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高社山

1996年10月26日 曇り 単独行 日帰り

高社山 たかやしろやま(1352m) 二等三角点 志賀高原周辺(長野) 5万 中野 2.5万 夜間瀬

ガイド:信州の里山を歩く 東北信編(信濃毎日新聞社)、信州百名山(桐原書店)、ふるさと富士百名山(山と渓谷社)、山と渓谷96年11月号p129ー132山と高原地図「志賀高原・草津」(昭文社)

10月26日(土) 6:10 新潟発=(関越道、越後川口IC、R.117、飯山、赤岩経由)=9:52 高社山神社登山口〜10:00 発―10:27 天狗の飛び石(地蔵菩薩)―11:08 一杯清水―11:34 奥社―11:44 東の頂上(頂上御嶽)―11:56 高社山山頂〜12:00 発―12:06 東の頂上(頂上御嶽)―12:16 奥社―12:35 一杯清水―13:10 天狗の飛び石(地蔵菩薩)―13:30 高社山神社登山口=(地獄谷温泉、野沢温泉、入浴後往路を戻る)=20:10 新潟着

 高社山は、たかやしろ、あるいはこうしゃさんとも呼ばれる。高井富士という別名も持つ様に、裾野を広げたどうどうとした姿は、志賀高原入口の中野付近から良く眺めることができる。
 平日は快晴、それなのに週末は時雨という天気の繰り返しになっている。早朝目を覚ますと、激しい雨で、再び寝なおしてしまった。何度、こういう朝を迎えたことだろう。黒雲の流れる新潟を離れると、それでも雨は上がり、山間部の道路沿いには紅葉の山の眺めが広がった。高社山の登山道は、南面のよませスキー場から登るコースばかりが紹介されいるが、山と渓谷連載の百低山探訪でも、このコースはあまり面白くないようなことが書いてあった。道路地図を頼りに、登山口のあるはずの高社神社を探すことにした。赤岩地区に入ると、高社山登山道の表示があり、ひとまずホットした。高社神社里宮というのがあり、ここから歩くのかなと思ったが、車道がその先も続いているので、車を先に進ませた。高社山登山道の表示に従って、高度をかせいでいくと、高社神社に到着した。トイレもあり、ここが一般に歩き出す登山口のようであった。道の脇の空き地に車をとめて、リンゴ畑の中を歩き出した。車道をわずかに登ると、墓地の入口から登山道が始まった。その先で、不動明王の姿が石に線で彫り込まれた石碑が現れた。リンゴ畑の中に、道がわかりにくくなっていたが、真っ直ぐ登っていく踏み跡の先の草むらの中に登山道があった。夏草がかぶさり気味で、その先の登山道の状態に不安を覚えたが、コンクリート偽木のだんだんを登っていくと、木の鳥居と石碑が現れ、その先の道は明瞭になった。送電線の巡視路と交差し、杉林の中を登っていくと、周囲には雑木林が広がるようになった。ナラやカエデなのか、雨模様の天気の中にしっとりした色がうかんでいた。登山道脇には、釈迦や如来、菩薩の石碑が一定の間隔をおいて現れた。途中で、これは高妻山で経験したのと同じような、はじめは一不動で、五地蔵や九勢至の現れる、仏さまの里程標であることに気が付いた。紅葉は中腹が盛りであった。登るにつれて、木の葉で登山道がうもれ、雲がかかって寒くなった。途中で、大学生くらいの若い男女の二人連れを追い抜いた。誰も会わない山であろうと予想していたので、意外であった。展望はきかなかったが、水場を過ぎて、登りもひと段落したような感じになった。待望の勢至菩薩、続いて大日如来が現れて、これで山頂かと期待したら八幡神さらには虚空鞍菩薩というのも現れてがっかりした。登山道は、岩壁の下部に出て、そこには奥社が設けられていた。中を覗くと、岩室になっており、避難用にも使えそうであった。鎖のかかる、短い岩場を登ると、登山道は奥社の裏手の方に向きを変え、少し先で長いロープのかかる林の中の急斜面が現れた。落ち葉の積もった黒土の滑り易い斜面で、ロープを頼って強引に体を引き上げる必要があった。登りついた所は、頂上御嶽と解説文が掲示してある祠が置かれていた。やれやれ頂上についたと思って、周囲をながめると、なんか雰囲気が違う様な気がしてきた。二等三角点があるはずであったが見つからず、登山道はさらにその先に続いていた。荷物を背負って、先に進んだ。それほど遠くなく、ようやく本当の頂上に到着した。越年登山の記念碑や展望盤、石の祠、二等三角点、さらに木製の展望台まであり、ごちゃごちゃした山頂であった。目障りな展望台であったが、家に戻って雑誌を見直してみると、山頂のスケッチには、この展望台は描かれていなかった。まさか違った山頂に登ったわけではないよね。晴れていれば、北アルプスの展望を楽しめたかも知れないが、こごえるような風が吹き抜けるだけであった。頂上には、三本の道が登ってきていたが、赤岩からの道が、一番細かった。下りは、落ち葉で滑りやすく、ストックを取り出しての下りになった。奥宮に戻ると、先ほどの二人が、山頂への道が分からないといって迷っていた。奥宮の前には、もう一本道が分かれているが、その先は鎖場とのことであった。山頂への道を教えてあげたが、良くみると、服装は、山の雑誌にでているようフリースやジャケットで決まっていた。山歩きを始めて、まだ長くはないのだろうか。このコースは、山に入ると、仏さまの石碑は数多くあるけれども、一般登山道に見られるような、頂上まであと何キロとか、頂上はあっち、という表示は無く、里山ならではの難しさがあるのかもしれない。
 車に戻ってひと休みしていると、風が強まり、天気が悪くなってきた。充分な山歩きを楽しんだが、時間も早いので、温泉巡りをすることにした。まずは、志賀高原の入口の地獄谷温泉に向かった。冬季オリンピックに向けての有料道路の一部開通で、志賀高原の入口付近はすっかりさま変わりしていた。渋温泉から地獄谷温泉への道は、車のすれ違い困難の林道顔負けのものであった。日曜祭日には、とてもこの道は通過できそうもなかった。上神温泉からの道の方が、少し歩くが、そちらの方がお勧めのようである。駐車場に400円、後楽館の入浴に400円かかった。ひなびた木の浴槽は、秘湯の湯にふさわしいものであった。女湯からは、騒々しい声が聞こえていたが、男湯には誰も入っていなかった。戸の外には、川端に設けられた露天風呂が設けてあったが、その前には、噴泉があり、観光客が記念写真を取り合っていた。観光客が見守る中の、浴槽までの5m程の距離は、短くも困難な数歩であった。露天風呂に入っていると、こちらを見て指さしている観光客もいた。少々無礼。遠くから見守っている猿の方が、行儀が良い。今はやりの故郷創生資金で掘り当てた温泉とは、格の違違う温泉であった。
 帰りに、野沢温泉の外湯にも寄っていくことにした。温泉街入口の中央ターミナル駐車場に車をとめた。温泉に入るだけなので、200円の2時間以内駐車(1日は500円)にした。何回か来たことはあるので、適当に歩いていくと、麻釜の湯に出て、ひとまずここで入浴。狭い湯舟を占領していたグループが出ていったら、一人になってしまった。これだけには入っておかなければということで、次は大湯に向かった。大湯は大混雑であったが、熱めと温めの浴槽が二つ設けてあった。大湯は、以前と様式は同じだが、新しくきれいに立て替えられていた。駐車場に戻る途中、河原の湯の前にも出たが、もう湯当たりしそうで、入るのはやめることにした。

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