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燧ヶ岳、尾瀬ヶ原

大戸岳

1996年10月5日〜6日 前夜発1泊2日 単独行 晴/晴

燧ヶ岳 ひうちがたけ
 柴安ぐら しばやすぐら(2356m) 測定点
 爼ぐら まないたぐら(2346 m) 二等三角点 尾瀬(福島) 5万 燧ヶ岳 2.5万 燧ヶ岳
ガイド:アルペンガイド「尾瀬」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、南会津・鬼怒の山50(随想社)、るるぶ情報版「ウォーキングガイド尾瀬」(JTB)、ヤマケイ登山地図帳「尾瀬」

大戸岳 おおとだけ(1416m) 一等三角点補点 南会津(福島) 5万 田島、若松 2.5万 湯野上、上三寄
ガイド;分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、南会津・鬼怒の山50(随想社)、福島の山50(歴史春秋社)、一等三角点の名山と秘境(新ハイキング社)

10月4日(金) 18:15 新潟発=(R.49、会津坂下、会津本郷、R.118、湯野上、R.121、会津田島、R.289、南郷、R.401、内川、R.352、檜枝岐 経由)=23:20 御池駐車場着  (車中泊)
10月5日(土) 4:50 御池駐車場発―4:55 燧ヶ岳登山口―5:40 広沢田代―6:25 熊沢田代―7:28 燧ヶ岳・爼ぐら〜7:47 発―8:02 燧ヶ岳・柴安ぐら〜8:18 発―9:32 温泉小屋分岐―9:54 尾瀬沼林道分岐―10:07 下田代十字路―10:36 竜宮十字路〜10:52 発―11:12 ヨッピ橋―11:27 東電小屋―11:36 尾瀬ヶ原橋―11:48 燧裏林道三叉路―11:58 温泉小屋―12:11 平滑ノ滝展望台―12:36 三条ノ滝分岐―12:44 三条ノ滝―12:50 発―12:57 三条ノ滝分岐―13:16 渋沢温泉分岐―13:20 段吉新道分岐―13:46 仮橋―13:58 天神田代渋沢温泉分岐〜14:05 発―14:24 ノメリ田代―14:31 横田代〜14:37 発―14:45 上田代―15:11 燧ヶ岳登山口―15:15 御池駐車場=(檜枝岐、小豆温泉窓明の湯(850円)、R.352、内川、R.401、南郷、R.289、会津田島、観音沼森林公園、R.121、湯野上、R.118 経由)=20:00 若郷湖西公園  (車中泊)
10月6日(日) 6:10 若郷湖西公園発=(闇川別ナス停、闇川、林道荒俣線 経由)=6:50 大戸岳登山口〜6:55 発―7:37 小屋跡(五合目、山頂まで2.1km、1時間40分の標識)―7:52 清水分岐―8:01 水場―8:48 風ノ三郎―8:58 大戸岳〜9:06 発―9:15 風ノ三郎〜9:30 発―10:00 水場―10:08 清水分岐―10:18 小屋跡―10:46 大戸岳登山口=(芦ノ牧ドライブ温泉(290円)、会津本郷、会津坂下、R.49 経由)=15:45 新潟着

 燧ヶ岳と至仏山は、尾瀬ヶ原のシンボルであるが、その山容は大きく異なっている。西に位置する至仏山は、左右になだらかな肩を広げ、花の名山としても知られ、女性的な山である。これに対し、燧ヶ岳は、北にはこれ以上高い山は無い東北一の高山であり、山頂部に5つの峰を重ねた、勇壮な男性的な山である。燧ヶ岳には、各方面からの登山道が付けられているが、北面の御池からのコースは、途中に湿原が点在し、変化に富んだ山歩きが楽しめる。最近の、沼山峠から尾瀬沼にかけての混雑度を考えると、交通規制の心配の無い御池から歩き始めることのできることが有り難い。
