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六甲山

藤原岳

1996年11月23日〜24日 旅行途中2泊2日 単独行 晴/晴

東お多福山 ひがしおたふくやま(697m)
六甲山 ろっこうさん(931m) 一等三角点本点 六甲山地(兵庫) 5万 大阪西北部、神戸 2.5万 神戸首部、有馬、宝塚、西宮
ガイド:アルペンガイド「京阪神ワンディ・ハイク」(山と渓谷社)、アルペンガイド別冊「大阪周辺の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「六甲・摩耶・有馬」(昭文社)

藤原岳 ふじわらだけ(1140m)  
天狗岩 てんぐいわ(1171m) 鈴鹿山地(滋賀、三重) 5万 彦根東部、御在所山 2.5万 篠立、竜ヶ岳
ガイド;アルペンガイド「鈴鹿・美濃」(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド西日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「霊仙・伊吹・藤原」(昭文社)

11月22日(金) (神戸泊)
11月23日(土) 6:30 新開地駅発=(阪急電鉄経由)=7:06 芦屋川駅―7:14 芦屋ゲート分岐―7:20 鷹尾山分岐―7:32 高座の滝―8:12 風吹岩―8:23 打越山分岐―8:29 荒地山分岐―8:40 ゴルフ場入口ゲート―8;47 ゴルフ場出口ゲート―8:58 雨ヶ峠―9:02 四等三角点―9:15 東お多福山〜9:27 発―9:37 土樋割峠―9:42 七曲り取り付き―10:15 一軒茶屋―10:24 六甲最高峰〜10:32 発―10:37 一軒茶屋―11:34 有馬温泉虫地獄―11:44 温泉会館(入浴 520円)=12:23 有馬温泉発=(神戸電鉄有馬線、谷上、北神急行経由)=12:52 新神戸=13:00 発=(山陽、東海道新幹線経由)=14:16 名古屋着=14:31 発=(近鉄経由)=15:15 四日市着  (四日市泊)
11月24日(日) 6:09 四日市発=(近鉄経由)=6:18 富田=6:28 発=(三岐鉄道経由)=7:26 西藤原駅〜7:30 発―7:50 聖宝寺―7:54 一合目―8:03 二合目―8:15 三合目―8:22 四合目―8:27 五合目―8:37 六合目―8:45 七合目―8:58 八合目(分岐)―9:10 九合目―9:26 藤原山荘―9:42 展望丘〜9:46 発―9:59 藤原山荘―10:16 白瀬峠分岐―10:22 天狗岩〜10:30 発―10:34 白瀬峠分岐―10:52 藤原山荘―11:05 九合目―11:14 八合目(分岐)―11:21 七合目―11:26 六合目―11:32 五合目―11:38 四合目―11:43 三合目―11:49 二合目―11:57 一合目―12:05 西藤原駅=12:16 発=(三岐鉄道経由)=12:59 富田=13:02 発=(近鉄経由)=13:49 名古屋=14:05 発=(東海道新幹線経由)=16:00 東京=16:08 発=(上越新幹線経由)=18:07 新潟着

