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御正体山

1996年12月14日 前夜発日帰り 単独行 晴

御正体山 みしょうたいやま(1682m) 一等三角点補点 道志山塊(山梨) 5万 山中湖 2.5万 御正体山

ガイド:アルペンガイド「富士山周辺、駿遠の山」(山と渓谷社)、アルペンガイド別冊「東京周辺の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「山梨県の山」(山と渓谷社)、山梨のハイキングコース(山梨日日新聞社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング)、山と高原地図「高尾・陣馬」(昭分社)、山と高原地図「富士・富士五湖」(昭分社)

12月13日(金) 23:23 新潟駅発=(上越線 快速ムーンライド越後)
12月14日(土) 5:10 新宿=5:18 発=(中央線)=6:12 高尾=6:15 発=6:52 大月=6:54 発=(富士急行)=7:10 都留市=8:20 発=(富士急都留中央バス 管野行き)=8:36 細野着―8:40 三輪神社―8:51 腰越美術館―9:04 林道終点―9:19 仏ヶ沢横断点―10:40 鹿留分岐〜10:50 発―10:51 峰宮跡―11:13 御正体山〜11:30 発―11:54 前ノ岳―12:15 中岳―12:40 大鉄塔(奥ノ岳)〜12:50 発―13:05 山伏峠分岐―13:24 山伏峠下降点―13:31 山伏トンネル口―13:56 つくし別荘地入口=14:39 富士吉田=15:41 発=(富士急行)=16:28 大月=16:31 発=(中央線 あずさ64号)=17:37 新宿=17:42 発=18:00 東京=18:08 発=(上越新幹線 あさひ331)=20:18 新潟着

ウィークエンドフリー切符 15000円
快速ムーンライド越後座席指定 500円
新潟-加茂 560円
富士急行 大月-都留市 450円
都留中央バス 都留市 380円
富士急行バス つくし別荘地入口-富士吉田 850円
富士急行 富士吉田-大月 990円


