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星生山、久住山、稲星山、中岳、扇ヶ鼻

祖母山、阿蘇中岳

開聞岳

韓国岳、高千穂峰

大船山、平治岳

英彦山

負釣山

1996年4月28日〜5月4日 8伯7日 単独行 晴/曇りのち雨/雨/晴/晴/晴/曇り

星生山 ほっしょうざん(1762m) 標高点
久住山 くじゅうさん(1787m) 一等三角点本点
稲星山 いなぼしやま(1774m)
中岳 なかだけ(1791m) 標高点
天狗ヶ城 てんぐがじょう(1780m)
扇ヶ鼻 おうぎがはな(1698m)
大船山 たいせんざん(1787m) 三等三角点
平治岳  へいじだけ(1643m) 三等三角点   九重連山(大分) 5万 宮原、久住 2.5万 久住山、大船山

祖母山 そぼさん(1756m) 一等三角点補点 祖母・傾山地(大分、宮崎) 5万 竹田、三田井 2.5万 豊後柏原、祖母山

阿蘇・高岳 あそたかだけ(1592m) 三等三角点
阿蘇・中岳 あそなかだけ(1506m) 標高点   阿蘇山(熊本) 5万 阿蘇山 2.5万 阿蘇山

開聞岳 かいもんだけ(922m) 二等三角点 薩摩半島(鹿児島) 5万 開聞岳 2.5万 開聞岳

高千穂峰 たかちほのみね(1574m) 二等三角点 霧島山地(宮崎)
韓国岳 からくにだけ(1700m) 一等三角点補点 霧島山地(宮崎、鹿児島) 5万 霧島山 2.5万 韓国岳、高千穂峰

英彦山 ひこさん(1200m) 一等三角点本点 筑紫山地(福岡、大分) 5万 吉井 2.5万 英彦山

ガイド:アルペンガイド「九州の山」(山と渓谷社)、九州百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)、分県登山ガイド「福岡県の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「大分県の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「熊本県の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「宮崎県の山」(山と渓谷社)

負釣山 おいつるしやま(959m) 三等三角点 北アルプス北部前衛(富山) 5万 泊 2.5万 舟見
ガイド:分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)、とやま山歩き(シーエービー)

4月26日(金) 18:20 新潟発=(北陸自動車道、24:00 敦賀IC、
4月27日(土) R.27、舞鶴西IC 舞鶴自動車道 経由)=2:15 綾部PA  (車中泊)
5:30 発=(舞鶴自動車、吉川JCT、中国自動車道、九州自動車道 15:00 小倉東IC、R.10、椎田道路、中津、R.10、宇佐別府道路、日出JCT、大分自動車道、湯布院IC)=15:20 湯布院着  (別荘泊)
4月28日(日)7:05 湯布院発=(R.210、水分峠、やまなみハイウェイ、長者原経由)=8:12 牧ノ戸峠着〜8:25 発―8:46 沓掛山―9:12 扇ヶ鼻分岐―9:37 星生山〜9:40 発―10:07 久住分かれ〜10:12 発―10:20 中岳分岐―10:35 久住山〜10:45 発―11:00 南登山道分岐―11:10 稲星山―11:25 表登山道分岐―11:42 池ノ小屋〜11:45 発―11:52 鞍部―11:55 中岳〜12:05 発―12:07 鞍部―12:12 天狗ヶ城―12:30 久住分かれ―12:53 扇ヶ鼻分岐―13:08 扇ヶ鼻〜13:22 発―13:34 扇ヶ鼻分岐―14:00 沓掛山―14:18 牧ノ戸峠=(筋湯、R.442、竹田、田井、神原経由)=19:30 祖母山駐車場  (車中泊)
4月29日(月) 5:28 祖母山駐車場発―5:50 五合目小屋―6:15 かれ沢―6:32 七合目―6:42 いのち水―6:55 国観峠―7:00 八合目―7:16 九合目小屋分岐―7:25 九合目小屋降り口―7:29 祖母山〜7:57 発―8:01 九合目小屋降り口―8:09 九合目小屋―8:06 九合目小屋分岐―8:27 八合目―8:29 国観峠―8:38 いのち水―8:48 七合目―9:12 かれ沢―9:22 五合目小屋―9:46 祖母山駐車場=(神原、出合、玉来、R.57、一の宮、仙酔峡道路経由)=12:10 仙酔峡〜12:20 発―13:32 稜線―13:40 高岳〜13:45 発―14:02 中岳―14:35 火口東駅=14:50 山頂駅発=(仙酔峡ロープウェイ)=15:02 麓駅=(一の宮、阿蘇登山道路)=16:50 草千里  (車中泊)
4月30日(火) 7:00 草千里発=(阿蘇登山道路、白水、R.325、R.52、熊本IC、九州自動車道、鹿児島IC、指宿スカイライン、開聞経由)=12:03 開門岳駐車場〜12:25 発―12:32 二合目登山口―13:08 五合目―14:10 開聞岳〜14:23 発―15:10 五合目―15:32 二合目登山口―15:38 開門岳駐車場=(開聞、R.226、指宿、R.226、鹿児島IC、九州自動車道、加治木IC、隼人道路、隼人東IC、R.223、霧島神社  (車中泊)
5月1日(水) 6:52 高千穂河原発―7:55 馬ノ背越―7:46 鞍部―8:02 高千穂峰〜8:17 発―8:29 鞍部―8:44 馬ノ背越―9:20 高千穂河原=(R.223経由)=10:00 えびの高原駐車場〜10:05 発―10:50 五合目―11:12 大浪池分岐―11:15 韓国岳〜11:25 発―11:28 大浪池分岐―11:46 五合目―12:30 えびの高原駐車場=(霧島スカイライン、えびのIC、九州自動車道、熊本IC、R.57、一の宮、やまなみハイウェイ経由)=19:11 長者原  (車中泊)
5月2日(木) 6:00 長者原発―7:02 見晴らしベンチ―7:08 雨ヶ池 (大船林道方面の道に迷い込み引き返し)―7:52 雨ヶ池越―8:37 坊ヶつる〜8:45 発―8:58 五合目―9:45 段原―10:03 大船山〜10:20 発―10:37 段原―10:41 北大船山―11:17 大戸越―11:34 平治岳南峰―11:48 平治岳〜12:00 発―12:07 平治岳南峰―12:20 大戸越―12:47 分岐―13:10 坊ヶつる〜13:15 発―14:00 雨ヶ池越―14:04 雨ヶ池―14:11 見晴らしベンチ〜14:15 発―15:07 長者原=(豊後中村、玖珠IC、大分自動車道、杷木IC、宝珠山、R.211、R.500経由)=19:03 別所駐車場  (車中泊)
5月3日(金) 5:55 別所駐車場発―6:12 奉幣殿―6:44 中津宮―6:55 稚児落とし―7:02 関銭跡―7:15 中岳―7:24 英彦山南岳〜7:29 発―7:39 中岳―8:00 北岳―8:30 望雲台入口―8:38 望雲台―8:59 豊前坊―9:44 別所駐車場=(R.500、野峠、R.496、行橋、R.10、小倉東IC、九州自動車道、中国自動車道、吉川JCT、舞鶴自動車道、舞鶴西IC、R.27、
5月4日(土) 敦賀IC経由)=13:20 杉津PA  (車中泊)
6:00 杉津PA発=(北陸自動車道、黒部IC、愛本、舟見経由)=9:35 オコ谷の峠登山口〜9:50 発―10:26 四等三角点―10:51 七合目―11:08 負釣山〜11:22 発―11:36 七合目―11:51 四等三角点―12:38 オコ谷の峠登山口=(舟見、朝日IC、北陸自動車道)=17:06 新潟着