 六甲山は、神戸市の北に、東は宝塚から西は塩屋まで横たわる山地をいう。古くからの交易道が開かれてはいたが、神戸の開港に伴い来日した外国人によって登山道が開かれ、近代登山あるいはロッククライミングの発祥の地とも言われている。山頂部には、自動車道路が通じ、また多くのレジャー施設が設けられて、深山の趣は無いが、都市型ハイキングの山として、多くのハイカーに親しまれている。
 滋賀と三重県境部に広がる鈴鹿山地に属する山としては、北から主なものとして、霊仙山、御池岳、藤原岳、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御在所山、鎌ヶ岳、仙ヶ岳などがあげられる。藤原岳は、鈴鹿山地の北部において、最高峰の御池岳とともに人気を分け合い、日本三百名山にも選ばれている。また、フクジュソウなどの花の山としても親しまれ、田中澄江の「花の百名山」、「新・花の百名山」、「花の百名山・ビデオ版」の三種の全てに取り上げられている。(なお、これら三種に全て選ばれている山は17座)
 広島での学会の後で、どこの山に登ろうかと迷った。すでに初冬に入っており、降雪地帯の山では、雪の心配もでてきた。また、週末は連休で、行楽地の込み合いや交通の混雑も計算に入れる必要があった。中国山地の山は、日本海側からの悪天候がどのように影響するのか分からないので、今回はあきらめることにした。京都付近の山も、気がそそられたが、紅葉の盛りで、町中は観光客で大混雑であろうと、敬遠することにした。結局、六甲山と藤原岳に登って、三百名山の数を増やすことにして、前の週に神戸と四日市のビジネスホテルの予約をした。
 水曜日に、北陸線経由で新潟から京都経由で広島に向かった。同僚の一行は、新幹線で東京に出て、飛行機で広島に向かった。列車は、時間がかかるからいやだとのことであった。たった、8時間しかかからないのに。朝からビールを飲んで、移り変わる山を眺めていればいいものを。この秋には珍しく感じる快晴の空になった。白くなった飯豊山に別れを告げ、菅名岳、粟ヶ岳、守門岳、米山、妙高山、火打山、青海黒姫山と、懐かしい山を見続け、2時間たっても、まだ新潟県内であった。ようやく親不知を越して富山県に入ると、まず、白くなった栂海新道沿いの山が目に飛び込んできた。富山手前からは、天を突くピラミッド型の剣岳を中心に、左に毛勝山、右に立山から大日岳といった、北アルプスの連なりが広がっていた。窓に顔を押しつけながら、遠ざかっていく山を見続けた。富山を過ぎると、雲が多くなり、知っている山も無くなってきたが、加賀温泉駅からきれいな富士山型をした山が見え、次の駅が深田久弥の故郷の大聖寺であることから、富士写ヶ岳であることが分かった。窓の外には、登って見たいような山が現れては消えていった。
 学会の終了後、まじめな衣類とお土産を宅急便で送り返し、リュックを背負って神戸に移動した。六甲山には、登ってみたいと思っていたが、地震によって、それどころでは無くなっていた。震災直後は、物見遊山や登山など、不謹慎と遠慮していたが、1年半が過ぎ、そろそろ観光都市神戸の噂も聞こえ始めていた。山の計画ばかりに頭が一杯で、神戸の観光情報を良く確認しないまま、値段だけで、ホテルサンルート神戸(7600円)を予約してしまった。新神戸から地下鉄に乗ったが、乗り換え図が掲示していないため、ホテルのある新開地までどうやっていくのかわからなかった。地下鉄の湊川公園前から1ブロックの所のようなのでそこから歩くことにしたが、地上に出たら周辺は薄暗い町並みで、方向があやふやになった。歩いているうちに不安になり、磁石でもって方向を確認しようかと思ったら、ホテルのネオンを見つけることができた。新開地周辺は、震災の仮住宅が立ち、商店街のアーケードの下にはプレハブの商店も並んで、どうやら震災の復興の途中のようであった。新開地駅の地下街商店で、翌日の食料の買い出しをして、夕食をとった。周辺は、観光できる状態ではなく、そうそうに眠ることにした。
 六甲山の登山計画において、目的地は六甲最高峰ということにしても、コースがいろいろあり過ぎて良く分からなかった。しかも新潟では、六甲山のハイキング地図は手に入らず、結局広島で買うことになった。WWWのホームページで六甲山の記事を探した結果、そこで紹介されていた芦屋川からロックガーデン、東お多福山、六甲最高峰、有馬温泉というコースに従うことにした。特徴の無い典型的な私鉄駅の芦屋川駅を出ると、そこは住宅地のど真ん中であった。とにかく、川の上流の山に向かって歩き出した。傾いてビニールシートをかぶせられている家もあるにはあったが、被害の様子はほとんどみられなかった。市街地の中をクランク状に道は上っていき、ハイキング地図を見ながら歩かなければならなかった。歩いているうちに息もはずんで汗も出始めたが、まだ住宅地の中であった。