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棒ノ折山、岩茸山、惣岳山

1997年2月15日 日帰り 単独行 晴

棒ノ折山 ぼうのおれやま(969m) 奥多摩(東京都、埼玉県) 
岩茸石山 いわたけいしやま(793m) 三等三角点 奥多摩(東京都) 
惣岳山 そうがくさん(756m) 奥多摩(東京都) 5万 五日市、秩父 2.5万 武蔵御岳、原市場

ガイド:アルペンガイド「奥多摩・奥秩父・大菩薩」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「東京都の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「埼玉県の山」(山と渓谷社)、関東百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「奥多摩」(昭文社)

2月15日(土) 6:21 新潟発(上越新幹線 あさひ302号)=8:10 大宮=8:13 発(埼京線)=8:21 武蔵浦和=8:24 発(武蔵野線)=8:49 西国分寺=8:51 発(中央線)=9:56 立川=9:56 発(青梅線)=9:58 川井駅―10:56 清東橋―11:04 奥茶屋―11:22 山ノ神―11:39 尾根(関東ふれあいの道御岳10km標石)―12:02 棒ノ折山〜12:22 発―12:31 権次入峠(ごんじりとうげ)―12:47 黒山―13:40 成木分岐―13:50 名坂峠―13:58 岩茸石山〜14:05 発―14:32 惣岳山―15:00 沢井分岐―15:22 大岳駅=15:24 発(青梅線)=16:16 立川=16:24 発(中央線)=16:32 西国分寺=16:38 発(武蔵野線)=17:07 南浦和=17:12 発(京浜東北線)=17:24 大宮=17:30 発(上越新幹線 とき459)=18:00 高崎=18:22 発(あさひ329号)=19:42 新潟着