走向距離 3434km

 九重山は、山群の総称であり、その主峰は久住山である。最高峰は中岳であり、九州本土における最高点になっている。周辺には、1700m級の峰が連なっており、深田久弥は「これはまさしく久住独裁国ではなく、九重共和国である」と表現している。その中にあって、大船山は、星生山、久住山、中岳、稲星山などとは少し距離をおいて、独立峰のような大きな山容を見せている。1995年の秋に、星生山の下部にある硫黄山が噴火し、現在では、噴火口から2km以内の立ち入り禁止措置が取られ、久住山への登山道の一部が引っかかっている。九重山は、ミヤマキリシマの大集落、あるいは法華院温泉、坊がつる賛歌で名高い坊がつるキャンプ場など、様々な魅力に満ちている。
 祖母山は、かつては九州第一の高峰として知られ、それ故ウェストンもこの山に登っている。この山の魅力は、奥地にあって、現在でも深い森林におおわれていることである。最近の新聞によれば、連なりの傾山で、九州では絶滅したとされていたツキノワグマの親子が発見されたと報道されているが、この山域の自然が今後とも保たれるように積極的な保護活動を行っていく必要がある。
 阿蘇山は、東西18km、南北24kmに及ぶ世界最大規模のカルデラ火山で、その中に町ができ、人々が生活している。阿蘇五岳とよく言われるが、阿蘇山の代表としては、最高点の高岳が一般に挙げられている。中央火口丘付近は、観光道路やロープウェイが設けられて、火口見物の観光地となっている。
 開聞岳は、海に乗り出した円錐形の美しい姿から、標高が1500m という選択の基準に満たないにもかかわらず、例外として日本百名山に選ばれている。この選択には、多分に、中国での俘虜生活からの帰還の際に、日本に近づいた時にまづ目にしたのがこの山であったことや、ヒマラヤに向かって船出をした際の見送りがこの山であったことなどの個人的体験が大きく影響しているものと思われる。
 霧島山という名前は、韓国岳や高千穂峰などを含む山群の総称である。韓国岳が最高峰であり、霧島山の代表になっている。一方、高千穂峰は、天孫降臨の伝説の地であり、そのために国立公園として、最初に挙げられたらしい。日本百名山の霧島山の項は、ほとんどが高千穂峰の説明にあてられ、200名山には、韓国岳と高千穂峰がそれぞれ選ばれており、いささか難しい。いずれにせよ、霧島山を登ったことにするには、この二つの山を登っておく必要があるようである。
 英彦山は、奈良県の大峰山、山形県の羽黒山と並んで、日本三大修験道場の一つに数えられる、歴史の深い霊山である。最初、日子山と呼ばれていたのが、嵯峨天皇の勅によって彦山、霊元天皇の代に尊称として英の字が加えられ、現在の名前になったといわれている。山頂は、南岳、中岳、北岳の三つに分かれ、最高峰の南岳に一等三角点が置かれている。本来は、中岳が一番高かったのが、上宮の社殿を造るときに山頂を平らに削ってしまってしまったといわれている。
 負釣山は、富山県の黒部川扇状地のかなめ付近にある山である。地元にしか知られていない山であるが、栂海新道沿いの山々や毛勝山などの好展望台になっている。
 日本百名山巡りも、終盤に入って、難しい山ばかりが残ってしまった。九州の山の難しさは、新潟から九州までの距離、そのものであった。五月の連休を利用して、まとまった休暇を取ったが、九州まで車で走りきれるのか、自分でも自信は無かった。五月の連休中ということで、宿の手配など、始めから諦めていたが、直前になって、インターネットの山のホームページで知り合った大分のK氏から、湯布院の別荘に、九州における第一夜を招待された。まずは、湯布院を目指して走り出すことになった。
 大学から急いで帰宅して出発したが、北陸自動車道を、その晩のうちに敦賀付近まで走っておく必要があった。天候も晴で、月明かりも明るく、走り易い夜であった。今回のルートの前半は、昨年の四国の山巡りと同じコースであるため、走りもはかどって、眠るまでに舞鶴自動車道にたどりつくことができた。連休初日で、中国自動車道に入ると、車は混み合うようになったが、直に、順調な流れに戻った。中国自動車道を全線にわたって走るのは始めてであったが、桃や桜の花も今が満開で、美しい山村風景が広がっていた。意外に早く、昼過ぎには、九州に到着することができた。小倉市内は、車が渋滞気味であったが、郊外に出るとバイパスもできており、再び順調な走りになった。車窓からは、名前は知らないが、登頂意欲をそそられる、九州の里山が見え始めた。ついに、山頂が二つに割れた由布岳が見え始め、ドライブも終わりに近いことを知った。高速道は、その山腹をまいて走っており、山の全体を良く眺めることができた。今回の計画に、由布岳を入れていなかったことを後悔した。約束の時間通りに、湯布院でK氏と落ち合うことができた。K氏の借りてくれていた別荘は、温泉まで引いた設備の整ったものであった。K氏の同僚のU氏も交え、コンピューターと山の話で、夜を楽しく過ごし、布団の上で、ゆったりと眠ることができた。
