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百蔵山

1997年1月11日 日帰り グループ 晴

百蔵山 ももくさん(1003m) 三等三角点 中央線周辺(山梨) 5万 都留 2.5万 大月

ガイド:分県登山ガイド「山梨県の山」(山と渓谷社)、山梨のハイクコース(山梨日日新聞社)、甲斐の山旅・甲州百山(実業之日本社)、山と高原地図「高尾・陣馬」(昭文社)

1月11日(日) 6:21 新潟発(上越新幹線)=8:10 大宮着=8:13 発(埼京線)=8:21 武蔵浦和=8:23 発(武蔵野線)=8:48 西国分寺=8:52発(中央線)=9:57 立川=9:08 発=9:25 高尾=9:27 発=10:00 猿橋着―10:46 和田美術館―11:24 葛野分岐―11:40 百蔵山〜14:15 発―14:23 葛野分岐―14:50 和田美術館〜15:07 発―15:43 猿橋=15:49 発(中央線)=16:32 高尾=16:34 発=16:40 八王子

 各駅ごとにハイキングの山の続く中央線にあっても、猿橋駅から眺める百蔵山は、東の尾根続きの扇山とともに大きく広がって、登頂意欲をそそられる姿をしている。百蔵山の山頂からは優れた展望が広がり、大月市により選定された秀麗富岳12景の山にも選ばれている。
 インターネットの登山メーリングリストのオフライン・ミーティングの呼びかけに応じての山行になった。この一週間は、風邪のために、大学まで歩くこともままならぬ状態であったが、この週末までになんとか体調を取り戻すことができた。とはいえ、夜行列車で山を歩く自信はまだなく、朝立ちをすることにした。風邪でそれどころでは無く、天気の変化をチェックしていなかったが、関東地方は快晴の天気になっていた。大宮付近からは、白銀の富士山も顔をのぞかせ、楽しい山歩きが半ば、保証されたような気になった。電車の乗換も順調にいき、猿橋の駅に10時に到着することができた。駅周辺には、週の始めに降った雪が残っているのには驚いたが、下から望む百蔵山の斜面には雪は見られなかった。皆の出発から1時間遅れで、急げば、それほど遅れないですみそうであった。駅前から百蔵山を正面に見ながらの車道歩きが始まった。山のかなり高い所まで住宅地が上っているのが見えた。桂川と葛野川を渡って、高速道路の下をくぐり、T字路を右折して再び高速道の下にでると、ようやく百蔵山の標識が現れた。車道は高度をどのどん上げていき、汗が一気に吹き出てきた。総合グランドを過ぎると、道は少し複雑に分岐したが、標識は良く整備されていた。山頂もかなり近くなってきたなと思ったが、周辺には新興住宅地が広がっていた。ここに住んだら、毎日がハイキングで、さぞ足腰が鍛えられそうであった。神社か寺といったたたずまいで、立ち入り禁止の看板の立つ和田美術館でようやく車道歩きも終わった。ヒノキの植林地をジグザグに登っていくと、登山道の上にも残雪が現れたが、凍結もなく、またぬかってもおらず、歩くのに支障は無かった。山行直前になって、アイゼンが必要かどうかの話が持ち上がっていたが、今回の出番は無いことになった。なかなかの急斜面が続き、一気に登りきるには苦しいものがあった。登るに連れて富士山も姿を現したが、木の枝がうるさく、展望は山頂までおあずけになった。雑木林で覆われた尾根を登りつめると、山頂の広場に飛び出した。山頂には数組のグループが休んでおり、めざすグループが分からず、声を掛けてようやく見つけることができた。
 ほとんどは初対面であったが、まだ全員は集まっていなかった。山頂の一画に陣取って、思い思いの昼食に入った。道志から丹沢の山々の眺めが良く、めぼしい山としては、三ッ峠山、富士山、杓子・鹿留山、御正体山、大室山、檜洞丸、蛭ヶ岳を見分けることができた。展望の山旅のコピーを持っていったのが、役に立った。風は少し冷たかったが、暖かい日溜まりの山頂であった。のんびりと休んだ後に、八王子の居酒屋での二次会めざして山を下ることになった。結構長い登りがあったような気もしていたが、下りはあっという間で、車道に飛び出してしまった。山頂で山のパノラマを目の前にしていると、なぜか口数も少なくなってしまったが、飲み会では酔いも回って、山の話で盛り上がった。

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