 大戸岳は、会津盆地の南に、扉のようにそびえる山である。ブナ林の広がる静かな山であり、山頂には一等三角点が置かれている。
 紅葉のシーズンになった。登山メーリングリストでも、尾瀬の話題で盛り上がることが多いが、最近の尾瀬の混雑度を考えると、なかなか出かける気にはなれないでいた。至仏山に8月末に登ったものの、尾瀬ヶ原は訪れなかった。また、燧ヶ岳には、子供の頃二度登っているが、いずれも尾瀬沼から長英新道を登って、見晴新道を下山するというものであった。御池からのコースは、ガイドブックで読んだ途中の湿原の美しさに誘惑されたが、当時は、東京から福島県の御池に入るのにまる一日がかりであったことと、長い登りにおじけづいて、登らないまま今にきた。ハイキング地図を見ながらコースタイムを足していくと、御池から燧ヶ岳に登り、見晴新道で尾瀬ヶ原に下り、尾瀬ヶ原を少し歩いて、燧裏林道を経由して御池に戻れば、コースタイムの合計は11時間30分で、少し頑張れば、1日で歩けるはずであった。このコースなら紅葉の盛りの週末でも、観光客の行列の心配は無く、人出はそれほどではなさそうに思えた。
 会津田島を経由して檜枝岐までの道は、いささか複雑であるが、何回かの南会津の山の訪問でお馴染みになっていた。途中で雷雨になったが、七入を過ぎる頃にはやんでくれた。91年に尾瀬ヶ原を訪れた時は、交通規制の無い木曜の夜に沼山峠に登ったため、御池の駐車場に入るのはこれが初めてであった。奥の深い広大な駐車場であった。駐車している車は2割程度で、意外に少なかった。これが早朝には8割程度に増えており、下山時の午後3時には6割程度の混雑度であったが、路上駐車の車が、延々と続いていたところをみると、バスが走り始めた頃には駐車場は満員で大混雑になったようである。懐中電灯を持って登山口の確認に出かけたが、気温が下がっており、寒さにふるえがきた。山では予想以上に季節が進んでいるようで、厚手のカターシャツとズボンに着替えることにした。
 目覚ましをかけて、早朝に起き出した。駐車場は、到着する車や出発の準備をする登山者で騒然としていた。観光バスも到着し始めていたが、エンジンを切らないでアイドリング状態でいるのは問題であった。東の空が僅かに明るくなった頃、懐中電灯をたよりに出発した。入山者カウントのためのゲートを過ぎると、すぐ先に燧ヶ岳の登山口があった。登山道に入るなり悪路が始まった。道の悪さを予想して、いつになくまじめにロングスパッツを着けていたが、すぐに尻のあたりまで泥だらけになった。登山道上には大きな石が露出して、その間を泥がたまっていた。ぬかるみは覚悟していたが、昨夜の雨のせいか、水が流れて沢状になっていた。傾斜もいきなり急になり、濡れた石に手をかけて、心細い懐中電灯の明かりの中で、ひたすら忍の字の登りを続けた。空が白み始め、懐中電灯を不要になるまでには、かなりの標高をかせぐことができた。周囲が明るくなるにつれ、木々の紅葉が目に入るようになった。樹林帯の中から飛び出した広沢田代は、草もみじで、黄色の草原が広がっていた。背後には大杉岳が大きくそびえ、遠くには荒沢岳や越後駒ヶ岳から中ノ岳にかけての稜線も見え始めた。所々に雲もかかっているが、青空が広がり、上々の天気になりそうであった。再び、急な登りを続けていくと、小さな丘のようなピークの上に出た。小さな池塘をちりばめ黄金色に染まった熊沢田代が下方に広がり、その向こうには燧ヶ岳の山頂部が、緑の木々の間に黄や赤に染まった木々を点在させながらそびえていた。尾瀬沼あるいは尾瀬ヶ原をを前景とした燧ヶ岳の姿は写真でもお馴染みであるが、ここからの眺めも、それにひけをとらない素晴らしさであった。