)=14:15 新潟着

 権現山は、早出川のほとりに立つ、川内山群の入口にある里山である。一般登山道があるものの、それほどの知名度のある山ではないが、雪崩にあった主人を二度までも助けた「忠犬タマ公」の活躍舞台として登場する山である。なお、この「忠犬タマ公」の銅像は新潟駅構内、新潟白山公園、そして村松(未確認)にもあるという。この縁で、新潟駅と渋谷駅は、姉妹駅とか。
 先週に引き続き、再び村松から早出川のほとりに出た。早出川は、雪解け水で水量が増していた。昨年6月2日の木六山登山の際に、地図に登山道の書き込みのある権現山に興味を持って、登山口の確認に出かけ、橋のたもとに忠犬タマ公由来の看板があることは知っていた。看板の脇に車を停めて、歩き出した。橋のたもとからは、早出川越しに、権現山とその右手の岩峰を良く見ることができた。橋を渡って右折して集落内に入ると、頂上まで2kmの案内板が現れた。軒先や竹林をかすめる曲がりくねった道には、角ごとに標識が付けられていた。集落の裏手に出て、急な斜面をひと登りすると、杉林の中をまっすぐにたどる道になった。右手に堰堤のある沢を見下ろして進むと、この沢に沿った道になった。飛び石伝いに左岸に渡ると、残雪も多くなり、スノーシューを付けての歩きになった。気温も高く、スノーシューを付けても雪に足が取られた。杉林の中を沢沿いに登っていくと、道を見失ってしまった。それまで、ところどころ、赤く塗られた空き缶が木の枝に取り付けられていたのだが、あたりには見あたらなかった。沢の対岸に看板が見え、そこが登山道かと思って、飛び石伝いに沢を渡り、崖をよじ登って近づいてみると、保安林の看板で、周囲に登山道は無かった。結局、来た道を少し戻った所で、赤い空き缶標識を見つけて、登山道に戻ることができた。沢を丸太橋で渡って、少し沢沿いに歩いた後、登山道は沢から離れての上りになった。杉林から飛び出すと、一面の雪原で、前方には権現山と岩峰を眺めることが出来た。雪原を上るに連れ、背後に菅名山塊の眺めが大きく広がった。兎平の高まりが正面にあったが、稜線上には道が付いているようで、登頂意欲をそそられた。雪原の中から飛び出た枝を避けながら進んでいくと、権現山から岩峰に続く尾根で囲まれた窪地に出た。雪解け後は湿原にでもなるのであろうか、隠れ里といった秘密めいた感じであった。稜線への上り口を探したが、登山道は見つからなかった。雑木林の中の雪の斜面を枝を掴みながら登って、岩峰の下の最低鞍部に這いあがった。稜線を登り始めたが、スノーシューには急斜面すぎて、ワカンを持ってくるべきであった。雪もグズグスで、道ははかどらず、権現山の山頂は遠くに見えた。稜線上に木の枝がかぶさり、登山道があるのか判らなくなり、尾根への取り付き点が正しかったのか、不安を覚えるようになった。朝のうちは青空が広がっていたのが、菅名岳も雲に覆われ、雨が降り始めた。午後から雨の予報が出ていたが、思ったよりも天気がくずれるのが早かった。山頂を眺めて、そこまでの距離を考えて引き返すことにした。窪地に下りたって、別な登り口があるのか、雑木林の中を探してみた。人の痕跡は全くなかったが、カモシカが林の中にいた。木の皮がむしられているのも、カモシカしわざのようであった。雪の中から顔を少しのぞかせている切り株に、山頂へという標識が付けられ、これは最初に登った最低鞍部の方向を指していた。コースは間違ってはいなかったようで、忍耐が足りなかったようであった。帰りは、雪原の下りは快適で、沢沿いの道も問題はなかった。車に戻ると同時に、外にはいられない激しい雨になった。良いタイミングで下山したことに感謝した。宿題の山が、またひとつ増えてしまったが、雪が融けた頃、再び訪れることにしよう。体が冷えており、帰りに村杉温泉の共同浴場(250円)に入浴してから帰った。

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