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笠ヶ岳、至仏山

1996年8月31日 前夜発日帰り 単独行 霧

笠ヶ岳 かさがたけ(2058m) 三等三角点
至仏山 しぶつさん(2228m) 二等三角点 尾瀬(群馬) 5万 藤原 2.5万 至仏山

ガイド:アルペンガイド「尾瀬」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「群馬県の山」(山と渓谷社)、群馬の山歩き130選(上毛新聞社)、関東百名山(山と渓谷社)、ヤマケイ登山地図帳「尾瀬」(山と渓谷社)

8月30日(金) 20:10 新潟発=(関越自動車道、沼田IC、R.120、蒲田、R.401、戸倉 経由)
8月31日(土) =0:30 鳩待峠  (車中泊)
5:35 鳩待峠発―6:30 オヤマ沢水場―6:38 笠ヶ岳分岐―7:43 湯ノ小屋分岐―7:53 笠ヶ岳〜8:15 発―9:26 笠ヶ岳分岐―9:44 小至仏山―10:13 至仏山〜10:35 発―11:02 小至仏山―11:20 笠ヶ岳分岐―11:28 オヤマ沢水場―12:20 鳩待峠=(水上片品線、坤六峠、湯ノ小屋、水上IC、関越自動車道 経由)=17:40 新潟着

