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大笠山

宝達山、南保富士

1996年6月8日〜9日 1泊2日 3名グループ 曇りのち雨/雨のち晴

大笠山 おおがさやま(1822m) 一等三角点補点
 天ノ又 (1522m) 三等三角点
  白山山地(富山、石川)  5万 白川村 2.5万 中宮温泉
ガイド:分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)、とやま山ガイド(シー・エー・ビー)、とやま山歩き(シー・エー・ビー)、日本300名山ガイド西日本編(山と渓谷社)

宝達山 ほうだつさん(637m) 一等三角点本点 宝達丘陵(石川) 5万 石動 2.5万 宝達山
分県登山ガイド「石川県の山」(山と渓谷社)、とやま山歩き(シー・エー・ビー)

南保富士 なんぼふじ(727m) 三等三角点 北アルプス北部周辺(富山) 5万 泊 2.5万 泊
ガイド:分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)、とやま山歩き(シー・エー・ビー)

6月7日(金) 7:00 新潟発=(北陸自動車道、小矢部砺波JCT、東海北陸自動車道、福光IC、R.304、下梨、楮(こうず)橋、境川ダム 経由)= 6月8日(土) =12:30 桂橋  (桂橋たもとで車中泊)
6:58 桂橋発―7:58 ヒノキの休み場〜8:05 発―9:08 天ノ又〜9:23 発―10:23 避難小屋〜10:30 発―11:05 稜線手前(休憩)〜11:15 発―11:22 縦走路分岐―11:25 大笠山〜12:40 発―12:50 縦走路分岐―13:16 避難小屋―14:16 天ノ又〜14:20 発―15:02 ヒノキの休み場〜15:05 発―16:04 桂橋  (多目的広場にて車中泊)
6月9日(日)6:20 多目的広場発=(R.156、井波町、R.471、小矢部、R.471、紺屋、経由)=8:32 宝達山=(福岡、福岡IC、能越自動車道、小矢部砺波JCT、北陸自動車道、朝日IC、笹川、三峰(みつぼ)グリーンランド)=11:18 銚子ノ口・林道口〜11:32 発―11:51 登山口―12:33 南保富士〜12:42 発―13:15 登山口―13:25 銚子ノ口・林道口=(R.8、能生IC、北陸自動車道 経由)=15:50 新潟着

