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大雪山・旭岳

羅臼岳

斜里岳、摩周岳

雄阿寒岳、雌阿寒岳

トムラウシ山

十勝岳

後方羊蹄山

1996年8月4日〜10日 9泊10日 単独行  雨/雨/曇り/晴/晴曇り/曇り

大雪山・旭岳 たいせつざん・あさひだけ (2290m) 一等三角点本点 大雪山系(北海道) 5万 旭岳、大雪山 2.5万 旭岳、愛山渓温泉
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、大雪山を歩く(山と渓谷社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭分社)

羅臼岳 らうすだけ (1660m) 二等三角点 知床(北海道) 5万 羅臼 2.5万 羅臼
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)

斜里岳 しゃりだけ (1061m) 二等三角点 道東(北海道) 5万 斜里岳 2.5万 斜里岳
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)

摩周岳(カムイヌプリ) ましゅうだけ(かむいぬぷり) (857m) 標高点 道東(北海道) 5万 摩周湖 2.5万 摩周湖南部
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)

雄阿寒岳 おあかんだけ (1370m) 二等三角点 道東(北海道) 5万 阿寒湖 2.5万 雄阿寒岳
雌阿寒岳 めあかんだけ (1499m) 標高点 道東(北海道) 5万 阿寒湖、上足寄 2.5万 雌阿寒岳、オンネトー
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)

トムラウシ山 とむらうしやま (2141m) 一等三角点補点 大雪山系(北海道) 5万 旭岳、十勝川上流 2.5万 トムラウシ川、オプタテシケ山、トムラウシ山、旭岳
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、大雪山を歩く(山と渓谷社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭分社)

十勝岳 とかちだけ(2077m) 標高点 十勝連峰(北海道) 5万 十勝岳 2.5万 白金温泉、十勝岳
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、大雪山を歩く(山と渓谷社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭分社)

後方羊蹄山( 羊蹄山) しりべしやま(ようていざん) (1898m) 測定点 1893m 一等三角点本点
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「ニセコ・羊蹄山」(昭分社)

8月2日(金) 22:00 新日本海フェリー乗船開始=23:50 新潟出航=(船内泊 二等寝台)
8月3日(土) 17:10 小樽着=(小樽IC、札樽自動車道、札幌IC、道央自動車道、旭川鷹栖IC、旭川、東川 経由)=20:55 旭岳ロープウェイ駅着  (車中泊)
8月4日(日) 6:00 旭岳ロープウェイ駅発=(大雪山旭岳ロープウェイ)=6:20 姿見駅着―6:37 姿見ノ池―7:39 金庫岩の肩部―7:47 旭岳山頂〜7:57 発―8;04 金庫岩の肩部―8:52 姿見ノ池―9:06 姿見駅―9:10 姿見駅発=(大雪山旭岳ロープウェイ)=9:30 旭岳ロープウェイ駅着=(えぞ松山荘入浴(600円)、旭岳温泉、東川、当麻、R,39、北見、美幌、R.334、斜里、宇登呂 経由)=18:45 ウトロ知床自然センター  (車中泊)
8月5日(月) 4:00 ウトロ知床自然センター発=4:20 岩尾別温泉着〜5:20 発―6:20 弥三吉水―7:07 銀冷水―7:20 大沢―7:48 羅臼平―8:31 羅臼岳山頂〜8:41 発―9:28 羅臼平―9:55 大沢―10:07 銀冷水―10:45 弥三吉水―11:42 岩尾別温泉=(岩尾別温泉露天風呂入浴(無料)、R.334、宇登呂、斜里、清里 経由)=16:40 清岳荘着  (清岳荘泊)
8月6日(火) 4:33 清岳荘発―5:07 下二股―6:10 上二股―6:34 馬ノ背―6:47 斜里岳山頂〜7:00 発―7:20 馬ノ背―7:40 上二股―8:12 熊見峠―8:47 下二股―9:17 清岳荘着=(清里、R.391、川湯温泉 経由)=11:14 摩周第一展望台〜11:24 発―12:15 684mのピーク―12:56 西別岳分岐〜13:06 発―13:38 摩周岳山頂〜13:45 発―14:16 西別岳分岐―14:56 684mのピーク―15:42 摩周第一展望台着=(摩周温泉、R.241 経由)=17:55 滝口着  (テント泊)
8月7日(水) 4:43 滝口発―5:14 次郎潟分岐―5:25 一合目―5:45 二合目―6:04 三合目―6:25 四合目―6:54 五合目―6:59 オクルシュペコース分岐―7:06 六合目―7:17 七合目―7:25 八合目―7:33 九合目―7:38 雄阿寒岳山頂〜7:53 発―7:58 九合目―8:06 八合目―8:12 七合目―8:21 六合目―8:27 オクルシュペコース分岐―8:31 五合目―8:53 四合目―9:07 三合目―9:23 二合目―9:38 一合目―9:46 次郎潟分岐―10:03 滝口着=(滝口、R.240、R.241 経由)=10:40 雌阿寒温泉登山口着〜10:45 発―10:56 一合目―11:06 二合目―11:15 三合目―11:31 四合目―11:40 五合目―11:53 六合目―11:59 七合目―12:05 八合目―12:22 九合目―12:32 雌阿寒岳山頂〜12:47 発―12:55 九合目―13:05 八合目―13:12 七合目―13:17 六合目―13:30 五合目―13:38 四合目―13:50 三合目―13:57 二合目―14:06 一合目―14:15 雌阿寒温泉登山口=(オントネー温泉景福入浴400円、R.241、足寄、R.241、士幌、R.274、岩松、トムラウシ 経由)=19:00 トムラウシ温泉林道登山口駐車場着  (車中泊)
8月8日(木) 4:30 トムラウシ温泉林道登山口駐車場―4:35 登山口―4:48 トムラウシ温泉分岐―5:24 カムイ天上―6:12 カムイサンケナイ川合流点〜6:17 発―6:43 二股―7:20 前トム平〜7:25 発―7:50 トムラウシ公園―8:25 南沼キャンプ指定地分岐―8:43 トムラウシ山山頂〜9:10 発―9:28 南沼キャンプ指定地分岐―10:05 トムラウシ公園〜10:14 発―10:35 前トム平―11:06 二股―11:31 カムイサンケナイ川合流点―12:12 カムイ天上―12:40 トムラウシ温泉分岐―12:53 登山口―12:58 トムラウシ温泉林道登山口駐車場=(東大雪荘入浴 350円、トムラウシ、鹿追、新徳、R.38、富良野、R.237、美瑛、白金温泉 経由)=20:00 望岳台着  (車中泊)
8月9日(金) 4:43 望岳台発―5:24 リフト終点分岐―6:07 雲ノ平―6:35 リフト終点分岐―6:44 避難小屋―7:37 稜線―8:23 十勝岳山頂〜8:30 発―9:03 稜線―9:40 避難小屋―9:46 リフト終点―10:23 望岳台=(町営白樺荘入浴 300円、美瑛、R.237、旭川、旭川鷹栖IC、道央自動車道、札幌IC、札樽自動車道、小樽IC、R.5、倶知安、半月湖 経由)=17:30 倶知安登山口着  (テント泊)
8月10日(土) 4:30 倶知安登山口発―5:07 二合目―5:22 三合目―5:56 五合目―6:15 六合目―6:37 七合目―6:58 八合目―7:10 九合目〜7:15 発―7:33 稜線分岐―7:55 羊蹄山山頂―8:08 喜茂別ピーク〜8:13 発―9:03 稜線分岐―9:22 九合目―9:31 八合目―9:45 七合目―10:00 六合目―10:12 五合目―10:30 四合目―10:54 二合目―11:30 倶知安登山口着=(倶知安、R.5 経由)=13:50 小樽新日本海フェリーターミナル着=(展望温泉風呂入浴 980円)=19:00 乗船開始=20:40 出航  (船内泊 二等寝台) 8月11日(日) =15:15 新潟着

