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烏帽子岳(乳頭山)

姫神山

1996年7月13日〜14日 曇り 前夜発1泊2日 単独行

烏帽子岳(乳頭山) えぼしだけ(にゅうとうざん)(1478m) 三等三角点 笊森山 ざるもりやま(1541m) 三等三角点 岩手山周辺(岩手、秋田) 5万 雫石 2.5万 秋田駒ヶ岳、篠崎
ガイド:アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド(新ハイキング社)、東北百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「八幡平、岩手山、秋田駒」(昭文社)

姫神山 ひめかみやま(1124m) 一等三角点補点 北上山地(岩手) 5万 薮川、外山、沼宮内、盛岡 2.5万 陸中南山形、外山、渋民、鷹高
ガイド:アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド(新ハイキング社)、東北百名山(山と渓谷社)

7月12日(金) 20:15 新潟発=(R.7、R.113、赤湯、R.13、山形蔵王IC、山形自動車道、東北自動車道 経由)=23:50 菅生SA  (車中泊)
7月13日(土) 5:00 菅生SA発=(東北自動車道、盛岡IC、R.46、雫石、玄武温泉 経由)=7:40 滝ノ上温泉登山口〜7:55 発―8:43 白沼―9:05  木道―9:48 小ピーク〜9:55 発―10:22 烏帽子岳山頂〜10:45 発―11:15 千沼ヶ原巻き道分岐―11:30 千沼ヶ原への下り分岐―11:37 笊森山〜11:43 発―11:47 千沼ヶ原への下り分岐―12:02 千沼ヶ原〜12:10 発―13:43 平ヶ倉沼分岐―14:23 平ヶ倉沼登山口―14:36 地熱熱水造成施設登山口―15:03 滝ノ上温泉登山口=(小岩井農場、R.46、滝沢分れ、R.4、渋民、山屋 経由)=18:05 一本杉登山口  (一本杉キャンプ場テント泊)
7月14日(日) 4:52 一本杉登山口発―5:06 ざんげ坂―5:12 五合目―5:19 六合目―5:26 七合目―5:32 八合目―5:55 姫神山山頂〜6:20 発―6:48 六合目―7:53 五合目―7:58 ざんげ坂―7:10 一本杉登山口=(往路を戻る)=15:50 新潟着

