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大霧山、皇鈴山、登谷山、釜伏山

1997年1月25日 日帰り 単独行 晴

大霧山 おおぎりやま(766m) 三等三角点
愛宕山 あたごやま(655m) 三等三角点
皇鈴山 みすずやま(679m)
登谷山 とやさん(668m)
釜伏山 かまぶせやま(582m)
  奥武蔵(埼玉県) 5万 寄居、2.5万 安戸、寄居

ガイド:分県登山ガイド「埼玉県の山」(山と渓谷社)、新版首都圏自然歩道(山と渓谷社)、関東百名山(山と渓谷社)、アルペンガイド別冊「東京周辺の山」(山と渓谷社)、山と渓谷97年2月号百低山探訪p.121-124、新ハイキング95年3月号P.98-100、外秩父七峰縦走ハイキングコースガイドマップ(東武東上線)

1月25日(土) 6:47 新潟発(上越新幹線 あさひ304号)=8:16 熊谷着=8:23 発(秩父鉄道)=8:50 寄居着=8:58 発(東武東上線)=9:14 小川町=9:45 発(東武バス)=10:21 経塚―10:59 旧定峰峠―11:05 檜平―11:30 大霧山―11:40 発―12:05 粥新田峠―12:50 二本木峠―12:56 愛宕山〜13:05 発―13:25 皇鈴山―13:48 登谷山―14:16 釜伏峠―14:24 釜伏神社―14:34 釜伏山奥社―14:44 日本水分岐―14:47 日本水〜14:54 発―14:56 日本水分岐―15:13 林道分岐―15:22 花山コース入口―16:10 波久礼=16:25 発(秩父鉄道)=17:00 熊谷着=17:09 発(上越新幹線 とき413号)=18:50 新潟着

