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和尚山、安達太良山

1996年10月19日 前夜発日帰り 単独行 晴

和尚山 おしょうやま(1602m) 二等三角点
安達太良山 あだたらやま(1700m) 安達太良山(福島県) 5万 二本松 2.5万 安達太良山、玉井

ガイド:分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「磐梯・吾妻・安達太良山」(昭文社)

10月18日(金) 21:00 新潟発=(R.49、西会津IC、磐越自動車道、磐梯熱海IC、母成グリーンライン 経由)=23:55 銚子ヶ滝登山口着  (車中泊)
10月19日(土) 6:35 銚子ヶ滝登山口発―6:50 銚子滝分岐〜6:54 発―7:12 安達太良山分岐―7:14 銚子滝入口―7:21 銚子滝〜7:30 発―7:39 銚子滝入口―7:44 石筵川丸太橋―9:20 和尚山―10:32 安達太良山〜10:35 発―11:41 和尚山〜12:02 発―13:22 石筵川丸太橋―13:29 銚子滝入口―13:31 安達太良山分岐―13:47 銚子滝分岐―13:58 銚子ヶ滝登山口=(母成グリーンライン、中ノ沢温泉、R.115、猪苗代磐梯高原IC、磐越自動車道、西会津IC、R.49、安田IC、磐越自動車道、新潟亀田IC 経由)=18:45 新潟着

