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鎌倉岳(常葉)、五十人山

1996年3月2日 日帰り 単独行 晴

鎌倉岳(常葉) かまくらだけ(ときわ)(967m) 三等三角点
五十人山 ごじゅうにんやま(883m) 二等三角点 阿武隈山地(福島) 5万 常葉、浪江  2.5万 常葉、古道

ガイド:アルペンガイド「奥日光・足尾・那須」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、ふくしまの山50(歴史春秋社)

3月2日(土) 4:30 新潟発=(R.49、会津坂下IC、盤越道、船引三春IC、R.288 経由)=8:50 日鷲神社先の路肩〜8:55 発―9:02 登山口―9:22 石切場―9:44 都路町分岐―9:50 鎌倉岳山頂〜10:04 発―10:06 都路町分岐―10:33 石切場―10:47 登山口―10:54 日鷲神社先の路肩=(R.288、R.399、蔦尾 経由)=11:26 妙見神社下〜11:30 発―11:33 西ノ内登山口―11:53 五合目―12:22 山頂鞍部―12:27 南峰―12:32 山頂鞍部―12:35 北峰〜12:40 発―12::43 山頂鞍部―13:00 五合目―13:15 西ノ内登山口―13:17 妙見神社下=(往路を戻る)=18:05 新潟着

 鎌倉岳は、一般になだらかな山容の阿武隈山地にあって、鋭い岩峰を持って登頂意欲をそそられる山である。山名の由来は、鎌倉武士が僧侶や修験道の宗派の拡張のため、山中の分け入ったことに由来するという説もあるが、実際には、鋭い鎌のような尾根を持つ、岩場(倉)を持つ山であることに由来すると言われている。阿武隈山地には、もうひとつ竹貫にも鎌倉岳があるので、常葉鎌倉岳と呼んで区別している。
 五十人山は、鎌倉山の隣にあって、対称的になだらかな姿をした山である。山名の由来は、坂上田村麻呂が五十人の従者を引き連れて登り、戦略を練ったという伝説や、山頂に五十個の大石があるためとも、五十匹の猿が住んでいたのを人と見誤ったためとも言われている。
 冬の厳しい寒さはようやく過ぎ去ったが、低気圧が通過して、天候は不安定になっている。悪天候が予報されていたが、朝の新潟は晴れていたため、ひさしぶりに車で山に出かけた。県境を越して福島県に入ると湿った雪の吹雪になった。盤越道では、スキー場に向かう車が、路肩に列を作ってでチェーンを巻いていた。ノーマルタイヤで、スキー場に行くのは、チト無謀ではないだろうか。昨年の秋に盤越道が磐城まで延長になっていたが、今回が走るのは初めてであった。以前のように郡山市街を通過する必要が無く、スムーズに阿武隈山地にアクセスすることができるようになった。高速を下りて、国道を常葉町に向かうと、鋭い峰を突き上げる鎌倉岳が近づいてきた。阿武隈地方に入ると、雪はやんだが、路面には、凍結箇所や路面に数センチの雪が積もっている所もあった。山根小学校を通り過ぎた先の国道脇に、鎌倉岳の登山口があったが、天日鷲神社の先の登山口から登ることにした。車道を登っていくと、路面は雪で覆われた状態になったので、車を路肩にとめて歩き出すことにした。夏であったなら車の乗り入れには問題のない林道を登っていくと、分岐に出て、右に入った所に登山口の標識があった。尾根伝いに登っていくと、雑木林の中の急な道になった。明るい日差しが、林の中まで差し込み、落ち葉の上に積もった雪も融け始めていた。ひと登りして、汗が吹き出るようになったと思ったら、荒れた感じの林道に飛び出し、右手に進むと石切場にでた。現在では、石切場は放棄されているらしく、むき出しになった岩の周辺にも潅木がしげって、石切の跡も目立たなくなっていた。登山道はさらに急に、残雪も本格的になった。斜めになった岩の上に雪が積もっている所は、滑りやすく、注意深く足を運ぶ必要があった。登りの途中には、休憩のためのベンチも置かれていた。山頂近くの岩の基部に登り着くと、都路町からの登山口が合わさった。山頂の裏側に回りこんでのトラバースの取りかかりに、下りの丸太の階段が現れた。雪が積もっており、数メートルの高さではあるが、滑りそうで足が出ない。ストックを取り出し、足下を確かめながら下った。少し進んで丸太の階段を登ると頂上に到着した。大きな岩が重なり、一画には大日鷲神社の祠が置かれていた。山頂の岩の上には雪が積もっており、滑り落ちないように慎重に移動する必要があった。周囲には、阿武隈山地の山々が広がっていた。日山や五十人山は見当が付いたが、目の前の堂々とした三角形の山が良く判らない。帰って調べると、移ヶ岳のようである。この山のガイドは、ほとんど見かけないが、登ってみたくなる姿をした山であった。足下には、谷に沿って人里が広がり、かなたには、白い安達太山が雪雲でかすんでいた。山岳展望の教科書とも言われる展望の山旅に、阿武隈山地が載っていないことは残念である。青空に雲が流れ、時々突風が体をよろつかせた。下りは、滑らないように、一歩づつストックで体を支える必要があった。石切場からは、椚平への林道を下りることも考えたが、車の回収を考えて、来た道を戻ることにした。
 靴だけはきかえて、二つ目の山の五十人山に向かった。R.288を東に向かうと、五十人山登山口の標識が現れたが、分県登山ガイドで取り上げられている西ノ又登山口から登ることにした。蔦尾中学校の脇を過ぎると、妙見神社の下で舗装道は終わり、そこから林道が始まっていた。林道は、荒れた感じで雪も積もっていたため、この妙見神社下から歩き出した。林道を少し登った所に、五十人山の登山口があった。緩い尾根を登っていくと、周囲には雑木林が広がり、残雪の白に笹や常緑樹の緑が彩りを添えていた。木には所々名札がかけられ、マンサクもあったが、黄色い花はまだ先の話のようであった。高さよりは距離を歩く道であり、結構疲れる雪の上の歩きであった。北峰が近づいてきたと思うと、芝地の広がる鞍部に飛び出した。南北の峰に挟まれた鞍部に五十人山山頂という立派な山頂標識が立っていた。ここで記念写真を撮っておかしいと思わないのだろうか。アンテナの立つ南峰をまず目指した。雪は吹き溜まりになって所々深く、ひざまでもぐった。山頂には三角点があったが、アンテナと木立に囲まれて、見晴らしは良くなかった。南峰よりは少し低い北峰の方が、展望は優れていた。北峰の上には岩が転がり、その上に立つと、鋭い山頂を持った鎌倉岳をはじめ、周囲の山々を眺めることができた。阿武隈山地の山はこれで何度目かになるが、他の登山者にほとんど出合ったことがない。冬でもスノーハイクを楽しむことができるのにもったいないことである。

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