 烏帽子岳は、秋田駒ヶ岳へ続く縦走路の北端の山である。烏帽子岳は岩手県、乳頭山は秋田県側の呼び名で、それぞれ山頂の形に由来している。秋田県側の登山口である乳頭温泉は、秘湯ブームで賑わい、全国にその名が知れ渡っていることから、乳頭山の方がメインの名前になってしまうかもしれない。山頂付近にはお花畑が広がり、またこの縦走路からわずかに下った所に千沼ヶ原(せんしょうがはら)という美しい高層湿原を有している。
 姫神山は、石川啄木のふるさと渋民村の東に、定規を当てて描いたように明確な山頂を持ち、ゆるやかな裾野を広げている。西の男性的な岩手山に対し、東に位置するこの山は、女性的な姿から女性にたとえられて姫神山と呼ばれるようになったという。
 仕事を終えた後のもうひと頑張りで車を走らせ、常宿となった感のある菅生SAで車中泊にした。晴れの天気予報がみごと当たって、快晴の朝になった。ゆっくり寝たのは良いが、こんな快晴なら、頑張って早起きしてもよかったと少し後悔した。東北自動車道を北上する間、移り変わっていく山の展望に目を奪われた。栗駒山や焼石山は豊富な残雪を残し、これから登る山の期待も高まった。烏帽子岳あるいは乳頭山へ登るコースとしては、いまや全国の秘湯の人気No.1にランクされる乳頭温泉からが一般的であるが、秋田県まで大迂回する必要がある。岩手県側からだと、東北自動車道を下りてから登山口の滝ノ上温泉までそれほど遠くなく、周遊コースを取れるうえに、途中には千沼ヶ原(せんしょうがはら)という湿原も見られるということで、こちらのルートを選ぶことにした。それにしても、山の名前が、山を挟ん東西でそれぞれ違うというは、先日登った船形山(宮城県側)―御所山(山形県側)でもそうであったが、その地方の人々にとって、山が故郷のシンボルあるいは信仰の対象であって、他所の呼び名を受け入れるわけにはいかなかったことを示しているのだろうか。古くからの町名も、もう少し大事にしてほしいものだが。盛岡で高速を下りると、岩手山が出迎えてくれ、近づいてきた秋田駒ヶ岳周辺の山には、残雪が白く輝いていた。谷に沿って車を走らせていくと、烏帽子岳―平ヶ倉沼登山口が現れた。走向メーターを確認して、1km走った所で、地熱熱水造成施設登山口が現れた。二つの下山口は、歩いてもそれ程遠くないことを確認したが、このことを、後で良かったと思うことになった。その先のトンネルを越すと、渓谷にかかる滝の周辺から温泉の湯気が立ち上る滝ノ上温泉に到着した。滝観荘という旅館の前に登山口があり、5台程の駐車スペースがあった。日もすでに高く、最後の一台になった。登山ノートに記帳をし、ブナ林の中の登山道に足を踏み出した。道の脇には、旅館の飲料水を引いているホースが、かなり上の方まで続いていた。気温も高く、Tシャツだけで充分な日になった。地熱発電の音なのか、低音の騒音が絶えることなく続き、周辺には硫黄の臭いもただよっていた。山の傾斜は、急であったが、登山道はつづら折りで、途中に平坦な部分がはさまるので、息を整えながら登ることができた。ひと頑張りした所で、最初の目的地の白沼に到着した。林に囲まれた沼は、静かで美しかったが、写真を撮る間に、蚊に数カ所刺されてしまい、体をかきながらの無様な歩きになってしまった。再び急坂になると、ガレ場の登りになった。その手前で5人程のグループを追い抜いたが、浮石が多く、落石を起こさないように注意がいった。ガレ場の周囲の草地にはシラネアオイが美しく咲いていたが、写真撮影をできる足場ではなかった。振り返ると、岩手山が大きく、その左手に三石山から八幡平に連なる緩やかに起伏する裏岩手連峰を眺めることができた。裏岩手連峰の縦走コースはガイドブックで読み、知識としては知っていた。岩手山は独立峰なのにどうして縦走なのだろうと不思議に思っていたが、この山の連なりを見て納得できた。ガレ場を抜けると、木道の敷かれ、周囲にはワタスゲが白く揺れる小さな湿原に出た。稜線もすぐそこであったが、広い雪田が残っているのが見えた。樹林帯を抜けると、その先は雪田の登りになった。傾斜も結構あるので、用心のために持ち歩いているストックの出番になった。雪田の上から振り返ると、遮るもののない裏岩手連峰の眺めが広がっていた。ただ、岩手山の頂上に雲がかかっているのだけが残念であった。雪田を登りつめて登山道の入口が見つからず、左に回りこんでいき、ようやく登山道に戻ることができた。