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乾徳山

1996年7月27日 日帰り 単独行 晴

乾徳山 けんとくさん(2031m) 測定点 奧秩父(山梨) 5万 御岳昇仙峡 2.5万 川浦

ガイド:アルペンガイド「奥多摩・奧秩父・大菩薩」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「山梨県の山」(山と渓谷社)、山梨のハイクコース(山梨日日新聞社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、山と高原地図「奧秩父2 金峰山・甲武信」(昭文社)

7月26日(金) (三恵シティホテル八王子泊) 7月27日(土) 5:50 八王子発=(中央線)=5:55 高尾=6:15 発=7:20 塩山=8:35 発=(山梨交通バス)=9:13 徳和―9:38 登山口―10:02 銀晶水―10:10 駒止―10:35 錦晶水―10:45 国師ヶ原分岐―11:10 扇ヶ原―11:53 乾徳山〜12:28 発―12:35 水のタル―13:29 高原ヒュッテ―13:32 国師ヶ原分岐―13:43 錦晶水〜13:48 発―14:07 駒止―14:17 銀晶水―14:37 登山口―15:00 徳和=16:15 発=16:51 塩山=17:10 発=(中央線)=19:07 立川=20:18 大宮発=(上越新幹線)=22:00 新潟着

 武田信玄の墓所、恵林寺を開山した夢想国師が修行した山で、恵林寺の乾(西北)にあり、徳和の地籍にあることから、その名前が付けられている。中腹の草原、山頂直下の岩場、山頂からの展望などによって、古くから山梨の代表的なハイキングの山になっている。
 職場の夏の旅行で横浜の宴会に出た後、どこの山に登るか迷った。バスの便の関係で、シーズンオフには行きづらい乾徳山に登ることにして、八王子のビジネスホテルに泊まった(5600円)。翌朝、目が覚めるなり駅に行き、高尾から接続した松本行きの各駅停車の列車に乗った。列車の中は、登山者がほとんどであった。以前は、夜行列車が主流であったが、JRの合理化によって夜行列車はほとんど無くなり、また最近の中高年向きの登山入門書には夜行列車は避けることと書いてあるため、この各駅停車松本行きが登山専用列車になってきたようである。30年程前に、同じ塩山駅が起点となる大菩薩嶺に登った時には、新宿から通路に足の踏み場もないような夜行列車に乗り、暗いうちから歩き出したものだが、今は、そのような列車もバスも無くなっている。しかし、この暑い中に、日が高く上がってから山に登り出すのは、絶対にお勧めでは無い。夜行列車を利用し、未明から歩き出し、暑くなったときには山頂に到着しているほうが、どれほど楽かしれない。
 塩山駅で降りた登山客は、それほど多くは無かった。大菩薩行きのバスが出てしまうと、駅前広場では、客待ちのタクシーが手持ち無沙汰にしていた。バスの到着時間が近づいてきて、西沢渓谷行きの乗客も集まってくると、タクシーの運転手が、西沢渓谷行きの相乗り乗車を勧めにきた。タクシーは、乾徳山よりは料金の高い西沢渓谷に行きたがっているようであった。料金は、5人乗れば、バスと変わらないとのことであった。しかし、これ以上、バスの便数や路線が減らされないように、登山愛好家はタクシーの利用はできる限り避けるべきではないのだろうか。途中、恵林寺の門前を通って、650円で徳和に到着した。バス停前には、車の駐車場も設けられていた。集落を抜けて渓谷沿いに車道を登って行くと、未舗装の道に変わり、そこにも車を置けるスペースがあったが、車で埋まっていた。林道はカーブしながら高さを上げて行き、しばらく歩いた所で登山口の標識が現れた。古びた鳥居をくぐると、杉の植林地の中の登りになった。気温は高く、大汗をかいての登りになった。勾配はかなりきついが、道はジグザグに付けられているため、歩き易い道であった。しかし、先週の山の疲れが完全にとれていないのか、昨日の宴会の酒が抜けていないのか、からだが重かった。杉林は見てもあまり面白くないが、日陰であることが救いであった。伐採地を過ぎ、古い林道を何度か横断いていくと銀晶水の水場に到着した。しかし、水は涸れていた。さらに登りを頑張っていくとこんどは錦晶水にでて、ここはパイプから冷たい水が勢いよく流れていた。思う存分水を飲んで元気を取り戻した。なだらかな道を進んでいくと高原状の国師ヶ原に出て、乾徳山の山頂を望むことができた。目の前の稜線に向かっての登りが再び始まった。稜線の上の扇平では、ミズギボシやニッコウキスゲのお花畑が広がっていた。尾根にとりかかると、樹林帯の中に岩の転がる道に変わった。息を切らせながら、鎖も所々掛けられている岩を乗り越えていくと、露岩の上に出て、前方に天狗岩の岩場をがそびえていた。岩場に取り付いた登山グループの声を耳にしながら岩場の下にでると、高さ10mほどの岩場に鎖が下がっていた。始めの部分は、岩に縦のクラックが入っているだけで足場が無く、鎖にブル下がって足を踏ん張る必要があったが、その上からは足場もあった。
 鎖場を登り詰めるとそこが山頂であった。岩場の山頂は、平らな部分はほとんど無く、20名程の登山者もいて、すれ違いにも注意が必要であった。記念写真のシャッター押しをかってでて、替わりに自分の写真も撮ってもらった。適当は場所を見つけて腰を下ろしたが、汗は下半身までズブ濡れにしており、岩の上に汗のしみが筋になった。次第に雲も少なくなってきたようで、周囲の山の展望もはっきりしてきて、富士山の山頂が雲のうえから顔を覗かせた。山梨県の山は、山頂から富士山が見えないと収まらないようである。帰りのバスの時間も気になり、下山を開始した。北に向かって水のコルを経由して戻ることにした。岩場はその先もしばらく続き、短い鎖や梯子が掛けられていた。水のコルからは、樹林帯の中の展望の効かない、石の転がるそれほど踏まれていない歩き辛い道になった。かなり下り、だいぶ歩いたなと思うようになった頃、国師ヶ原の一画にでて、高原ヒュッテの前に出た。ドアは閉ざされ、窓ガラスは何カ所も割れており、高原ヒュッテは閉鎖のようであった。国師ヶ原の分岐で、コースをどうしようかと迷った。ガイドブックには、道満尾根を下るコースが紹介されていたが、錦晶水の冷たい水の誘惑のほうが強かった。再び冷たい水を飲み干し、一気に道を下った。徳和のバス停脇のトイレで衣類を全とっかえした後、脇の休憩所でソバとビールをたので、バスの出発時間まで過ごした。おばさんの話を聞いていると、夏場の今は、登山者は少なくなっているとのことであった。また、30年前の昔が、一番の賑わいであったとも言っていた。バスの運行スケジュールが、この山のネックになっているようである。事実上、行きと帰りでは、各一本のバスしか無く、6時間20分の歩きに対し、7時間の持ち時間では一般には日帰りはかなり難しいのではないのだろうか。塩山からは、各駅停車の列車に乗ったが、特急の待ち合わせが多くすごく時間がかかり、しかも冷房の故障も重なり、これは失敗であった。

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