 北海道の屋根とも呼ばれる大雪山は、いくつもの山の総称である。旭岳は、その最高峰であり、同時に北海道における最高点となっている。ロープウェイも途中のかなり高い所まで上がっていることから、多くの登山者のみならず、観光客でも賑わっている。
 羅臼岳は、知床半島の最高峰であり、登山道の開かれている山の少ない知床半島にあっては、この山から硫黄岳に至る縦走路が代表的登山コースになっている。
 斜里岳は、知床半島の付け根にある優美な裾野を広げた成層火山であるが、山頂部には斜里岳、南斜里岳、西味といった三つのピークを持つ複雑な地形を持っている。この山の魅力は、登りにとる沢コースで味わうことのできる沢登りの楽しさも大きくあずかっているものと思われる。
 カムイヌプリは、摩周岳ともいい、今回の山の中では、日本百名山には含まれない山である。人気の観光スポットである摩周湖にあって、島の中央に浮かぶカムイシュ島とこの山が風景に大きなアクセントを付けている。カルデラ湖の摩周湖の一画にできたこの山は、大きな爆裂火口を持っている。
 日本百名山では、阿寒岳とのみ書かれているが、実際には雄阿寒岳と雌阿寒岳の二つの山がある。雄阿寒岳は、阿寒湖の縁にそびえたつ、円錐形の休火山で、深い原生林におおわれた静かな山である。これに対し、雌阿寒岳は、阿寒湖からは少し離れた所に位置する、現在でも活発な活動中の火山である。深田久弥は、この二つの山に登ろうとして、雌阿寒岳は火山活動による登山禁止中で果たせず、雄阿寒岳のみの登山で終わっている。
 トムラウシ山は、大雪山系の中央に位置する山であり、一般には旭岳から縦走することによってその山頂に立つことのできる奧深い山である。周囲には、お花畑と岩や沼が見事に配置された庭園風の地形が点在し、登山者を天上の楽園に憩う気分にさせてくれる。
 十勝岳は、大雪山国立公園の南西部に位置する十勝連峰の盟主である。活火山で、近年においても大きな噴火を繰り返している山である。
 後方羊蹄山は、蝦夷富士とも呼ばれる、均整のとれた成層火山である。最近では、羊蹄山と呼ばれることも多いが、日本百名山の中で、このように略して呼ぶことに強く反対するとあるので、日本百名山めぐりでは、後方羊蹄山と呼ぶ必要がある。
 昨年は出発の直前で中止になってしまった北海道の山に、ようやくでかけることができた。新日本海フェリーの埠頭は、家から近いが、荷物を車に積み終えて出発の準備を終えると、気も落ちつかず、早いかなと思いながらも出発することにした。埠頭は、お祭りの夜にも似た、騒然としたなかにも、うきうきした雰囲気に包まれていた。乗船を待つ車は、すでに広場を半ば埋めていた。今はやりのRVカーが多く、県外車ばかりであった。22:00に乗船開始になり、フェリーに車を乗り入れた。昔のデンマーク留学で、フェリーへの列車乗り入れには経験はあったが、本来の車の航送は、これが初めてであった。係員は手際よく、隅のほうから車を詰め込んでいった。レセプションにて二等寝台の場所割りを受けたが、その時、脇で等級変更の受け付けを行っていることに気がついた。二等寝台は、二段ベッドで、カーテンも引けて人目を気にしないでもゆっくりと休むことができそうであった。二等室を覗いて見ると、大広間に毛布一枚と枕が並び、満員の状態とあっては、山小屋よりはまだましといった状態であった。帰りには、二等の切符しか手に入れていなかったので、あの等級変更でなんとかならないかと、心ひそかに思った。甲板に出て、ビールを片手に出航を待った。旅立ちには、それなりの儀式が必要なようである。車で出かける時には、たとえそれが九州であっても、道の続きのその先といった感じで、家から離れた気分にはなれなかった。船の場合には、たとえ手を振って見送る者はいなくても、ゆっくりと岸を離れていく光景は、未知の世界への旅立ちそのものであった。二等寝台のおかげでグッスリ眠ることができたが、翌朝の8時に館内放送で起こされてしまった。本を読み、オリンピックの中継、ビデオ上映を見て、それほど退屈しないですんだ。船の場合には、パブリックスペースは充分にあるので、気分転換も楽であった。昼には早々にビールを飲み、酔いを覚ますために昼寝をしていたら、小樽に着いてしまった。
 小樽には、時間通りに、そして3km少しの走りで到着できた。新潟から北海道へは近いんだと変な納得をしてしまった。フェリーターミナルを出ると、すんなりと高速道に乗ることができた。やや道路の混み合った札幌付近を過ぎると、旭川への快適なドライブになった。風は強く、寒くて途中からトレーナーをはおることになった。旭川も結構大きな都市であった。旭川温泉への道の入り方が、地図ではよく分からなかったが、高速を下りてから市内に入り、そのまま走っていくと、天人峡温泉の道標が出て、ひと安心になった。地方道に入ってからは、真っ直ぐな道に驚かされた。対向車は、はじめ、遥かかなたの光の点となって現れ、次第に大きくなって、すれ違っていった。ただ、そのためにハイビームで走れないことには困った。車のハイビームって、どれくらい離れれば、対向車の迷惑にならないのだろう。いつしか山間部に入って、登り坂になったが、カーブの曲率も大きく、快適に車を走らせることができた。ホテルが現れたと思ったら、その先で、ロープウェイ駅の有料駐車場に突き当たった。無料駐車場は、その手前の駅に向かって右手にあった。こちらも結構広く、トイレもあって野宿には充分な環境が整っていた。小雨が降りだし、隅でテントで寝ているものもいたが、車の中で寝ることにした。
 翌朝始発のロープウェイに乗り込むために、早起きした。小雨で、雨具を着ての出発になった。事前の情報によれば、JAFの会員章で、ロープウェイは、一割引きになるとのことであった。半信半疑ながら会員証をだすと、往復2600円のところを割り引いてくれた。金額は少なくとも、得した気分になった。始発のロープウェイは、満員の状態であった。ガイドが案内のカセットを入れると、「本日は悪天候の中、・・・」と説明が始まったが、晴天用と悪天候用の2種類が用意してあるようであった。途中でロープウェイを乗り換え、姿見駅に到着すると、外は横なぐりの雨になっていた。乗客は、食堂に入り込み、だれも出発しようとはしなかった。なかには、したりがおで、このような天候の日は、遭難の恐れがあるから登ってはいけないと、連れに説明している者もいた。なら、なんでわざわざ始発のロープウェイで登ってきたのかな。意を決して、外に飛び出し、登り始めることにした。遊歩道として整備された道を登っていくと、姿見ノ池に出て、ここからが本格的な登山道になった。池の傍らには「愛の鐘」というらしい鐘が吊るされていたので、ひと鳴らしして、登山の安全を祈った。火山性の砂礫地帯の登りで、傾斜はそれほどでもなかった。
