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神室山、薬師山

太平山

1996年9月14日〜15日 前夜発1泊2日 単独行 小雨/曇り

神室山 かむろさん(1365m) 二等三角点 神室山地(秋田、山形) 5万 羽前金山、秋ノ宮 2.5万 神室山、鬼首峠
ガイド:アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド 東日本編(新ハイキング社)、東北百名山(山と渓谷社)、山形百山(無明社)、山と高原地図「栗駒・早池峰・焼石岳・神室山」(昭文社)

薬師山 やくしやま(437m) 一等三角点基点 神室山地(山形) 5万 羽前金山 2.5万 羽前金山
ガイド:分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明社)
太平山 たいへいざん(1171m) 一等三角点本点 太平山地(秋田) 5万 太平山、秋田 2.5万 太平山、松原
ガイド:アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド 東日本編(新ハイキング社)、東北百名山(山と渓谷社)

9月13日(金) 17:40 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、荒井浜、R.345、神林、R.7、鶴岡、R.345、立川、R.47、新庄、R.13、金山、神室ダム 経由)=22:45 神室ダム採石所跡駐車場着  (車中泊)
9月14日(土) 5:30 採石所跡駐車場発―5:35 久那斗神碑―5:49 林道終点―6:12 大滝入口―6:40 二股―7:52 春日大社の大岩―8:13 前神室山分岐―8:22 レリーフ―8:24 西ノ又分岐―8:57 神室山〜8:44 発―8:57 西ノ又分岐―9:00 レリーフ―9:07 前神室山分岐―9:19 春日大社の大岩―10:12 二股―10:37 大滝入口―10:55 林道終点―11:09 久那斗神碑―11:15 採石所跡駐車場着=(神室ダム、金山、R.13 経由)=12:20 薬師山登山口着〜12:28 発―12:51 薬師山〜13:00 発―13:18 薬師山登山口=(R.13、湯沢、十文字IC、横手IC、秋田自動車道、秋田南IC、仁別、仁別国民の森 経由)=17:50 旭又キャンプ場  (車中泊)
9月15日(日) 6:00 旭又キャンプ場発―6:05 赤倉登山口―6:25 御滝神社―7:17 御手洗〜7:23 発―8:00 稜線コース分岐―8:08 大平山〜8:30 発―8:38 稜線コース分岐―8:45 旭岳―8:52 稜線コース分岐―9:16 御手洗―9:50 御滝神社―10:09 赤倉登山口―10:14 旭又キャンプ場着=(仁別、秋田、R.7、村上、瀬波温泉、R.345、荒井浜、R.113、蓮野IC、R.7 経由)=18:10 新潟着

