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大六天山、硯上山

1996年3月16日 1伯2日 単独行 晴

大六天山 だいろくてんざん(440m) 一等三角点補点 北上山地(宮城)5万 石巻 2.5万 萩浜
硯上山 けんじょうさん(520m) 二等三角点 北上山地(宮城)5万登米、石巻 2.5万 雄勝、女川

ガイド:分県登山ガイド「宮城県の山」(山と渓谷社)、宮城の名山(河北新報社)

3月16日(土) 5:00 新潟発=(R.7、R.113、赤湯、R.13、山形、山形蔵王IC、山形自動車道、東北自動車道、古川IC、R.108、石巻、R.398、女川、コバルトライン経由)=11:15 大六天山展望台〜11:23 発―11:47 大六天山頂〜11:52 発―12:12 大六天山展望台=(女川、R.398、雄勝)=13:28 林道三太沢線分岐先のゲート―14:13 雄勝峠登山口―14:38 避難小屋―14:49 自然探勝路分岐―14:57 味噌作分岐―15:00 硯上山山頂〜15:12 発―15:14 味噌作分岐―15:18 自然探勝路分岐―15:23 避難小屋―15:42 雄勝峠登山口―16:25 林道三太沢線分岐先のゲート=(雄勝、R.398、北上) 18:00 翁倉山林道終点登山口  (車中伯)
3月17日(日) 3:00 翁倉山林道終点登山口発=(北上、河北、R.45、仙台、愛子バイパス、仙台宮城IC、東北自動車道、往路を戻る)=10:30 新潟着