 翌朝、K氏とU氏に別れを告げ、九重山に向かった。やまなみハイウェイに入ると、周囲は牧草地帯となり、関東ではお目にかかれない広大な風景が広がった。長者原の駐車場に到着すると、目の前に九重山の山並がひろがっていた。昨年の秋に噴火した硫黄岳は噴煙を上げ、白味がかった地肌を見せていた。その左に、立派なピークがそそりたち、これが中岳かと思ったが、よく地図を見ると、三俣山であった。久住山への登山口の牧ノ戸峠には、駐車場とレストハウスが設けられていた。登山口には、噴火の注意を呼びかける看板と、立ち入り禁止地域を示す、色あせた小さな地図が張ってあった。登山道は、コンクリートが敷かれた遊歩道で始まった。遊歩道の登りは、結構辛く、いきなり汗が吹き出てきた。遊歩道は、沓掛山まで続いたが、岩のピークを越すと、通常の登山道に変わった。緩やかに登っていくと、扇ヶ鼻と星生山の分岐のある西千里ヶ浜のはじに到着した。まず、左にみえる星生山に登ることにした。一旦窪地に下りた後に、やせ尾根を登っていくと、眼下に西千里ヶ浜が広がり、その中を登山道が通っていくのが見えた。ひと登りで星生山の山頂に到着した。正面に三俣山が大きくそびえ、すぐそこの硫黄山からは、噴煙が立ち上がり、噴気の音も聞こえてきた。印象的な眺めではあったが、危険地帯に足を踏み入れているという緊張感から、写真をとった後は、山頂をそうそうに去ることにした。山を下っていく東の尾根は、やせた岩尾根になった。踏み跡はあまり明瞭ではなく、ときおり西千里ヶ浜に向かってそのまま下っていくものもあり、道を良く見極める必要があった。気の抜けない岩尾根であったが、さらにヤバイと思ったことは、道がしだいに噴気口に近づいていくことであった。道の上にも灰色の火山灰が積もるのが見られるようになり、噴気音も大きく聞こえるようになってきた。それでも、足を止めて噴気口の写真をとった。足を早めながら進んでいくと、ようやく道は噴気口からそれはじめ、星生崎の岩場の上に出た。眼下には、久住分かれの避難小屋が見え、正面には、久住山がピラミッド型の鋭い山頂を突き上げていた。岩場を注意深くおりて久住分かれに出ると、その先に立ち入り禁止のロープが張ってあった。ガレ場を登ると、中岳と久住山の分岐に出たが、その名前に敬意を表して、まずは久住山に登ることにした。久住山の山頂には、多くの登山客が休んでいた。周囲には素晴らしい眺めが広がっていたが、どうしても硫黄山の噴気口に目がいってしまった。落ちついて噴気口を眺めると、三ヶ所から、蒸気が吹き出していた。天狗ヶ城から中岳にかけての稜線は目の前にあり、そのかなたには由布岳、また振り返ると、祖母から傾山への連なりや阿蘇山を眺めることができた。登山者の会話を聞いていると、疲れたから中岳には登らないという話が耳に飛び込んできた。中岳は九州本土の最高点であるにもかかわらず、久住山のほうが人気は高いようである。山頂を後にして、切り落ちた東側とは異なって、なだらかな草原状の西側の斜面を下った。登山道は雨水にえぐられ、草原の中に新たな踏み後が何条もできていた。鞍部の十字路から、再び、稲星山に向かって登った。ひと登りで溶岩の塊の露出した稲星山に到着した。山頂の向こうには、大船山が大きく横たわっていた。地図上では、大船山までそれほどの距離ではなかったが、そこにたどり着くまでには、山を大きく下る必要があるため、別の機会にするしかなかった。稲星山を下っていくと、女性の単独行が途中で引き返していくのに出合った。立ち話をすると、表登山道を登ってきて久住山に向かうつもりであったが、草臥れたので引き返すとのことであった。時間もまだ早いので、東千里浜入口あたりでひと休みしてから、稲星山をまいて久住山に向かうようにアドバイスしたが、どうなったであろうか。東千里浜は、中岳と稲星山の間に広がり、ツツジの木が茂る美しい草原であった。再び登りに汗を出すと、避難小屋に出て、その向こうに青い水をたたえた御池が姿を見せた。中岳山頂まではそれほど遠くはなかったが、ピークを登り下りして、足も重くなってきていた。中岳の山頂は、それほど広くはなかったが、数人の登山客がいるのみであった。今度は、久住山を眺めることになったが、中岳からの久住山はなだらかに見え、あまり面白くはない姿であった。天狗ヶ城からガレ場を注意深く下り、トラバース気味に西に向かうと、久住分かれに戻った。ロープで規制された立ち入り禁止内にもかかわらず、その周囲には、家族連れもまじえた多くのハイカーが、噴火見物をしながら腰をおろしていた。一応立ち入り禁止地帯ということで、足を早めて西千里浜を通過することにしたが、多くのハイカーが入ってきていた。最後にもうひと頑張りして、扇ヶ鼻にもよっていくことにした。潅木の中に付けられた登山道の中を登っていくと大きな岩が現れ、その向こうが山頂であった。振り返ると、星生山から久住山にかけての山並みが美しかった。かなり疲れた足を運んで、来た道を戻ったが、最後のコンクリートで固めた遊歩道の下りは、辛く感じた。
 牧ノ戸峠の周辺は、駐車場から溢れた路上駐車の車で混雑し、やまなみハイウェイを行きかう車も多かった。食堂に入って、親子丼を食べながら、温泉の検討を行った。牧ノ戸峠から分かれる林道を下っていくと、筋湯に出ることができ、共同浴場もあるらしいので、この温泉に向かうことにした。林道を下っていくとT時路に出て、左折して山を登っていくと、湧蓋山の登山口に出てしまい、間違いに気づいた。T時路の右手に下っていくと、筋湯の入口に出て、そこのガソリンスタンドの裏手に、無料駐車場があった。休日で混雑していたが、幸い空きがみつかった。石鹸とタオルをぶらさげて温泉街をいくと、共同浴場があった。300円の切符を買って入ると、脱衣場は大混雑であった。中には広い湯船があり、壁際には肩の幅に二条の湯が流れ落ちる打たせ湯が九列並んでいた。この湯が体に当たる音と水しぶきで、内部は、騒然としていた。熱い湯で、日に焼けた腕を浸けるのが辛かった。日本百名山を帰宅後に読み返すと、「私の泊まったのは、牧ノ戸(旧中野温泉)と法華院と筋湯だけであるが、どの温泉も登山者向きの気持ちのいい宿であった。」とあった。深田久弥も、きっとこの共同浴場で、湯の滝に打たれたことであろう。