 風が横から当たって、寒くなった。手が冷たくなり、ナイロン製の手袋をはめたが、かじかんでメモを取るのも辛くなった。ガスで視界は20m程であったが、左手には、立ち入り禁止のロープが、延々とはられており、迷う心配はなかった。傾斜も次第にきつくなってくると、山頂直下の肩部に出て、左手に回り込むと、金庫岩がザレ場の中に転がっていた。そこからは、急な登り僅かで山頂に到着した。旭岳の山頂は、かなり広い砂礫の広場になっていた。山頂には、他には、7名程の大学のサークルといった風の集団が、幕営縦走から下山するために休んでいるだけであった。展望も花も無く、山頂標識と一等三角点を写真に収めて満足するしかなかった。当初の予定では、中岳分岐から裾合平を経て一周するつもりであったが、来た道を戻るしかなかった。下りは、岩の上にのった砂礫で滑らないように足元に注意が必要であった。寒さに震えながら下っていくうちに、気持ちはすっかり「温泉モード」に変わってしまった。姿見ノ池に近づいた頃になって、ようやく登ってくる登山者にも出合うようになった。雨が一時止んで、それで出発してきたようであった。姿見ノ池からは、遊歩道になり、緊張感からは開放された。周囲にはチングルマがめだっていたが、すでに花は終わっていた。ロープウェイからは、観光客がゾロゾロと下りてきていた。ビニールガッパはいいほうで、スカートに傘というものが結構いた。「強風のためにロープウェイは止まる可能性もありますので、お早めにお戻り下さい」というアナウンスが流れていた。運休になったら、これらの観光客は歩いて下りることはできないから、山頂に缶詰かなと思った。駐車場に戻って、濡れた雨具やシャツを、車の中にはったロープにつって、乾かす算段をした。隣にあるえぞ松山荘に温泉に入りに行くと、11時からということだったので、ビジターセンターを覗いてみることにした。沼ノ平でヒグマにテントが襲われたという記事をみて、あらためて、クマに対する恐怖感がわいてきた。時間もきたので、600円で入浴した。温泉につかると、手足が冷たさにしびれているのに驚いた。旭岳は心残りの山頂になったが、温泉につかっていると、また来ればいいさというおおらかな気分になった。
 始めの予定では、翌日は斜里岳であったが、時間も充分にあるので、ドライブに専念して羅臼岳に向かうことにした。ラジオの天気予報では、翌日は高気圧が全道をおおうというものであった、大雪山の反対側に回り込んで層雲峡を通過すると、R.39は山間部に入っていった。周囲には、みごとな原生林が広がり、その下ばえには、フキが大きな葉を広げていた。石北峠まで長い登りで、その先は長い下りになった。人家の無い区間が延々と続き、さすが北海道だと感心した。青空も広がる天気になったが、温根湯付近で雷雨に襲われ、しばらく昼寝もかねた休憩になった。夕暮れも近づいた頃、ようやく斜里の町に到着した。斜里岳は裾野を大きく広げていたが、残念ながら山頂部を雲の中に隠していた。知床半島に入っても、秘境というイメージにはほど遠い、良い道が続いた。暗くなり始めた頃、知床半島の中心地の宇登呂に到着した。立派なホテルが建ち並び、駐車場は大型観光バスがあふれ、通りには土産物屋のネオンが安っぽく輝いていた。その先からは人家はとだえ、知床自然センターまで来た所で、再び雷雨が襲ってきたのを期に、ここで野宿にすることにした。
 早朝再び車を走らせると、道路へ飛び出してきた鹿に危うく衝突する所であった。岩尾別温泉への道は、大型観光バス一台が入れる広さであった。ホテル地の涯は、その名にふさわしくない大きなホテルであった。大きな駐車場があったが、これはホテル専用で、登山者用は、道路脇の10台程であった。その他に、ホテル裏手の、木下小屋への道の路肩にも止められるが、いづれにしても駐車スペースは限られており、要注意である。小雨が降りだし、出発をしばらく延ばして、模様眺めをした。大型観光バスが2台上がってきて、広場を埋め尽くさんばかりの登山グループが降り立った。こりゃかなわんということで、山めざしてダッシュすることにした。いそいで出発したら、間違って露天風呂への道に迷い込んでしまい、引き返すはめになった。ホテルの右手をすり抜けると、木下小屋があり、小屋泊まりの登山者らがのんびりと出発の準備をしていた。こちらは、悪魔に追われるごとく、一目散に登山道に突入した。登山道は、ゆるやかに折り返しながら尾根に向かって高さを上げていった。以前に宮様が登ったこともあるため、良く整備されているのだと納得した。樹林帯の中で見通しは利かない道であった。ヒグマのテリトリーということで、カウベルに腰スズを身に付けて、自分でもうるさいなと思いながら歩いていても、他に人がいないと不安感が涌いてきた。小雨の降る薄暗い道を歩いていると、目の前に黒いものが飛び出した。肝を冷やしたが、これは鹿で、反対側の林の中に飛び込んでいった。弥三吉水からは、登山道上を水が流れ、大きくえぐられた所もでて、少し歩き辛くなった。展望の効かない登りに汗を流していくと、銀冷水の水場に到着した。水に口を付けてみると、おいしい水であった。いつものようながぶ飲みをしなかったのは、エキノコックス症が恐かったからかな。チシマキンバイソウの咲く大沢という標識の先から雪渓の登りになった。しばらく雪渓を登ったが、脇の土の上の登山道の方が楽そうに見えたので、そちらを歩くことにした。雪渓の途中から、強風が吹き下ろしてくるようになった。登山道の脇は、エゾコザクラやエゾツガザクラのお花畑になっていたが、強風で大きく揺れていた。雪渓を登り詰めると、ハイ松の広がった羅臼平に到着した。風はますます強くなり、山頂までどれくらいあるか分からないのが辛かった。羅臼への道から分かれてハイ松の中を登っていくと、一段高くなった所から岩場の登りになった。登山道の周辺は、先ほどから目立っていた花に加えて、イワブクロやアオノツガザクラも交えたお花畑であった。(こう書くといかにも高山植物に詳しいようにみえるが、知床自然センターで買った「郷土学習シリーズ第4集 知床の高山植物」500円を見て書いたものである。この小冊子を登山前後に知床自然センターによって買うとよいと思う。)天気であったら、ゆっくりと花を愛でることもできるのだが、と溜息をついた。