山のもっとも華やかな時に訪れることのできたことに満足した。緩やかに下っていく木道に、あぶないなと思ったとたんに、両足が宙に浮いて背中から落ちていた。柔道なら、両審判が旗を上げて、文句無しの一本勝ちが決まったところである。背中のリュックがショックを和らげてくれなければ、頭をうってどうなったかわからないところだった。滑り落ちた湿原から這いあがると、また足が滑った。不思議に思って木道を触ってみると、表面に薄氷が張っていた。昨夜の雨が冷え込みで凍ったもののようであった。少し下れば日向に出て、氷も溶けているはずと、二本並んだ木道の真ん中を、カスガイをまたぎながら、伝い歩きした。湿原の真ん中のベンチにたどりついてホット一息ついた。燧ヶ岳の山頂もそれほどは遠くない距離にあった。誰もいない湿原で、心ゆくままに風景を楽しんだ。階段状になった木道を登っていくと、再び樹林帯の急な登りになった。ところどころ沢をトラバースするようなところがあり、迷い込み防止のためにビニールテープが横に張られていた。残雪期に迷い易いというのは、こういった沢をそのまま下ってしまうために生ずるのかと納得がいった。無雪期には、迷う心配は無さそうな道であった。赤味を帯びた岩のころがるガレ場のトラバースからは、眼下に二つの湿原が光り、大杉岳から会津駒ヶ岳の稜線を正面に見ることができた。その先のハイ松帯をひと登りすると、爼ぐらの頂上に到着した。人気の尾瀬、日本百名山、紅葉の盛り、それにもかかわらず誰もいない山頂であった。汗を拭いながら、周囲の眺めに目をやった。紅葉に彩られた尾瀬沼が眼下に広がり、西には朝日をあびた柴安ぐらがすっくと立ち上がっていた。その左手には湖のように朝霧をたたえた尾瀬ヶ原が広がり、向かい合うように至仏山がそびえ、さらに遠くには笠ヶ岳や武尊山が空に浮かんでいた。柴安ぐらの右手に目をやれば、平ヶ岳、中ノ岳、越後駒ヶ岳、荒沢岳などの越後の山並みが広がっていた。狭い山頂をすこしづつ位置を変えながら眺めていくと、いましがた登ってきた広沢田代や熊沢田代もはるか下に見ることができた。尾瀬ヶ原の霧が晴れるのを待ったが、しばらくかかりそうなので、柴安ぐらに向かうことにした。一旦鞍部におりてから登りかえした柴安ぐらの山頂部は広場風になっており、シャクナゲの潅木を保護するためか、ロープを通す丸太が立ち並んで、荒れた感じのする山頂であった。柴安ぐらにも、至仏山の山頂で見たのと同じ、黒いみかげ石の立派すぎる山頂標識が置かれていた。誰が置いたかは知れないが、安かろうはずは無く、無駄に金を使ったものである。名前を写し込まなければ判らない山頂の記念写真ってのは、写真の腕前が下手な証拠ではないだろうか。自分でも山頂標識といっしょに登頂の記念写真を撮っているので、あまり大きな顔もできないけれど。せっかくの大展望が周囲に広がっているのに、山頂標識とのツーショットだけに夢中になっている登山者のいかに多いことか。山頂の縁に腰を下ろし、尾瀬ヶ原の霧が晴れるのを待った。しだいに霧は羊雲のように切れ切れになり、黄色に染まった尾瀬ヶ原が姿を現した。その頃になると、ようやく他の登山客も姿を現し始めた。山頂付近にガスがかかってきたのをきっかけに下山にとりかかることにした。石が転がって足場の悪い急斜面を注意しながら、標高をどんどん下げていった。登ってくる登山者とすれ違うようになったが、朝の挨拶に続いて、半分は登ってきたでしょうか、と質問されることが多かった。先がどれくらいあるか判らないので答えようがない。沢状の道からブナ林の中に入ると傾斜も緩くなり、周りの木々の紅葉に目をやる余裕も生まれてきた。ブナの紅葉には少し早いようであったが、緑の葉にヤマウルシなどの深紅の葉が際だっていた。
