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船形山、後白髭山

大東山

1996年6月22日〜23日 前夜発1泊2日 単独行 曇り時々雨/雨

船形山(御所山) ふながたやま(ごしょざん) (1500m) 一等三角点本点
  船形連峰(宮城、山形) 5万 関山峠 2.5万 船形山、升沢
後白髭山 うしろしらひげやま(1423m)
  船形連峰(宮城) 5万 関山峠 2.5万 定義、升沢
大東岳 だいとうだけ(1366m) 一等三角点補点
  二口山塊(宮城) 5万 川崎 2.5万 作並

ガイド:アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「宮城県の山」(山と渓谷社)、宮城の名山(河北新報社)、東北百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「蔵王・面白山・船形山」

6月21日(金) 7:45 新潟発=(R.7、R.113、赤湯、R.13、山形蔵王IC、山形自動車道、東北自動車道 経由)=23:30 菅生SA  (車中泊)
6月22日(土) 4:25 菅生SA発=(東北自動車道、大和IC、大和、升沢、小荒沢林道、大滝 経由)=6:08 大滝キャンプ場〜6:20 発―6:46 眺望台―7:02 小野田分岐―7:32 御来光岩―7:37 船形山〜9:23 発―9:37 升沢コース分岐―10:14 草原コース分岐―10:23 泉ヶ岳分岐―10:58 後白髭山〜11:02 発―11:35 泉ヶ岳分岐―11:44 草原コース分岐―12:20 升沢コース分岐―12:54 升沢小屋―13:05 草原コース入口―13:26 三光の宮分岐―13:58 大滝キャンプ場=(岳山林道、色麻、R.457、大衝、大和、大和IC、東北自動車道、仙台宮城IC、R.48、R.457 経由)=17:50 二口温泉  (車中泊)
6月23日(日) 5:00 本小屋登山口発―5:28 二合目―5:42 立石沢―5:45 三合目―6:02 四合目―6:09 五合目―6:14 穴戸沢分岐―6:23 六合目―6:43 七合目―6:43 東清水分岐―6:50 八合目―6:59 九合目―7:12 大東岳〜7:17 発―8:09 かくり沢―8:19 桶ノ沢出合―8:35 立石橋分岐―8:54 けやき沢―9:10 京渕沢―9:13 裏磐司―9:23 雨滝―932 白滝―9:38 林道跡終点―10:00 本小屋登山口=(R.457、川崎、R.286、山形、往路を戻る)=16:00 新潟着