 安達太良山は、那須火山帯に属する火山であり、東からは優美な裾野を広げ、高村光太郎の「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。」という詩に相応しい姿をしている。しかし、その西側には、噴火による荒々しい風景が広がっている。和尚山は、その南端のピークであり、噴火の影響が少なく、山頂は潅木に覆われている。安達太良山は、江戸時代の谷文晃の「日本名山図会」にも取り上げられているが、そこに描かれている山は、和尚山であるともいう。
 この週末は、東北の日本海沿いは雨であるが、内陸部は晴という予報が出た。今週、磐越自動車道の会津坂下ICと西会津ICの間が開通になったこともあり、分県登山ガイド「福島県の山」の山に取り上げられている和尚山に登ることにした。西会津ICから高速道にのると、トンネルの連続で、会津坂下ICまではすぐであった。夜中に到着のつもりで、家を出てきたが、これは母成グリーンラインの料金720円を浮かそうというつもりのためもあった。予想通り、母成グリーンラインのゲートは夜間は開放されていた。しかし、予期せぬ状態になっていた。ゲート前の駐車場には、多くの若者の乗った車が集まり、タイヤをきしませながら、道路を上っていった。母成グリーンラインは、夜間はサーキットと化しているようであった。車のとぎれたところを見計らって車を進めた。カーブを登っていくと、銚子滝登山口のある広い駐車場に出た。周囲は、騒音でけたたましかったが、ここで野宿するしかなかった。睡眠薬代わりのビールを飲んでいると、周りは、暴走族の車に囲まれていた。スピード狂ではあるが、凶暴そうではないのだけが救いであった。とりあえず、大分のお巡りさんの言葉に従い、ドアをロックして眠ることにした。携帯電話を持っていたら、警察に通報してやったのに。
 騒音にもかかわらず、ぐっすりと良く寝た。夜中に不審尋問で起こされることも無かった。あきれたことに、昨夜の暴走族の残党がまだ少しいた。天気は晴であったが、風は冷たかった。銚子滝の案内板の脇から登りだすと、すぐに未舗装二車線の林道に飛び出してしまった。林道をしばらく歩いたところで、銚子滝への遊歩道の入口に出た。遊歩道の周囲の雑木林は、紅葉の盛りを迎えていた。銚子滝へは、急な坂道を下る必要があった。偽木で階段状に整備されていたが、所々崩壊したところもあり、鎖場も現れた。観光客には、少し手強すぎる道であった。銚子滝は、二段に分かれ、紅葉に彩られて、美しい姿を見せていた。登山地図には、この滝は名瀑百選と書かれているが、確か尾瀬の三条の滝はこの名瀑百選に選ばれていないはずで、あまりあてにならない選定のようである。元の登山道に戻るのは、登山なみに体力を振り絞る必要があった。石筵川に出て、バランスを取りながら丸太橋を渡ると、急な登りが始まった。急斜面の登りもそれほど長くはなく、緩やかな台地状の雑木林の中の登りになった。周囲には、紅葉の盛りの雑木林が広がっていた。黄と赤と緑の色が組み合わさり、華やかな中に、はかなさも感じさせた。木々の背丈が低くなると、下生えの笹が勢いを増し、さらに登っていくと、潅木帯に変わった。和尚山の頂上は、残念ながら、ガスに覆われていた。頂上が近づいてくると、傾斜も増し、岩の上を伝い歩く、歩きづらい所も出てきた。ようやく登り詰めた所には、安達太良山の方向を示す金属製標識と紅白のテープを結び付けた朽ちた木の柱が立っていた。登山道は、左手に方向を変え、ガスであまり見通しの利かない稜線上に続いていた。少し先の潅木の茂るあたりの方がやや高いので、そこが和尚山の山頂かと思って進むことにした。木の枝の下をくぐるような道を進んでいくと、標識も見あたらないまま、次第に道は下りになってしまった。東側に紅葉に染まった谷間をかいま見ることができたのもつかのま、稜線を西に巻くようになると、冷たい風が吹きつけるようになった。フリースのジャケットを着て、帽子手袋を身につけると、暖かさを取り戻すことができた。大きく下る道になって、和尚山は通り過ぎてしまったことを知った。昭文社の登山地図を確かめると、山頂を安達太良山方向に迂回してしまう道があることに気が付いた。(下りに注意したが、結局、この鞍部への迂回路は見つからなかった。)その道を進んでしまったのなら、今回の目的地の和尚山を登っていないことになってしまう。戻るべきか迷ったが、すでに、かなり下ってしまっていた。当初の予定では、船明神山を経由する周遊コースをとる予定であったが、安達太良山に登ってから、もう一度引き返すことにした。三人グループが登ってくるのに出会い、初めて人に会うことができた。くろがね小屋から登ってきたとのことであった。急坂を下っても、笹原の広がる台地の緩やかな下りがしばらく続き、ガスで安達太良山までの距離がつかめないため、心細さがました。ようやく登りに変わると、はい松の中に流水のあとも混じって、登山道が判り難くなった。ガスの中に、山頂は見えなかったが、話し声で近くなったことが判った。安達太良山の乳首の下の広場は、東京近郷のハイキング口になる駅前広場なみに登山者が集まって、喧噪の地と化していた。頂上へ登る鎖場は、渋滞していた。頂上に立ったが、見晴らしは全くなく、山頂で記念写真を撮ってもらっただけで下りることにした。ガスで見晴らしの無い中を、ゴンドラ終点方面から続々と中高年登山者が登ってきていた。NHKの中高年の登山教室では、強風の安達太良山の山行が放映されていたので、それとわが身を重ねて、良い体験をしたと思っているものもいたかもしれない。その反面、寒さに震える軽装のものや、石仏よろしく風の弱い岩陰に張り付いて、のびてしまっているものもいた。事故が起きないほうが、不思議なくらいであった。
 早々に、大賑わいの安達太良山を去ることにした。注意しながら、はい松の中の登山道を下っていくと、話声も直にガスの中に消え、再び一人だけの山になった。和尚山への登り返しは、きつかったが、一度歩いた道は、気分的に楽であった。和尚山の頂稜部に到着してから、注意しながら歩いたつもりであったが、やはりなんの標識も見つからないまま、登り口の標識の所まで戻ってしまった。その先の笹原の入口には踏み跡が付いていたが、すぐに消えてしまい、山の縁までは到達できなかった。ガスの切れ間から、その先にはピークは無いことも確認できた。安達太良山と和尚山は、隣り合う山なのに、その待遇は、大きく違っていた。和尚山から下っていくと、雲の境界線の下に出て、紅葉の盛りの山麓の眺めが広がっていた。正面の川桁山も山頂部は厚い雲で覆われていた。銚子ヶ滝の入口まで戻ると、一般の観光客が何人もベンチに腰を下ろして休んでいた。滝見物で、なかなかの賑わいを見せていると思ったら、途中の林道まで、車が乗り入れられていた。母成グリーンラインの林道入口のゲートが閉められていたので、もっと下から登ってきたのだろうか。道路地図を見ても良く分からなかった。
 母成グリーンラインの料金ゲートは、両方向とも磐梯熱海側の入口にあるので、お金の節約のために、少し遠回りになるけれども、中ノ沢温泉から猪苗代磐梯高原ICへ大回りすることにした。道路の周辺は、紅葉の見頃であった。そこそこの天気で一日登山を楽しんだが、新潟県に戻るなり、天気予報通りの激しい雨になった。

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