 大六天山は、牡鹿半島の付け根にある一等三角点の山である。大六天とは、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界」からなる六道の六番目、すなわち天界をさし、地元の信仰の山であった。
 硯上山は、硯の産地として有名な雄勝町の背後に広がる高原状の山である。名称については、剣ヶ峰、剣上御山、献上山と変遷し、硯上山となったと書かれているが、なだらかな山容からは、剣を連想することは難しい。
 3月の中旬だというのに寒さが続き、今年の春は遅くなりそうである。雪の心配の無さそうな山ということで、宮城県の南三陸海岸部の山に出かけた。金曜日は激しい雨になり、前線の通過を待って、土曜日の早朝出発になった。雨上がりの中を快調に車を走らせたが、山形付近から、木々の枝に積もった雪が目につき始め、山形自動車道の笹谷トンネル付近では、道路上にも雪が現れた。昨夜の雪は、山では雪となって積もったようで、道路周辺の低い山も白くなり冬に逆戻りしていた。東北自動車道をおりてから、太平洋岸までの道は結構長く感じた。石巻で、蛎いかだの浮かぶ入江の向こうに牡鹿半島の山並みが広がるのを眺め、明るい日差しに溢れた太平洋は、どこか日本海とは違っ感じがした。有料道路のゴールドラインのゲートに到着したら、そこの張り紙に平成八年四月一日から無料化と書いて有り、なんだか損した気分になって820円を支払った。少し走った先に海を見渡す展望台があり、そこからは、小さな島々の浮かぶ女川湾の素晴らしい眺めが広がっていた。そこの道路の反対側に大六天山の登山口があった。登山道は、始めは緩やかに山腹を巻いて登っていった。登山道が整備されてからかなりたっているらしく、土留めの丸太も朽ちかけていた。うっすらと雪の積もった雑木林の中を登っていくと、傾斜も少し強くなったが、ヒバの針葉樹が目に付き始めると山頂近くになって傾斜も緩くなった。左下から林業用の作業道が上がってきて登山道と平行するようになったが、林道上は柔らかな泥と木の枝で覆われて、歩ける状態ではなかった。大六天山の山頂は、二つ目の無線中継所の先にあった。薮っぽい草むらの中の広場に一等三角点があったが、周囲に山頂標識は見あたらず、この山を訪れる者は少ないようであった。周辺の木は伐採されて苗木が植えられていたが、まだそれほど育っていないため、見晴らしは良かった。しかし、このような伐採後の山頂よりは、見晴らしが利かなくとも木に覆われた山頂の方が心やすむものがある。山頂の東の少し低いピークに神社らしい赤い建物が見えたが、そこに続く林道は、泥だらけで歩ける状態ではなかったので、下山することにした。
 まずは一山登り、続いて海岸線を北上して硯上山に向かった。雄勝までは、道路地図ではそれほど遠くには見えなかったが、海岸線が入り組んでいるため、予想以上の距離があった。雄勝町から真野へ向かう未舗装の林道を登っていくと、林道三太沢線分岐の先にゲートがあり、道路は冬季閉鎖になっていた。登山口までどれほどの距離があるか知らなかったが、ガイドブックでは麓から歩けるようにも書いてあったので、ゲートから歩き始めることにした。ゲートの先で、道は立派な舗装道に変わった。冬の間に落ちた石が道路上に所々見られたが、確かに硯に成りそうな板状の岩石であった。道路上にもうっすらと残雪が現れ、その上の足跡から、二人程が先行しているようであった。林道は、谷をかなり下に見るまで、標高を上げていった。前方に登山口のあると思われる峠の鞍部が見え始めたが、そこまでは、谷を巻きながらの道で、かなりの距離があった。この道でいいのか、若干不安の残る気持ちで歩いていると、前方から話し声が近づき、一団の登山グループが下ってきた。三十人程のグループで、お揃いのバッチを着けた中高年グループであった。すれ違いの時に、二人程から、「これから登られるのですか」と聞かれた。午後も少し回っていたが、それ程遅いわけではなく、当たり前じゃないかと内心思って、少し無愛想であったかも知れないが、「ハイ」とだけ答えた。峠にたどり着くと、硯上山の登山口の標識があり、ひとまずホットした。登山口から車の乗り入れも可能なほど幅の広い遊歩道が始まっていたが、驚いたことに、遊歩道を埋めた残雪上に足跡は全く無かった。一瞬、別な登山口があるのかと思って周囲を眺めたら、団体の足跡は、この登山口から始まって、そのまま林道を下っていた。どうやら、石巻方面からマイクロバスで登ってきて、残雪を見て、登山を諦めてそのまま下山してしまったようである。先ほどの質問は、「(残雪があるので私たちがあきらめた山に)これから登られるのですか」というものであったようである。峠から山頂までは一時間程の登りであり、道も見失う心配は無さそうなので、山頂に向かうことにした。融けかかった雪で、足はそのままもぐってしまったが、20〜30センチ程の深さで、歩き続けることはできた。夏にはどうやらススキの原らしい緩やかな尾根上に登ると、正面に硯上山の山頂が現れた。山頂付近は雪ですっかり白くなり、どうやら、残雪との格闘が始まりそうな気配であった。緩やかに登っていくと、避難小屋が現れた。薪が積まれ、屋根にはストーブの煙突が飛び出した、居心地の良さそうな小屋であったので中を覗いてみた。小屋の中には、薪ストーブに石油コンロ、毛布にマット、さらに本棚いっぱいのアウトドアの雑誌が置かれており、避難小屋というにしては、雰囲気が変であった。壁には、「避難小屋を無断で改造し、ストーブを設置した者は、町役場に出頭して、事情を説明せよ」という張り紙が張ってあった。林道の途中までオフロード四駆のものと思われる轍があったことから、アウトドア派の不心得者(積まれた雑誌から、登山愛好家ではなく、アウトドア愛好家ということが判る。)が、避難小屋を私物化しているようであった。小屋から先は、残雪が深くなり、足を高く上げながら前に進む必要があった。自然歩道と書かれている道を右に分けると、傾斜は少しきつくなり、残雪上を登るのに体力がよけいに必要になった。味噌作からも広い林道が上がってきており、そこから山頂は、僅かな距離であった。頂上には、立派な山頂標識やあずまや、ベンチが置かれ、夏にはハイカーで賑わう山頂のようであった。先の団体がもし登っていれば、三十人の足跡で、立派なトレースができて、楽に登ることができたろう。しかし、たとえ苦労したとしても、白いままに残された雪をかきわけて登る方が、その山旅をもっと充実感のあるものにしてくれる。山頂からは、北上山地の山々や雄勝湾の素晴らしい眺めが広がっていた。その上から雪の消えたベンチに腰を下ろして、ひと休憩としたが、時間にも追われ、いそいで下山に移った。山頂の東側から登ってきているはずの自然探勝路の入口が判らなかったため、来た道を戻ることにした。登山靴の替えも持っていたため、靴の中に雪が入るのも気にせず、大股で滑るように残雪の登山道を下った。残雪の下りは速く、直に登山口に戻ることができ、日が陰り始めた林道を下った。
 今回の山旅では、翌日に翁倉山と徳仙丈山を登る予定であった。雄勝町で、夕食の弁当とビールを買い込み、野宿のため、翁倉山の林道終点の登山口に向かった。北上町から中原を経由して林道に入ると、杉林の中の作業道と思われる小枝の積もった、ドロで軟弱な路面になった。林道終点の広場は、ドロでぬかっていたため、車中泊にした。夜中に目を覚ますと、激しい雨になっており、林道の路面の状態が心配になって、登山はあきらめて下山することにした。激しい雨の中を仙台に出て、高速道に入った。途中、いつもR.113を通る毎に気になっていた、赤湯温泉の共同浴場「とわの湯」(100円)で朝風呂に入り、日曜日の成果、温泉一ヶ所ということにした。山と温泉をテーマにすると、雨の日の撤退時のせめてもの慰めになって都合が良い。

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