 大霧山は、堂平山、笠山と並んで、比企三山と称される山である。山名の由来は、河田羆著武蔵野通志には「山頂雲霧恒に絶えず故に大霧の名あり」と言われている。以前は、山頂は木で覆われていたようであるが、現在では伐採されて、奥秩父から西上州方面みかけての大展望の山になっている。
 皇鈴山と登谷山は、外秩父七峰に含まれる山であり、ともに無線中継のアンテナ基地がたてられている。登谷山の頂上付近には牧場が広がっており、家族の散策に親しまれている。
 釜伏山は、山頂付近に岩場を持ち、寄居方面から見ると釜を伏せたように見えることから名前が付けられている。山頂下の百畳敷岩の下からは環境庁の選定した日本名水百選の日本水(やまとみず)が湧き出ている。また、この山の麓一帯には、北限といわれるみかんの観光農園が点在している。
 この付近には、日本武尊由来の地名が多く残されている。日本水は、日本武尊の東征の折り、喉の乾きに耐えかねて岩屋に剣を突き刺したところ、たちまち清水が湧き出たことに由来するという。また、粥を炊いて食べたことから粥新田峠、地面にさした箸が二本の木になって二本木峠等の名前が付いたとも言われている。また、皇鈴山はアズマギクの自生地として知られ、日本武尊がこの地を通ったおり、腰に下げた弟橘姫の形見の鈴の音で、この地にアズマギクがいっせいに咲きだしたといわれ、山名はこの故事に由来するといわれている。
 今週は、日本全国に降雪があったため、雪の心配のない低山ハイクに出かけることにした。新潟から朝立ちででかけることのできる秩父鉄道沿線の山のうち、今月の、山と渓谷の百低山探訪に載っている釜伏山に出かけることにした。この山には、メーリングリストで最近話題になった、日本百名水の「日本水」があることも、心が引かれる理由のひとつであった。釜伏山だけだと少し歩き足りないと思って周辺の山を調べていくと、その南東には登谷山があり、外秩父七峰ハイキングコースに隣接していることが判った。比企三山のうち、笠山と堂平山には、1995年4月17日に登っていたが、大霧山は残されていた。大霧山から歩くには、時間の余裕が無く、寄居での乗り継ぎがうまくいって、小川町のバスに乗れるかがカギになりそうであった。とりあえず、寄居から村営バスで落合に出て皇鈴山に登るコースを予定した。関東周辺の低山ハイクをするには、トラベルミステリーなみの綿密な乗り継ぎのタイムシケジュールを検討する必要があり、書苑新社の「登山・ハイキングバス時刻表」は欠かせない。
 関東地方の山の天気は、新幹線の高崎付近の車窓から、良く観察することができる。青空が広がって、比較的低い西上州の岩山は見えるものの、浅間山はうずまく雪雲に隠されていた。風の冷たい一日になりそうであった。熊谷駅の秩父線のホームにも、中高年ハイカーの数は少なかった。寄居駅で、東武東上線の接続がうまくいくことがわかり、大霧山から歩き出すよう計画を変更した。小川町からの白石車庫行きのバスも、乗客は三分の一程であった。バスの前方には、笠山と思われる三角形の形の良い山が見え、山の斜面は、白黒のまだらになっていた。始めの予定の皇鈴山の登山口の打出のバス停では、声高に山の話を続けていたリーダーに率いられる10名程のグループが下りていった。経塚でバスを下りて、バス停の前の舗装された林道を登り始めた。歩き始めは雪はなかったが、車道の表面が凍結している個所があった。少し登った所で、沢ぞいの登山道に入った。昔の峠道のなごりなのか、急な斜面はジグザグを切り、歩き易い道であった。杉の植林地を登りつめて、稜線部も近くなった所で、再び車道に飛び出した。しばらく車道を歩き、右手の高みに向かって分かれる道を見つけて、そこを登ると旧定峰峠であった。木で覆われて、あまり休憩には向かない峠であった。右手に向きを変えて、大霧山に向かった。稜線上に出たせいか、風が冷たかった。ひと登りすると、右手の山の斜面に牧場が広がり、谷越しに、笠山から堂平山にかけての展望を楽しむことができるようになった。牧歌的風景といいたいところであったが、進入を拒む牧場の鉄条網が気分を損ねていた。小さなピークを越して下りになると、雪が積もって足元に注意を払う必要がでた。このあとの下りの個所は、全て、北向き斜面のためなのか雪が付いて滑り易くなっていた。初心者にとって、このコースは、冬季には南下するように歩いた方が、滑る危険が無くて安全のようであった。雑木林の中を登りつめて出た大霧山の山頂からは、大展望が広がっていた。山頂の傍らには、展望の説明写真が掲載してあり、ひとつづつ確認しながら山を眺めていった。武甲山は、削り取られた台地の上に小さな三角形の山頂をのせた無惨な姿を見せていた。その背後には、奥秩父の山々が大きく広がり、雲取山はひときわ高く、甲武信岳は黒雲に覆われていた。山頂から最も目立つのが、鋸歯状の山頂を連ねた両神山であった。日本百名山ということで、93年3月20日に登った時には、小雪が舞う天候で、結局この山の形を把握することはできなかった。山を知っているというには、単にその山に登るだけでは不足で、付近の山から眺めてみることも欠かせないのではないだろうか。その右手には、城峰山を手前にして、御荷鉾山が東・西のピークを連ね、榛名山と赤城山は、雪雲によるのか霞んでいた。山の展望も素晴らしかったが、秩父盆地からその先に広がっていく先の見えない関東平野の眺めも、特記すべき眺めであった。ゆっくり休憩するには風は冷たく、先を急ぐ必要もあった。山頂に登ってくるおばさんグループが木の枝を杖にして登ってくるのを見て、この先は積雪がありそうなことに気がついた。ストックを用意して、下りにかかった。大霧山からの下りは、階段が切ってあるものの、雪が付いて、気が抜けなかったが、アイゼンを着けるほどでは無かった。
 粥新田峠で車道に飛び出すと、二本木峠まで長い車道歩きになった。彩の国ふれあい牧場という観光施設もあったが、牧歌的という言葉とはうらはらに、家畜の臭いがただよっていた。足慣らしも兼ねて、革製の重登山靴を履いてきたが、この靴は、全く車道歩きにはむいていなかった。二本木峠の先で、車道から分かれて関東ふれあいの道に入ると、ひと登りで愛宕山の頂上に出た。潅木で覆われていたが、腹が減ってしまい小休止にした。外秩父七峰縦走ハイキング大会の標識が各所に立っていたが、この山は素通りしてしまっていた。愛宕山を下って車道を横切り、再び山道を登っていくと皇鈴山に到着した。山頂は広い広場で、あずまやが設けてあった。登谷山への登りで、朝方のバスで一緒であったグループに追いついた。登りの疲労というよりは、はずした軽アイゼンを手に持っている者がいるところを見ると、凍結個所の下りに手間どったもののようであった。登谷山の山頂は、狭く、縁は草つきの絶壁になっており、写真撮影でもしていると転落事故が起きそうであった。登谷山から下って正面のピークに向かうと、登山道は踏み跡になってしまい道を間違えたことに気づいた。戻って自然歩道の標識を探すと、釜伏峠へは、駐車場の下の車道を行くようになっていた。車道の脇には、頭の黒いサフォーク種というらしい羊が草をはんでおり、通りがかると不審そうな顔でこちらを見つめていた。
 釜伏峠から、外秩父ハイキングコースとも分かれて、秩父名物の「こまいぬ」ならぬ「こまおおかみ」が出迎える釜山神社の参道に向かった。火事盗難除けの神として信仰あついという神社にお参りして、左手の山道に入った。少し先の分岐から、日本水への標識に従って右折した。小鞍部から、岩場の登りわずかで奥の院に到着した。左右にこまおおかみを従えた祠があるだけで、釜伏山といった山頂標識は無かった。谷を見下ろすと、人家が足元に見えた。岩場の下りは、雪が付いているために、鎖を握りしめて慎重に足を進める必要があった。傾斜が緩くなった所で、左に日本水への道が分かれた。岩壁の下をトラバースしていくと、最後の目的地の日本水に出た。岩壁の下から湧き出た水を樋で引いた水場が設けてあった。さっそく飲んでみると、新潟から詰めてきた水筒の水よりは少し暖かかった。味については、うまく感じたが、これは長い歩きのせいで喉が乾いているせいもあったかもしれない。水量は、細い流れが続いている状態で、水筒を満たすのに少し時間がかかった。遊歩道は、さらに先に登り気味に続いており、そちらから家族連れが下ってきた。どうやら、車道方面からの歩道が整備されているようであった。分岐に戻って、風布へ下ることにした。その先も、ガードの柱に渡された鎖や固定ロープを頼りにする急な下りが続いた。分岐に出て、尾根を直進する道は植林地帯の中であまり歩かれていないようであり、左手に曲がることになった。階段になった急坂を下ると林道に飛び出し、その先で塞神峠から下ってきたらしい車道に出た。ここには日本水入口花山コースという標識が立っていた。どうも、釜伏山よりも、日本水の方がネームハリューがあるようであった。歩いていくと、波久礼までは、4kmという標識も現れ、最後の頑張りが必要になった。長く延びた自分の影を追いながらの、長い歩きになった。周辺にはみかん農園何軒もあるようで、シーズンには賑わうようであった。道の脇にも、取り残した黄色いミカンが付いた木を見ることができた。日も陰り風が冷たく感じられるようになった頃、ようやく波久礼駅に到着できた。

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