最後は、息も切れ、足元にも注意を払わなければならない登りになった。山頂のいっかくに到着してわずか先の山頂を眺めると、その間の岩稜部を風がジェット気流のように白い筋を引きながら吹き抜けていくのが見えた。幸い、岩陰を巻く道もあり、なんとか山頂に到着することができた。風の当たらない岩陰に三脚に付けたカメラをセットし、なんとか記念写真を撮った。寒くてならない山頂を後にし、岩場で花の写真を撮りながら下った。ガスと強風の中で、写真は難しいことは分かってはいたが、北海道でしか見られない花であった。下っていくに連れ、他の登山者とも出合うようになった。羅臼平近くになると、登るのをやめて引き返す者にも出合うようになった。すっかり冷え込んでしまい、小用をたすために、人気の少ない羅臼側の登山道に入り込んだ。用を終えてふりかえると、おばさん二人連れが立っており、いささか狼狽してしまった。この二人連れが聞いてくるには「こちらが下山道ですか」。私、「どこから登ってきたのですか。この道は羅臼からの道のはずですが。」この問いに対しては、答えが無い。私、「たいていの人は、そちらの岩尾別から登ってきているようですが」その方向に二人連れは歩き始めた。この強風の中で、間違った側に下りてしまってまごまごすれば遭難になる所だったことに、二人は分かっていたのかな。小用が大事をもたらす所であった。二人の後を歩いていくと、縦走路分岐で一団の登山者が休んでおり、二人も知り合いを見つけたようである。迷える羊は群に戻ることができたようであった。しかし、この強風の羅臼平で休憩する気がしれない。歩き続けていたほうが暖かいのに。羅臼平から少し下った所で、団体とすれ違った。時間がかかり過ぎているし、荷物を他人に持ってもらったバテバテの者もいた。強風の岩場を団体で登れるのか。元気な者だけが登るといっても、待っている者のいる場所は無い。疑問の残る団体であった。下山途中も多くの登山者にすれ違った。大沢から樹林帯に入ると、再び汗の吹き出る暖かさに戻った。弥三吉水まで下ってしまうと、あとは歩きやすい道で、頭の中は温泉のことだけになった。車にザックを放り込むと、着替えを持って露天風呂に向かった。入口すぐと少し奧の二ヶ所に露天風呂があったが、奧は少し狭く夫婦連れに占領されており、手前に入ることにした。子供連れの家族が入っており、女性は水着着用であった。濡れた衣類を脱ぐだけでも快感であるが、温泉につかると、これは息をとめてウーンとうなるだけしかない気分になった。山に登ったから温泉に入るのか。温泉に入るために山に登るのか。温泉で脳もふやけたのか、どうでもいい問題を真剣に考えた。この露天風呂は、観光客にも人気があるようで、無料なのがなにより気に入った。昨日野宿した知床自然センターに戻ると、観光客で賑わっていた。食堂に入って、知床定食(1800円)を奮発してみたが、いくら丼、ルイベ、サーモンフライなどであった。イクラなら、新潟のイクラの醤油づけの方が生臭さが消えておいしいと思った。家族への知床土産を買い込み、途中で観光客に混じってオシンコシンの滝を見物して、旅情にはほど遠い知床岬を後にした。
 斜里岳へは、清里から入るようであったが、道路地図ではいまいち、道順が分からなかった。清里からは、幾つかの標識に助けられて、清岳荘に続く林道に入ることができた。未舗装の道を走らせていくと、すれ違いの車が現れた。車が並ぶと、斜里岳に登るのと尋ねてきた。変な事を聞く人だと思っていたら、私は清岳荘の管理人だが、これから自宅に食料を取りに戻る所なので、泊まるなら中に入って休んでいてくれとのことであった。小屋に泊まるか決めていなかったので、テント場の事を尋ねると、小屋の裏手なら張りっぱなしで山に向かってもいいが、駐車場に張るなら早朝に撤去してくれとのことであった。未舗装の林道の7.9kmは長かった。清岳荘は、二階建てのこじんまりした居心地のよさそうな小屋であった。中をのぞくと、ストーブが暖かく萌えており、5人の先客がいるだけであったので、小屋泊まりにすることにした。宿泊料金は500円、寝具の使用料300円とあった。車内での寝袋睡眠が続いていたので、寝具付きで手足を伸ばして寝ることにした。途中で買ってきた弁当を食べ終え、ビール片手に外を眺めていると、次第に人も集まってきたが、車の中で寝るものもいて、小屋は余裕をもって眠ることができる入りで終わった。小屋の管理人と雑談しながら登山道のことを聞くと、数年前の台風で沢が荒れて、以前よりも時間がかかるようになっているとのことであった。登山道では遭難した者はいないが、道に迷う者や、流れに落ちて全身ズブヌレになる者がけっこういるという注意を得た。  ひさしぶりの布団の上で良く眠ることができ、はりきって斜里岳に出発した。一ノ沢沿いの登山道を登っていくと、飛び石伝いに対岸に渡る個所が次から次に出てきた。水量は多く、靴を濡らさないで飛び渡るルートをその都度見定める必要があった。流れの真ん中の岩に足をおろすには、ストックの支持が欠かせなかった。予想していたよりも手強い道を登っていくと、二股という標識にでた。ところが、ここの沢への降り口には進入禁止のマークが記されていた。様子が分からずに、少し先に進むと、山の斜面に登っていく道を右手に分ける場所に出て、ここが下二股であることが分かった。その先の沢は水量は減ってきたが、沢が狭まって岸辺の薮をこぐところも現れた。登るにつれ、さまざまな滝が現れた。垂直に落ちる滝はその横をまき、上流に近づくにつれ、なめ滝のダイレクトの登りになった。岩のフリクションは登山靴でも充分にあり、途中で追いついた地下旅姿の大学生グループの方が、足元が定まらずに難儀していた。水につかった岩は赤く染まっており、鉄分が含まれており苔は生えにくいのかもしれない。滝を登り詰めていくと、細い流れに変わってきて、新道が合わさる上二股に出た。下山時に行き過ぎないように、この場所を良く記憶に留めて先に進んだ。この先もしばらくは沢の中の道が続いたが、樹林帯の中に入ると、胸付き八丁というらしい急な登りになった。ガレ場の中をジグザグに登りつめると、ピークに挟まれた鞍部の馬ノ背に到着した。山頂部はガスで隠され、斜里岳の山頂が右か左に行くのか分からなくなった。沢沿いに登ってくる時に正面に見えていたピークには、右へ行かなければならなかったが、ガイドブックの地図を確認すると、左に向かうのが正解であった。この鞍部はT字路になっており、標識と、ガイドブックにもその記載が、欲しいところであった。