 温泉で元気を取り戻し、次は、祖母山に向かうことにした。途中、竹田で夕食の買い物をし、そのついでに、荒城の月で有名な岡城跡によった。入口の大きな駐車場には、入場券の売場もあったが、夕暮れ時で、すでに閉まっていた。ヨーロッパの古城を思わせる堅固な石垣をめぐらせた城跡をたどって本丸に登ると、祖母山から傾山の稜線が横たわっていた。また、一段下がった茶屋の前には滝廉太郎の碑があったが、その向こうに大きく広がる九重山の方に目がいってしまった。左には久住山を始めとするいくつものピークがかたまっており、その右手には大船山が大きく広がっていた。遠くから眺めると、大船山が一番大きく、この山を登らないと、九重山に登ったことにならないような気になってきた。祖母山の登山口の神原までは、道の選択を誤って狭い道に入り込んでしまった。神原渓谷沿いには整備された道ができており、神原集落の先でも、道路の拡張工事中であった。植林地の中野林道に入ると、車のすれ違いの困難な道になったが、登山口の駐車場まで入ることができた。
 天気は下り坂のようであったが、なんとか午前中はもちそうな気配であった。起き出して出発の用意をしていると、駐車場の他の車の登山客も出発の用意を始めた。林道を少し登った所から祖母山への登山道が始まったが、遊歩道なみに良く整備された道であった。渓谷沿いに緩やかに登っていくと、五合目小屋に出て、ここでも何組かが出発の準備をしていた。五合目小屋からは、擬木の階段登りになり、さらに涸れ沢を渡ると、本格的な急な登りの山道になった。辛い登りではあったが、急な分、高度も一気に上がった。途中のいのち水と看板の立っている水場は涸れていた。尾根の一端に出て緩やかに登っていくと、中央に石の地蔵の置かれ広場になった国観峠に出た。峠からは、祖母山も丸く見える山頂をのぞかせていた。これまでも滑りやすい泥混じりの登山道であったが、この先は、雨水で大きく掘られ、脇の笹原の縁を伝い歩くような道になった。ガイドブックには、雨の日にはひと苦労と書かれていたが、確かに雨の日には歩きたく無いような道であった。九合目小屋への分岐を過ぎ、最後の急斜面を登ると、祖母山山頂に到着した。登りの間は暑くてTシャツになっていたが、稜線に出てからは風が冷たくてシャツを着、山頂ではそれでも寒くてフリースのセーターを着込んだ。山頂には、二組五人の先客がいたが、寒いせいか早々に下山していき、一人きりの山頂になった。急な崖を下っていく縦走路の先には、傾山にかけての山々が重なりあいながら続いていくのを眺めることができた。雨も近いような曇り空であったが、昨日登った九重山も見えた。滑り易い道を下り、帰りは九合目小屋をのぞいていくことにした。少し古びた九合目小屋には、時間のせいもあるのか、誰もいなかった。神原への登山道に戻るまで、少し登り返す必要があり、九合目小屋コースは少し遠回りになった。下りになると、他の登山客にもすれ違うようになった。駐車場に戻って、車のナンバーをみていくと、富山、水戸、栃木、松本、沼津、群馬、山口、そして私の新潟、12台中に九州ナンバーは4台のみであった。どうやら、連休途中の平日に祖母山に登っているのは、ほとんどが日本百名山巡りの者のようであった。
 駐車場でひと休みしながら、次の計画を考えた。時間もまだ早く、天気もなんとかもっているので、少し強行軍ではあるが、午後に阿蘇高岳に登ってしまうことにした。途中で昼食をとってR.57を阿蘇に向かい、外輪山を越すと、根子岳の岩山と、カルデラの中央にそびえる高岳が目に飛び込んできた。仙水峡には、大きな駐車場があったが、連休途中の平日のせいか、閑散としていた。駐車場からは、ロープウェイが稜線まで登っていき、頭上にそびえる高岳に向かって岩尾根の仙水尾根が延び、登山者が登っていくのが見えた。観光客に混じって、ツツジの群落の中に付けられた遊歩道を登っていくと、尾根の取り付きに到着した。溶岩でできた尾根で、ガレている所もあり、コースを外さないようにペンキマークをたどる必要があった。斜面は急で、辛い登りになった。岩に手をかけると、ザラザラの表面で痛かった。欲張って一日で二つ目の山に登ろうとしたことを後悔した。登るに連れて仙水峡が眼下になり、はじめ頭上に見えていた鷲ヶ峰の岩峰やロープウェイの山頂駅も見下ろすようになった。頂上直下で断層状の岩壁に突き当たり、これを突破するのに、最後のひと頑張りが必要になった。この岩尾根を下っていく登山者も何人かいた。足元のおぼつかない中年夫婦が下り始めたのを、一緒に登ってきたグループの一人が、ロープウェイで下ったほうがいいと声を掛けたが、そのまま下っていってしまった。最後に火山砂の斜面を登り終えると、山頂の縁に出た。前方には火口の窪地が見え、稜線が左右に延びていた。怪しくなってきた空から、ついに雨が降り始めてしまった。右手に見える高いピークが、高岳のようであった。高岳の山頂で雨具を着込み、丁度登ってきた登山者に写真を撮ってもらい、中岳へ急いだ。風も強くなって足元がとられるようになり、つむじ風で砂の目つぶしが襲ってきた。中岳は、高岳からみると、下っていく尾根のいちピークにしか見えなかったが、中央火口の大展望が広がっていた。荒涼とした砂千里ヶ浜には、灰色の火山灰が積もり、その上に雨水によって無数の筋が付けられていた。また中央部からは噴煙があがり、火口の縁に向かって、東西から遊歩道が延びていくのが見えた。火口見物のできる山も多くみてきたが、スケールの大きさでは、やはり阿蘇山は群を抜いていた。足を止めて、しばらくこの眺めを楽しんだ。中央火口の東端まで下ると、舗装された遊歩道が登ってきており、観光客が火口見物をしていた。ロープウェイの山頂駅からふもとまでは、遊歩道が延びていたが、雨で歩くのがいやになり、ロープウェイで下ることにした。雨と風ですっかり体が冷えて、温泉に急ぐことにした。山から下って国道に出る手前の右手に、アゼリア21という新しい温泉施設があり、400円で入浴した。