 尾瀬沼林に飛び出して、とりあえずホットした。カメラを取り出して首に下げ、写真モードで歩くことにした。下田代十字路は、宿泊客はまだ到着していないせいか、静かな雰囲気であった。時間は限られているが、尾瀬ヶ原を眺めるために、竜宮小屋から東電小屋への周遊コースをとることにした。尾瀬ヶ原は、黄金色に染まり、まさに紅葉の盛りであった。心配していた木道の混雑もそれほどひどくなく、立ち止まって写真をとるのにも、それほど不自由しなかった。竜宮小屋の周囲は、混雑しており、あいかわらず女性トイレは長い列ができていた。休んでいる最中に小耳にはさんだところでは、30分待ちだったそうである。小屋をのぞくと、冷えたビールが出迎えてくれた。残された5時間の歩きのことは目をつぶり、誘惑に負けてビールを買ってしまった(470円)。冷えたビールを指でつまんで、竜宮十字路のベンチに向かった。昼時で賑わっていたが、空いたベンチをみつけてすわり込み、ビールの缶を開けた。乾杯、尾瀬ヶ原と至仏山と燧ヶ岳。昼食は、いつものコンビニのイナリズシであったが、黄金色の尾瀬ヶ原の真ん中で、至福の時をすごした。ベンチの脇の池には、ヒツジグサの葉が、色づいて浮かんでいた。すっかり酔いが回り、いい気持ちになって景鶴山に向かって歩き出した。今回の目的のひとつに、新潟県の尾瀬ヶ原を訪ねることがあった。尾瀬ヶ原は、福島、群馬、新潟、の三県の境界にあるといっても、新潟県に属するのは、ヨッピ橋の先のヨシッポリ田代から東電小屋を経て東電尾瀬橋の間の狭い周囲しかない。この区間は、なぜかいままで歩いたことがなかった。尾瀬ヶ原の北端のこの一帯は、中央部のような広大な眺めは無いものの、拠水林に囲まれて箱庭のような美しさがあった。新しい建物の東電小屋の周辺は、やはりハイカーで賑わっていた。
 尾瀬ヶ原を流れ出ていく只見川の源流を東電尾瀬橋で渡り、温泉小屋へ向かうと、再び人が多くなった。三条ノ滝への道は、所々ぬかるんだところがあり、運動靴のハイカーは苦労していた。平滑ノ滝展望台や三条ノ滝展望台への下り口の急な階段では、おそるおそる下るため、渋滞していた。三条ノ滝は、やは立派であったが、周りの紅葉には少し早かった。狭い展望台は、ビニールシートを広げて昼食のグループがいるため、混雑はますますひどくなっていた。滝に尻を向けて座っているなら、すいている上の広場で休めばいいようなものだが。兎田代までの急坂を、これが最後の登りと自分に言い聞かせて頑張った。せっかくのビールも、汗とともに流れ出てしまった。燧裏林道にでて、あとは御池までの水平の道が残されているばかりとなった。ブナ林の中を、木道が延々と続いた。木道は、早く歩くことができるが、足を踏み外さないようにそれなりの注意が必要であり、次第に足の裏が痛くなってきた。木道は自然保護のための湿原だけに留めておいてほしいものである。ブナ林の中の落ち葉の降り積もったソフトな感触の道であったと思うが。過剰な整備は、環境破壊の一種ではないだろうか。燧裏林道の前半は、ブナ林の中の、展望の効かない道で、紅葉に目を奪われていても、次第に長いなと思うようになった。ようやく御池に近づいてきたところで横田代の湿原に到着して、その風景に再び元気をとりもどした。山の斜面に広がる傾斜湿原は、箱庭のようなた美しさであった。上田代は、かなりの広さの湿原で、午後の光りを受けて光る草原の向こうに、平ヶ岳も頭をのぞかせていた。長く変化に富んだ一日の山旅を締めくくるに相応しい眺めであった。最後の坂を下ると、自動車の騒音も近づいてきて御池の駐車場に戻ることができた。