左手に向かってはい松の中を登っていくと、石の祠の置かれた小ピークに出て、正面に斜里岳の山頂がそびえていた。その先は、ザレ場で足元はやや悪いものの、一帯にはお花畑が広がっていた。斜里岳の頂上は、はだかになった広場になっており、中央に山頂標識が立っていた。天気の良い日なら、知床や昨日登った羅臼岳、その向こうに国後も見えるというが、雲が流れて展望は閉ざされていた。雲の切れ間から、南斜里岳らの幾つかのピークが顔を覗かせ、山頂部の複雑な地形をかいま見ることができた。フリースのセーターを着込んでも、山頂には長くおれず、花の写真を取りながら下山することにした。沢沿いに咲くチシマノキンバイソウを楽しみながら下っていくと、上二股の分岐に出て、尾根沿いの道になった。振り返ると、斜里岳の山頂は、再び高く、そこだけに雲がまとわり付いていた。山の斜面をトラバースしていくと、道は登りになり、展望の優れた尾根道になった。途中でピークを越し、再びピークに登った所が熊見峠であった。右手に曲がると、樹林帯の中の急な下りが始まった。急なうえに、泥田状で、ストックと小枝を支えに、滑らないように下るのが大変な道だった。道ははかどらないが、根気よく下っていくと、沢音が近づいてきて下二股に到着した。途中の沢で、靴とストックの泥を落とし、あとは沢を飛び石伝いに渡るのを楽しむ余裕も出てきた。清滝小屋に戻り、次の予定を考えた。斜里岳は、変化に富んだコースで、充実した登山が楽しめたが、時間はまだ早かった。翌日に予定の阿寒岳へ向かう途中の、摩周湖にとりあえず向かうことにした。
 観光道路を登っていくと、摩周湖の第三展望台に到着した。霧の摩周湖と呼ばれるが、展望はいかがなものかと、湖水を覗いてみた。薄曇りの下に思ったよりも大きな湖水が広がり、小島のむこうにカムイヌプリ(摩周岳)があらあらしい姿を見せていた。この山の名前は、摩周岳という漢字の名前の方が分かりやすいが、はるばるやってきた北海道の山ということではカムイヌプリという名前の方に魅される。湖水の縁からカムイヌプリまでのの道を目で追うと、それほどの標高差はなさそうであった。ガイドブックにもひとつ星とあり、もうひと山かせいでいくことにした。登山口になる第一駐車場は、観光バスが何台もとまっている、摩周湖観光の中心地であった。駐車料金400円を払い、登山者であることを告げて、駐車する場所の支持を受けた。隣は、地元の小学校らしい、なんとか学園と書かれたバスで、どうやら学校遠足の山らしいことに、安心(油断)した。観光客かで賑わう展望台をはなれると、ゆるやかな下りになった。左手には木々の間から湖面ものぞくことができ、気持ちの良い道であった。ただ、めざすカムイヌプリは湖のほぼ反対側で、けっこう歩きではありそうであった。はっきりした歩きやすいみちではあったが、アザミがかぶり気味なのには少し困り、ストックでおしやりながら歩いた。ゆるやかな登りになると、美しい白樺林の中の道になり、ピークを越すと、カムイヌプリまでの道の展望が開けた。登山道は、湖水から一旦離れて、カムイヌプリの右手から回り込むようであった。そこまでには、さらにピークを越していく必要があった。右手には笹原の広がる高原状の原野がかなたまで続いていた。この道は、高原逍遥といった楽しい道であった。早朝から歩き続けたためか、腹が急に空きはじめ、西別岳分岐でパンを食べていると、家族連れが下山してきた。再び歩きはじめると、カムイヌプリの火口壁をたどる樹林帯の道になった。小学校の一団が下山してきて、この集団がバスの乗客であることが分かった。最後の500mは急な登りになり、再び汗まみれになると、岩の転がる山頂に飛び出した。片方はザレ場で、もう片方は火口壁で垂直に落ち込んでいた。ガイドブックの地図を見ると、山頂からの標高差は430mの絶壁で、木立ちが小さく見えた。西別岳分岐にも、先頃の地震によって山頂部付近の崩壊が進み、山頂部の岩場は崩れやすいので注意が必要であるとの掲示があったが、よく見ると絶壁の縁の岩場にはひびが入っており、近づきすぎると岩もろとも落下の危険性がありそうであった。この山頂では、人の写真を撮るのも、撮られるのもよしたほうが良さそうであった。それにしても、あの小学校の一団は、この危ない山頂で休んでいたのだろうかと不思議な思いをした。山頂直下の急坂を下ると、後は長く、登りもある帰り道が待ちかまえていた。天候は回復してきているが、日差しが強くなり、疲れも出てきた。足を早めて小学校の集団を追い抜き、展望台に戻ると観光客で大混雑になっていた。一番眺めの良い所は、観光写真屋が占領し、そのかたわらにはシャッター押します100円とあったのにはあきれ果てた。観光客が木立の下を覗いて写真を撮っているのでなんだろうと思ったら、リスだった。リスの餌を横で賣っているのに、またまたあきれた。野生動物に餌を与えてはいけないのではなかったのだろうか。レストハウスの食堂で腹ごしらえをしてから、阿寒湖に向かった。
 雄阿寒湖の登山口は、標識に従って、未舗装の道をわずかに入った所にあった。上下二段の広場になっており、トイレもあった。かたわらには、湖の水量調整用の水門があり、その奧に登山口の標識と登山届けのボックスが設けられていた。掲示があるので読んでみると、三合目付近でクマが出没しているので注意とあった。湖に張り出した桟橋の上で、夕暮れ時の湖面を眺めながら、夕食にした。小さな島が浮かび、日本庭園のような美しさを見せていた。夕暮れ時になってから下山してきた家族連れの車が去ると、車は釣り客との二台だけになり、車のかたわらにテントを張って寝た。