 国道沿いのコンビニで夕食とビールを買い込み、阿蘇山で有名な草千里に向かった。夕暮れ時の阿蘇登山道路を登っていくと、本格的な嵐になった。草千里には、レストハウスが並んでいたが、五時には閉店になってしまい、宿泊可能なロッジも無かった。悪いことに、トイレも店内にあり、夜間は利用できなかった。草千里の草原の向こうには一等三角点のある烏帽子岳が緩やかに頭をもたげていた。大駐車場のすみに車を止め、野宿をすることにした。車の窓を打つ雨音がうるさく、風で車が揺れるので、寝付きにくい夜であった。真夜中に、あたりの様子がおかしいことに気が付いた。外を覗いてみると、車が駐車場の中を走り回って、スピンさせて遊んでいた。しばらく様子をみていても止めようともせず、豪雨の中で、いつ運転を誤ってぶつかってくるか心配で、千里ヶ浜展望台の駐車場に移動した。
 翌朝も風雨は衰えなかった。車の脇で、なんとか湯を沸かし、お茶を飲みながら山の計画を再検討した。ラジオの天気予報を聞くと、雨は一日続くようであった。阿蘇・烏帽子岳を登ったあと、霧島山へ移動する予定であったが、開聞岳に向かって車を走らせることにした。山を下ると、下界では晴になっていたが、少し高い山の頂上部は、黒い雲で被われていた。熊本から九州自動車道に入り、南下を始めた。パーキングで朝食にソバを食べることにして、玉天ソバ(330円)をたのんだら、丸いかきあげ天麩羅ではなく、丸い薩摩揚げがのっていた。車を走らせると共に、晴れ間も顔をだしたが、鹿児島に近づくに連れて再び天気は下り気味になり、桜島は雲に被われていた。鹿児島から先の指宿スカイラインは濃霧になり、開聞町に着いた時には、再び雨になってしまった。 開聞岳の登山口に向かって坂を上っていくと、グラススキー場の下部に出て、右手に曲がった所に広い空き地があり、登山客用の駐車場に指定されていた。車の中で雨具を付け、雨の中を開聞岳に向かった。左にグラススキー場、右手にスキー場用の駐車場を見ながらの、舗装道路の登りがしばらく続いた。舗装道路が左右に曲がるT字路の正面に二合目登山口があった。登山道の傾斜はきつくはないが、緩くなることもなく、ひたすら登り続ける必要があった。雨のため、展望は無く、螺旋状の登山道のために、自分の位置は合目表示だけがたよりになった。はじめのうちは火山灰の積もった道であったが、七合目付近から岩を伝い歩く道になった。南国の雨は、寒さは全く感じられなかったが、蒸れて雨具の中もずぶぬれ状態になってしまった。最後に螺旋を切るのを諦めたかのように、岩場を一直線に登ると、潅木の中に岩が積み上がった開聞岳山頂に到着した。山頂には単独行が休んでおり、雨の中、互いに写真を撮り合った。この単独行も、話を聞くと百名山巡りということであった。雨も激しくなり、下山を急ぐことにした。午後の遅い時間になっているにもかかわらず、傘を片手に、登ってくる登山者に何人も出合ったのには驚いた。これらも日本百名山巡りだったのだろうか。開聞岳は、標高もそれほど無いことから、山をなめて軽装で登ってきているようであった。登り2時間と登山口の看板に書かれていたが、急いだつもりでも、やはり2時間近くかかってしまい、けっして楽な山ではなかった。
 車に戻る頃から激しい雨になった。ずぶぬれの衣類を着替え、どこの温泉に入るか検討した。やはり、話の種に指宿温泉の砂蒸し温泉に入ることにした。長崎鼻からは、開聞岳の美しい姿を眺めることができるはずであったが、豪雨の中では行っても無駄であった。雨の中でも、砂蒸し温泉は営業しているのかと心配したが、海岸を覗くと、シート張りの屋根の下で、観光客が砂に埋まっているのが見えた。近代的な造りの市営砂蒸し温泉に入ると、入浴量800円、浴衣代100円であった。浴衣に着替えて海岸に下りると、スコップ片手のおばさん達が、観光客を砂の上に寝かせては、砂を掛けていた。実際に砂を掛けられると、中から熱い温泉がしみだしてきて熱くなり、上に載った砂は重たく、汗が噴き出してきた。持ち時間は15分ということのようであったが、隣の客が這い出るのをきっかけに砂から脱出した。浴場に戻って、洗い場で砂を洗い流し、浴槽に入りなおした。やはり温泉は、浴槽に浸かる方が落ちつくような気がするが、九州には、筋湯といい、この砂蒸し湯といい、変わった温泉が多い。翌日の登山のために高千穂峰に向かうことにしたが、激しい雨と、登山と温泉の疲れのために、休み休みの運転になった。途中の道の駅、高速のサービスエリア、霧島神社の駐車場で休憩を繰り返しながら、明け方近くに、雨の上がって霧の立ちこめた高千穂河原の駐車場に到着した。
 高千穂峰に向かって歩き始めると同時に、青空が顔を覗かせはじめた。良く整備された石積みの遊歩道を登っていき、登山道にはいると、ザレ場の登りになった。登山道は、所々ペンキマークが記されていたが、あって無いようなもので、ザレ場の中の歩き易い所を選んで登ることになった。稜線はすぐそこに見え、ひと頑張りで登りつけると思って、歩くペースを上げた。急斜面を登りつめると、火口壁の縁に出た。山頂はどこかと思って眺めると、円形の火口の奧に、さらに高い三角形のピークがそそりたっていた。火口の縁を回り込んでいく馬ノ背は、道幅は狭くは無かったが、強風が吹き付けられ、足元に注意が必要であった。山のふもとには、緑の樹林帯が広がり、その向こうには、新燃岳が大きかった。火口壁からは一旦鞍部におり、そこからは山頂へのガレ場の中の真っ直ぐの登りになった。小砂利が堆積した中の登りは、足が滑って、体力が余計に必要になった。高千穂峰の山頂は、かなりの広さを持ち、石積みがされて立ち入り禁止のロープの中に、有名な天の逆鉾が立っていた。強風の中で、三脚を立てて記念写真をとった。石積みの奧には、管理人の常駐する山頂小屋があり、左手に回ると、新燃岳から韓国岳への山並みを眺めることができた。写真を撮って休んでいるうちに、ガスが上がってきて、展望が閉ざされてしまった。ガレ場を注意深く下って鞍部に下りると、日がさしており、振り返ると、高千穂峰の山頂めざして、雲が押し寄せてきていた。火口の中を覗きながら馬ノ背を回り込み、再び急斜面の下りに取りかかると、登ってくる登山者に多く出合うようになった。中には、馬ノ背の稜線を見上げて、そこが頂上かと尋ねてくる者もいた。山頂は、その先で、さらにこれと同じくらいの登りが待っていると、真実を教えてあげたが、励ましになったであろうか。山を下ってから、天孫降臨の斎場を見学してから車に戻った。