視界が効かないと、かなり不安になってしまう所であった。雪田の上は、山頂付近に広がるお花畑のいっかくであった。登山道の脇には、ヨツバシオガマの紫の花が続いていた。めざす山頂はどこだろうと思いながら、小さなピークの上に登ると、素晴らしい眺めが飛び込んできた。緩やかにうねる草原の向こうに、一目でそれと分かる烏帽子岳が頭をもたげ、その左には笊森山が大きく、その彼方には秋田駒ヶ岳が顔をのぞかせていた。谷には残雪が残り、草原の緑を一層鮮やかなものにしていた。山頂まであとひと息の距離であった。しかし、この眺めを味わうには、しばし足を止める必要があった。その先のお花畑の歩きも、足が止まってしまった。小さな地塘が点在し、周囲の草地には、ヒナザクラが白い紙をちらばせたように群生していた。烏帽子岳へは、左手に急な崖を見おろしながらひと登りすると到着した。山頂には5組8人程が休んでいた。話を聞くと、岩手県側と秋田県側からでは、半々のようであった。耳に入る話声は、東北のなまりがまるだしで、地元の人ばかりのようであった。峰続きの秋田駒ヶ岳と違って、この山にはまだ名山めぐりの人の波は押し寄せていないようであった。山頂からは、360度の展望が広がっていた。谷をはさんで見る笊森山は、どうどうとし、秋田駒ヶ岳は、残念ながら山頂部が雲で隠されてしまっていた。緑の草原の下方には田代平の湿原と山荘を眺めることができた。
 しばらく雑談をした後、笊森山に向かうことにした。いったん下ってから、笊森山への登りにかかると、千沼ヶ原への分岐が現れた。千沼ヶ原へは、こちらの道が近いようであったが、笊森山に寄っていくことにした。土砂崩れ防止のための丸太階段の急坂を登っていくと、直に笊森山の山頂に到着した。山頂は広く、多くの人々が昼食をとって休んでいた。烏帽子岳は比較的僅かな登山者しかいなかったので、この山頂の混雑は不思議であった。ガスで展望も効かず、早々に退散することにした。泥で滑りやすい急斜面を注意して下り、千沼ヶ原に向かった。草原を下っていくと、下方に千沼ヶ原を見下ろすことができるようになった。シラビソの林を抜けると、千沼ヶ原に出て、思いもよらない見事な眺めが目の前に広がった。大小の地塘が、緩やかに起伏する湿原の中に点在し、光る水面からはミツガシワの葉が頭を出していた。湿原の縁に二列の木道が敷かれ、多くの登山者が休憩していた。地元では、烏帽子岳よりもこの千沼ヶ原の湿原見物に登ってくるものの方が多いのではないかと思った。写真を撮りながら、ゆっくり木道を下っていくと、一旦樹林帯に入った後に、もう一つの湿原に出た。三角山をバックに、こちらの湿原も美しかった。尾瀬のような広大な湿原ではないが、千沼ヶ原の大小の地塘が点在する風景には、別の美しさがあり、あまり知られていないのが不思議であった。家に帰ってから、田中澄江の「新花の百名山」の秋田駒ヶ岳の項を読んでみると、千沼ヶ原から乳頭山にかけてのヒナザクラの大群落のことについて書いてあった。秋田駒ヶ岳は、高山植物で有名になり、過密状態になっているが、実は、その魅力のかなりの部分は烏帽子岳周辺にあることが分かった。秋田駒ヶ岳の影に隠れた感のある烏帽子岳と千沼ヶ原にとっては、花の百名山などというものに名指しで取り上げられないで、幸せであったようである。
 湿原の木道を過ぎると、やがて左右が切り落ちたやせ尾根の道になった。左手には、南白沢をはさんで、烏帽子岳への登りにとったコースを目で追うことができた。泥で滑りやすい道を注意しながら、樹林帯の急坂を一気に下ると、平ヶ倉沼湖畔手前の分岐に出た。烏帽子岳山頂で 雑談をしたとき、地熱熱水造成施設からの登山道は、送電線の巡視路から沼までが刈りはらいされておらず、薮コギが必要になると聞かされていた。この道を確かめるために、少し進んでみると、やはり荒れた感じがした。下りの薮コギはいやであったし、平ヶ倉沼登山口に下山しても、1kmの林道歩きを余計にすればいいだけなので、ガイドブックとは逆に、平ヶ倉沼登山口に向かうことにした。分岐に立ち止まって、コースを考えていただけで、再び、蚊に数カ所刺されてしまった。平ヶ倉沼はかなり大きく、美しい風景を見せていたが、湖畔の道は泥沼であり、虫もたかってきて、写真を撮れるような状態ではなかった。沼を離れると送電線が頭上を横切り、そこからは送電線の巡視路も兼ねているのか、ササ原が広く刈り払われて歩きやすい道になった。林道に飛び出してからの、滝ノ上温泉への車道歩きは、それ程遠いわけではなかったが、日差しが今年一番の強さで、疲労が増した。荷物を車に放り込み、前にある滝観荘で入浴した。600円であったが、浴槽は小さめ、しかしだれも入っておらず貸し切りの温泉であった。温泉から出て涼んでいると、団体が下山してきて、着替えを積んだバスがどこかに行ってしまい、温泉に入れないと騒いでいた。さらにひと休みしていると、バスが戻ってきて、団体は荷物を取り出して温泉に入っていった。この団体と風呂で一緒にならないで良かった。