 棒ノ折山は、東京都と埼玉県の県境にあり、奥多摩と奥武蔵野の山域の境界に位置する山である。カヤトに覆われたのびやかな山頂を持ち、展望を楽しみながらの大休止に良い山である。棒ノ折山は、棒ノ嶺(ぼうのみね、あるいは、ぼうのれい)とも呼ばれるが、これは「ぼうのおれ」の聞き違いに棒ノ嶺の字をあてはめてしまったものという。道標などに棒ノ峰が用いられているのは、誤りということになる。なお、首都圏自然歩道の東京都―山草のみちと、埼玉県―水源の道がこの山を中心として整備されている。
 棒ノ折山から黒山を経て南に延びる尾根は、首都圏自然歩道の東京都―山草のみちとなっており、岩茸石山に出て、惣岳山を経て大岳駅に至っている。岩茸石山と惣岳山に高水山を加えて、高水三山と総称され、奥多摩を代表する人気の山になっている。
 今回は、奥多摩の山を目指した。新潟からの日帰りは、少々時間的に難しい所があったが、武蔵浦和駅と立川駅でのダッシュにより、予定より30分程前の電車に乗ることができた。リュックを背負って、登山靴の装備は、短距離競走にはあまり向いているとはいえない。青梅線は、あいかわらずの、登山客の賑わいであったが、運動靴もみうけられ、そろそろ梅見物のウォーキング派も現れ始めたようであった。吉野の梅園付近の車窓からは、花を開き始めた気の早い白梅も見かけられた。軍畑駅で高水三山、御岳駅で御岳山への登山客の集団がどどっとおりたが、棒ノ折山への登山口になる川井駅でおりたのは二人だけであった。川井駅からは、大丹波川沿いの車道歩きになった。バスの路線にはなっているものの、便は少なく、登山の足に使えるものは無かった。山里の風景を楽しむというには、新しく建てられた家が続き、たまに藁葺きの家があると、それは観光客用の食事処であった。バスの終点の清東橋の先には、中茶屋、百軒茶屋、奥茶屋という名前の付いた休憩所が現れた。おそらく、昔は峠越えの休憩所であったのだろうが、現在では渓谷沿いのキャンプ場を設けて、アウトドアの拠点に変身していた。奥茶屋からようやく登山道になった。権次入沢にそ沿っての急坂であった。登山道の脇には、わさび田が広がっていたが、立ち入り禁止の有刺鉄線が、目障りばかりでなく、危険であった。観光用に整備しておいてくれれば、帰りにお土産でもと思うのだが、有刺鉄線に挟まれた回廊を歩いていくと、反感がわいてきた。山の神の小さな祠の先から、杉林の中の急斜面の登りになった。周囲の展望は無く、ひたすら高度を上げるのに汗を流す必要があった。一旦尾根上に出ても、再び急な登りになった。南に向いているせいか、雪は全く無かった。駅からの道では、他の登山者には会わなかったのが、登っていく途中になると、何組も追いついては、追い越すようになった。比較的交通の便の良い奥多摩の山でも、車で登山口に乗り付けるものが多いようである。明るい空が、頭上の木立の間に広がってきたと思ったら、頂上に飛び出した。暗い杉の植林地を登ってきたせいもあるが、カヤトに縁取られた山頂は、明るく感じられた。春を思わせる陽気の中に、登山者があちらこちらにちらばって昼食をとっていた。中央部は霜柱のせいかぬかるみになっており、その周辺は土ほこりが立ち気味であったが、カヤトの上に腰を下ろした。名郷へ続く車道を眼下に、飯能の町から物見山周辺の丘陵地帯、その先に堂平山、左手に伊豆ヶ岳を眺めることができ、山頂からの展望は、奥武蔵の山のものであった。さらに遠い山々は、霞んでおり、春も近づいたと思わせる眺めであった。
 はじめの予定では、名栗に下りて、そこの温泉に入ってから、飯能経由で帰るつもりであった。急斜面を登ってきたのに、名栗への道は、再び急斜面を下るようであった。時間的に余裕も出てきたので、せっかく獲得した標高を、ほう少し保って歩きたく、岩茸石山に向かうことにした。棒ノ折山からは、丸太組の急な下りになり、残雪で覆われていた。ストックを取り出し、滑らないように慎重に歩く必要があった。権次入峠で名栗への道を分けると、その先は、歩行者が少ないのか前よりは細目の道になった。再び登りに転ずると、黒山に到着した。振り返ると、木の枝を通して、棒ノ折山が高く見えた。どのようなコースを歩いているのか知らないが、この黒山で昼食の登山者も何人かいた。尾根の北東面には、残雪と枯葉が斑模様を作っていた。杉の植林地を抜けて、周囲に雑木林が広がると、奥多摩方面の眺めも広がった。振り返れば、棒ノ折山の左に川乗山、前方には御岳山が逆光の中に高くそびえていた。尾根の先には、岩茸石山が頭をもたげていたが、かなりの歩きでがありそうであった。地図上では、たんなる尾根でしかない道であったが、いくつもの小さなピークを越していく必要があり、体力を次第に消耗していった。岩茸石山の下の名坂峠を越すと、凍結部分もある、急な登りになった。今回のコースでは、凍結個所は、ここだけであったが、岩茸石山から棒ノ折山に向かって歩こうとするとき、ここが一番の難所になりそうであった。急坂を登りつめると、95年3月12日に高水三山を歩いた時以来の岩茸石山の山頂に飛び出した。前回は、お昼時のせいもあったが、山頂は人で賑わっていたのが、今回は誰もいない静かな山頂であった。ベンチに腰を下ろし、遥か向こうに見える棒ノ折山と、ここまでの道のりを振り返った。以前に歩いたことのある道に出て、ひと安心というものの、御岳駅まではまで長い歩きが残されていた。前回と異なり、残雪や凍結は無く、楽に下っていくことができた。惣岳山にも寄って、後は下りを急いだ。駅に着くと、電車が到着する所で、帰りもあわただしい乗り継ぎが続いたが、それほど遅くならないで新潟まで戻ることができた。

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