 続けて韓国岳に登るため、登山姿のままでえびの高原に向かった。えびの高原の駐車場から韓国岳へは、硫黄山の賽の河原に向かう遊歩道を登っていくことになった。硫黄の臭いの濃い硫黄山を過ぎると、本格的な登りになった。潅木帯の中の登山道は、石が転がり、歩き難かった。韓国岳の山頂は雲に被われ、山の形のせいか単調な登りが続き、どれ程登ったかの指針は合目の標識だけであった。ようやく火口の縁にたどりついてからも、登りは続いた。大浪池への下山口を過ぎると、その少し先に山頂があった。ガスのために山頂といっても、岩場の間に立てられた標識と、三角点があるだけであったが、とにかく、予定の九州本土の日本百名山の五山目を登り終えたことに満足した。下っていくと、山頂で昼食にする予定で登ってくる者も多くいた。ふもと近くまで下った所で、浮き石に足をのせて右足を捻ってしまった。激痛が走り、一瞬片足で棒立ちになってしまった。一日二山目で疲れが出て注意力が散漫になっていたのが、原因であった。連日の車の運転で、右足に負担がかかっていたせいもあるかもしれない。おそるおそる足を踏み出すと、少しビッコを引くものの、歩けることにホットした。駐車場に戻って、食堂で昼食を食べていると、青空が広がり、韓国岳が姿を現した。頂上に登った時に晴れていてくれなかったことを恨めしく思ったが、山の姿を眺める事ができたことに満足した。
 ガイドブックを見て、霧島温泉を代表するという林田温泉に向かった。ホテル付属のヘルスセンター式の大浴場で、入場料は820円、中には大きな土産物売場や食堂、ゲームセンターが設けられていた。山の斜面に建てられた、体育館ほどの建物の中に、大浴槽が広がっていた。なぜか、船橋ヘルスセンターを思い出して懐かしい気分になったが、このようなヘルスセンターは、秘湯や露天風呂を売り物にする最近の温泉ブームの中で、逆に人気は低くなっているのか、客は少なかった。一応、日本百名山の今回の目標を達成したことで、次は、登りたい山に向かうことにした。今回の山旅で気にかかったのは、由布岳と大船山であったが、由布岳は、交通の便の良い所にあって、いつか登る機会も有りそうであった。これに対し、九重山を遠くから眺めた時、少し離れて、一番大きく広がった大船山には、是非登っておきたい気持ちになっていた。九重山に向かって高速道を再び北上し、阿蘇山を半周してから、一の宮町からやまなみハイウェイに入った。外輪山の縁に登ると、そこから先は、牧場しかない原野が延々と続いた。ドライブ愛好家にとっても、この道は、走ってみる価値のある道であった。牧ノ戸峠を越して、長者原の駐車場に再び戻った。車から降りると、捻った足が痛くなって腫れも出て、ビッコを引く状態になった。翌日の山行に不安を覚えたが、とにかく寝て、翌朝にどうするか考えることにした。
 翌朝、足の腫れはほとんど引いており、歩けそうであった。念のため、皮と布のコンビネーションの軽登山靴の代わりに、残雪期用に使っている足首の良く締まるオール革製の軽登山靴を履くことにした。雨で靴を濡らしてしまった時の靴の予備までは考えていたが、このようなサポーター代わりの靴の選択は予想もしていなかった。足を少し引きづりながら、ストックをついて坊ヶつるに向かった。駐車場から自然観察路を山に向かって進むと、樹林帯の緩やかな登りになった。九州自然歩道として整備された道のようであったが、丸太が積まれた階段は、土砂が流れて歩けなくなるなど、整備された個所の荒廃が目立った。急ではないが、結構長い登りが続いた。三俣山から派生した尾根に登りつく手前に、ベンチが設けられ、そこは長者原の展望台になっており、一服するのに良い所であった。登りついた尾根は、台地状になっており、少し進むと木道の敷かれた雨池のほとりに着いた。雨池は、干上がり、草原状になっていた。登山道の土砂の流出が目立つようになり、潅木の中に、細い踏跡が何本もできていた。台地の東端の雨池越にでると、眼下に、坊ヶつるの草原が広がり、平治岳から大船山の連なりに対面することができた。坊ヶつるの草原に向かって、細い尾根を下っていくと、笹こぎになり、その次は杉林の中の急降下、テープは所々あるものの、これはおかしいと思いながら進むと、彼沢の中に下りたってしまった。テープは、沢の先に続いているようであったが、どうみても一般登山道ではなさそうで、迷った時の原則で引き返すことにした。雨池越まで登り返すのには、時間にすればそれ程長くはなかったが、心理的・肉体的な負担は大きかった。もっとも、いつの間にか、足の痛みなど、忘れてしまっていたが。雨池越には、法華院温泉を示す標識が立っており、迷い込んだ道は、行き止まりと書いてあった。潅木の中を歩いて、この標識を見落としてしまったのが、間違いのもとであった。迷い込んだ道は、ガイドブックの地図によれば、平治岳の麓をまいて坊がつるに至る道のようであったが、通る人は少ないようである。法華院温泉へのはっきりした道に戻ることができて、胸をなでおろしながら、下りに取りかかった。茶色のかれ草の茂る草原の中にツツジの木立が点在し、サラサドウダンの花が咲いていた。法華院温泉は、そびえる山壁のふもとにあった。草原に降り立つと、法華院温泉の荷上げ用か、キャタピラ車のわだちが付いた林道が上がってきているのに驚いた。