 姫神山の登山口に行く前に、食料と冷たいビールの買い出しが必要であった。小岩井農場に寄ってみたが、牛乳工場では無料の牛乳が飲めたようだが、残念ながら時間も遅くて終了。牧場は入場料がいるので、入口でUターンした。国道に出た所のコンビニで食料を買い込み、姫神山に向かった。道路地図では、姫神山の一本杉登山口への道がよく分からなかったが、渋民の啄木記念館を過ぎてしばらく走ると、右手にガソリンスタンドが現れ、そこの脇に姫神山登山口の標識が現れた。正面に緩やかな裾野を広げた姫神山を見ながら登っていくと、道は細かく分岐・合流したが、指導標ははっきりしていた。姫神山の一本杉登山口には、第一、第二といった広い駐車場が設けてあった。二つの駐車場の間の林間にキャンプ場があった。炊事場もある充分な施設であったが、一組二張りのロッジ型テントがあるだけであった。山の斜面にあるため、テントサイトの脇まで車を乗り入れる、今はやりのオートキャンプができないことが不人気の理由かもしれない。静かでしかも無料なのは、山派には有り難く、さっそくテントを張り、夕食の準備をした。隣は、バーベキューで子供も含めて大賑わいであったが、こちらはカレーピラフ弁当に追加のメンチカツ、バナナにプリン、ビールで手軽に夕食を済ませた。装備で負けるのもいやだからということで、ガスランタンに点火し、お茶を飲みながらガイドブックを読んでいると、隣からバーベキューのおすそわけが来た。どうやら、一人でテントを張っているのを不思議に思われたようであった。
 暗くなってすぐ寝てしまい、翌日は早く目が覚めた。未明に雨がパラついたようであったが、うす曇りの天気であった。やはり車よりは、足を延ばして眠ることのできるテントの方が楽であった。第二駐車場の上の草地を登っていくと、登山道が始まり、少し先の林道の横断部に、一本杉登山口の標識が立っていた。年を経た杉並木に沿って登っていくと、右手に、水が勢い良く流れ出る一本杉清水が現れた。その先から、丸太の階段登りが始まった。ざんげ坂という看板が立っていたが、確かに辛い登りであった。一連の階段登りが終わると五合目の看板のある尾根に出た。しばらくは緩い登りが続いたが、再び階段登りになり、気合いを入れて登っていくと、滑りやすい急斜面、それを突破すると、樹林帯から飛び出して、岩の上を伝い歩く道になった。右手に回り込んでいくと、姫神山の山頂に出た。驚いたことに、早朝にもかかわらず、女性三人連れが休んでいた。御来光でも、拝んでいたのであろうか。山頂の中央には、小さな像が祭られた祠が立ち、その右手に山頂標識と一等三角点があった。ここの三角点は、通常見られるような四角柱では無く、コンクリートブロックに一等三角点と刻まれた金属円盤が埋め込まれたものであった。かたわらの潅木の縁には、登山記念の木柱が、まとめて立てられていたが、一等三角点を示す建設省の柱も、ここに整理されてしまっているのは、やりすぎであった。山頂からは、広々した眺めが広がっていた。東には、北上山地の、目立ったピーゥは見あたらないが幾重もの山々が重なっていた。西には、姫神山と夫婦の関係にあったとされる、岩手山がひときわ高くそびえていたが、曇り空の中におぼろで、写真にはなりそうもなかった。晴れるかと思って、しばらく山頂で待ったが、諦めて下山することにした。足場の悪い八合目付近まで下ると、後の階段は、小走りに下ることができた。駐車場に戻ると、隣の家族連れは、姫神山に登るといっていたのに、まだ朝食の最中であった。
 盛岡から新潟へは、一日がかりのドライブになった。新潟からの週末の山旅では、盛岡付近が限界のようである。新潟手前の中条町のサンセット中条にて500円で温泉入浴して帰宅した。

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