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高川山

1996年1月27日 単独行 晴

高川山 たかがわやま(976m)  三等三角点 桂川筋(山梨) 5万 都留 2.5万 大月、都留

ガイド:分県登山ガイド「山梨県の山」(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、甲斐の山旅・甲州百山(実業之日本社)、中央本線各駅停車(山と渓谷社)、山と高原地図「高尾・陣馬」(昭文社)

1月27日(土) 6:21 新潟発(あさひ302)=9:50 大宮着=9:54 発(埼京線)=10:03 武蔵浦和=10:10 発=(武蔵野線)=10:37 西国分寺=10:40 発=(中央線)=10:45 立川=10:49 発=11:06 高尾=11:20 発=12:10 初狩駅着―12:32 椎茸栽培場―12:44 男女坂分岐―13:00 男女坂合流点―13:13 高川山山頂〜14:20 発―14:27 資料館分岐―14:41 中谷ルート分岐―14:46 林道終点―14:25 禾生駅=14:48 発=(富士急行)=15:58 大月=16:00 発=(かいじ114号)=16:38 立川=16:49 発=16:56 西国分寺=17:03 発=17:29 武蔵浦和=17:33 発=17:45 大宮=17:52 発=19:32 新潟着

 山にもはやりすたりがある。高川山は、多くのハイカーが訪れる中央線沿線の山の中でも、展望が素晴らしく、しかも駅から短時間で登れる山として、最近特に人気の高い山である。山名の由来は、「たか」と呼んでいたのが、「高」の字をあてて「高ガ山」となり、「高川山」に変化したものという。
 金曜の夜行の座席指定をとっていたが、新潟県内の列車ダイヤが雪のために混乱していため、土曜日の朝出発でも登れる高川山に予定を変更した。当初の計画では、11時少し前に登山口の初狩駅に到着の予定であったが、ポイント故障のため、新幹線が大宮駅手前で2時間立ち往生してしまった。車窓からは、富士山が白く輝くのを眺めることができたが、山での富士山の展望は次第にあきらめに変わった。細かく電車を乗り継ぎ、登山口には、それでも1時間少しの遅れで到着した。駅からは、登山コースを示す標識が判りやすく付けられていた。お寺の裏手の墓地の脇を登っていくと、道は未舗装の林道に変わり、椎茸栽培場に出て、ここから登山道が始まった。杉の植林地の中の道は、けっこう急斜面であった。途中で男坂と女坂の分岐があったが、男坂を登ることにした。急な所には固定ロープも張られて良く手入れされいた。登山道には、暖かく木漏れ日が差し込んでおり、葉の落ちた枝を透かして、初狩周辺の町並みや滝子山を眺めることができた。このような冬晴れハイクは、新潟では味わうことができず、電車を乗り継いでやってきたかいもあるものと思った。山頂に近づいた所で、登山道に凍結部が僅かに現れたが、積雪はほとんど無かった。高川山の山頂に到着したのは、午後をすっかり回りこんでしまっていたが、それでも10人程の登山者が残っていた。山頂からの展望は、この山の人気の程が納得できるものであった。富士山が逆光になり、山頂に雲が出ているのが惜しかったが、富士山抜きでも、ここからの展望は素晴らしかった。展望を期待して、「展望の山旅」(実業之日本社)と双眼鏡を用意してきたが、どちらも役にたった。「展望の山旅」は、山岳展望の教科書と言うべき本であり、高川山のページを開いて、周囲360度に広がる山の名前をひとつづつ確かめていった。展望図とひとつ違っていたのは、九鬼山に穴をうがつリニアモーターカーのトンネルであった。山梨の山に登ると、送電線の鉄塔といい、このリニア関連の工事がどうも気になる。下りは、禾生駅に向かうことにした。尾根を下って、小さなコルから右手に折れると、ジグザグに高度を一気に落として、最後は椎茸のホダ木の積み上げられた林道終点に飛び出した。山を下って集落に入ると道は少し判りにくくなるが、案内標識と感で、禾生駅にたどり着くことができた。新幹線は、朝のポイント故障に続いて起こった停電などで混乱していたが、遅れて到着した列車に乗り込んで、新潟には通常の時間で戻ることができた。

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