 翌朝、食事をとりながら、完全に明るくなるのを待っていると、車が到着して、単独行が、クマ避けにホイッスルを鳴らしながら、薄暗い森の中に急いだ感じで登っていった。釧路ナンバーの車であり、地元では、クマ避けにはスズよりもホイッスルの方が効き目があると評価しているのだろうか。先行者ができたので、こちらも歩きだすことにした。湖を回り込み、水門を渡ってから少し下ると、太郎潟に出て、薄暗い原生林の中の道になった。山腹を巻く道で、なかなか高い方へ向かわなかったが、次郎潟分岐を過ぎると、次第に標高を上げ始めた。山の頂上はどの方向か分からなくなるほど、一方へ長く登っていって折り返す道であった。二合目を過ぎたあたりで、クマの住処かと思われるような台地に出て、思わず急ぎ足になってしまった。三合目を過ぎると、苦しい急な登りが始まった。富士山型の山は、見る分には美しいが、登るとなるとさんざん苦労させられてあまり好きではない。充分に疲れた所で、やっと五合目に到着した。こんな登りがまだ続くようだったら大変だと思ったら、前方に緩やかに横たわる山頂部が見えて、その先はそれ程標高差は無いことが分かった。これまで遅れた分を取り戻すかのように、短い間隔で合目表示が現れた。この合目表示は、どういった規準で付けたのだろう。五合目は八合目相当といった所で、登山の意欲をなえさせるような表示の付け方であった。再び急斜面になったが、それほど長くはなく、山頂の一画に到着した。ピークが幾つかあり、どこが山頂かわからなかったが、歩いていくうちに測候所の跡地に出て、目指す山頂がようやく確認できた。草原になった火口の縁に一旦おりてから登りかえすと、岩の折り重なった雄阿寒岳の山頂に到着した。周囲を見晴らすことはできたが、遠望は効かなかった。次に、雌阿寒岳がひかえているので、下山を急ぐことにした。五合目付近から、他の登山者にも出合うようになった。三合目付近ですでに疲れてしまって、山頂はまだでしょうね、と尋ねてくる者もいたが、そうですねと答えるしかなかった。駐車場に戻ると、広場は車でほぼ埋まっていた。
 雌阿寒岳めざして、車を走らせた。名前が対になった山なので、近いのかと思ったら、結構離れていた。雌阿寒温泉めざして立派な車道を登っていくと、温泉手前に、雌阿寒岳登山口があり、車四台ほどの駐車スペースがあった。登山道は、エゾマツの中の登りで始まったが、先の雄阿寒岳と比べると、それほどうっそうとした感じでは無かった。二つ目の山となると登りの足どりも重くなったが、樹林帯の登りもそれほど長くはなかった。山頂部の溶岩帯からえぐられ落ちてきている沢状地形の下部に出ると、頂上まで登っていく登山道を一望することができた。登山道は、左手のハイ松の中を通っているにもかかわらず、足元の不安定なザレ場を下ってくる者が多かった。時間も遅いにもかかわらず、登っている最中のグループも結構いた。ジグザグに最後の壁を登ると、火口壁の上に到着した。足元に火口が深い口を開け、火口内の数カ所から吹き出る噴煙が視野をときおり閉ざした。噴煙の立てるジェット機音があたりにひびいていた。火口壁を左手に回って少し登った所が山頂であった。火口壁とは反対側の斜面にも、噴煙をあげて硫黄で黄色く染まったピークが立つ台地状の火山地形が広がっていた。火口内を覗くと、黄色い水を溜めた赤沼と青い水を溜めた青沼を見下ろすことができ、噴煙の向こうには阿寒富士がそびえていた。立ち上がる噴煙は、これまで登ってきたどの火山よりも活発であった。登山口で外人のグループにすれ違ったが、この火山見物が目的であったのかと納得した。阿寒富士には一等三角点が置かれていることから登りたかったが、阿寒富士に登ってからオンネトーに下山するには、体力も時間を残り少なく、来た道を戻ることにした。原生林の向こうに雌阿寒温泉の建物やその左手のオンネトーの青い湖面を眺めながら、足元に注意しながら下山をいそいだ。山を下ってから、三軒並んだ内の右手のオントネー温泉景福に入浴した。内風呂は、浴槽の中から温泉がわいているらしく、パイプからは水が流れ込んでいた。ひと暖まりしてから、庭にある露天風呂に入った。浴槽はプール風で少し風情に欠けていたが、青空を眺めながら温泉に入る気分は格別であった。
 次いで、トムラウシ温泉に向かった。途中で、夕食とビール、翌日の食料を買い込み、最後に車のガソリンを補給して町を離れた。トムラウシ温泉へは、近くの新得町からは50kmもあるらしく、季節運行のバスはあるものの、マイカー以外には行くことは難しそうであった。タクシーでとばしたらいくらかかるのだろう。ダムを離れて、トムラウシの集落を後にすると、未舗装の道に変わった。充分な道幅があり、路面の状態はそれほど悪いわけではなかったが、人家の無い原野の中を延々と走り続けた。途中でキタキツネの出迎えを受け、そろそろ不安になってきた頃、山の中に不釣り合いな立派なホテル風のトムラウシ温泉東大雪荘に到着した。周囲は広い駐車場や休憩所として整備されていた。道は東大雪荘で行き止まりで、トムラウシ林道へは、その入口を直進してから野営場との分岐を右に曲がる必要があった。その先も分岐が現れたが、登山道の標識があった。やや悪くなった林道を登っていくと、日もすっかり暮れてしまった。車が何台もとまった所に着いて、そこが林道の駐車場であることが分かった。ブルドーザーが笹原を切り開く工事中であったが、路面が泥状であったため、車がはまり込まないように、場所を注意してとめる必要があった。山と渓谷社のアルペンドガイドの地図によると、この駐車場から登山道が始まるようであったので、懐中電灯を片手に周囲を探してみたが、見あたらなかった。林道は、終点との標識にもかかわらずその先に続いていたので、5分程歩いてみると、終点の広場になって登山口があった。ガイドブックの記載は明らかに間違っていた。駐車場一帯は泥沼状態でテントも張れないので、車の中で寝た。それにしても、林道奧の駐車場にしては、広すぎる切り開きであった。将来は、この林道を舗装化して、観光バスででも登山者を運ぶつもりなのだろうか。
 翌朝は、隣の車から夫婦連れが出発していく物音で目が覚めた。トムラウシ山までは、ガイドブックのコースタイムの合計では、9時間30分程で、日帰りには忙しい日になりそうであった。連日の登山の疲れで、体力にも不安があったが、気を引き締めて歩き出した。登山口からは、笹原の中の広い切り開きの道であった。緩く登っていくと、東大雪荘からの本来の登山道に合流した。それほど急ではない尾根の登りで、快調にとばすことができた。道は各所で泥沼状になっており、ズボンの裾を気にしては歩けない道であった。それほど苦労はせずにカムイ天上の小ピークに出ると、木立を通して、谷向こうに、二つの峰を連ねたようなトムラウシ山の山頂が顔を覗かせた。山腹を巻きながらの、アップダウンしながらも全体的には下りの道であった。泥状の道はさらにひどくなり、足を滑らさないようにおそるおそる足を運ばなければならなかった。カムイサンケナイ川の河原に降り立つと、沢沿いの登りが始まった。始めは涸沢状態であったのが、登るに連れて水も表面に流れるようになった。河原のペンキマークを注意して見ていくうちに、石の上の濡れた足跡で先行者がいるらしいことに気が付いた。夫婦連れは歩き始めに抜いており、後ろからは元気のいい年輩の二人連れが迫いついてきたのを再び引き離しており、かなりのペースで登っていると思ったが、先行者もなかなかの健脚のようであった。