小川を横断し、大船山方面に草原を進むと、坊がつるのキャンプ場に到着した。いかにも歌にもなりそうな、周囲は山で囲まれた美しいロケーションで、芝地で寝心地も良さそうなキャンプ場であった。植生は当然違っているものの、どこか尾瀬ヶ原を思い出させるような、草原であった。キャンプ場の奧の避難小屋の先に、平治岳と大船山の分岐があった。再び急な登りに汗を流すことになった。アセビなどの背の低い木立の中で展望は効かず、ひたすら登るしかなかった。ようやく山頂火口の縁の段原に登りつくと、ツツジの潅木の絨毯が広がる上に、大船山の鋭い山頂がそびえていた。山頂へは、潅木の中の急な登りを頑張る必要があった。岩が積み上がった山頂には、風をよけながら、4組8人が休んでいた。一人は、サイクリングスタイルで、マウンテンバイクをかつぎ上げており、私の理解を超えていた。大船山の山頂からは、三俣山から中岳の連なりを良く眺めることができた。風は少し冷たく、山の眺めも少しかすんでいた。  足を取られやすい急斜面を注意して下り、段原の分岐から、平治岳に向かった。登山道は、人ひとりが通るのがやっとのツツジの潅木の中の切り開きになった。ひと登りで、山頂標識のたつ北大船の山頂に到着した。大船山の眺めに別れを告げ、緩やかに下っていくと、平治岳を正面に見ながらの急な下りになった。ツツジの潅木帯にはまり込んだ感じで、延びたツツジの枝が、腕や足に引っかかってきた。足元は、砂地で滑りやすかったが、ツツジの密集した枝は、手が痛くて掴むことはできなかった。大船山から平治岳にかけてはミヤマキリシマの花がうめつくすとガイドブックに紹介されていたが、シーズンオフのツツジが、これほどどう猛なものだとは知らなかった。少なくとも、このコースは間違っても、半ズボンで入り込まないほうがよさそうである。
 大戸越の鞍部に降り立つと、平治岳の頂上を見上げるようになってしまった。急な登りが再び始まった。ツツジの集落の中を登っていくと、登山道は、二つに分かれた。六月中旬は、ツツジを目当ての登山者で混み合うため、混雑解消のための方向制限のようであった。ツツジの季節にはずれたこの日は、連休中にもかかわらず、中腹に一人登っているのが見えるのみであった。途中、ロープを頼りに登る岩場も現れたが、この手前には、杖に使ったと思われる木の枝が束になって捨てられていた。頂上についたと思って、ツツジの薮の中を左に進んで岩の上に立ってあたりを眺めると、山頂の窪地を右に回り込んだ所に、より高いピークがあった。気をとりなおして、もうひと登りすると、三角点の置かれた山頂に到着した。三俣山と向かい合う眺めの山頂であった。下りは、別な道を選んだが、こちらも砂地で滑りやすく、ストックで体を支えながらの下りになった。大戸越から坊がつるへの道は、アセビの樹林帯になったが、踏み跡がいく筋も付けられ、迷わないように注意が必要であった。
 坊がつるのキャンプ場に戻って、芝地にすわり込んでひと休みした。炊事場に水を汲みにいったら、蛇口の水は止まっていた。近くに水場があるのだろうか、それとも脇を流れる小川の水を飲んでも大丈夫なのだろうか。長者原まで引き返すには、雨池越を越す必要があり、もうひと汗流すことになった。
 星生温泉の露天風呂に300円で入った後、九州最後の目的地の英彦山に向かった。途中でお弁当とビールを買い込み、英彦山の登山口の別所駐車に日の沈む前に到着した。大きな駐車場で公衆便所もあり、野宿にはいい場所だと思って、ビールで酔って寝込んだ。夜遅くなって、なにかうるさいと思ったら、暴走族がやってきて、駐車場の中で車をスピンさせていた。様子をみていると、直にいなくなったので、やれやれと思って眠りについた。深夜に、車の窓ガラスをたたく音で再び目が覚めた。起きあがって、外を見ると、パトカー三台に包囲されていた。不審尋問で、免許証の提示を求められた。名前を無線で本部に連絡し、手配中の人物であるか、照合しているようであった。新潟ナンバーの車が、夜間の駐車場に止まっていること自体が、不審なことのようであった。英彦山に翌日登ることを告げたが、はるばる新潟から登りにくることについては、日本200名山なるものを知らず、理解を超えていたようである。このパトカーは、先ほどの、どうやらローリング族と呼ばれる暴走族を追いかけている最中であった。名前が警察に通報され、登山届けになったと考え直して眠り直した。朝になって車の中で食事をとっていると、道路の反対側の駐車場に、車が10台以上も集まってきた。夜通し走り回った暴走族が、解散のミーティングを始めた。暴走族の車は、山道を走行車線を無視して猛スピードで下っていった。早朝に、登山のために車を走らせてくるものがいたら、正面衝突になる危険性が大きかった。パトカーは、ひと晩中暴走族を追いかけ回したあげく、善良なる中年ハイカーをひとり捕まえただけのようであった。
 観光客用の舗装道路を歩いていくと、銅の鳥居から登ってきた参道にでた。土産物屋や宿坊が並ぶ石段の登りになった。傾斜は急で、手すりも設けられていた。奉幣殿からも石段は続いたが、登山者の領域になった。杉木立に苔蒸した石段によって、霊山の雰囲気がかもしだされていた。途中、台風の被害ということで、木がなぎ倒されている所や稚児落とし、行者堂などの旧跡を見ながら、奧に見える山頂に向かって登り続けた。登り着いた中岳には、上宮があったが、早朝かシーズンンオフのためか、扉は閉まっていた。境内での弁当は禁ずるとの掲示があり、奧の一段下がった所に、休憩所が設けられていた。三角点のある南岳は、目の前であったが、一旦下っから登り返す必要があった。南岳の山頂には、コンクリートの展望台が設けられていた。登ってみると、春霞の中に山なみが広がっていたが、それらの名前は、良く分からなかった。再び中岳に戻り、北岳へ向かった。岩場の急な下りも現れた。