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金峯山

1996年4月6日 日帰り 単独行 晴れ

金峯山 きんぼうさん(459m) 摩耶連峰(山形) 5万 鶴岡 2.5万 鶴岡

ガイド:分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明舎出版)

4月6日(土) 5:30 新潟発=(R.7、R.345、神林、R.7、鶴岡、青竜寺)=9:42 中ノ宮〜9:45 発―10:24 縦走路―10:27 金峯山山頂〜10:30 発―10:43 八景台―10:43 勘左ェ門コース分岐―11:05 中ノ宮=(往路を戻る、途中勝木「ゆり花温泉」入浴、中条地本ミズバショウ見物)=16:00 新潟着

 金峯山は、摩耶山から湯ノ沢岳、母狩山と連なってきた尾根が、庄内平野の南部に最後に落ち込む所にある山である。山頂には、吉野の金峰山を勧請し、信仰の山になっている。ファミリー登山の山として、コースも良く整備されており、南の母狩山への縦走路も開かれている。
 分県登山ガイドの登山適期によれば、この山は4月に登れることになっている。海岸線に近く、標高も500mに及ばない山で、飲み会の翌日の軽い足慣らしのつもりであった。場合によっては、母狩山への縦走も可能かと思って出かけた。朝は風が強く、天候の回復を待つ必要もあり、本当は二日酔いで、途中でひと眠りしたりした。鶴岡市内の道は判りづらかったが、建設中の山形自動車道が目印になって、なんとか登山口の青竜寺(しょうりゅうじ)に到着した。古色めいた青竜寺を通過して、一台の幅の車道を登っていくと、車道の脇には、残雪がたっぷりと現れた。中ノ宮には、広い駐車場があった。残雪歩きを覚悟して、買ったばかりで使ったことの無いワカンを持って出発した。大黒様と恵比寿様が、入口の左右に並んだ神社に、まずは登山の安全をお祈りした。神社の回りには、灯篭よろしく、ピラミッド型の雪の塔が並べられていた。神社の先から、完全な残雪歩きになった。先行者の足跡を頼りに登っていくと、途中からワカンの足跡に変わった。朝で気温がそれ程高くなく足ももぐらないので、そのまま登り続けた。その先の登りが思いやられるような、急斜面の登りになった。登山靴を雪の壁に蹴り込みながら登っていくと、右手から5メートル程の林道が登ってくるのに出合った。どうやら、先行者は、道でない所を登って近道をしているようで、この林道を横断して、山の斜面を真っ直ぐに登っていた。この林道は、縦走路のある稜線に向かって緩やかに登っていくようであったので、この道を行くことにした。左手には、いかつい兜のような形をした形の良い山が見えたが、これはよろい峰で、母狩山はさらにその奧だったのだろうか。晴れてはいたが、遠くは良く見えなかった。日向では、雪がゆるんで、踏み抜く所も出てきた。腰まで雪の中に落ちこんだら、足が抜けなくなったが、後ろにでんぐりかえすようにしたら脱出できた。残雪に苦労しながら登っていくと、稜線上の縦走路に登り着き、山頂へ向かった少し先に、湯田川温泉への分岐があった。山頂へまっすぐ登っていくと、大きな神社の拝殿の後ろに出た。最後は、道で無い所を登っていたようである。頂上一帯は残雪に覆われ、どこに三角点があるのか判らなかった。拝殿の正面から、やせ尾根がのびてきており、ここがガイドにもある参拝路のようであり、ワカンの足跡も登ってきていた。少し下ると、鶴岡の市街と庄内平野、さらに白い波打ち際を見せる日本海の展望が開けた。しかし、大きな裾野を広げているはずの鳥海山が見えないのは、残念であった。正規な登山道は、石畳の階段に整備されているようであったが、けっこう急な下りであった。残雪の下りは、登りと違って楽であり、結局ワカンは使わずにすんでしまった。木造のお堂に出ると、林道の入口が現れ、そこにはロープが張って、入り込まないようにしてあった。夏だったら、この林道を登って、参拝路を下るのが楽なようである。汗を流して、二日酔いはどこへやら。登山の時間は短かったが、山歩きの楽しさを充分に味わうことができた。
 帰りに、新潟県の最北部の温泉の勝木「ゆり花温泉」に入浴し、さらに中条地本のミズバショウを見物した。ミズバショウの盛りは少し過ぎて、花の先が茶色に変色しかかっており、盛期は3月末のようであった。群生地は、周囲が休耕田になって、前よりも広くなり、多くの観光客が見物していた。

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