 神室山は、秋田県と山形県境に広がる神室山地の主峰である。その名が示すように、かつては信仰登山の山であり、西の鳥海山に対し、東の御山と呼ばれたこともあるという。標高は低いが、豪雪地にあるため、谷は深く、樹林限界は低く、アルペン的様相を見せている。幾つもの登山コースが整備されているが、交通の不便な地にあるためか、二百名山に選ばれているにもかかわらず、静かな山を味わうことができる。
 薬師山は、神室山地の西に位置する金山町のはずれに三つ連なるトンガリ山の一つである。R.13は、この山を半周近く巻いて走っており、いやでも目に入ってくる里山である。山頂には、薬師如来が祭られ、また一等三角点の基点が置かれている。
 太平山地は、秋田市の東の海岸近くに、独立した山塊を形成している。奧岳は、その主峰であり、山頂には、三吉神社の奧宮が置かれている。奧岳へは、幾つかの登山道が開かれ、北西に位置する馬場目岳との間に、馬蹄形縦走路も整備されている。三百名山にも選ばれているが、それよりも秋田市郊外の故郷の山として登られているようである。
 平日は晴天続きだったのに、せっかくの連休の週末は、雨の予報になった。秋雨前線から少しでも遠ざかるために、北に向かうことにした。新庄でR.13に入って金山町に向かうと、川の手前に神室ダムの標識があった。ダムサイトまで良い道が続き、展望広場を過ぎた所で、ガイドブックにもある神室大橋に出た。橋を渡って右折し、少し走った所に駐車場があり、その先の車道には進入禁止の道路標識が付けられていた。夜間で対向車のおそれもないので先に進んでみると、少し先の小広場で舗装道路は終わっていたが、その先に未舗装の林道が続いていた。暗い中で様子の分からない林道に突入するわけにもいかず、通り過ぎてきた駐車場に戻ることにした。車の中で寝ていると、明け方近くになって、小雨が窓を打った。明るくなってから周囲をみると、ここが採石所跡の駐車場であった。
 朝には雨は上がって、一応、雨具は着ないで出発することができた。未舗装の林道に入ってすぐの所に、久那斗神碑の説明の看板があった。肝心の石碑を探すと、かたわらの草むらにころがっているただの石に、久那斗神と彫り込んであるのがそうであった。林道を歩いていくと、沢の左岸に歩道が付けられているのが見えた。ダム工事中の付け替え道だったらしいが、途中に木製の新しい立派な橋が架かっているのが見えた。沢の流れを眺めながら歩いていくと、左岸との間に吊り橋がかかる林道終点の広場に出た。ここまでは、車も問題なく入ることのできる道であった。広場の先から上流に向かう踏み跡があり、これが登山道のようであった。普通なら、ここには、神室山登山口といった標識があるものだがと思いながら、ピンクや黄色のツリフネソウをかきわけながら、草に被われ気味の道を進んだ。あまり人の通らない道のようで、さっきの吊り橋を渡った左岸に、新しい登山道でもできているのかと、迷いが生じた。沢沿いの少し広くなった林の中に、石組みの跡があり、これがガイドブックにもある炭焼き窯のようであったが、使われなくなって久しいのか、苔で覆われていた。沢沿いの細々とした道をたどっていくと、大滝入口という、始めての標識が現れて、一応登山道であることを確かめることができた。登山道の周囲にはブナ林が広がり、サワグルミの実が落ちていた。登るにつれ雨が降り始め、結局、雨具を着込むことになった。二股で沢を一本渡ると、急な尾根の登りが始まった。登山道は前よりも明瞭になったが、つづら折りの辛い登りになった。汗と雨で、雨具を着ていてもすっかり濡れきった状態になった。急坂もひと段落して丈の短くなった林の中を進んでいくと、岩を回り込む所があり、振り返って見てみると春日大社と彫り込んであった。谷の向こうにピラミッド型をした小又山が顔をのぞかせていたが、まだもうひと登り先の神室山の山頂は、ガスで被われていた。再び急坂の汗を流すと、八幡神と刻まれた石碑の置かれたピークに着いて、急な登りも終わった。ガスの間から、三角形のどうどうとした形の前神室山を眺めることができたが、カメラを取り出す間もなく、再び隠れてしまった。その先の主稜線を右に向かうと、東風が強く当たるようになった。晴の日なら、稜線漫遊といった感じの道であろうに、山頂までの稜線歩きが長くないことを祈るしかなかった。途中、短いが、通過に注意を要する岩場の下りがあった。山頂に近づくにつれ、風はますます強くなった。神室山の山頂には、石碑と三角点、山頂標識が置かれ、三方から登山道が登ってきていた。周囲の展望を楽しむことのできそうな山頂であったが、風が少しは弱い所を選んでひと休みするしかなかった。山頂から西に100m下った所に避難小屋があるということであったが、山頂から小屋を見通すことはできなかった。当然といっていいか、誰もいない二百名山の山頂であった。百名山であったら、これくらいの雨や風くらいでは、登山者がとぎれることは無いのだが。風に足元をすくわれないように、ストックを取り出して、下りにかかった。稜線から離れて尾根の下りにかかると、風は全く当たらなくなったが、雨のために道が滑りやすくなった。下るに連れ、薄日もさすようになってきたが、振り返って見た山頂は、あいかわらず雲で被われていた。山中で会ったのは、他のコースから登ってきた二人連れと単独行だけで、連休の山としては、やはり静かな山であった。
 次いで、横手から秋田に向かおうとしたが、金山町から正面に薬師山が見え、R.13沿いに登山口があった。晴れ間ものぞき始めたので、一等三角点のあるこの山にも登っていくことにした。飛森バス停の停車スペースの隅に車を置いて登り始めた。鳥居をくぐると、杉林の中の急な登りが始まった。登山道上には落ち葉がつもり、滑りやすくなっていた。山頂まではそれほど長くない登りであったが、下着を着替えたばかりなのに、再び全身汗まみれになってしまった。山頂には、赤い屋根の薬師神社の社殿が立ち、その前は金山町を見下ろ広場になっていた。神室山は、依然として厚い雲に被われていた。目的の一等三角点は、社殿の後ろの少し高くなった草むらの中にあった。帰りは、木の枝を支えに急坂を下っていくと、直に国道に飛び出した。