 御正体山は、富士山を取りまく御坂山塊と丹沢山塊の間に位置する、道志山塊の最高峰である。御正体山は、根張りが大きくどうどうとした姿を持ち、一等三角点峰に相応しい姿をしている。かつては里人の信仰の山とされていたようであるが、現在では、宮の跡が残るのみである。
 御正体山の名前を知ったのは、日本二百名山のリストによってではあるが、実際にその姿を眺めて、次はこの山と思ったのは、94年2月19日に三ッ峠山に登った時であった。山頂からの展望を楽しんだあと、河口湖への下りにかかると、富士山も光線の加減で光って見えなくなってきた。膝までもぐる残雪に悪銭苦闘しながら尾根を下っていく時に、左手に白く雪をまとい、根張りの大きな山が横たわっており、これが御正体山との初対面であった。バスの接続の問題などで後回しになってきたが、雪が本格的になる前に登ることにした。
 インターネット上で、周辺の積雪の情報を求めた。中央線沿線沿いの山々の積雪は少々のようで、軽アイゼンとストックでも登れそうであった。天候を心配していたが、冬型が崩れて、金曜日の夜は平地で雨になるようであった。山頂で雪に変わって降り積もっていることが心配になってきた。
 金曜日の新潟駅は、忘年会帰りの酔客で混雑していた。座席指定は、売り切れ状態。20〜30人や数人のハイキンググループが乗り込んでいた。石割山という声も聞こえ、行き先も大体同じようであった。寝不足状態で到着した新宿駅は、ここも朝帰りの酔客で満員であった。高尾で、接続の松本行きの各駅停車に、缶コーヒー片手に乗り込んだ。車窓から眺める路上は、雨で軽く濡れているようであったが、明るくなるにつれ、厚い雲の切れ目から青い空が見え始めた。大月では、富士急行の乗り換えへダッシュしたが、新潟からの団体は、点呼やらに手間取ってこの電車には乗れなかったようであった。都留市の駅を出ると、タクシーが待機しており、もう一人下りた登山客はそのままタクシーに乗り込んで、どこかに行ってしまった。バスの待ち合わせ時間は約1時間。周囲の山に霧のかかる暖かな日であったが、それでもだんだん寒くなってきた。登山口の細野までは、谷村町駅から歩いて1時間20分なので、バスを使っても時間の短縮にはならないが、体力温存にはなるはずであった。菅野行きの小型バスには、夫婦連れの登山客と、地元の1名だけが乗り込んだ。細野で御正体山への我々3名を降ろすと、だれも乗客の無いまま、バスは走りさっていった。客がいないのでバスの本数は減り、本数が少ないからますます客離れが加速する。登山・ハイキングバス時刻表(書苑新社)がでているので助かっているが、前もって入念な計画を立てなければならないほど、バスの利用は難しくなってきている。バス通りを先に歩いていくと、御正体山登山道入口の大きな看板が立ち、右手に三輪神社への鳥居と石段があった。石段を登ると神社の境内に出たので、下の鳥居をくぐった所から右手にのびていく舗装道路を登っていくことにした。大きくカーブした道を歩いていくと、神社の裏手を横切っていた。林道歩きを続けていくと、腰越美術館に出て、ここで舗装道路は終わった。人のきそうもない山の中の美術館で、いったい何を展示しているのだろう。植林地の中の登りが続き、汗も吹き出てきた。車の轍の残る荒れた林道の終点の広場から、本格的な登山道が始まった。緩やかな登りを続けていき、細い流れの仏ヶ沢を横断すると、尾根に向かっての登りが始まった。尾根上道になってからも急な登りが続いた。途中の急坂には、トラロープが固定してあったが、特に危険個所というわけではなかった。数本が結び合わされた長い長いロープ場もあり、息もあがりかけた。晴れ間がのぞいて暖かい陽気になり、木立の間からの展望は、もやに隠されていた。心配していた積雪は、全く無く、ところによって、落ち葉の上に白い物が見られるのみであった。展望はあきらめの気分になったが、初冬の落ち葉を踏んでの木漏れ日ハイクを楽しむことにした。さんざんに汗を流させる登りの末に山頂の一画に到着すると、鹿留との分岐に出た。分岐周辺の標識を確認するつもりで、鹿留の方向に僅かに入り込むと、前方の木立が切り取られており、目を上げると、真っ白に雪を抱いた富士山が額縁に納まったように姿を現した。左右の雲は、富士山の山頂よりも高く盛り上がっており、富士山にかかるのを遠慮したかのようであった。いそいでカメラを取り出し、シャッターを切った。天気予報からは予想できなかったプレゼントであった。鹿留分岐の少し先で峰宮跡に出た。ここは木立の中で、休むなら富士山の展望を楽しむことのできる鹿留分岐の方がお勧めであった。山頂にほぼ登り着いた気分になっていたが、その先の抱付岩を巻いて一旦下ったあと、最後の登りにもう一汗かく必要があった。
 御正体山の山頂は、木立の中の広場になっていた。一等三角点は、端が欠けてセメントで修理してあり、みすぼらしかったが、隣りに立派過ぎる標識が置かれていた。木製の祠は、新しそうであった。後でガイドブックを読み返すと、周囲はブナ林ということであったが、幹回りも細く、雑木林と思っていた。心配していた積雪もなかったので、予定通りに山伏峠に下ることにした。始めは緩やかな下りであったが、落ち葉で道が分かり難かった。笹原の中の急な下りになると、前方に富士山が大きく広がっていた。大きく下ると、前岳への登りが待っていた。再び下って、また登り。小さなピークも途中に入り、楽な道ではなかった。この季節に登ってくるのだから、全くの初心者では無いだろうに、急坂の途中で足が止まって休んでいるグループもいた。前方に送電線の大鉄塔が見えてきて、アップダウンの続く尾根歩きのゴールがようやく分かった。鉄塔手前は伐採地になり、右手の谷越しには、大きな富士山の眺めが広がったが、空にかかる電線がその眺めを妨害していた。山には景観条例は無いのだろうか。鉄塔の下にたどりついて、ようやく展望の邪魔が目の前から無くなった。日向峰の向こうに大きな富士山。右手の鹿留山もどうどうとした姿を見せていた。その中間に広がっているはずの南アルプスの遠望は残念ながらカスミの中であった。山伏峠への分岐は、鉄塔の先のピークを越した所であった。派生した尾根沿いに下っていくと、前方に鉄塔が見えて、その手前が山伏峠のようであった。道脇の木にテープの標識が付けられた下り口があった。登山道を下っていくと、最後は石の鳥居をくぐって、高原ホテルの前庭に出た。このホテルは、現在休業中ということで入口にはロープが渡されていたが、これは、車の進入を防止するためのもののようで、またいで通過するのに支障はなかった。平野目指しての、車道歩きになった。前方の富士山は、逆光の中に、輪郭だけになっていた。車に脇をかすめられながら歩いて行き、バス停があったので、名前を確認しようとしたら、丁度富士吉田行きのが走って来た。午前・午後と一便で、あてにすることもできず、時間も確認しなかったバスにたまたま出くわしたものであった。歩かずとも、山伏峠で待っていれば良かったようであった。このバスも、他には1名のおばあさんが乗っているのみであった。少し走ったところで、「石割の湯」の看板を見た。日帰り温泉施設で、このバスに出合わなければ、温泉に入ったものをと、複雑な心境であった。石割山の登山口も近くにあるようでもあり、次の機会には寄ってみることにしよう。バスは山中湖沿いに走り、眺めも良かったが、夏は混みそうな道であった。温泉に入り損なった埋め合わせに、富士吉田駅のターミナルビルの最上階の「和食処青山」で、ほうとう(850円)を食べた。リュックをかついで入っていき、注文を、といったとたんに、ほうとうかという返事が返ってきた。登山者の人気メニューのようであった。煮込むまで15分ほどかかるというので、ビールも頼んだ。窓の外には、三ツ峠山の山頂から天上山のびる尾根が延々と横たわってきた。この山にも雪は全くなかった。列車・バス利用の一番の利点は、山を下りたらビールが飲めることだろう。居眠りをしながら列車を乗り継ぎ、再びビールを飲んで、新潟に着いたときにはできあがっていた。

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