周囲は高級住宅地のようであったが、駅までの毎日の通勤は大変だろうし、商店も無くて買い物も不便そうであった。こういった人達は、歩くこともないし、夕食の買い物も自分ではしないのかな。最後のマンションを過ぎると、谷合いの車道になり、イノシシ注意の立て看板を見るようになると、茶屋が現れた。閉まった茶屋の軒先をかすめて先に進むと、こんどは開いている茶屋が現れ、高座の滝に到着した。滝は、水量も高さもそれほどのものではなかったが、脇にはお堂があり修行場になっていたようであった。もっとも現在では、信仰よりも脇の茶屋の店先に並んでいるおでん(関西では関東煮というのかな。東京の人間には、けったいないいかたに感じるのだが)の方が人気があるようで、朝からビールの人もいた。
 ようやく登山道に入ったと思ったら、露岩帯の急な登りが始まった。足がかりは充分にあって、危険というほどではないが、気を引き締める必要があった。早朝にもかかわらず、岩場を下ってくる人に何人も出合った。ほとんどは手ぶらで、これが有名な早朝ハイキングの人達のようであった。登るに連れて、やせ尾根の左右には、緑の中に岩場が露出した名前の通りのロックガーデンの風景が広がった。振り返ると、神戸の町並みの向こうに大阪湾が広がっていた。風吹岩に到着し、改めて風景を楽しんだ。風吹岩は、震災以前は二本の岩塔が並んでいたらしいが、今では大きな台座の様な岩が残るだけで、岩の上にかかる高圧線の鉄塔が目障りであった。木の茂る緩やかな尾根歩きが始まり、途中で幾つかの道を分けると、小さいが、しっかりした流量の沢に出た。おいしそうな水に見えたが、かたらわの看板に、水質検査により飲用不可との看板が立っていた。その少しでゴルフ場の入口のゲートがあった。ゴルフ場から流れ出る水だったのかと納得した。登山道は、ゴルフ場の中の塀で囲まれた細い回廊であった。客を呼び出すマイクが耳障りであった。登山愛好家は、自分たちが歩くことによって山が荒れることに問題意識を持っているが、ゴルフ族がゴルフ場の乱開発を問題にしているとはついぞ聞いたことが無い。ゴルフ場の出口のゲートを抜けて、ホットした。雨ヶ峠から東お多福山に向かった。少し登って展望が開けた所に四等三角点があった。笹原の緩やかな起伏の向こうに、わずかに盛り上がった東お多福山が見え、左手の谷越しには、アンテナ群が立ち並ぶ西お多福山が見え、その右手には、一本のアンテナの立つ六甲最高峰が見えた。展望は開け、開放感のある笹原であった。緩やかに登っていくと、二人の先客の休んでいる東お多福山の山頂に到着した。山頂標識のある所はあまり見晴らしが良くなく、少し戻った斜面に腰を下ろしてひと休みした。大阪湾の展望を楽しんでいると、奥池の方からひとグループが登ってきた。ハイカーに人気の山頂のようであった。東お多福山から尾根を下って土樋割峠に出て、川の流れに沿って戻る方向に歩いていくと、七曲りのとりつきに出た。東お多福山の山頂も六甲最高峰への道も見上げると高く、失われた標高差が少し恨めしかった。これが最後の頑張りと、つづれ折りの道に汗を流した。道が舗装されたと思ったら、自動車道路に飛び出した。道路を横断して、トイレの脇の進入禁止の道路を登っていくと、そこが六甲最高峰であった。まずは、一等三角点を探すと、山頂のさら地の奥にあった。三角点は、頭すれすれまで土に埋まっており、等級などの文字を読みとることはできなかった。手前には、立派な石碑に一等三角点の説明が刻まれていた。きまりきった形の三角点でありながら、山それぞれに装いが異なるのが面白かった。さすが神戸の一等三角点は、飾った姿をしていた。アンテナ塔の金網にへばり付くように、石で固めた山頂標識のケルンが置かれていた。以前は、一等三角点周辺は立ち入り禁止であったというから、ここまでしかハイカーは入れなかったのだろうか。金網越しに覗く山頂。僅かな距離が遠い山頂。おだやかな日差しの山頂には、ハイカーや観光客が登ってきて自由に散策していた。
 下りは、魚屋道を通って有馬温泉に向かうことにした。有馬温泉の湯治客へ新鮮な魚を運んでいた道という謂れにも気が引かれるが、「ととやみち」という呼び方が気に入った。幼児の頃に、金魚のことを「きんととと」呼んでいたのは、由緒正しい呼び方だったのだろうか。魚屋道は、緩やかに下っていき、歩き易い道であった。周囲には雑木林が残され、表六甲とは違って木々の香りを楽しみながら下る道であった。昼近くになって、多くのハイカーに出合うようになった。中には、百人はいるかと思われる団体もいた。有馬温泉の自動車道路に下り立ち、駅はどのように行けばよいか分からなかったが、人が歩いて行く方向についていったら、温泉会館の前に出た。これが目的に有馬に下った温泉に、さっそく入ることにした。温泉会館の内部は、番台こそなかったが、銭湯と同じ様な雰囲気であった。自動販売機で、入浴券(520円)とせっけん(50円)を買った。浴室に入ると、湯の色に驚かされた。赤味を帯びた泥色で、タオルについたら色が落ちなくなった。高温の方の浴槽に入ったが、確かに息を止めて入らなければならないほど熱かった。ぬるめの湯は、普通の温度であったが、良くあたたまりそうであった。館内放送で、湯当たりしないようにとの注意が再三にわたって放送されていた。最後に透明な湯の浴槽に入って、上がり湯かわりにした。歴史のある温泉と聞いていたが、特徴のある温泉に満足した。温泉めざして山越えしてきた甲斐があった。観光客で混雑する有馬の温泉街を後にして、新神戸に戻り、新幹線で名古屋に向かった。
