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高倉山

1996年5月18日 日帰り 単独行 晴

高倉山 たかくらやま(1143.7m) 三等三角点 越後三山周辺(新潟) 5万 十日町、2.5万 六日町

ガイド:山と渓谷1995年5月号

5月18日(土) 7:20 新潟発=(北陸道、関越道、六日町IC、小川、上越芸術村経由)=9:43 高倉山登山口〜9:48 発―9:55 一合目―10:05 三合目―10:11 四合目―10:25 ゾウのきば―10:30 六合目―10:40 七合目―11:09 ラクダのコブ―11:15 高倉山〜11:42 発―11:46 ラクダのコブ―12:07 七合目―12:14 六合目―12:18 ゾウのきば―12:32 四合目―12:35 三合目―12:43 一合目―13:03 高倉山登山口=(六日町IC、R.253、十日町、R.117、中条、R.252、高柳)=15:40 黒姫山登山口〜17:00 発=(高柳、R.252、小国、R.404、長岡IC、北陸道)=18:40 新潟着

 高倉山は、八海山の阿寺山から西に派生する尾根上の山で、北に八海山、三国川をはさんだ南側に巻機山に向かい合い山である。
 登山口のある分譲地入口には、この山の登山道についてこのように説明されている。頂上1143.7m、登山口約400m、開設 昭和57年9月15日 「この登山道は五十沢小学校児童の登山を目的として地域・PTA・学校が一体となって実現をみたものである。開設事業の経緯は第2回読売教育賞 賞外優秀賞に輝いた。ふるさとを愛し自然を愛する多くの人々の高倉山登山を歓迎する。名所を眺め眺望を楽しみながらゆるゆる4時間の行程である。祈完登 六日町立五十沢小学校・PTA」。ふるさとを愛する気持ちの伝わってくる説明文である。しかし、小学校の遠足コースと思って油断したら、とんだ誤算になる山である。田舎の子供は、軟弱な都会人と違って、タフなのだ。山頂まで続く急坂を覚悟する必要がある。しかし、山頂には、360度の大展望が待ちかまえている。
 この山のガイドは、新潟の地方出版の登山ガイドにも載っていない。知るかぎりでは、山と渓谷1995年5月号のWeekend Hikeが、唯一のガイドである。
 この週末は、昨年空木岳で知り合ったT氏が刈羽三山を訪れ、一目会うために、中越付近の山に登ることにし、高倉山か飯士山を予定した。送別会の翌日で、早起きは無理だろうと予想していたが、やはりその通りになった。高速にのっても、二日酔いか、スピードに乗り切れない。朝食にソバを食べて腹の中が暖まると、ようやく体調も回復してきた。越後川口を過ぎて目に飛び込んできた駒ヶ岳や八海山は、中腹から山頂にかけてほとんど白く、早春の眺めであった。ひさしぶりに暖かな日になったので、八海山や巻機山の展望が期待できそうな高倉山に登ることにした。六日町ICから高倉山の登山口へは、以前に中ノ岳や金城山に登った時に通ったことのある道であった。小川の集落を示す標識で左折。三国川を渡って道なりに行くと集落内に出て、太郎兵衛の石仏を過ぎると、上越芸術村という分譲地内に登っていく道になった。ひと登りした所に、分譲地内の見取り図があり、その中に高倉山の登山口が記されていた。その向かいの建物の壁に、上記の高倉山登山道の謂れが書いてあった。分譲地内の急な坂道を、登り詰めた所に登山口があり、高倉山中之峯新道と書かれた石碑が置かれていた。駐車スパースは、石碑の前に2台、左上の広場に4台程であった。
 登山口付近には、新緑の雑木林が広がり、山菜採りの人が何人か入山していた。ふり返ると、残雪に彩られた巻機山が高くそびえていた。登山道の周囲の枯れ草でおおわれた草地からは、キクザキイチゲやアズマイチゲの花が、あちらこちらから顔を出していた。登山道は、ところどころ沢からの水があふれだしていた。沢沿いに入ると、早くも残雪が現れた。沢を渡って山の斜面に取りかかると、一合目の標識が現れ、雑木林の中の急な登りが始まった。山と渓谷のガイドに「地元では子どもたちが遠足で登るほど親しまれている。」というガイドで、楽勝という思いがあった。よく考えてみれば、元気一杯の田舎の子供の登る道なら、急であっても不思議はなさそうである。この遠足に付き合わせられる小学校の先生が一番の被害者かも知れない。以前、どこかの山で、学校登山の付き添いの若い女の先生が、青い顔をして登山道に座り込んでいるのを見たことがある。二日酔いのせいか、あるいは急坂のせいか、足が重く、汗が吹き出てきて、早々にTシャツ一枚になった。登っていくと、合目標識の他に、「入道ブナ」や「おけさの木」というプレートも現れた。「ゾウのきば」は、二本のブナの木が、根本が一緒で斜め前方に向かって生えているのを名付けたものであった。登っていくと、5人のグループに追いついたが、私を含めて6人がこの日の、全登山者数であった。六合目から残雪が本格的になった。ストックを取り出し、急な雪の壁をステップを蹴り込みながら登った。尾根の一隅の登り着くと、廊下状に残雪が上に向かって続いていった。見晴らしも開け、巻機山から連なる山の稜線や緑の水をたたえた三国ダムを良く眺めることができるようになった。残雪が退いた後には、イワカガミの花が咲き始めていた。最後に、それまで以上の急坂を登りつめると、ラクダのコブに到着した。高倉山の山頂は、馬の背というやせ尾根を注意深く通過して、すぐ先であった。山頂は狭く、三角点と先に何かの装置を取り付けたポールが中央に並んでいた。周囲は、360度の大展望が広がっていた。特に、まっ正面から向かい合う八海山の眺めは優れていた。八ッ峰の岩峰の連なりから最高点の入道岳、右手に大きく広がる阿寺山、その向こうには中ノ岳が頭を覗かせていた。展望を楽しみながら休憩したが、小さな虫がうるさく集まってきた。そろそろ、防虫剤が必要な季節になったようである。先に追い抜いたグループが山頂に到着したのと入れ違いに下山に移った。馬の背からの下りは、飛び込むかのような急坂に感じられた。残雪の上も滑らないように注意が必要で、ストックが必携なコースであった。六合目を過ぎると残雪も無くなり、傾斜も少し緩やかになって、新緑のブナ林を楽しみながらの歩きになった。下るに連れ、沢音が近づいてくると、喉の乾きも増し、水筒の水を一気飲みすることになった。下りきった所で横断する沢で、改めて水を汲んで飲んだが、雪解け水は冷たくうまかった。昼になって花ビラが開ききったイチゲの写真を撮りながら下っていくと、地元の山菜とりのおばさんに出合った。挨拶をして、高倉山に登ったことを告げると、遠くからご苦労さんといわれた。このおばさんも山が好きで、中ノ岳にも年に二回程登っているとのことであった。やはり地元の人の健脚さは、そうとうなものである。背中に山菜で一杯のかごを背負っているので、何の山菜が採れるのか尋ねたら、手に持っていたプラスチック袋一杯の木の芽をプレゼントされた。これは、家に帰って、さっそくその日の夕飯のおひたしになった。少しほろにがい春の味であった。
 T氏に会うため、黒姫山の登山口の高柳町に向かう途中、R.252沿いにある月潟女荘に300円で入浴した。黒姫山も残雪がたっぷりとあり、今年の春の遅いことを改めて思い知らされた。

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