 着替えを終えるなり、通り雨が降り始め、急に冷え込んできた。ここまでは、計画通りに順調にことが進んだが、この後には迷走が始まった。とりあえず着替えをして、檜枝岐へ温泉に向かった。まず、町役場の脇にあったはずの第二公衆浴場に向かったが、駒の湯と名前が変わって、改築工事のための休業中であった。それではということで、第一公衆浴場に戻ったが、ここは燧の湯と名前が変わって、第一、第二と2軒に増えているにもかかわらず、どちらも満員で、入浴お断りであった。檜枝岐には、アルザ尾瀬の郷というのもあるが、ここはプール付きで高いので、少し車を走らせた先の、小豆温泉窓明の湯に向かった。ここは850円と少し高かったが、きれいな温泉で空いていてゆっくりと温泉につかることができた。温泉の前のスノーシェードの右手に、三岩岳の登山口であったが、連日の登山には少し手強そうなため、裏那須の三倉山に登ることにした。夕食と翌日の食料の買い出しのためにコンビニを探しながら車を走らせると、結局、会津田島まで戻ってしまった。登山口の大峠へ続く林道めざして観音沼へ登っていくと、水道工事のためこの先の林道口全面通行止めの掲示があった。これで、今年は、三倉山は断念ということになり、野宿の場所と登る山を考えなければならなくなった。家に帰ろうかと弱気にもなったが、一等三角点のある太戸岳に登ることにして、途中のダムサイトにある若郷湖西公園に向かった。若郷湖西公園は、国道のすぐ下にあるが静かで、トイレもあって野宿地の条件を備えていた。  翌朝、登山口の闇川の集落へ向かった。集落のはずれに太戸岳の謂れを書いた木の看板がたっており、その脇に林道の入口があった。途中から砂利道に変わる林道を1.2lkm走ると、沢にコンクリート橋がかかる登山口にでた。登山口には、すでに車が一台とまっており、少し先の林道脇に車をとめた。橋を渡ると、堰堤脇の登りになり、登山道上にはヤマグリのイガがつもり、小さな実も見つけることができた。雨水の通り道になっているらしい、赤土の滑りやすい道を登っていくと、雑木におおわれた尾根道になり、さらに高さをあげていくと、周囲にブナ林が広がるようになって歩きやすい道になった。ひたすら登る道で、前日の疲れが残っている身には辛かった。けっこうハードな登りで、もっと楽な山にしておけば良かったと後悔した。静かな山で、林の中にときどきドングリかなにかの木の実が落ちる音がした。清水分岐に着いて、古いガイドにのっている尾根コースをうかがうと、薮の中に消えていた。水場を過ぎると、急に道は細くなり、トラバース道で足を踏み外さないように、歩くのに注意が必要になった。途中で、沢状のガレ場を真っ直ぐ登り、再びトラバース道となり、またもやガレ場の直登が現れた。夏草がうるさい道を、赤テープを確認しながら登っていくと、尾根上に出て道は再び明瞭になった。右手が崩れ落ちた岩場を登ると、山頂手前のピークの風ノ三郎に到着した。紅葉に彩られた太戸岳の山頂は目の前に広がり、周囲には遮るものの無い展望が広がっていた。ただ、霧が流れて遠くの山が見えないのが残念だった。このピークを分県登山ガイドでは「風ノ又三郎」と書いているが、宮沢賢治に親しんでいればそう呼びたい気持ちはわかるが、他のガイドでは「風ノ三郎」となっている。一旦鞍部に下ってから、山頂まではそれほど遠くはなかった。太戸岳の山頂は、木に囲まれて見晴らしは良くなかった。一等三角点の写真を撮って、風ノ三郎に戻ってから休憩することにした。帰りは、転げおちるような下りになった。途中で3組6名の登山者にであったが、この山はそれだけの人数でも多いほうなのかもしれない。帰りに、以前に見つけて、安いので気にいっている芦ノ牧ドライブ温泉(290円)に入浴してから家路についた。

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