 名古屋で近鉄に乗り換えて、四日市に向かった。以前、御在所山に登る時に、四日市のチサンホテル四日市(6500円)に泊まったが、ホテルの値段が安いことと、三岐鉄道の乗換駅の富田とは準急でひと駅と近いこと、駅には百貨店があって食料の買い出しがしやすいことから、今回も、このホテルに泊まることにした。夜中に通りで暴走族のバイクが騒音をあげていた。どうやら暴走族に縁があるようだが、それくらいは気にもせず朝までぐっすりと寝た。
 翌朝、薄暗い中を出発した。始発から二本目の三岐鉄道の乗客は二人で、それもすぐ下りてしまい、一人になってしまった。夜が明けると、窓の外には鈴鹿山地のパノラマが広がった。御在所山は、ピラミッド型でどうどうとしており、容易に見分けがついた。山腹には、ロープウェイの大鉄塔が立つのが、遠くからも眺めることができた。遊園地化した山頂部の台地がどこにあるのか、不思議であった。次の機会には、御在所山の左に槍ヶ岳風にそびえる鎌ヶ岳に登ってみたいと思った。藤原岳は、遠くからもわかる大きな山容をしていたが、近づくにつれて、山腹を削り取る採石場の姿に思わず息を飲んでしまった。山頂を削り落とさんばかりの惨状であった。藤原岳も、武甲山の二の舞いになるのだろうか。採石場を回り込むようにして、電車は終点の西藤原駅に到着した。駅から見上げる藤原岳は、緑で覆われており、ひと安心した。歩き出してすぐに、表登山道の標識があったが、まずは聖宝寺に向かった。鳴谷神社に出ると、急な石段の登りが始まった。前方に登山者が見えて、追い抜こうとペースを上げてしまったこともあったが、この石段登りで、息があがってしまった。登り着くと聖宝寺の境内に出た。庭には石とモミジが配され、丁度紅葉の盛りのようで、大型カメラを三脚にすえ付けたカメラマンが太陽の昇るのを待ちかまえていた。聖宝寺の裏手から、裏登山道が始まっていた。登っていくと、すぐに一合目の標識が現れた。沢を渡ると、杉林の中の急な登りになった。つづら折りの道で、息を整えながら登ることができたが、手応えのある登りであった。五合目を越すと雑木林に変わり、六合目で広い尾根に出て、まだまだ高い山頂部を望むことができるようになった。八合目で表登山道を合わせると、最後の難関ともいうべき急な登りが始まった。登山道は、ぬかっており、石の上に足をのせると滑りそうになった。傾斜が緩やかになると、避難小屋の前に出た。この山の十合目は、この小屋のようであった。展望丘への道を目で追うと、一旦下った先から、もうひと登りする必要があった。展望丘への道に踏み出すと、すぐに頭を越す笹が被さってきた。踏み跡はしっかり付いているものの、目隠し状態であった。越後の根曲がり竹なら、こんなにはびこらせてしまったら、冬の間に雪で倒れて、登山道は通行不能になってしまうのだが。鈴鹿では、それだけ雪は少ないのだろうか。笹をかき分けながら登っていくと、山頂に飛び出した。そこだけ笹に覆われておらず、周囲の展望が開けていた。鈴鹿山地が前後に連なり、伊勢湾が遠くに光っていた。避難小屋の向こうには、天狗岩がしゃくり上がっていたが、その向こうに送電線が通っているのが残念であった。山頂には、展望を楽しみながら単独行が休んでいたが、こちらは先をいそぐ必要があった。笹原を転げ落ちるように下って避難小屋に戻り、天狗岩に向かった。少し登ると、石灰岩が転がるススキの原に出た。カルスト地形のようで、笹のトンネルよりも、こちらの方が歩いていて楽しかった。きつい登りはなかったが、天狗岩までは距離があって、時間も余計にかかった。天狗岩の上は、雑木林で覆われていたが、展望丘方面の展望が開けていた。避難小屋に戻ると、大勢の登山者が休んでおり、登ってくるものも多かった。八合目から、表登山道を下った。杉林の中の道で、花の季節は面白くない道とされているようであったが、歩きやすい道であった。途中から、1時間に1本の三岐鉄道の出発時間が気になるようになった。急げば間に合いそうなので、足を早めることにした。合目標識の番号を快調に下げていくと、最後は登山口の駐車場の脇に飛び出した。観光客が聖宝寺に向かう中を駅に急ぎ、電車に飛び乗った。

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