 大笠山は、笈ヶ岳と並んで、白山山系北部を代表する山であり、遠くから白山山系北部の稜線を眺めた時に、両翼を広げて、ひときわ目に付くのがこの山である。この山は、深田久弥の日本百名山の後書きに「北陸では白山山脈の笈岳か大笠山を是非入れるつもりであった。これは私のふるさとの山としての身贔屓ばかりではなく、こんな隠れた立派な山があることを世に吹聴したかった。しかしまだ登頂の機会を得ないので遺憾にも割愛した。」と書かれている。深田久弥は、笈ヶ岳には昭和43年5月に中宮温泉から往復したが、大笠山には未登に終わってしまったようである。笈ヶ岳には登山道は無いが、大笠山には、ブナオ峠あるいは境川ダムからの一般登山道が開かれている。この山には、一等三角点が置かれ、一等三角点百名山にも選ばれている。
 宝達山は、能登半島の付け根に広がる宝達丘陵最高峰であるが、車道が山頂まであがり、さらに山頂は放送用アンテナ群に占拠されている。登山の趣は損なわれているが、一等三角点の山である。
 南保富士は、地図上は無名峰ではあるが、地元の南保の名前を取って、富士と呼ばれている。麓にアウトドア施設が開設され、その周辺の山として整備されているようである。
 山に登るには、何々百名山とか一等三角点の山であるといった、いろいろな理由付けが必要である。ある快晴の日に、山頂からの展望で、目の前に広がる山の姿が気に入り、いつの日かあの山の頂きにと思って記憶に留めた山であったなら、登山の感激もひときわとなるであろう。大笠山は、300名山、一等三角点百名山といった肩書きには不自由しない山であるが、この山に登りたく思ったのは、1995年6月11日に人形山から白山山系北部の山々を眺めた時のことであった。大笠山の、谷間に豊富な残雪を残し、左右に大きく裾を引いた優美な姿は、その左手の無骨な笈ヶ岳と、競い合うかのようであった。その一年後に、あこがれの山に登る機会が巡ってきた。
 今回の山行は、私が登山を始めた初期の頃、雪の両神山で知り合い、山行記録の交換を続けてきた京都の山口氏とその友人の太丸さんの三名での、グループ登山になった。気になるのは、西から天気が下り気味であることと、今年は残雪が多いということであった。夕方、新潟は晴であったので出発したが、新潟・富山県境付近で雨になった。山口氏の家に電話したところ、京都は雨であったが、それにもかかわらず山に出発したとのことであった。これで山の中止はなくなり、気持ちも吹っ切れた。幸い雨もあがり、順調に、境川ダム入口の楮橋に到着した。曲がり角に工事中、通行止めとの看板があったが、どこが通れないか良く分からないため、とにかくこの道を進んでみることにした。少し先で、道は川に突き当たって無くなっていた。車の転回用のスペースも無く、ガードレールも無い崖っぷちを、何度もハンドルを切り返して方向転換することになった。国道の入口に戻って看板を良く読むと、小さく、迂回路は800m岐阜よりを右折と書いてあった。迂回路の入口には、標識は無く、わかりにくく不親切であった。その先は、立派な道が登山口の桂橋まで続いていた。桂橋のたもとには、車数台が置けるスペースがあり、ここで夜を明かすことにした。
 朝食をとっていると、山口氏一行も、到着した。お互いの山行については、山行記録のやりとりで熟知しているが、顔を合わせるのは3年後の2回目ということで、再開を祝して、まづ挨拶ということになった。今回初対面の太丸さんは、聞いて驚いたが、クライミングに沢登り、山スキーに加えてフルマラソンという、スポーツ万能ウーマンということであった。このメンバーなら、始めにのびるのは私ということで、気楽に歩けることになった。出発の準備を整えながらの装備の相談で、ピッケルは持っていくが、アイゼンはおいていくことになった。このおかげで、軽登山靴を履くことができ、不安材料であった、重登山靴での歩きから開放された。