美しいブナの林が広がる中を、北岳に緩やかに登りかえした。北岳からは、一気に高度を落とす急な下りになり、岩場の鎖場も現れた。ロープだけが頼りの赤土のガレ場は、いやな下りであった。ようやくふもとも近くなった所で、望雲台の分岐が現れた。20メートルはあるという岩溝の中を、鎖を頼りに登り、右にトラヴァースすると、5m程の垂直の壁の下に出た。岩に堀込まれた窪みを足場に、ロープを頼りによじ登ると、てすりの設けられたテラスに出た。登って驚いたことは、岩の上は、幅が1.5m程しか無く、反対側は絶壁で、てすりから手を離すことはできなかった。ザックをおろしてカメラを取り出すことも、恐くてできず、風景をひと眺めしただけで下りることにした。岩場の下りは、登りよりも足場を探るのに手間がかかり、再び分岐に戻ったときにはホットした。逆鉾岩などの奇勝を見ながら下っていくと、豊前坊に出た。多くの登山グループが登り始めるところで、子供連れのファミリーグループもいたが、岩場の登りは大丈夫なのか心配であった。豊前坊から登るほうが標高差は少ないが、北岳までは鎖場もある急坂が続き、一般には、正面の参道を登る方が安全のように思えた。豊前坊から別所の駐車場へは、山伏が歩いた石畳の道も一部には残されている遊歩道を通って、車道をかすめながら戻ることができた。別所の駐車場は、観光客や登山者であふれかえり、空きを捜す車で混雑していた。
 九州の山も終わりということにして、いよいよ新潟に戻ることにした。野峠に出てR.496に入った。峠の周辺には、路肩駐車の車が多く、あとでガイドブックを調べると、これらは犬ヶ岳登山の車のようであった。細い道ではあったが、順調な走向を続け、行橋からR.10に入ると、さすがにノロノロ運転になった。連休後半の初日で、反対の別府方面は大渋滞になっており、ほとんど動いていなかった。小倉東ICから、再び高速に乗った。関門橋を越す所で断続的な渋滞に出合ったが、その先は、順調な流れになった。途中で家に電話を入れると、教授から連絡を取るようなメッセージが入っており慌てる場面もあった。サービスエリア毎に休憩をとりながら、車を走らせ続けた。舞鶴から敦賀に出て、北陸自動車道に入ったところで、さすがにダウンして、最初のパーキングで夜明かしになった。
 翌朝の北陸自動車は、車の流れは多めだが渋滞はなかった。しかし、サービスエリアは、早朝にもかかわらず、大混雑になっていた。金沢を越すと、車の数もめっきり少なくなってきた。晴の日になって、富山が近くなるに連れ、剣、立山の大展望が広がってきた。昨年と同じように、流杉PAから、北アルプスの大展望を楽しむことができたが、このまま新潟に戻るのはもったいない気持ちになった。残雪の北アルプスの展望を楽しむことのできそうな日帰りの山を検討すると、宇奈月温泉近くの負釣山が、歩行時間も手頃で、おもしろそうであった。
 黒部ICでおりて宇奈月温泉に向かい、舟見から明日温泉の標識で脇道に入り、バーデン明日の前に出ると、広い駐車があり、ガイドブックの写真にあった負釣山登山道入口の看板があった。小川にそって、狭くなった道を進んでいくと、山神社が右手に現れた。その先で、オコ谷へ左折しなければならないが、入口を見過ごしてしまい、その次のキャンプ場入口という標識が立つ中谷に沿った道に入ってしまった。山菜取りの人に聞いて、間違いであることを知った。来た道を戻ると、田圃の中に分かれていく目立たない道があった。沢に沿って登っていくと、負釣山の登山標識の立つ駐車場に出た。山菜とりも含めて、10台程の駐車スペースはほぼ満員になっていた。看板の裏手の林道を登っていくと、擬木の階段で始まる登山道が現れた。杉の植林が左右に広がっていたが、登るに連れて、美しい雑木林に変わった。結構登りでのある道で、途中に合目標識がまめに付けられていた。登山道の脇には、イワウチワの花が満開になっていた。イワウチワの花を良くみると、ピンクの色の濃いものから白に近いものまで、変化に富んでいた。七合目のベンチにたどりつくと、栂海新道沿いの山の展望が広がった。いつかはあの道をと、憧れの心をかき立てるに十分な眺めであった。ロープを頼りのやせ尾根の登りになり、最後の急斜面を頑張ると、残雪におおわれた負釣山の山頂に出た。山頂には、二組五名の先客がいた。山頂からは、360度の展望が広がっていた。展望盤も置かれており、それを参考にしながら展望を楽しんだ。白馬岳から朝日岳を経て次第に標高を落としてくる栂海新道沿いの山々では、初雪山が正面に大きかった。反対側には、毛勝山と僧ヶ岳の眺めが広がっていた。展望盤によれば、毛勝山の左手に剣岳や鹿島槍ヶ岳の頭が見えると書かれており、確かに一段奧にかなり高そうな山の山頂が飛び出しているのを眺めることができた。西には、黒部川の扇状地が大きく広がり、日本海の海岸線が南北に連なっていた。まさに展望の山といってもよい山頂であった。山頂付近の急坂を下りた後は、新緑を楽しみながら、写真写りのよさそうなイワカガミの花を捜しながら歩いた。下山後に、山の入口にあったバーデン明日に入ったら、1339円も取られてしまった。ここは、プール付きのために高い値段のようであった。帰りに良く見たら、舟見ふれあい温泉といのもあり、こちらが普通の日帰り温泉で、安く入浴できるようであった。
 延べ3434kmを走って、まる一週間に及ぶ山旅を無事に終えることができた。天候によって、一部計画の変更を余儀なくされたが、ほぼ予定通りの山に登ることができた。しかし、心残りの山のリストも、また増えた。新潟から九州まではさすがに遠かった。しかし、いつの日か、200名山あるいは300名山巡りに、九州の山を再び訪れたいと思っている。

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