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角田山

1997年1月1日 日帰り 単独行 晴

角田山 かくだやま(481m)二等三角点 西蒲原丘陵(新潟) 5万 弥彦 2.5万 角田山

ガイド:新潟ファミリー登山(新潟日報社)、新潟の山旅(新潟日報社)、越後の山旅上巻(富士波出版社)、山と渓谷93年2号

1月1日(水) 3:40 新潟発=(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線 経由)=4:15 稲島登山口〜4:36 発―4:55 五合目―5:05 不動の水場―5:10 尾根ベンチ―5:14 向陽観音堂―5:24 山頂―5:42 向陽観音堂〜7:10 日の出〜7:23 発―7:26 尾根ベンチ―7:30 不動の水場―7:40 休憩所―7:53 稲島登山口=(往路を戻る)=8:30 新潟着

 角田山は、蒲原平野に浮かび、その裾野を日本海に洗う、低山でありながら独立峰としての風格を備えた山である。南に連なる弥彦山と異なり、自然が良く保たれており、さらに年間を通して登ることのできることから、新潟市周辺におけるハイカーのホームゲレンデになっている。
 96年の大晦日の晩は、雲一つ無く、星が輝いていた。東京から戻ってきたところで、山に行くことなど考えていなかったが、初日の出を拝むことのできる絶好のチャンスを逃すことはないという気になった。新潟周辺の、初日の出を見るために夜間でも登ることのできる山を考えた。弥彦山は、弥彦神社の混雑に巻き込まれる心配があり、歩行時間も少しかかるのが難であった。国上山の蛇崩も、東の見晴らしは良さそうであったが、この山は歩行時間が短く、歩き足りない気がした。未明に家を出て手頃に登れるのは、やはり角田山ということになった。目覚まし時計でむりやり起きての、少々にがてな早朝の出発ではあったが、さすがに年の始めの登山ということはあって、眠気も起こさずに稲島の登山口に車を乗り入れた。登山口の駐車場には、4時にもかかわらず、すでに10台程の車がとまっていた。山頂泊まりも中にはいそうであったが、ランプの明かりを頼りに出発の準備をしているグループもいて、静かななかにもあわただしさが漂っていた。
 途中の国道脇に立つ温度計では5度とあったが、新潟では本当に珍しい暖かな元日であった。ヘッドランプを頼りに歩き出すと、歩き始めの林道跡の直登で、いきなり汗が吹き出てきた。夜明けの寒さ対策に、完全装備でやってきたが、五合目のお地蔵さままで登ったところで、マウンテンスーツの上着とフリースのジャケットを脱いだ。軽アイゼンも持ってきていたが、雪はかけらも無かった。ここからは、急坂の階段登りであった。よその遊歩道とは違って、ここの階段には中間に輪切り丸太が埋めてあって、歩幅を取りやすくなっているが、急坂にたちまち心臓は苦しくなった。暗い中を登っていくと、登山道脇に休んでいるハイカーに何人も出合った。登るに連れて、道路沿いの水銀灯が縦横に走り、町の灯が一際明るく輝く蒲原平野の眺めが広がった。上空には雲がかかっていたが、平地部の視界は良好のようであった。初日の出を見ることのできる確率は高そうであった。向陽観音堂の前の広場に到着すると、着陸態勢に入った飛行機から見下ろすような高度感のある眺めが広がっていた。夜明けまでには時間もありそうなので、まずは角田山の山頂まで行っておくことにした。山頂の広場のいっかくに到着した驚いた。前回登ってから1年ぶりであったが、山頂をおおっていた松林が切り倒されて無くなっていた。確かにどこかで松喰い虫にやられてしまったと聞いたような気がしたが、これほどの被害とは知らなかった。すっかり風通しの良くなった山頂であったが、やはりこの山の山頂は、木で覆われていたほうが、落ちつくような気がした。苗木が植えてあったので、それらが大きくなるのを待つしかないようである。登山ノートに記入しながら、元日の登山者を数えると、今のところは三組目であった。三角点にタッチしてから、向陽観音堂に引きかえした。
 向陽観音堂の前の広場で、ベンチに腰を下ろして、夜明けを待つ体勢に入った。コーヒーを飲んで待つうちに、いつのまにか、広場に人が多く集まってきた。下界を見下ろしていると、角田山の登山口に向かう道路に、車の明かりがとぎれなく続くことに気がついた。到着して隣りに座った夫婦連れに聞いてみると、登山口は、駐車スペースを探すのに大騒ぎの状態とのことであった。東の空が明るくなるに連れて、町の明かりも薄れていった。上空の雲は流れ去っていたが、明るくなっても薄雲に隠されて山のシルエットは浮かび上がらなかった。広場に集まった群衆を数えると、百人は越しているようであった。すっかり明るくなってしまい、御来光を諦めかけた時に、山の左肩から真っ赤な太陽が顔をのぞかせた。カメラのシャッターを切る内にも、太陽は、姿を変えていった。完全に円形の形になったときに、一同から拍手がわき起こった。夏のアルプス顔負けの大群衆であったが、三脚はちらほらしか無かったのが、やはりローカルな山らしかった。あれよあれよというまに太陽は昇り、人も動き始めた。観音堂にお賽銭を上げて初詣をすました。観音堂は、自家発電で明かりがともっていた。何回も角田山には来ているが、この中を覗いたのは始めてであった。予想以上に太陽が山の上まで昇ってくるのに時間がかかったので、帰りを急いだ。明るくなってから登ってくる登山者も多くおり、駐車場周辺の道路には、路肩駐車の列が続いていた。家に帰ると、丁度、餅も焼けたし、悪口も言い終わった所だといわれ、お雑煮の席についた。

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