 登山口のすぐ先で、鉄製吊り橋の大昌谷橋に出た。五月の連休時には、踏み板がはづされていたとのことであったが、今回は取り付けられていた。緑色の湖面を見下ろしながら橋を渡り終えると、鉄梯子の登りが始まった。梯子の後は、鎖を頼りのトラバース、そしてまた梯子。湖面はみるみる足元はるか下になった。小さなこぶを越すと、やせ尾根に出て、ワカバラノ尾根の登りが始まった。登山口は、標高約550mで、大笠山山頂は1822mであるから、その差は1270mで、さらに途中にはいくつかの小さなピークもあり、辛い登りを覚悟する必要があった。林の中の、展望のほとんど効かない急な登りで、時には手も使う必要があった。始めは、山のおしゃべりを交えながらの登りであったが、いつしか黙々と登るようになった。1時間登った所で、幹が何本も分かれ、根元に大きな空洞の開いた杉の大木が現れた。急斜面の途中のちょっとした休憩ポイントになっていたので、ここで最初の休憩を取った。この先わずかで、傾斜は緩やかになったが、谷間から伸び上がってきた残雪が、登山道を覆うようになった。残雪の急斜面も現れたが、それでも始めのうちは、登山靴の爪先を蹴りこむことで登り続けることができた。尾根の間の沢状の窪地に残雪がたまった所で、登山道が消えてしまった。左手の高みに赤布があったっため、左手の尾根にそって登山道を捜したが見つからなかった。結局、窪地をそのまま上に登った突き当たりに、丸太階段の登山道が見つかった。この雪原の探索から、各人ピッケルあるいはストックを手にしての登りになった。その後も手分けして登山道を捜す所もあったが、第一目標地点の天ノ又に到着して、ひとまずほっとした。雪原の中央にベンチと三角点だけが顔を出し、左手には笈ヶ岳、前方には大笠山が、高くそして遠くに見えた。また、振り返ると、去年登った人形山から三ヶ辻山と続く山塊が、黒く横たわっていた。
 ベンチの左手の木立の中に登山道が続いていた。その後はピークを乗り越えていく尾根道になった。途中で、大門山へ続く尾根が一望できる所もあり、山頂を眺めてさらに気力を奮い立たせた。残雪と登山道を交互に伝い歩いていくと、避難小屋に到着した。登る時には気が付かなかったが、この避難小屋はドアが取れて残雪に埋もれ、ガラスも割れており、さらに小屋全体が傾いて板の間もかしいでた。緊急の場合にしか使用に耐えない状態であった。小屋からは、大笠山の山頂も、ようやくあともうひと頑張りの距離に見えた。小屋から少し登った所で、大きく落ち込んだ残雪の谷のトラバースになった。滑落がこわくて、残雪の縁の土の斜面を伝い歩いたが、残雪の縁の下がクレパス状に空洞になっており、滑り落ちたら助からないと肝を冷やした。雪崩によって登山道は削り落とされてしまったらしく、足元の不安定な泥斜面を、木の小枝を頼りに這いあがった。ようやく明瞭な登山道に戻ってホットしたら、丸太の階段登りが始まった。途中までは、不明瞭であった登山道が、最後の登りになって、充分に整備された道になったのは不思議な気持ちがした。しかし、この階段登りは、辛く迷惑であった。ここまで、充分に働いてくれた足も、この長い階段登りのために、こむらがえりの前兆の痙攣を始めてしまった。階段登りを終えた雪原の縁で、休憩宣言をして、笹薮の中で大の字に寝ころんだ。10分後に、元気を取り戻して歩き出すと、雪原を少し登った先で、稜線上に出た。大笠山は左手方向のはずであったが、かるくガスが出て、山頂は隠されていた。下り口の目印に赤布を付けて、分岐の標識を潅木の中に捜すと、幸い少し奧に入った所に頭を出しているのが見つかり、その左手には登山道が現れた。山頂までは、200mとあったが、思ったよりもすぐに待望の山頂に到着した。
 山頂一帯には、残雪は無く、立派な山頂標識と一等三角点、展望盤、さらにしっかりしたバンチとテーブルが5組も置かれていた。シーズンには、この山頂も、大勢の登山者で賑わうのであろうか。しかし、この日は、三人の貸し切りの山頂であった。笈ヶ岳方面は、笹の壁になっており、行方を遮っていた。ガスが出て展望は効かなかったが、昼食を取りながら、山の話は尽きなかった。そろそろ腰を上げなければと思い始めたころ、ガスの間から、笈ヶ岳が姿を現した。笈ヶ岳への稜線は、一旦大きく下っており、その後は、急斜面で、山頂に向かって突き上げていた。笈ヶ岳へ登るには、五月の連休頃の残雪期を狙うしか無いわけであるが、とうてい私には到達出来ない世界のようであった。