沢の二股に出て、右手の沢を登り始めると、残雪の登りになった。傾斜はそれほどきつくはなく、脇の草つきよりは雪渓の上の方が歩きやすかった。雪渓を抜けると、稜線上に向かってのガレ場の登りになった。一番苦しい登りであったが、めざす稜線部も頭上に迫り、大きく広がってくる展望に助けられて力を振り絞った。稜線上に出た所が、はい松がまばらに生えた前トム平であった。文字板はとれて柱だけが残った標識の所で、先行者が休憩している所にようやく追いついた。驚いたことに女性の単独行で、同世代のようであった。めざすトムラウシ山は、前方のピークの向こうに顔を覗かせていた。登りの苦しい部分は終わり、あとは展望を楽しみながらの歩きが残されていた。ケルンが幾つも立てられた小ピークを越し、次のピークに立つと展望が大きく広がった。谷越しに、残雪をまとったトムラウシ山が大きくそびえていた。また、見下ろす谷間は、残雪からの雪解け水が流れ込んだ小さな沼が点在し、お花畑と岩が配置されて、自然の造り上げた庭園になっていた。名前はトムラウシ公園というらしいが、たしかに内容を現しているものの、もう少し凝った名前を付けて欲しかった。景色を眺めながら岩場を下っていくと、ピーという鳴き声が二度ほどしたが、ナキウサギだったのだろうか。すっかり見物モードになってしまい、山頂に着いてしまったような気になってしまったが、山頂まではもうひと登りしなければならなかった。トムラウシ山の西に回り込んで、南沼キャンプ場への入口を分けると、ガレ場の最後の登りになった。山頂に近づくに連れ、風が吹き付けるようになってきた。ようやく到着したトムラウシの山頂は、岩が積み上がって狭い所であった。某大学付属高校の山岳部が休んでいたが、はしゃぎすぎで騒々しく、静かな山の雰囲気をぶち壊していた。山頂からは、残雪を残した周囲の山は眺められるものの、遠くの旭岳や十勝岳方面もうっすらとわかる程度であった。岩陰で風を避けて休んでいると、周囲から登山者が登ってきて頂上も混雑するようになり、花の写真を撮りながら下山することにした。三脚に付けたカメラをかつぎながら、お花見をしながらのブラブラ歩きになった。キバナシャクナゲ、イワウメ、エゾコザクラ、トカチフウロやイワウチワがトムラウシ公園まで、次から次に現れた。トムラウシ公園で景色を眺めて休んでいると、歌声とかけ声であたりに騒音を響かせながら、岩場のピークから、どこかの登山部らしき集団が下ってきた。あきれはてて見ていると、目の前に到着して、リーダーらしき者が、うるさくてどうもと声を掛けてきた。こちらは不快であったので、「そこの岩場でナキウサギの声を聞きませんでしたか」というと、リーダーはなんのことを言っているのか分からないでいた。そこで「そんなにうるさくしていたら、鳴き声も聞けないでしょうね」といったら、ようやく嫌みを言われているのに気が付いて、しばらく歩いた先で、手に持ったマップケースを地面にたたきつけていた。そばで見ていた夫婦連れも、同感であったのか、マンガだねといって笑っていた。山に入ると、こういった登山部の某弱無尽さに腹の立つことがよくある。かけ声などの騒音を立てないと歩けないのだろうか。登山道であう中高年のおばさん達のおしゃべりにも閉口させられるが、こちらは追い抜いてしまえば、直に聞こえなくなるので、まだ始末はよいのだが。岩場のピークに登ってトムラウシ山に別れを告げると、あとは長い下りが待っていた。ガレ場、雪渓、沢沿いといった変化に富んだ道で、歩いた距離も把握しやすかった。沢からカムイ天上までの登りを頑張りとおすと、あとは笹原の中を下る一方になった。トムラウシ温泉からのトムラウシ山は、自動車を使えば時間の節約ができ、変化の富んだ日帰りコースとして、これからもっと利用されそうであった。利用者が増えるにつれ、山頂のお花畑などが荒らされないといいのだが。下山後に車を東大雪荘に回して温泉に入った。国民宿舎ということで、入浴料金は安かったものの、温泉施設は、広い浴槽に、打たせ湯や露天風呂も備えた、一流ホテル並みのものであった。登山基地の温泉ということで、もっとひなびた温泉を想像していたのだが。
 次の十勝岳へは、トムラウシ山から縦走路が開かれて歩ける距離というのに、車だと、一旦南に下がって、さらに狩勝峠を越して、はるばる大迂回をする必要があった。予想外に時間がかかって、白金温泉から奧にある望岳台に着いた時には、すっかり日は暮れていた。広い駐車場に車を止めて、車の中で眠っていると、夜中に強風になって目が覚めた。不安に満ちた一夜であったが、夜明けとともに風は止み、山頂部もシルエットになって浮かびあがった。出発の準備をしていると、一台の車が到着し、昨日トムラウシ山で出合った単独行の女性が出発していった。リフト沿いの登山道は、視界が開けてかえって距離感が掴みにくかったが、リフト終点まで登るのにも結構時間がかかった。山頂部に雲がかかり始めて、天候は下り気味のようであったが、美唄岳経由で登ることにして、左手のトラバース道に入った。砂礫の道を進んでいくと、エゾコザクラの一面のお花畑が広がっていた。雲ノ平にでると、前方に、ポンピ沢が大きく山に切れ込んでいるのを眺めることができた。天気は、急激に悪化し、沢沿いにガスが滝のように流れ落ちていた。山のふもとでも風が強くなっており、おそらく稜線部は強風で歩くことも困難で、視界も効かない状態になっていそうであった。単独行の気安さで、十勝岳の往復に登山計画を変更することにした。リフト終点から雲ノ平までは、決して短い距離ではなかったが、お花畑を見物したということで、満足することにした。一時間少し余計に歩いて、もとのリフト終点分岐に戻ることができた。リフト終点から少し登ると避難小屋に出て、溶岩の流れ下ったあとらしい砂礫地の急な登りが始まった。余計な歩きで疲れもでており、歩き始めで元気の良い単独行二人に追い抜かれ、後を追うという形になった。山頂から吹き下ろす風が強く、湿気を多く含んでいてザックなどに水滴が付き始めたため、雨具を着込んでの登りになった。岩の上に細かい砂礫がのって、歩き難い登りになった。正面に見える稜線に登ると、風の通り道なのか、強風が吹き付けてきた。よろめかないように注意しながら、左手の高みに登ると、細かい砂礫でおおわれた尾根に出た。左右に火口らしい窪地があるようであったが、視界は閉ざされていた。ここまで一緒に登ってきた三人で、念のため一緒に山頂に向かいますかということになった。