 横手の手前の十文字から高速道にのり、秋田自動車道に入った。秋田周辺は交通量が多く、ひとりの運転では道順を確認することが難しかったが、昨年に続いて秋田は二度目であったため、仁別国民の森の標識を目当てに走っているうちに見覚えのある道に出た。太平山は、登ろうとして果たせなかった、懸案の山になっていた。昨年、白神山に登った翌日太平山に登ろうとして旭又キャンプ場に幕営したが、夜中から暴風状態になり、登山を諦めて新潟に帰ってしまった。山に向かって車を走らせていくと、再び雨が激しく降り出した。旭又キャンプ場の駐車場には、10台程の車がとまっていたが、キャンプのグループは二組だけであった。ターブを張って夕食中のグループをながめて、テントを張るか迷ったが、車の中でコンビニ弁当を食べ、そのまま寝てしまった。
 雨は夜明け近くまで続いたようであった。朝は体が痛くて目が覚めた。車の中での窮屈な姿勢のこともあるが、10時間も寝ていたので当然かな。キャンプ場の入口から太平山への登山道に入って僅かに登ると水平の道に出た。森林伐採用のトロッコが走っていたらしい、幅3m程の軌道跡が登山道になっていた。杉林のなかの広い道は、お宮の参道といった風情があった。沢を渡った先にも軌道跡は続き、枕木が地面に鉄釘で打ち込まれたまま残されていた。杉林の中の一直線の登りになったが、傾斜は結構あり、昔は、トロッコはワイヤーで巻き上げられでもしたのだろうか。沢を横断する手前に迂回路の印があり、登山道は、一旦沢に下りて、対岸に再びよじ登るようになっていた。沢にかかる丸木橋から上を見ると、鉄製の橋がかかっており、トロッコ時代のなごりの橋が老巧化して通れなくなったようであった。軌道跡に戻ると、その先に御滝神社があった。軌道跡は、さらに谷の奧に続いているようであったが、草にうもれていた。鈴などが飾られた祠に手を合わせ、杉林の中の登りにとりかかった。杉の生えた尾根を登っていくと、いつしか杉は姿を消してブナ林に囲まれるようになった。登りの傾斜はかなりあるが、所々現れる平坦地で息を整えながら登り続けた。ようやく傾斜が緩くなり、少し下り気味にブナ林の中を進むと御手洗(みたらし)の広場に出た。遠くからは、二人並んだ姿が見えたが、近づいてみると、帽子をかぶせ、前掛けを着せた石のお地蔵様であった。だまされた気分になって、少しうす気味わるくなった。広場の隅には湧き水があって、そばにはコップがいくつも置かれていた。ここまでの登りは、良く整備されて歩き易いものの、決してあなどれない標高差があった。家に戻ってからガイドブックで御滝神社と御手洗の間のコースタイムを見ると、1時間あるいは1時間40分となって、本によってかなり違っていた。広くなった山の斜面をジグザグに登っていくと、賑やかな声がして、子供も含めた10名以上の集団が下りてきた。山頂小屋の泊まり組のようであった。稜線上に登りつめると、縦走路との分岐に、鐘が吊るされていた。ひと打ちしてから、太平山に向かうと、ガスが上がり始めて、金属製の立派な鳥居の向こうに山頂が姿を現した。太平山奧岳の山頂は、小屋で占領されていた。最後の石段を登っていくと、太鼓が打ちならされ、祝詞をあげる声が聞こえてきた。山頂小屋の前を抜けて、奥社の前に出ると、石碑や一等三角点、展望盤が置かれた広場になっていた。社殿の中をのぞくと、装束に身をかためた神主が朝の祝詞の最中であった。山頂に着いたのと同時に、ガスがあがり始めた。秋田市はすぐ足元にあって、日本海越しに男鹿半島を眺めることができた。平野部には、黄色く色ずんだ水田が広がっていた。秋田だから秋田こまちだろうか。鳥海山は、広い裾野を日本海に落としこんでいたが、山頂は雲に被われていた。展望盤を頼りに山を探していくと、和賀・真昼山地の左手に、秋田駒ヶ岳と岩手山がそびえ、その間に顔をのぞかせている遠くの山が早池峰のようであった。縦走路を振り返ると、赤倉山を越して馬場目岳まではかなりの距離があった。眺めを楽しんだ後に、下山することにした。縦走路の分岐まで戻ってから、その先の旭岳のピークに登って、奥岳を振り返って眺めた。縦走路は、その先、赤倉岳との間の鞍部かけて大きく下っていき、道は草でかぶり気味になっていた。赤倉岳コースを経由して下ることも考えていたが、登山道の様子をみると、時間がかかりそうなので、登ってきた道を戻ることにした。下っていくと、多くの登山客に出合うようになった。家族連れはもちろん、かなり大人数の団体も混じっていた。昨日、秋田県内で、きのこ採りの男性が熊に襲われて怪我をしたというニュースがあったせいか、熊避けスズを鳴らしているものが多かった。道が良く整備されているため、下りは楽であった。キャンプ場への最後の坂を下っている時、登山道に敷き詰められている横木は、枕木を流用したものであることに気が付いた。途中の沢の手前までの軌道跡には、枕木は無くなっていたが、ここに使われてしまっていたのであった。キャンプ場の駐車場は車で満杯の状態であった。バスが中央にとまっているので、路線バスは平成七年度から廃止になっていたはずだと不思議に思ったが、これは「交通安全祈願登山」の貸し切りバスであった。
 秋田から新潟までは、250kmを越える距離があったが、車の流れは順調で、夕飯に間に合う時間に家に戻ることができた。

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