 下山の時間を計算して歩きだすと同時に、雨が降りだし、雨具を着込むはめになった。雪原の下りは、登山道の入口を通り過ぎないように注意をする必要があったが、階段の登山道は、一気に下ることができた。最大の難所の赤土の崩壊地も、薮漕ぎで斜面を下り、慎重に残雪の谷のトラバースを終えると、その先が避難小屋であった。登山道を見失わないように注意しながら下っていく途中、山頂を振り返ると、大笠山から大門山へピークを連ねた稜線を眺めることができた。登る途中にも、この風景は見たはずであったが、その時には大笠山の山頂しか目に入らなかったようである。次の目標は、大門山から奈良岳と密かに心にとめた。そろそろ、天ノ又かなと思いながら歩いていると、中年の夫婦が登ってくるのに出合って驚いた。避難小屋泊まりということで、大きな荷物を背負っていた。避難小屋は、壊れかかっていることを伝えたが、そのまま登っていった。8時に登山口を出発したとのことであり、ここまで6時間、あまりに登りに時間がかかりすぎていた。雨の中を、いくつかのピークを越して行く必要があり、辿りついた所は壊れ掛けた避難小屋で、人事ながら心配になる夫婦連れであった。天ノ又を過ぎてしばらくすると、ようやく残雪歩きから開放された。しかし、急斜面の下りは、滑りやすく、ピッケルをついて体を支える必要があった。下りははかどらず、登り1時間の大杉の休み場からの下りに、1時間近くかかってしまった。雨で滑る鉄梯子を慎重にくだって吊り橋におりたった時に、困難な山をやり遂げたという、喜びがわいてきた。
 衣類を着替えた後に、多目的広場のあづまやに移動し、夕食の準備をした。まずはビールで乾杯し、暮れなずむ山を眺めながら、山の話に時を忘れた。雨は、本降りになり、テントの設営はあきらめて、車中伯にした。翌朝も雨であったため、宝達山の一等三角点に触って帰宅することに決め、お互いの再開を約束して分かれた。
 宝達山には、道路が分かりやすそうな西側から登ることにした。分岐の標識に従って林道に入ると、車のすれ違いの困難な一車線の道になった。前方にアンテナの立ち並んだ山頂が見えてきたと思ったら、比較的広い車道に合流し、レストハウスも設けられた広い駐車場に到着した。その先の山頂へ車道が上がっていくので、車を乗り入れた。お宮が現れたので、その手前の路肩に車を止めて、三角点を捜すことにした。神社の境内には見つからず、その先の、アンテナ施設の傍らの山頂の縁に一等三角点があった。三角点は、土に半ば埋もれていたが、かたわらにイラスト入りの大きな看板が立っていた。帰りは、道のよさそうな東側に下ることにした。道はわかりにくかったが、車を走らせているうちに、福岡ICに出て、北陸自動車道にのることができた。
 東に向かって走るに連れ、雨は上がって、富山付近からは、剣岳の山頂を眺めることもできるようになった。このまま家に帰るのももったいない気分になり、パーキングでガイドブックを広げ、短時間で登れそうな山を捜した。北陸自動車道に近い山に、南保富士があり、歩行時間も手頃なので、この山に登ることにした。朝日ICで高速を下り、南から三峯グリーンランドに登る林道の入口を捜したが、良く判らず、北側の林道に回り込んだ。北からの林道には、三峯グリーンランドへの案内が掲示してあった。三峯グリーンランドの駐車場から少し先の峠(銚子ノ口)を下った左手に、未舗装の林道が始まっていた。入口に車を置いて歩き出すことにした。濡れた雨具をビニールに入れ直し、水筒、カメラ、懐中電灯、残りのパンをリュックに放り込んで、出発の準備を整えると、いつの間にか、薄日もさす天気になっていた。未舗装の林道は、車を乗り入れても大丈夫な道であった。左手に、三峯グリーンランドの施設を見下ろして、さらに林道を歩いていくと、左の谷越しに南保富士が姿を現した。富士という名前は、少しおおげさかなと思うが、笠のように三角形の山頂を持った山であった。山頂は、結構高く見えた。七重滝への道を分けてさらに進むと、林道の分岐に出て、そこに南保富士登山口の標識が立っていた。右手の林道を進んだすぐ左手に、登山道が始まった。杉林の中の道になり、急な坂を登っていくと、ササユリのピンクの花が見つかって、得をした気分になった。山頂までは、急・緩・急・緩・急の三段の急坂が待ちかまえていた。頂上に登り着く所で、10名程のグループが下山するのにすれ違った。地下足袋の者が多く、地元の人達のようであった。狭い山頂の片隅には、石仏と三角点が置かれていた。黒部扇状地から日本海の海岸線は眺めることができたが、北アルプス方面の山は雲におおわれていた。帰りは、小枝を手で掴みながら急坂を下っていくと、先にすれ違ったグループの話声が近づいてきた。追いつくかなと思っていると、いつしか話声は、右手の谷間のほうにそれていってしまった。どうやら、山菜採りかで、登山道を外れて下っていってしまったようである。車に戻り、今度こそ家路を急ぐことにした。

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