 船形連峰は、宮城・山形県境に十字形に広がり、船形山はその最高峰である。山容が船を伏せたような姿であることから船形山と名付けられているが、これは宮城県側からの呼び名である。山形県側からは御所山と呼ばれ、これには、参拝者が五の峰を巡礼したことから「五ヶ所山」あるいは、順徳天皇が隠れ住んだことから「御所山」と名付けられたという説がある。日本百名山の後書きにも、いい山ではあるが、少し背が足りないと紹介され、二百名山に選ばれている山である。
 後白髭山は、船形山の南に連なり、船形連峰を仙台から眺めた時に、最後まで雪形を残し、重量感ある姿でまず目に入る山である。
 大東岳 は、蔵王連峰と船形連峰の間に位置する二口山塊の主峰である。二口山塊は、宮城・山形県境に広がるが、大東岳 は宮城県内に位置している。台地状の山頂を持ち、仙台付近からよく目立つ山である。
 今年の梅雨は、どうもぐずついた天候が続いている。とにかく、北の山に向かうことにして、船形山と大東岳を目的に出発した。いつものように、東北自動車道の菅生SAで野宿の後、夜明けとともに再び車を走らせた。大和ICから升沢までは、道路地図と船形山を示す道標に導かれて、スムーズに走ることができた。船形山の登山計画を立てる際に決めかねたのは、どこの登山口を選ぶかということであった。山形側は、林道のアプローチが長く、登山道も沢沿いのようなため、まず脱落。宮城側だと、旗坂キャンプ場からがメインのようであるが、歩く距離が結構長い。大滝キャンプ場からだと少しの歩きで山頂に登り着くことができ、別のピークまで足をのばすことができそうであった。しかし、大滝キャンプ場への林道の状況が良くわからなかった。とりあえず、旗坂キャンプ場をめざし、小荒沢林道を見つけることにした。升沢から舗装道路を登っていくと、右手に小荒沢林道の入口があり、ここから未舗装の道が始まった。やや悪い路面の道を進んでいくと、大滝キャンプ場へ3.6kmという標識の先に、3km先土砂崩れるのため通行止めという古びた看板がぶるさがっていた。引き返すべきかまよったが、その差は0.6kmなら、あとは歩いてもいいやということで、前進を続けた。道はかなり悪くなったが、慎重に車を進ませていくと、岳山林道に出て、どうやら通行止め部分は知らずに通過してしまったようであった。その先は、一車線であるが、舗装道路に変わって、大滝キャンプ場に到着した。大滝キャンプ場は、バンガローも数戸建ち並び、炊事場やあづまやの設備も整っていたが、なによりも、その周辺に広がるブナ林の美しさに目がいった。ブナの巨木に深い感動を覚えた後で、ふと思った。このブナ林を美しいと思う気持ちがあるならば、なぜもっとブナ林を大切にしないのだろう。このような山の奥深くに、ブナの原生林を追いやらずとも、人里から山に少し入ったところで、ブナの林に出会えるほうがもっと良かったのではないだろうか。
 天候はあまり良くなかったが、山に向かって歩き出した。歩き出してすぐに、左手に三光ノ宮への道を分けた。ブナ林には、うっすらと霧がかかって、幻想的な風景が広がっていた。緩やかに登っていくと、沢の横断部分には残雪も現れた。登りが急になると、雨でえぐられた歩きにくい道になった。意外にあっさりと、稜線の一画に登り着いたが、ガスがかかって展望は全くなかった。ほぼ水平な笹原の道を歩いていくと、山頂に到着した。誰もおらず、展望も無い山頂であったが、とにかく山頂標識と一等三角点を入れて記念写真を撮った。時間も早く、ガスの上がるのを待つため、山頂の少し下に建つ避難小屋に入ってみることにした。中には、単独行がおり、到着したばかりとのことであった。このKさんは、山形市内在住で、山形県内の山はよく登っているとのことであった。山形側から観音寺コースを登ってきたが、残雪でルートファインディングが難しかったとのことであった。地元の人でもそのような状態では、山形側から登らなくて正解であったようである。結局2時間近くも山の話をして、時を過ごしてしまった。風はおさまり、ガスも少しは切れ掛かってきたので、後白髭山向かって出発することにした。山頂から僅かに下った所で、一瞬ではあったが、山頂が姿を現した。升沢へのコースを下っていき、途中から後白髭山への道に入った。時折姿を僅かに覗かせる山肌には、残雪が豊富に残っていた。風当たりの強い尾根道を下っていくと、小雨がパラつきだした。蛇ヶ岳三叉路に出て、その先で泉ヶ岳への縦走路を左に分けた。その先から、笹が登山道にかぶさる場所も現れた。背丈を越すクマザサの中を、足が前に進む所が道ということで前に進んでいくと、再び明瞭な道に出た。前方に三角形のピークが見えたので、そこが山頂かと思ったら、その先も緩やかな登りが続いて、その後に本当の山頂に到着した。