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高尾山、景信山

1997年2月22日 日帰り 単独行 晴

高尾山 たかおさん(599m) 二等三角点 中央線周辺(東京都)
城山 しろやま(670m) 四等三角点 中央線周辺(東京都、神奈川県)
景信山 かげのぶやま(727m) 三等三角点 中央線周辺(東京都、神奈川県)
  5万 八王子、上野原 2.5万 八王子、与瀬

ガイド:分県登山ガイド「東京都の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「神奈川県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「高尾・陣馬」(昭分社)

2月22日(土) 6:21 新潟発(上越新幹線 あさひ302号)=9:32 大宮=9:34 発(埼京線)=9:42 武蔵浦和=9:46 発(武蔵野線)=10:13 西国分寺=10:21 発(中央線)=10:46 高尾=10:52 発=10:54 高尾口―11:05 6号路口―11:15 琵琶滝―11:34 十一丁目茶屋―11:48 薬王院―12:03 高尾山〜12:22 発―12:50 一丁平―13:13 城山―13:18 小仏峠―13:43 景信山〜13:56 発―14:48 底沢峠―15:06 林道終点―15:25 陣馬高原下〜16:10 発(西東京バス)=17:08 八王子=17:12 発(中央線)=17:35 西国分寺=17:36 発(武蔵野線)=18:06 南浦和=18:08 発(京浜東北線)=18:19 大宮=18:28 発(上越新幹線 とき461)=18:59 高崎=19:07 発(あさひ331号)=20:19 新潟着

 高尾山は、東京都民にもっとも親しまれている山である。中腹に薬王院を擁し、巨木の杉並木や立派な社殿など、霊山としての風格を持ち、観光がてらの参拝客が絶えない。高尾山一帯は、自然観察のために整備され、数多くのハイキングコースが設けられている。
 高尾山から陣馬山に伸びる尾根を奥高尾山稜というが、景信山は、そのほぼ中間にあるピークである。小仏峠を間にして、景信山は城山と向かい合い、その山頂からは高尾山から丹沢、道志、富士山の展望が広がっている。
 低気圧が太平洋岸に抜けて発達し、強い冬型の天候配置になり、新潟では今年一番の冷え込みになった。金曜日の晩は、雪は少ないものの、強風が吹いて、新潟周辺での山歩きは諦めた。中央線沿線の山は、展望にも恵まれ、しかも交通の便も良いことから、登ってみたい山も多いが、ともあれスタートの高尾山に登っておかなければということで出かけた。いつもの始発の新幹線に乗り込んだものの、ポイントの凍結ということで、列車は停止を繰り返した。あせってもどうにもなるものでもなく、あきらめモードに入ることにして、頭の中で、コースの変更の可能性をあれこれ考えた。結局、大宮に到着したのは、1時間30分遅れになった。去年も、高川山に登る時に電車が遅れて、せっかくの富士山の展望が、昼近くになって、逆光でだめになってしまったことがある。関東も強風が吹き、黄色い砂埃が舞い上がっていた。
 高尾山は、私がおそらく始めて登った山である。もしかすると、筑波山であったのかもしれないが。家族の行楽に、また学校の遠足で登った覚えがある。しかし、駅前に降り立った時、昔の記憶はまったく蘇ってこなかった。左右に並んだ、こぎれいなお土産物屋の店先には、木の杖やそばが並んでおり、昔もそうだったような気がしてきた。ケーブルカーの駅前で、幾つものコースが分かれた。観光客で賑わっていそうな表参道は避けて、琵琶滝経由で登ることにした。高尾山のコースは、一やら二号路とかいう番号で呼ばれ、どのコースも高尾山山頂へと書かれているため、知らない者には、ハイキング地図と首っ引きで歩く必要があった。谷間にかかる琵琶滝から、ジグザグの登り道になった。道は広いものの、石や木の根の露出した、意外に本格的な山道であった。高尾山といえども、汗をかかずに登らせてくれるほど、山は甘くない。息も荒くなり始めた所で、表参道に飛び出して、観光客に混じっての緩やかな道になった。たこ杉、そして男坂と女坂、しだいに記憶が蘇ってきた。我々都会の過保護な小学生は、なれない登山で息もあがり、この坂で何人かダウンしてしまった。この坂を登れば、しばらくで薬王院、そして最後の階段で飯縄権現堂。ここまでは、かすかな記憶があるが、ここが山頂ではなかったのだろうか。地図を見ると、山頂はまだ先のようである。どうやら、学校の先生に手抜きされていたようである。もっとも当の小学生にとっては、歩くのは早く止めて、お弁当を広げたい一心であったろうが。お堂は、塗りも新しく、入口の左右に並んだ天狗の像と相まって、異国風の風情であった。風の強い日であるためか、境内の人はまばらであった。もう少し歩いて、高尾山の山頂に到着した。風に吹かれながらも、周囲のベンチには、多くのハイカーが腰を下ろしていた。眼下には、関東平野が広がっていた。登ってくる途中に何軒もの茶店がソバの看板を出しており、それを見て、すっかり腹がへってしまっていた。山頂の茶店に入って、トロロソバ(700円)を注文した。中は、ソバやおでんをつまみにビールを飲むハイカーで賑わっていた。話を聞いていると、毎週のようにやってきている常連のようであった。昔のこういった茶店のソバは、干したソバを適当にもどしたもので、子供心にも旨くないという記憶があったが、今では普通のソバ屋並みの味であった。これで、ビールがあればと思ったが、先の山を考えて、誘惑を断ち切った。
 奥高尾の縦走路に入ると、静かな山道になったが、行き交う人はあいかわらず多かった。場所によっては、強風にさらされて寒く感じた。北斜面では、残雪が残っている所もあったが、軽アイゼンを付けるほどではなかった。アンテナの鉄塔の立つ城山に登り着くと、山頂には、茶店があり、乱雑にベンチが並べられていた。城山を下ると、小仏峠に到着した。登山道は、茶店の中を通るようになっており、地図を確認していたら、甘酒はどうかと声を掛けられてしまった。さすがに、天候のせいで、客は少ないようであった。再び急坂に精を出すと、景信山の山頂というよりは、茶店の中に到着した。山頂をうめるベンチの数に驚いた。ベンチに腰を下ろして眺めると、素晴らしい眺めが広がっていた。今たどってきた縦走路の先に、城山や高尾山を眺めることができ、その向こうには、関東平野の広がり、右手にはにぶく光る相模湖の向こうに大山から蛭ヶ岳を経て大室山に至る丹沢の山々、その右手には雲が頭に被っているが富士山も眺めることができた。穏やかな陽気の中で、このような眺めを魚にビールでも飲んでいたら、最高の楽しみになるに違いない。そろそろ、残り時間も気になりだし、先を急ぐことにした。地図では緩やかな尾根道も、小さなアップダウンもあり、その先は長く感じた。あわよくば陣馬山までと思って当初の計画を立てたが、列車の遅れで、今回は断念するしかなかった。風が強く、日が落ちると今よりも寒くなりそうで、下山を急ぐ必要があった。底沢峠の十字路から、一番近い陣馬高原下のバス停に下ることにした。尾根にそって一気に高度を下げると、思ったよりも短時間で林道の終点に飛び出した。バス停には、全部で7名がバスを待つことになった。太陽が山陰にかくれると、寒さでふるえるようになり、バスの到着を待ちこがれる状態になった。

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