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木六山

1996年6月2日 日帰り 単独行 晴

木六山 きろくやま(825m) 三等三角点 川内山塊(新潟) 5万 御神楽岳 2.5万 高石

ガイド:新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟の山旅(新潟日報事業社)、山と渓谷1996年5月号付録 春山ブック'96 P.6

6月2日(土) 6:35 新潟発=(R.48、R.403、新津、五泉、村松、暮坪、粟山、チャレンジランド杉川 経由)=8:00 林道終点〜8:12 発―8:35 山ノ神―8:52 水無平―9:32 焼峰山の神様―10:15 銀次郎分岐―10:20 木六山山頂〜10:38 発―11:00 水場分岐―11:22 グシの峰―11:42 大杉の休み場―12:00 逢塞分岐―12:07 堰堤小屋―12:25 林道終点=(日倉山登山口確認、村松さくらんど温泉入浴後、往路を戻る)=16:30 新潟着

 新潟平野の入口で阿賀野川にそそぎこむ早出川の流域には、川内山塊と呼ばれる山々が広がっている。川内山塊は、深く刻まれた渓谷に雪崩によって磨かれた岩壁が落ち込み、また低山であるために密薮に覆われ、登山道も一部にしか付けられておらず、現在でも容易には人をよせつけないでいる。木六山は、登山道が整備されていることから、川内山塊を代表的する山になっている。
 梅雨入りの便りも、九州方面から聞こえるようになったが、新潟地方は、土曜日に続いて日曜日も晴天である。土曜日は、大学の同窓会で飲み会があっため、日曜日の登山になった。村松から早出川ダムへの道に向かった。早出川ダムから日本平山に二度登ろうとしたが、未だに果たしていない。一度はダムをめぐる登山道の土砂崩れによる通行止め、二度目は、雪解けによる増水で沢の渡渉ができなかった。日本平山は、別な登山口から、さらに一回の敗北の後に、四回目でようやく登ることができた。川内山塊の山は、標高は低くとも、決して侮れないことは思い知らされている。暮坪から杉川沿いの道に曲がる所で、周辺の略図がでており、チャレンジランド杉川という施設が、登山口に至るまでの目印になる事を知った。チャレンジランド杉川は、アウトドア用のキャンプ場のようであった。その先で舗装道路は終わり、杉林の中の、車のすれ違いが困難な細い道になったが、幸い、少しの走りで林道終点の広場に到着した。10台程は停められる広場であったが、すでに車で満員であったため、少し戻った所の路肩に車を停めた。駐車場の左手に、水無平・木六山という標識があったので、深く考えずに、この道に進んでしまった。後で、ガイドブックのコースと違うことには気づいたが、木六山への登山道には違いないので、そのまま登り続けてしまった。  今回の山行のもうひとつの目的に、しばらく履いていなかった重登山靴の足慣らしがあった。来週登る予定の大笠山では、アイゼンが必要になるかもしれず、そうなると革製の重登山靴をはく必要がある。歩き始めると、やはりいつもの軽登山靴の方が快適であり、足の運びも確かであった。
 登山道は、沢の上流に向かって緩やかに登っていき、山ノ神の石の祠の先で小さな沢を渡ると、本格的な登りが始まった。ようやく木々の葉も開ききり、緑のトンネルになっていた。陽気も暖かく、Tシャツだけになるが、汗がしたたり落ちた。昨日の酒が残っているのか、体も重く感じた。左右からせまってきた稜線上に登り着いたと思ったら、そこが、水無平であった。潅木の茂るカール状の原の向こうに、木六山に連なる稜線が横たわり、隠れ里といった風情があった。人気はまったくなく、静かな原が広がっていたが、同時に、クマのことが心配になってきた。うっかりして、クマ避けスズを持ってくるのを忘れていた。原を突っ切ると、再びつづら折りの急斜面が始まった。稜線の上に出ると、焼峰山の神様という祠があった。稜線に登りついたので、後は楽勝かと思ったが、その先も結構長かった。登山道は、尾根をからめるように付けられており、草付きのトラバース部分では、雪崩の為か、道跡が消されており、慎重に足を運ぶ必要があった。歩きづらい道を進んでいくと、残雪で埋まった沢に出た。登山道は、沢の右手に走っていたが、残雪でとぎれとぎれになっており、結局、残雪上の歩きになってしまった。残雪を登りつめた所でやせ尾根上に出ると、登山道は右に方向を変えた。3m程の急斜面を木の枝と固定ロープを頼りに下ると、再びトラバース道が始まった。前方には、急峻な山々の連なりが見えたが、そこまでは遠く、木六山はどこなのだろうかと不安を覚えるようになった。幸い、そこからはそれ程遠くなく、銀次郎方面への縦走路と木六山との分岐点に出て、ひと登りで待望の山頂に到着した。山頂は狭く、4人の先行者が昼食中であったが、それだけでほぼ満杯の状態であった。期待以上の眺めが広がっていた。残雪に彩られた粟ヶ岳は、高山のような風格でそびえ、その手前に川内山塊の核心部の山々が連なっていた。さらに眼下には、雪崩によって木がそぎおとされ岩肌が磨かれたスラブをめぐらせた谷が切り落ちていた。山の標高は高くなくとも、谷が深いことによって、みごとな眺めになっていた。山頂の反対側からも登山道が登ってきており、こちらがメインのグシノ峰コースであり、登山道もより明瞭であった。他の登山グループも登ってきて、山頂は賑やかになったので、下山することにした。山頂からは、すぐに、固定ロープも設けられた急斜面の下りになった。谷に飛び込むように、一気に高度を落とすと、痩せた岩尾根歩きになった。左手には、大スラブをめぐらせた赤花沢、振り返ると木六山の山頂、右手には、山頂から連なる稜線と、そこに抱かれた水無平。思わず、足を止めてしまう展望が広がっていた。鞍部からわずかに登りかえした所が、グシの峰であったが、登山道はピークの上は通っておらず、手前で右手に下って行った。下った先から、草付きのトラバースが始まったが、固定ロープもあり、足元も良く整備されており、それほど難しくはなかった。このトラバース付近は、木六山の好展望台になっており、ここからの写真が、二つのガイドの両方に使われていた。この先も、固定ロープの必要な小さな沢のトラバースもあらわれたが、林の中の急斜面を下っていき、沢音が近づいてくると、杉川の渓谷の縁におりたった。渓谷に沿って緩やかに下っていくと、堰堤小屋が現れ、周囲も杉林になって、次第に人里に近い風情になってきた。木の橋の掛けられた沢に出たので、水を飲んで元気を取り戻してが、その少し先が、歩き始めの林道終点であった。歩行時間もそれ程長いわけでもなく、高い山頂に登ったわけでもなかったが、充分に歩いたという気分にさせてくれた山行であった。
 帰りに、「村松サクランド温泉」に700円で入浴した。館内は、飲むや歌うわで大賑わいであったが、風呂自体は込んでいなかった。露天風呂からは、大蔵山から菅名岳の連なりが一望でき、露天風呂の天井部に、山の名前入りの展望写真が掛けられていた。手拭いで前を隠して山岳展望を行ったのは、初めてであった。

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