広い尾根の上の道で、石に付けられたマークをたどる道がしばらく続いた。雪渓の残る山の斜面に突きあたると、雨水で大きくけずられたあとの残る火山灰の積もった急斜面の登りになった。山岳部の一団が大荷物を背負って、滑りやすい急斜面に苦労していた。他の登山グループに出合ったことで、登山道が間違っていないことを確認できて、ひと安心した。急斜面を登ると、再び砂礫の広い尾根になり、その先で前十勝岳経由の登山道の通行禁止の看板があり、ロープが渡されていた。このロープは今登ってきた道もふさぐように張られており、ガスの中で周囲の様子が分からない状態では、もし周遊してきて下山時にだけこの道を下ろうとすると、ロープに遮られて下山口が分からなくなる可能性がありそうであった。ようやく先行の女性の単独行にすれ違い、遅れもかなり取り戻せたことを知った。岩場の急斜面を登りつめると、岩の積み上がった、十勝岳の狭い山頂に到着した。風が強く、当然ながら展望は無く、頂上の標識を入れて記念写真を取るのがやっとであった。頂上に登った喜びよりも、無事に下山しなければという気持ちの方が強かった。岩場を下って、ロープをまたいで尾根を下っていくと、注意したつもりでも、あやうく火山灰地の急斜面の入り口を通り過ぎる所であった。広い砂礫の尾根に出て、マークを注意にながら下っていくと、望岳台への下降点に近づくに連れて強風が再び襲ってきた。湿気を含んでいるうえに細かい砂も吹き付けられて、雨具全体が砂まみれになってしまった。急斜面を下っていくと、うそのように風は止み、太陽も顔をのぞかせてきたが、乾かして砂をはらうために雨具を着続けて山を下った。ゲレンデの中の登山道まで下った所で、先行の女性単独行に追いつき、話をしながら下ることにした。仙台の人で、同じように、車を使って北海道の百名山を登り歩いているとのことであった。山のホームページと電子メールのアドレスを書いた山用の名刺を渡して別れた。望岳台の駐車場は、自衛隊の輸送車と観光客のバスと自家用車でうまっていた。望岳台から白金温泉に下った所にあった町営の温泉施設に入浴したが、ただの小さな風呂であった。白金温泉には、一軒の大きなホテルがあったので、日帰り温泉ができるようなら、そちらの温泉の方が面白かったかもしれない。でも、体中が砂まみれになったような気分であったので、温泉でさっぱりすることができた。
 車で旭川に出て、ようやく大雪山系を一周することができた。高速道に乗って小樽まで戻ると、久しぶりの人混みにいささかうんざりした。道路は、本州と変わらない混雑度であった。倶知安の町を過ぎた所に、半月湖と羊蹄山登山口の標識が現れた。半月湖の上の駐車場に登ると、登山口と小さなキャンプ場があった。無料のキャンプ場で、三組程のテントが並んでいた。砂地のため、テントをあとで掃除するのも面倒なので、駐車場も広いことから車の後ろにテントを張ることにした。炊事場にトイレも整っていたが、夜間も外灯が付けっぱなしであったのは、余計であった。
 翌朝は、フェリーに乗って帰る日なので、早目に出発することにした。幸いクマもいなくて夜間登山も行われているとガイドブックに書いてあった。はじめ、直線の緩い登りがしばらく続いた。急な登りが始まったと思ったら、その後はひたすらの登りになった。登山道は良く整備されていたが、ゆるむことの無い登りは辛かった。合目標識が付けられていたが、山岳マラソンの主催者が付けたもののようであった。歩いて登るのだって辛いのに、走って登るなんてとんでもないと思った。樹林の垂直分布の変化が見られると書いてあったが、実際には、合目標識を頼りに登り続けることになった。九合目の標識で避難小屋への道を分けると、お花畑の斜面に出た。ひと休みして、水筒の水を口に含むと、金臭くて、飲む気になれなかった。羊蹄山の湧き水は有名らしいが、キャンプ場の炊事場の配管が悪かったのであろうか。山頂部は雲でおおわれて、どこが山頂か分からなかった。火口壁に到着したはずと思っても、山頂にはなかなか行き着かなかった。風向きの変化からかなり火口部を回り込んだなと思った頃、京極コースの登り口に出て、岩の積み上がったピークに頂上の標識が立っていた。ようやく頂上に到着したと思って標識を見ると、最高点はキモベツピークと注釈が書いてあった。さらにお鉢巡りを続けると、砂礫の広がった尾根上に一等三角点が置かれていた。ガスの中を進んでいくと、喜茂別コースの登り口の上のピークに山頂標識が立っており、ようやく山頂に到着できたようであった。どうもこの山の山頂の設定には、ややこしい事情が入り込んでいるようだった。火口壁を半周ほどはしたことになるので、お鉢めぐりを続けることにしたが、この先は、岩稜地帯の歩きになった。小さなピークを乗り越えたり、巻いたりしながら、ガスで見晴らしの効かない中の緊張した歩きが続いた。途中から避難小屋を経由するコースも考えらたが、知らない道を下るのもいやなので、火口を一周してから下山することにした。九合目まで下山すると、数名の登山者が休んでおり、その後は、多くの登山者とすれ違うようになり、下山口近くになってからも山頂の避難小屋泊まりの遅立ち組に出合った。急な斜面を下り切ってからは、登りの時には気づかなかった美しい白樺の林を眺めながら、緩やかな道を満足感で一杯になりながら歩いた。
 後はフェリーに乗り込むだけになった。午後は小樽の観光でもと思っていたが、観光客の人混みにすっかり当てられ、フェリーの航送用駐車場に車を乗り入れた。フェリーのターミナル内の温泉に入り、レストランで食事とビールをとると、眠くなって待合い室のベンチで横になってしまった。結局、買い物もフェリーターミナル内で済まして、ブラブラして夜まで過ごした。車の乗船は三番目であったので、船に乗り込むやいなやレセプションにダッシュして、二等寝台への等級変更用紙に、第一番目で名前を記入した。そのおかげで、二等寝台に潜り込むことができ、ゆっくりと休養しながら新潟に戻ることができた。夜中に少し船は揺れたが、新潟に近づくにつれて、穏やかな快晴の空が広がった。
 最大限に歩いたらこれだけの山に登れるはずといった登山計画を立てたが、幸いに全て消化することができた。天候が悪くて、山頂の往復のみになった山もあるが、次の機会を期待することにしよう。今回は北海道を東西に走ったが、次回は南北になるのだろうか。利尻山と幌尻岳という、難関がまだ残っている。

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