後白髭山の山頂には、なぜか、二つの山頂標識が、少し離れたところに別々にたっていた。この山頂からも、ガスのためなにも見えなかった。帰りもヤブコギで悪戦苦闘し、そのためか勘違いをして、蛇ヶ岳三叉路から草原コースを下ってしまえば良いものを、山頂近くの始めの分岐点まで登り返してしまった。三光ノ宮めざして下っていくと、残雪に埋めつくされた沢に出た。ガイドブックには、沢の中のコースのように書かれていたが、慎重に残雪を下っていくことにした。新しい足跡をたどっていくと、夫婦連れが、道に自信がなくて立ち止まっているのに追いついた。この夫婦の足跡では、あまり役に立たないので、少しがっかりした。大滝キャンプ場から登ってきて、同じコースなので、一緒に下ることにした。再び歩き出すと、下から5人連れが登ってきて、道は間違っていないことが確認できた。沢の下部では、残雪の下が沢でくり貫かれ、踏み抜くと危険な状態であった。下りるに連れ、水の量は増え、飛び石伝いの沢歩きになった。石の上でバランスを取るのに、ストックが役にたった。それでも、何回か足を水の中につっこんでしまった。升沢小屋から先は、緩やかな下りになり、山の話をしながら歩いた。この夫妻は、福島市の人で、主に日帰りで山にかなり登っているようであった。三光ノ宮の手前で、色麻町への分岐が現れた。三光ノ宮まで行って、他に道が無いことを確認してからこの道を下った。見事なブナ林の中の道を下り、沢を横断して、僅かに登りかえすと、大滝キャンプ場先の分岐に戻ることができた。全身ずぶぬれになり、乾いた衣類に着替えてホットした。
 帰りは、岳山林道を下ることにしたが、これは失敗であった。小荒沢林道よりは、やや走り易い道であったが、山の麓まで続く、長い悪路にはうんざりした。林道から一般道に出て、現在位置が分からなくなったが、適当に走っていくと、大和の町から東北自動車に乗ることができた。小雨になったが、翌日大東岳に登るために、二口温泉に向かうことにした。大東岳の登山口を確認後、二口キャンプ場下の駐車場で野宿にした。
 翌朝、雨は上がっていたが、下草はすっかり濡れきっており、雨具を着込んでの出発になった。表コースに入ると、杉林の中の沢沿いの緩やかな登りになった。登山道は比較的広かったが、所々路肩が沢に向かって崩れ落ちていた。石の土台の上に立てられた立派な合目標識が置かれていた。登っていくと、登山道周囲の杉林も尽きて、美しい雑木林が広がった。沢を離れてつづら折りの道を登っていくと、ピークの上に出て、ようやく前方に台地状の山頂を持つ大東岳を望むことができた。緩やかに登りでこぶし平に出ると、その周辺には美しい白樺林が広がっていた。最後に鼻こすりの急坂になったが、それほど長くはなかった。山頂の縁に登り着いて、平らな道を進んでいくと、山頂に到着した。広い空き地の真ん中に、一等三角点が置かれていた。雨こそ降ってはいなかったが、ガスでなにも見えなかった。晴れていれば、昨日登った船形山も、遠く月山や朝日連峰、鳥海山も見えるはずだったのに。下山しようとして、重大なミスを犯していたことに気づいた。昨晩、予習ということでガイドブックとハイキング地図に目を通したが、そのまま車に置いてきてしまっていた。不安はあったが、桶ノ沢に向かって下りることにした。始めは、広い山頂部の緩やかな下りであったが、弥吉ころばしからは、浮き石の目立つ、赤土で滑りやすい急斜面になった。足元を確かめながら下っていくと、下から若向けの音楽を鳴らしながら登ってくる者がいた。出合ってみると、6人程の大学生らしき女の子だけのグループであった。大きな荷物を背負っており、すれ違う時に、先頭が声を掛けて道を空けさせた所をみると、大学の登山部かワンゲルの練習のようであった。それからしばらく下っていくと、こんどは高校生の登山部らしきグループとすれ違った。この山は、急斜面の登り下りがあることから、この地域の登山部のトレーニング場なのだろうか。急斜面の下りを終えて、沢沿いの道を下っていくと、樋ノ沢出合の避難小屋に着いた。ブナ林に囲まれた、二階建ての立派な避難小屋であった。避難小屋から先は、大行沢の左岸を行く道になった。途中で、道が沢に削られたのか、尾根を乗り越えて迂回するような所もあった。遠く感じる道であったが、草に覆い隠され始めている林道に出てもうひと頑張りすると、歩き始めの登山口に戻ることができた。雨は降らなかったが、雨具のヅボンは泥だらけになっていた。家に帰ってから洗濯してもらうのに、いやな顔をされるな。
 着替えの後、磐司山荘で汗を流した。磐司山荘は、普通のひなびた旅館であったが、日帰り温泉客も心易く受け入れており、600円の所を、次回からは500円になるという会員券をくれた。

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