 至仏山は、尾瀬ヶ原の西に優美な裾野を広げ、急峻な山容を見せる東の燧ヶ岳と好一対をなす山である。原の向こう見えるこの山がなかったならば、尾瀬ヶ原の魅力は半減するであろう。至仏山は、また花の名山としても名高く、ホソバヒナウスユキソウやオゼソウなどの貴重な高山植物が多い。
 笠ヶ岳は至仏山の西に位置する山である。鳩待峠から至仏山への途中から湯ノ小屋ルートに入れば、比較的容易に登ることができる。笠ヶ岳周辺にもお花畑が広がり、山頂からの展望は、県下一とまでいわれているが、至仏山と比べて格段に静かな山旅を楽しむことができる。
 夏の締めくくりの山はどこにしようかと迷った。今週は、のんびりと歩いてみたかった。ガイドブックをめくっているうちに、笠ヶ岳とそのついでに至仏山に登ってみたくなった。尾瀬の人出もひと段落し、普通の混み合いで歩きたいなら、花も終わり、紅葉にも早い、今しかなさそうであった。尾瀬戸倉までは、道路地図も確認する必要の無いお馴染みの道であった。すっかり開けているのには驚いたが。いつから戸倉は温泉になったのだろう。夏の期間中の全ては、鳩待峠は交通規制中と思いこんでおり、尾瀬戸倉スキー場の臨時駐車場に入った。広大な駐車場には、デズニーランドみたいな乗客誘導用の鉄柵が並べられたバス乗り場とタクシーが設けてあった。しかし、霧の中を見渡すと、一台の車もなかった。様子がおかしいので、駐車入口の掲示をみると、この週末は規制日ではなかった。うれしい誤算で、鳩待峠に向かって車を走らせた。鳩待峠に始めて入ったのは30年前のことで、当時は、大清水と富士見下が代表的入山口であった。鳩待峠へは戸倉の集落で鎌田からタクシーを呼ぶしかなく、穴場的入山口であった。当時は、車の腹をこすりながらの悪路であったのが、立派な車道になっていた。峠の手前に、大きな駐車場が設けてあった。駐車場の両側と真ん中の三列駐車であったが、両側が車でほぼ埋まった状態であった。
 物音で目を覚ますと、霧の朝であった。いつの間にか、真ん中の列も車で埋まっていた。朝の鳩待峠は、朝食中の登山客で賑わっていたが、時間の関係もあるのかもしれないが、観光バスから団体がゾロゾロ吐き出されるといった光景はみられず、霧に囲まれて静寂さは保たれていた。至仏山への登山道は、笹原の切り開きのダラダラ登りで始まった。至仏山は、都会の肥満児童であった私が最初に登った本格的な山。記憶にあるのは、笹の中に続く長い登り坂と夏の太陽にあぶられた草いきれである。夏の終わりの霧の山は、肌寒いくらいであったが、歩いていると汗が吹き出して、Tシャツでの歩きになった。登山道は、泥でグシャグシャであった。でも、ここらの山は、これが当たり前のこと、山から戻ったら着替えればいい。気にしないで歩くが、泥の付いた登山靴が木道の上で滑るのは困った。風が木立を吹き抜けると、霧によって葉に付いた水滴が、音を立てて降り注いできた。前を行く団体が、雨が降ってきた、雨具だといって騒いでいた。至仏山へのコースから湯ノ小屋への道に入っても、しっかりした道が続いた。湯ノ小屋コースは、長年にわたって荒廃とされてきたが、笹の刈り払いも行われたおり、整備の手が加えられているようである。分岐からすぐの所で、登山道脇の木に「悪沢岳 KUMO」の私設標識が付けられていた。しかし、登山道は悪沢岳の下を巻いているはずであった。その先に小ピークが見えており、付けるならその上だろうに。自己顕示欲のために、人に見てもらえる所に付けたのであろうか。この私設山名標識については、賛否両論あるが、少なくともここには山頂標識はあってはならないと思う。緩やかに、でも結構長い下りが続いた。霧の中で、周囲の様子は分かりにくかったが、途中、夏の盛りにはお花畑になるような草原が点在していた。笠ヶ岳は、一旦下部を西にトラバースして、湯ノ小屋への道を分けてから、戻るように登る必要があった。笠ヶ岳への登りは、足元の不安定なガレ場で、濡れた岩に足を滑らせないように注意が必要であった。笠ヶ岳の山頂は、赤味を帯びた岩が積み重なっていた。展望の得られないのは残念であったが、だれもいない山頂で、登頂の喜びを味わった。帰りは、元の道に戻るまでの登りが待っていた。笠ヶ岳へのコースでは、途中で4名に出合ったのみであった。分岐も近いかなと思って歩いていたら、道を曲がったとたんに、登山道でしゃがみ込んでいるオバサンに出っくわした。何をしているのかを目で見て、頭の中で理解するのに数秒はかかった。登山道で小用を足している最中であった。一応少し戻って、見ないことにしたが、音は聞こえていた。笹薮に入って、隠れてすればいいのに。登山道の周辺に多くの紙が散乱しているのが、不愉快であった。顔を合わせられないのか、走って登山道を駆け上がっていく姿を見送った。  至仏山への登山道に戻ると、多くの登山者に行き交うようになった。傾斜の増した道を行くと小至仏山に到着し、この先は、岩稜地帯の歩きになった。岩の表面は、登山靴で磨かれて、濡れた登山靴では非常に滑りやすくなっていた。歩きにくい道であったが、昔は、このような道で苦労した記憶が無い。お花畑の中をトラバースしながら登っていったような気がするのだが。至仏山の山頂部の岩も、笠ヶ岳と同じ赤味を帯びた色をしていた。同じ蛇紋岩だとすると、笠ヶ岳にもホソバヒナウスユキソウは咲くのであろうか。至仏山の山頂は、多くの登山者で埋まっていた。登り口には、新しい立派な山頂標識が立っていた。山の鼻コースの入口はロープで閉鎖され、その脇の閉鎖を告げる看板の文字は、色あせていた。空は明るくなってはいたが、霧は晴れそうにもなかった。三度目の至仏山になったが、ひさしぶりの山もいいものである。山には、季節を異に、また時間をおいて登る必要がありそうである。そういえば、百名山連続踏歩も今日の富士山で終わっているはずだった。有名な登山家が123日で、日本百名山に登ってしまい、その後は、講演会などで百名山をダシに使うことはあっても、至仏山などの中級の山に足を向けることはまずないだろう。日本百名山というのは、やっとの思い出山頂に到着して記念写真を撮り合っているこれらの中高年ハイカーの、長年かかって果たすささやかな夢だと思うのだが。尾瀬ヶ原を見下ろし、そのかなたにそびえる燧ヶ岳の展望は、今日の所は見ることができなかった。下りの道は、岩の表面が乾いてきて、少し歩きやすくなっていた。途中、オヤマ沢水場で元気を取り戻したが、最後の笹原の中の緩い下り道では、早く鳩待峠に着かないかなという気分になってきた。峠では、休憩所のベンチで、多くのハイカーが昼食中であったが、バスやタクシー乗り場は、ひっそりとしていた。
 駐車場から出て道を下っていくと、路肩に延々と続く違法駐車の列にあきれた。駐車違反で罰金を取り、尾瀬の環境整備に使えばいいのに。帰りには、坤六峠を越して、水上に出てみることにした。少し古い道路地図には、悪路と書いてある道であるが、完全舗装の山岳ドライブコースに変わっていた。対向車も結構あって、カーブの際には注意が必要であった。途中で、湯ノ小屋温泉竜洞(1000円)にて露天風呂に入った。水上ICと戸倉の間は、1時間30分程で、新潟方面からだと、沼田経由よりも早いかもしれない。ただ、曲がりくねった道なので、夜間の走向は、かなり神経を使うと思われる。

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