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移ヶ岳、麓山、日山

1996年3月23日 日帰り 単独行 曇り

移ヶ岳 うつしがたけ(994m) 二等三角点 阿武隈山地(福島) 5万 常葉 2.5万 船引 
ガイド:遊歩百山7 p.12-13

麓山 はやま(897m) 一等三角点補点
日山 ひやま(1058m) 三等三角点 阿武隈山地(福島) 5万 川俣 2.5万 上移、岩代小浜
ガイド:アルペンガイド「奥日光・足尾・那須」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、福島の山50(歴史春秋社)

3月23日(土) 4:30 新潟発=(R.49、会津坂下IC、盤越道、船引三春IC、R.288、R.349、美山、館入口 経由)=8:33 移ヶ岳車道終点―8:47 鞍部―9:06 移ヶ岳山頂〜9:15 発―9:36 鞍部―9:42 移ヶ岳車道終点=(館入口、美山、R.349、R.459 経由)=10:31 牧場登山口―10:48 麓山〜10:55 発―11:12 牧場登山口=(R.459、田沢 経由)=11:37 牧場登山口―12:16 日山〜12:24 発―12:52 牧場登山口=(田沢、R.459、二本松IC、東北自動車道、盤越道、会津坂下IC、R.49 経由)=18:05 新潟着

 移ヶ岳は、常葉鎌倉岳の西にあり、大きく裾野を引いて、しかも尖った山頂を持つことから、良く目立つ山である。標高は、1000mに僅かに足りないが、全般的に低い山が並ぶ阿武隈山地では、注目に値する高さである。鎌倉岳や日山などの展望の描写には、この移ヶ岳が出てくるにもかかわらず、この山の登山のガイドはほとんど無い。
 麓山は、羽山とも表され、一等三角点が置かれている、三角形に盛り上がった山である。
 日山は、別名天王山とも呼ばれ、阿武隈山地では数少ない千メートル峰で、古くからの信仰の山である。
 盤越道が延長されたことによって、阿武隈地方の山に出かけやすくなった。不順な天候が続いている。この土曜日も、低気圧が北海道東部で発達して強い冬型になり、強風が吹き、会津では雪が舞っていた。先日の常葉鎌倉岳に登った時に、山頂からの展望で気になった移ヶ岳にまず登ることにした。この山のガイドは、遊歩百山7にようやく見つけたのみで、他のガイドには載っていないのが不思議である。R.349から常葉に向かう道へ曲がると、しばらく走った所に美山小学校の左折の案内があり、その下に移ヶ岳登山口の道標があった。館入口から、道標に従って集落の中の細い車道を山に向かって登っていくと、道幅の広い立派な道に変わった。一気に標高を上げていくと、右手下方に、造成地らしきものが見え、舗装も終わると、左手上方に廃屋がみられる所で、車道の終点になった。車道の延長には、笹がかぶり気味の、荒れた林道が延びているが、登山口の標識あるいは、ガイドに書いてあった移ヶ岳神社は、どこにも見あたらなかった。一旦Uターンして、登山道を捜してみたが、細い車道が2本程上がっていくだけで、登山道は良く判らなかった。一番可能性のありそうな林道跡を登っていくことにした。雑木林の中の林道を、半信半疑の気持ちで登っていくと、鞍部を越す所で、移ヶ岳登山道の新しい道標がようやく現れた。落ち葉の積もった雑木林の中の道は、あまり通る人もいないのか、明瞭ではなかった。左右がえぐられて、登山道が土手のようになった個所を登りつめると、山頂手前のピークに到着した。移ヶ岳の山頂は、目の前であったが、思わぬ難関が待ちかまえていた。左手は採石場の断崖で尾根上は通れず、右手の斜面をトラバースする必要があったが、ここには残雪が凍結して残っていた。アイゼンを車に置いてきたことを後悔しながら、ストックを頼りに、慎重に凍った斜面を登ると、ロープが二本宙に渡されている場所に出た。足がかりがほとんど無く、ロープにぶるさがるようにしてトラバースを終え、山頂の下にたどりついた。山頂直下で、西の方からも登山道が登ってきていた。山頂は大きな岩が転がり、360度の展望が広がっていた。常葉鎌倉岳、麓山、日山といった、阿武隈中央部の山々の見晴らしが特に良く、西には安達太良山と向かいあっていた。阿武隈山地の中でも屈指の素晴らしい眺めの広がる、展望台やアンテナ等の人工物の全く無い、静かな山頂であるが、どうして紹介されていないのだろうか。風が強く、山頂に長くいることはできなかった。凍結斜面の下りは、登りよりも難しかった。凍結した雪の上には足を下ろすことができず、木の幹を足がかりにして、ようやく下りきった時にはホットした。その後の下りは、道を外れないように注意して、短時間で車に戻ることができた。どうやら、私の登ったコースは、遊歩百山7のガイド文で下山に使われたコースのようであった。
 次に、一等三角点の麓山に向かった。この山も、車道が山のかなり上まで登っていた。牧場の入口に車を置いて歩き出した。牧場内には決まった道は無かったが、案内板があり、迷う心配は無かった。牧場の臭いにいささか閉口し、草地には牛の糞が落ちているので、油断がならなかった。鉄条網を二回くぐり抜けると、笹原の中の登山道になった。霜柱の融けたあとのぬかるんだ道を登って山頂に到着した。山頂の西の一段下がった所には、石の鳥居と祠があった。山頂から眺めると、鳥居の向こうには安達太良山が広がり、まるでご神体のように見えた。
 日山は、ガソリンスタンドでもらった岩代町のパンフレットによると、富士山の見える北限の町ということで宣伝し、山頂には展望台も造られているとのことであった。立派な案内板に従って、山のかなり上にある登山口まで、車で登った。この山にも牧場が広がり、その柵の間に登山道が延びていた。尾根に出ると緩やかな登りになったが、標高もかなりあるためか、残雪歩きになった。山頂一体は芝生であったが、鳥居や祠や展望台などがいささかうるさく、しかも山頂は神社に占領されていた。展望台に登ると眺めも良く、無料の望遠鏡が備えられていた。麓山の牧場や、移ヶ岳の山頂直下のトラバース部も良く見えた。一日に三山目となると、歩いた実際の時間よりも、気分的に疲労感というか飽和感が覚えるようになり、家路につくことにした。

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